下界降臨
豪雨降り注ぐ視界などない戦場。
僕はその中を一人走り抜けていた。
戦うためじゃない。勝つためじゃない。
ただ死にたくないから……自分に死を与えようとする恐怖から逃げるために、僕はただ逃げ続けた。
「はぁ、はぁ……はぁっ!!」
――なんだあれ!? なんだあれ!? 何が起こっているんだっ!?
悲鳴のような絶叫と自問を心の中で繰り返しながら、僕はそれでも足を止めない。
とめたらどうなるか、身を持って思い知っているから!
「ひゃっはぁっ! 獲物発見!! 死ねやおらぁ!」
馬鹿なプレイヤーが、雨のカーテンの中から現れた瓦礫の影から飛び出す。
瞬間、そのプレイヤーの頭がざくろのように飛び散り、真っ赤な血しぶきで僕の体を濡らした。
「う、うわぁああああああああああ!」
『そこか、ニュービー。同情はするが、これが死滅豪雨戦線だ。悪く思うな』
国内最大のVRFPS――BSOには魔物が住んでいる。
BSOを始めるにあたり情報サイトの雑談掲示板に書かれていたその情報を、僕は今更ながら思い出した。
常に止むことのない視界を劣悪にする雨の中を、ふたりの魔物は自由に闊歩し、獲物を殺して回るのだと。
一人は先ほど飛び出したプレイヤーの頭をザクロに変えた狙撃手。
雨粒で視界が白くなり、まともに周囲の状況を確認できないこの豪雨の中、確実に敵の頭を狙い打ち抜く怪物。悪名高いイタリア狙撃銃――カルカノM1938を愛用することから付けられたあだ名は――《雨の悪魔》。
そして、もうひとりは悲鳴を聞きつけ、僕の脳天を狙いたがわず撃ち抜いた雨に潜む悪夢。
白に近い水色と、純白をベースにした迷彩レインコートを着込んだ、フードで顔を隠す二挺拳銃を操る化物。
本来バカの所業と言われる二挺拳銃を見事に使いこなすそいつは、僕の頭を打ち抜いた《トーラス・レイジングブル》と、こちらの心臓に照準を合わせる《チーター》という愛称が付いている《ベレッタM84》を構えて、雨の中から無音で現れた。
「まぁ、これにこりたら引退することだな。お前のような子供がやるには、このゲームは刺激が強すぎる。というか、よく親の許可でたね?」
『おぉい!? 相棒っ! ただでさえ少ないBSOのユーザー積極的に削りに来るのやめねぇ!?』
「やかましい。なんださっきの光景。人間の頭がはじけて飛び散るのを克明に見せつけてくるVRなんぞ積極的に消えてくださいどうぞ。って、なんだ? まだHP残ってんのか?」
課金アイテムである、一度だけ致命傷から復活できる《身代わりドール》の効果が、僕を不運にも生かしてしまった。
当然のごとく戦意など砕けてしまった僕に、再び放たれた弾丸を避けることなどできず、
「おかしいな。確かに脳天ぶち抜いたと思ったんだが?」
『《身代わりドール》でももってたんじゃねぇの?』
「えっ!? あれって、一個五千円もするバ課金アイテムだったろう!? 買うやつなんていたのか!?」
通信機から聴こえてくる《雨の悪魔》の声に驚くレインコートの悪魔の名を、僕は思わずつぶやいた。
「《死の雨外套》……」
英語の《デッド・レインコート》じゃ泊がつかないよね、なんてふざけた理由で、掲示板の連中が勝手にドイツ語に変えていた、その悪夢の異名を。
次の瞬間、今度こそ、心臓と頭を打ち抜いた二つ弾丸によって、僕の命は終わりを告げた。
《死の雨外套》はそんな僕の結末を見ることなくその場から立ち去り、再び雨のカーテンの中へと消えていった。
次々と響き渡る断末魔の声を尻目に、戦闘フィールド外への移動を待つことなく僕はBSOからログアウト。
敗北の屈辱に打ち震えながら、グレムリンからBSOのダウンロードソフトを抹消し、同時に忌々しい記憶を封印した。
僕の名前はシャルルトルム。《スーパー銀河英雄》シャルルトルムだ。
無敵にして最強たる僕に、敗北の記憶などあってはならない。
…†…†…………†…†…
未だ名も無きつくられた世界。その世界に、ひとりの男が降り立った。
とある世界で悪夢とも、死を運ぶ者とも言われたそれは、あの時とは違う青い外套をまといながら、ゆっくりと腰のホルダーに収められた拳銃を抜く。
それはブルーメタリックのメッキが施された拳銃。男の世界においては、《怒れる牡牛》と名付けられたそれは、轟音とともに水の弾丸吐き出し、それを天へと押し上げる。
そして雲がある場所まで昇った水の弾丸は、最高到達点に至ると同時に炸裂。無数の水の分子となって天を覆い尽くし、雨雲の代わりに辺り一帯に豪雨を降り注がせた。
それによって姿が覆い隠された青い街頭の男は、フードに隠れた顔からボソリと声を漏らす。
「じゃぁ、行くか」
とあるゲームで身につけた、雨の中で最低限の物音しか立てない動作をとりながら、青い男は速やかに戦場となっている森の中へと侵入した。
…†…†…………†…†…
――突然の豪雨に救われたな。
森の大木の枝に座り込みながら、先ほど化物に付けられた腕の傷に、ケープを破って作った布切れをきつく巻き付ける女狩人――ニルタ。
彼女は今、再び地面に降りたち存在が確認できない鼻を鳴らし、こちらの匂いを探している怪物を見下ろす。
先ほどの会敵をなんとか乗り切った彼女は現在、狩るものから狩られる者へとジョブチェンジを果たし、こうして怪物から逃げ回っていた。
彼女の臭い消しの呪いであった泥の化粧は、先ほどの戦闘ではがれてしまっており、彼女は怪物に血の臭いによって常に捕捉――追跡されていたのだ。
そこにやってきた突然の豪雨。これによって一時的に彼女の臭いは洗い流され、怪物の追跡から再び逃れることができた。
だが、
「これからどうしたものか」
危機が去ったわけではない。未だに怪物はこのあたりに彼女が居る事を悟っている。それゆえに怪物は先程から円を描くように徘徊し、こちらへの距離をだんだん詰めてきていた。
本来ならば隙を突いて矢の一撃でもお見舞いしてやらねばならないのだろうが、それも今では難しい。
「くそ、初撃で腕を潰されたのは痛かった。忌々しい化け物め。どういうわけか狩人の殺し方を心得ている」
傷を負った利き腕である左の腕。きつく布を巻いたにも関わらずそこからは未だとめどない血が溢れ出しており、布を瞬く間に赤く染めていた。
この傷では得物である弓を引くことすらままならない。
敵はこちらを追い詰めつつあり、武器を手に取ることすらできない。正しく絶体絶命。通常ならば死を覚悟しなければならない状況だ。
だが、それでもニルタは諦めていなかった。
――諦めるわけにはいかない。ここで私が諦めてしまえば、あの化物はまた違う集落を襲い被害を出す。狩人として、獣の間引きを任されたものとして、それだけは許容できない。
そんな思いが、くじけそうなニルタの心を支えているからだ。
そんな彼女の思いが通じたのか、
『女――』
「っ!」
雨音とともに、救いの手が差し伸べられる。
…†…†…………†…†…
その頃、化物の襲撃を受けた集落において、燃え落ちた家屋の残骸を解体し、死体を回収していた村長は、突然滝のような雨に包まれた森を見て思わず手を止めた。
「ニルタ……!」
まさかこの雨はあの化物の仕業では!? そんな不安が村長の脳裏によぎるのも無理はない。
なにせあの化物はすべてが未知数。誰も見たことも聞いたこともない、存在すら認識されていなかった埒外のモノなのだ。
雨くらい呼び寄せても不思議ではない。と、村長が考えても仕方ないことだろう。だが、
「失礼な。あの方の神聖な雨を化物ごときの小水と勘違いするなんて!」
村長の不安は、光の粒子が固まって具現化した赤い服を着込む女が振りはらった。
「なっ! 誰だあんたは!?」
「下界創出の下位AIのくせに随分と生意気な。管理系統AIに向かって失礼……といっても分かんないでしょうね。端的に言いますと」
明らかに超常的な出現をした女に腰を抜かした村長に、彼女はゆっくりと手を伸ばした。それはまごうことなく、
「創世神ソート様の御使いとしてきました。死人を集めた場所に案内しなさい」
「え?」
「本来ならばご法度ですが、今回はこちらの《難易度設定ミス》ということになりましたからね。被害補填のためという言い訳も聞きますし、今回はこちらの不手際の後処理を行って差し上げましょう……よすうるに」
神の救いの手であった。
「貴重なGPを消費してしてあげようというのですよ。創世神の眷属――シェネ・レートの名において、今回被害にあった人間の蘇生を」
…†…†…………†…†…
突如として地上に降りたった二柱の神。その存在を感知した存在がもう一つ。
「ほう……」
それは自らの領土を無粋に犯した雨雲の存在を感知した、巨大な神殿の玉座に座る男であった。
彼は黄金の髪をオールバックに整えながら、人間ではありえない黄金色の瞳を細め、天空に座す黒雲を眺める。
「あの力は母上のものか……。くくく。あの凡俗が殺した慈母神の力を自在に操る存在など、今となっては一柱しかおるまい」
男はそう言うと、下界の全てを見通す黄金の目を輝かせながら、ひとりの女狩人と邂逅した創世神へと視界を合わせた。
「では見させてもらおうか、原子の神。この世すべてを作り出したものよ。人を作り、気まぐれに死すら厭わぬ試練を与えたにも関わらず、慈悲深き姿すら見せる支離滅裂な創世神よ」
――他の何者も測れぬお前を、この俺が測ろう。
現在地上をたった一人で支配する神にして王――《天空神》エアロは、凶悪な笑みを浮かべながら事の次第を監視し始めた。
ようやくこの章の登場人物全員登場。おせぇよ!?
実はソートが持つ拳銃の効果をまだまとめていなかったり……。つ、次には必ず拳銃の名前と能力を出すんだからね! 嘘じゃないんだからねッ!(フラグ