罪に追われて
マルアト達が少年を保護した場所へと戻ると、少年の周囲に張っておいた結界は瓦礫の雨から見事に少年を守りきり、無傷な少年の姿をマルアト達に見せてくれた。
そのことにひとまずほっとするマルアトに対し、数分程度瓦礫の下に放置された少年は、ひどく不満そうな顔を向ける。
――嫌な予感がするな。
そのあまりに身勝手そうな少年の顔に、マルアトが眉をしかめた時、
「無事でしたか。それは何よりです」
「あんたらか……僕を助けてくれたのは」
「あ、ちょ!」
マルアトよりも先にエンゲルが、少年に話しかけてしまった。
――これはまずいな。
長年の経験から、助けられたくせに感謝の表情一つ浮かべない輩との会話はろくなことにならないと知っているマルアトは、慌ててエンゲルを止めようとするが時すでに遅し。
「助けるんならきちんと助けろ、この屑が!!」
「……?」
「はぁ……」
マルアトの静止よりも前に少年の罵声が先にとんだ。
「こんな長時間瓦礫の中に放置しやがって! みたところ、あんた達浄罪官だろうが! 正義を成すシャマルの飼い犬だろうが! 困っているやつを見たら真っ先に助けるのは自然だろうが!!」
「あぁ。なるほど。確かに瓦礫の中に放置した不手際は申し訳ありませんが、あの場には罪装式を使う犯罪者がおり、苛烈な戦闘が予想されました。あの場で戦っていれば被害は家屋の崩落ではすまず、結界で守られていたあなたにもそれ相応の被害が予想され……」
「知ったことかそんなこと! テメェらの天命が人を助けることなんだから、命を懸けて被害者助けるのは当然だろうが! 被害が出る? こっちも無事じゃすまない? そんなことになりそうになったら、テメェの体盾にしてでも守って見せろやっ!」
「おい、お前……」
――俺達は犯罪者を追うことが仕事であって、被害者を救うことが仕事じゃない。被害者救助はあくまで浄罪官の裁量次第。無理そうなら見捨てても構わないとさえ言われている。
と、意外と知られていない浄罪官の真実を、殺気交じりの言葉でマルアトは告げてやろうと口を開いた。
だが、この時マルアトは見くびっていたのだ。
エンゲルの無垢さを。
「なぜですか?」
「あぁ?」
「なぜ助けられたのに罵倒をされるのですか?」
「な、なぜって……」
あまりに理不尽な怒号に、理不尽な要求だった。
だがエンゲルは激昂するでも、悲しむでもなく、ただ不思議そうに首をかしげて、世界の常識を少年の言動を照らし合わせて、不可解だと問いを発した。
「あなたはあのまま放置されれば、何らかの手続きを経て、何の理由も、なんの瑕疵もないにもかかわらず奴隷として身分を落とされていました。あなたを助けようとしたのは、まぎれもないマルアト様の善意であり、マルアト様の正義にのっとった行動です。べつにあなたを助けずとも、われわれの目的を達することは可能であったにもかかわらず、マルアト様はあなたの救助を優先されました。それを知らないにしても、助けられた以上先ずは礼を言うのが外における当然の行為であると、当方は教えられています。それをしなかったということは、それをするに値しない特別な理由があったと推測できます。なぜ罵倒を続けられるのですか?」
「だ、だから、が、瓦礫の下の放置……」
「マルアト様が浄罪官だという事実をあなたは知っておられました。浄罪官はその大半が高位の術者であると伺っています。あの程度の薄い瓦礫で浄罪官の結界が解けるとは思えないし、空気が入る程度の隙間はあったので、窒息する可能性も低い。戦闘時間も非常に短く、貴方が瓦礫の下に埋もれたからと言って感じる恐怖はほぼ皆無であったと思われます。さらにはつい先ほど説明した事情をかんがみても、あなたの一時放置は仕方ない行為であったと納得できたはずです。そのうえで何故そのことについて罵倒をされるのかと伺っています?」
「い、いや……でも、その」
「なぜなのですか? なぜ罵倒をされたのですか? 正しい事情説明と、正確な憤怒の理由をご提示ください。当方――エンゲルは英雄支援神器。今後の稼働において、英雄を英雄たらしめる行為を支援する義務があります。万人に褒め称えられてこその英雄であるがゆえに、ごく少数とは言え人々に批判を受ける行為は見過ごせません。今回の批判内容は、真摯に受け止め、今後の行動にフィードバックする必要があります。どうか、批判の内容を明確に述べ、当方にあなたのメンタル動作を詳細に教えていただきたく」
「そのあたりにしておけ……」
淡々と、機械的に、だが容赦なく、少年を質問攻めにするエンゲルの襟首をマルアトはつかんだ。
何故? と言いたげに振り返るエンゲルに対し、マルアトはひらひらと手を振りながら少年に告げた。
「クソガキ」
「ひっ!」
「どうせろくな育ち方していないだろうとは思っちゃいたが、世界はお前を中心に回っているわけじゃない。今回の一件でそれだけは学んでおけ」
「は、はい」
「あと、助けられたらまずは礼を言え。この子はちょっと変わっているから怒らなかったが、本当なら殴られても文句は言えないぞ?」
「わ、わかりました」
「わかったらいけ。そう俺達と長くいたいわけでもないだろう?」
その言葉を待っていたといわんばかりに、少年は弾かれたようにその場から逃げだし、すぐに雨のベールに隠れて見えなくなった。
「マルアト様。よろしかったのですか? あの方から目標の人物について聞きだすのでは?」
「あの様子じゃ、まともな会話ができる状態じゃなかっただろう。あと、エンゲル殿。今後あのような対応は控えていただきたい」
「なぜですか?」
――当方はただ自らの疑問と行動に対する問題点を洗い出したかっただけです。
あくまで当然と言わんばかりに、実際当然だと心底思いながら、白銀の髪を持つ少女は赤い瞳に不思議そうな色を浮かべた。
「あのガキが怒ったのは、俺達のせいじゃない。あくまであいつの問題――世界の中心は自分だと錯覚していた、身勝手な自惚れ故の物だ」
「彼自身の問題?」
「そうだ。自分が世界の中心だと思っているから、ああいった輩は何してもいいと勘違いする。自分より弱い者をいじめて、自分だけが楽しい思いをして、それが当然だと思って育つ。そして、テメェの身に降りかかった理不尽を、不当で、ありえなくて……憤っていいモノだって勘違いしているのさ。それがごく当たり前に、誰にでも降りかかる理不尽だと分からずに……。お前達がどれほどの非道を働いたかも自覚しないままな」
この街はそれがさらに顕著に見えた。他人の迷惑など知ったことではなく、あくまで自分が楽しむためだけに他者を虐げるこの街では……。
「だからあいつは俺達に憤ったんだ。もうやられた犯人の分も含め、自分には自分の怒りのはけ口を求める権利があるなんて勘違いしてな」
「……それは、率直に申し上げて、《悪》なのでは?」
「そうだな」
すべての疑問は氷解した。外の常識に照らし合わせて、あの少年はあまりになっていなかった。エンゲルはようやくその結論に至った。
だが、新たな疑問がエンゲルの心中に浮かぶ。
すなわち、
「ですが、わかったうえでマルアト様は助けられましたよね?」
「いや、わかっていたわけじゃない。あぁいった罵声をぶつけられるかもとは思っちゃいたが……。こんな街だし」
「ではなぜ、彼を助けたのですか?」
「ん?」
エンゲル問いに、マルアトは僅か目を開き、少し考え込むように無精ひげだらけの顎を撫でた後、
「なんで……いや。考えたことはなかったな。まだガキだからとか、将来は悔い改める可能性があるからだとか《鎚》や《鎖》の浄罪官なら言うんだろうが。《石板》の俺じゃなぁ……。よくよく考えると《牙》や《拳》の奴なら普通にガキを殺していただろうし。あいつらは徹底的に罪を許さない。ガキだろうなんだろうが、そういった間違ったやつらはためらいなく殺すからな。俺も一応あいつら寄りの思考回路ではあるが……そうだな」
しばらく考えたのち、ようやく答えらしき何かをひねり出したのか、わずかに眉をしかめつつ、マルアトは言葉を発した。
「泣いているガキを、助けを求めているやつを、黙って見捨てるのは趣味じゃない。多分それが理由だろう」
思い出したのは、幼少の頃……セントと出会ったあのひと騒動。今にも泣きそうなセントを見て、めんどくさいという内心にまみれながら余計な口を挟んだ、あの薄暗い裏路地での記憶だった。
「……ちょっと、曖昧で悪いとは思うが、俺にはこれ以上の答えは出せない。すまないな、エンゲル殿」
「Nein。十分な答えだったかと」
ようは好悪の問題。好みの問題だと、エンゲルはその答えにひとまず納得した。
だから彼女は、外の常識に照らし合わせて、眼前のマルアトを評価する。
「あなたはいい人なのですね。マルアト」
「……はぁ?」
罪人であれば容赦なく殺して回っていたマルアト本人は、その評価には大変不服そうだったが、それでもエンゲルは彼に対する評価を変えなかった。
…†…†…………†…†…
丸く収まった少年の誘拐騒動ではあったが、ここで一つ問題が浮上した。
結局、話を聞くはずだった少年から、標的の話を何一つ聞き出すことができなかったということだ。
これにはさすがのマルアトも困りきっており、
「最悪あの広場に戻って罪人締め上げる必要があるが……」
「二度手間ですね」
「悪かったよ」
「いえ。あなたはいい人ですから。当方――ワタクシは悪い寄り道ではなかったと思います」
「その評価はもうどうやっても変わらないんだな」
「一度決めた評価を覆すのは、ワタクシの趣味ではありませんので」
「まったく、余計な言葉覚えやがって……」
さて、どうしたもんか。と、マルアトはエンゲルの手を引きながら、暗い路地の中を歩き始めた。
とにかく人がいるところ。つまり、情報が集まる場所を探して。
そんな彼らに、
「い、いた! 浄罪官殿っ!!」
「――っ!」
突如、呼びとめる声が一つ彼らにぶつけられた。
当然こんな悪党だらけの街だ。浄罪官は基本狙われる存在。ゆえに、マルアトは即座に背負った石板から延びる皮ひもに手を伸ばし、迎撃態勢を整える。
――さっきの奴の仲間? もしくは戦闘を見て新手が来たか!?
とはいえ、厄介ごとではあるがマルアトにとっては好都合でもある。
殺さないよう適当にのして、セントの情報を聞き出そうと考えていたからだ。
だが、ここで彼は二つの想定外の出来事と、一つの幸運に恵まれた。
想定外の一つ。接触してきたのは敵ではなかったということ。
「どうか、お助け下さい!!」
「……はぁ?」
「マルアト様。ワタクシが思うに彼は救援を求めているものかと」
「それは分かってる! わかっているが……」
こんな町で? と、驚きを隠せないマルアトに、声をかけてきた男は息を切らしながらマルアトの前へと到達し……よほど急いできたのか、そのままマルアトに縋り付くように倒れた。
「あ、おい、あんた!」
「呼吸異常。身体負荷甚大。かなり無理な運動をした模様。適切な処置なしには、死を免れないほどに」
「何考えてんだ! 待ってろ、いま治療を……」
「た、助けてください」
慌てて石板の術式を走らせようとするマルアトに、一刻の猶予もないと言いたげに、男はマルアトの手を握り締めた。
「この国を……いいえ、ここに集った人々を。助けて」
「何を? いや、そんなことより治療の邪魔だ、手をどけろ!」
「マルアト様。こちらの光魔法で身体機能の不全を是正することは可能ですが、その程度の力ではもう……。彼は死に体。よほど体を酷使したのが原因でしょう。逆に言えば、体を酷使してでも、一秒でも早くマルアト様に伝えないといけないことがあったのではないかと」
「――っ!?」
――なんだ? ここまでして伝えなくちゃいけないものって一体なんだ!?
エンゲルの一言に、思わず治療の手を泊めてしまったマルアトに、男は少し穏やかな顔になりながら、
「彼らは生まれながらの罪人ではなかった。だが、あの悍ましい門が、かれらを罪人に変えた。あの恐ろしい国王……セント・ソドミニアが作った門が!!」
「っ!!」
その名前に……追い求めていた罪人が王になっていたというもう一つ想定外に、マルアトは思わず息をのむ。
標的がいる場所を手に入れられたという幸運は、衝撃の余忘れ去られた。
そんな彼の表情を見て、男は涙を流しながら自分の罪を告白した。
「あぁ、私もその一人だった。気づいたら自分のことばかりで、自分が幸せになることばかりで、他人なんてもう見えなかった。むしろ自分の幸せを邪魔する障害だとばかり」
「……もう喋るな! わかった! あいつは俺が必ず殺す。だからもう」
「あげく私は息子を……娘を。許してくれ、許してくれ」
呼吸が徐々に弱くなり、酷使された心臓がだんだん動きを鈍らせていく。
絶句していたマルアトはそれに気付き、慌てて石板に指を乗せるが、
「なっ!?」
石板は反応しなかった。
この石板は審判をするもの。もはや死でしか償えない罪を背負ったものに、その慈悲を与えることはない。
つまりこの男は、
「あぁ、リウィ、マーフィエ。すまなかった。すまなかった。だけど、お父さん……最後の最後で……」
そのあとの言葉は続かなかった。
ただ、ひどく穏やかな顔をしながら男は息を引き取った。
命を懸ける必要もない場所で命を懸け、懸命に巨悪の存在を伝えようとした男は、結局何のために走ったのか、マルアトは知らない。
ただ、
「逃げていたのでしょうか?」
「……なにから?」
「それは分かりません」
エンゲルはただ、人が止まれない最たる理由を淡々と提示した。
止まれば死ぬと分かっているから、止まらなくてもこのままでは死ぬと理解しても、人は走り続けるのだと。
「ただ、よほど恐ろしいものが背後から迫っていたのではないかと」
「……こいつが追跡された様子はない」
「そうなのですか?」
「あぁ。追うってことは捕えるか殺したいってことだ。当然逃げている最中にいくらか攻撃を受けたはず。だが、この男の体にはそんな痕跡はない」
転んですりむいた傷はあちこちにあっても、男に危害を加えられた形跡はなかった。
だからこそ、マルアトは彼が逃げていたものの正体を本能的に理解できた。
「こいつは、自分の罪から逃げていたんだ」
「罪から?」
「あぁ。止まったら、何らかの形で犠牲にした、自分の子供たちに顔向けできないから。たとえ命を懸けたとしても、こいつは俺に会うまで止まれなかったんだろう」
少しでも苛烈な罰を。少しでも長い苦痛を、男は望んだ。
だから死んだ。
ただそれだけ……自らの罪を思い出し、それに耐えきれなかった愚かな罪人が一人いただけ。
だが、その事実がどうしようもなくマルアトの憤怒をかきたてた。
「エンゲル殿。向かう場所が決まった」
「それはどちらに?」
「決まっている」
マルアトは見上げる。
町の中央にそびえたつ漆黒の城を。
その頂上に立つ存在を睨み付けるように、するどく細めた目を向ける。
「この国の……王がいる場所にだ」
――決着をつけよう。
…†…†…………†…†…
そのマルアトの決意の言葉を、謁見の魔に座っていたセントは確かに聞き届けた。
「そうだ、マルアト。いいかげんに幕といこうか」
――悪党の俺と、善人のお前の決着をつける時だ。
創世の雨に多くの小魔が洗い流される中、崩壊を始めた国の玉座にて、セントは静かに嗤いつづけた。
お待たせしました!
ようやくセントとの決戦になるかと?
今回の試練は短めで終わりそうでよかったよかった!