院生と助教の話
先生と寝てしまったのは、事故みたいなものだと思う。
俺はその日、寝不足と栄養不足でふらふらだった。
担当教授に出されていた課題に追われていたのが一番の原因だ。
大した課題じゃない。大学院の修士課程の学生として、普通の量の課題だった。
ただ、生活費を稼ぐためのバイトもしていて、それに少しばかり熱中し過ぎたのが主な敗因だった。夜中のカラオケ屋のリーダーなんかしてるもんだから、シフト組んだりまでが俺の仕事になってしまって、どうにも組めない時には無理に俺がバイトを入れてしまうのが、全て悪い。つまりは単純に俺のミスだった。
バイトに明け暮れた週が終わって、ようやく課題に集中できると思ったら、その課題が思いのほか難儀した訳だ。
文献を調べ、読み込み、理解し、まとめる。
それだけの作業なのに、必要な文献を取り寄せるのに思いのほか時間がかかったり、もともと英文は苦手だから翻訳作業に時間がかかったり。
そうこうしている内に、提出期日ぎりぎりになって、ようやく仕上がったのが、夜の11時だった。
同期の学生も「先、帰るわ」と次々帰っていった。
レポートをプリンタ出力して、ホッチキスでまとめて教授の部屋に提出して、帰り支度をだらだらしているときに、急に研究室のドアが開いた。
「こんな時間まで残っているのは誰だ? 学務課が省エネだエコだとうるさいんだぞ、最近は」
そんなことを言いながら入ってきたのが、村野助教だった。
有名大学出身で、どこかの研究所に所属していたが、今年の四月からうちの大学の助教として引っ張って来られているらしい。きつい感じの美人で、若手有望研究者と言うことで、学部内でもちょっと話題になった。
とはいえ直接俺の研究と重ならないので、接点は全くない。
「あ、すいません。もう帰るので・・・」
俺がパソコンをシャットダウンしながら答えると、
「・・・あぁ。そうか。こんな時間まで大学で作業は禁止されているんじゃないか?」
と聞いてくる。
確かに22時以降は極力残らないように、と言うのが学務課の通達だった。
少子化により大学運営もなかなか大変らしく、エコだ、省エネだというのもひとつ。大学内の防犯的観点からもひとつ。警備員は巡回しているが、個人に任せて施錠を忘れ盗難なんて起こったら世間の目が怖い。
「そうなんですけどね・・・もう少しもう少し、とこんな時間になってしまいました。以後気をつけます」
俺はそう言って、この話を終わりにしようとしていた。
さらに会話を続けたのは、村野先生の方だ。
「お前・・・田口だろ?」
俺の名前を当ててくる。
なぜ学部は同じでも専攻は違うし、ほとんど接点のない俺の名前を助教の先生が知っているんだろうか、と思ったが「そうです」と答える。
先生はへぇ、と言って「確かにきれいな顔をしている」とさっきまでとは全然違う話題を振ってくる。
「何の事っすか」
と尋ねると、
「いやいや、私がついてる教授の担当学生がな、林教授の研究室の田口って修士学生がカッコいいとかきれいだとか話していたからな」
とくつくつ笑いながら言う。この様子じゃ、俺の不名誉なうわさも知っているんだろう。
「・・・たぶんあの話でしょう? あんなのひどいうわさですよ」
俺は確かに少しばかり人より顔が良いらしい。そして身長もそれなりに高いし、高校の時水泳をしていたからガタイもそれなりにいい。そういう見てくれに寄ってくる女も少なくはない。
修士1年の今となっては過去の話だが、学部の2・3年生くらいまでは入れ食い状態というか、誘われれば簡単に誰とでも寝ていた。別に本命の彼女がいる訳でもなかったし、いつも合意の上での行為だったから、誰に非難される謂れもないが、身持ちが悪いと思われたり、勘違いした女に刺されそうになったりはしたので、今は大学内では控えている。
2,3年前の馬鹿な行状をあげつらわれるのは、なかなか辛い。自分でもばかなことをしたと自覚があるからなおさらだ。
俺が過去のプライベートな話に触れられて、機嫌を悪くしたらしいことに気づいた先生が笑顔を引っ込めて「悪い悪い」と口先だけで謝る。
「悪いなんて思ってもらう必要ないスよ」
拗ねたようなトーンに自分でも驚いた。仮にも先生目の前にして、なんて声で話しているんだ、と思う。
村野先生の容姿のせいかもしれない。結構年上のはずなのに、印象は大人っぽくてきつい感じの美人のくせに、妙になれなれしく若く見えるせいだ。
「拗ねるなよ。・・・そうだ、お前夕飯まだなんじゃないか? 私もまだだったんだ。お詫びになんかおごってやるよ」
と言うと、シャットダウンが終わった俺のパソコンを指さし、
「それも終わったんだろ? ちょっと付き合え」
と言うと、さっさと研究室を出ていく。
なんだこの誘い方、と思ったが、確かに昼前に起きた時に自宅でパンを一枚かじっただけだったので、腹が減っていた。
今から帰っても、自炊するのも面倒なのでどうせコンビニ飯だろうと思っていたのもある。美人と飯が食えるのも悪くない気がする。
村野助教が連れていった店は、意外と普通の駅前の居酒屋だった。
「私だって無尽蔵に研究費や給料もらってる訳じゃない」
そう言って、でも「好きなもの頼めばいいよ」とメニューを差し出す。
「俺、酒はそんな飲まないけど、食いますよ?」
と言うと、
「20代前半の男の食欲くらい知ってるさ」
と笑う。
そうかよ、と思って、ほんとに全然遠慮せずに頼んでやった。
サラダやフライドポテト、肉料理に魚の焼き物、刺身と麺類。
先生の方は、大量に酒を飲んでいた。ビールから始まってチューハイ、カクテル、焼酎焼酎焼酎。
俺が腹いっぱいになるころには先生はだいぶ酩酊していた。
そして俺もついつい先生のペースにつられて飲み過ぎたらしい。
ただでさえ睡眠不足だった身体に、アルコールの程よい刺激が心地いいを通り越して眠気を誘う。
支払いをして、帰ろうかという段になり、二人で大通りまで出てタクシーに乗って、先生の家まで送っていったのだ。全然そこに下心はなかった。だって大学の助教だ。学生の俺なんかに相手になる人じゃない。
先生のマンションは意外に俺の部屋の近くで、というか隣の建物だった。
一緒にタクシーを降りて先生を歩かせるが、だいぶ酔いが回って、脚がおぼつかない。たぶん先生も嫌なことでもあったんだろう。俺のようなほとんど接点のない学生を食事に誘い、ハイペースで飲んでいた理由にその時初めて思い至った訳だ。
先生の部屋に入ってベッドルームを探し当て、何とか寝かした所で誘われた。
「どうせだから、性欲も発散していけよ」
と。
なんだそれ、と思ったが、アルコールでゆるくなった理性に太刀打ちでいる誘いではなかった。
もともと俺は身持ちが悪いんだ。
大学の先生と寝るって言うのも、なかなかいい趣向だよな、と思って、先生の服に手をかけた。
で、起きたら全裸の俺と、全裸の先生が一つのベッドで寝ていた訳だ。
そこまでひどく飲んではいなかったので、二日酔いにはなっていない。それは隣の先生も同じだったらしい。
俺は、また何やってんだと軽い自己嫌悪に陥っていたが、同時にめちゃくちゃ相性が良かった先生の身体が全裸で隣にいる訳で、瞬間的に強烈な欲望がわきあがる。
俺の朝の変化に気づいた先生が、
「もう一回する?」
と妖艶な笑顔で聞いてきた。
先生も相当酔ってた割には二日酔いにはなっていないようだ。
そんな顔で誘われたら、たまらない。
「お願いします」
と上に乗った。




