第4話
『天子』その身に『天使』を宿した者、もしくは天使が宿った物『神器』を所持している者のこと。天使に認められ、教会で正式な儀礼を行うことで天子とその家族には特権階級を与えられる。天子には天使の望みを叶える義務があり、これを観察、助力するために教会から従者が付けられる。
天使は『旧世界』が滅んだ後に、もう一度地球を生物が住める惑星にするため、天界から遣わされたらしいのだが、それがどうして人や物に宿ったのかは分からない。というのも、天使達が地上に降り立った時以降の記憶をほとんど失ってしまったらしい。この為、天使達の願いの大半は「天界に戻ること」であり、俺の天使となったルシルも同じ願いを持っていた。他の天使も天界に戻すというオマケ付きで。
「(他の天使も天界に戻すって言っても、手掛かりなんて一つもないのにどうするんだよ)」
「(手掛かりどころかちゃんとした手段はもう俺が知っているさ。お前は俺が言う天使を見つけてくれさえすれば良い)」
リュンリグネに帰る列車の中で俺とルシルは思考を交わし合っていた。天使は実態化と霊体化と憑依の三つに存在を変えられるらしく、今は憑依で腕輪を通して俺に宿り思考を共有していた。しかしこの憑依というのは天使側の意思が優先されるのか、俺は大人しく椅子に座っているつもりでもルシルが勝手に俺の体を動かしている。今は立ち上がって右肩を回しているのだが、幸いな事に俺の乗っている車両に他の乗客は見当たらない。
「(勝手に人の体を動かすなよ。誰かに見られたら恥ずかしいだろ)」
「(誰もいないから動かしてんだよ。それに、お前の体がどんなものか確かめておかないと、いざって時に備えられないからな)」
今度は前屈し始めた。それより、いざって時っていつだよ。天使と戦う気かよ
「(戦う事になるかもな)」
ああ、そうだった。ルシルに向けて発した思考でなくても一つの体を共有している状態ではルシルに伝わってしまう。それより天使と戦うなんて冗談だろ。
「(冗談かどうかは追々分かるとして、俺には隠し事できないから気を付けるんだな)」
「(言っとくが俺は普通の人間だからな、滅茶苦茶な事に巻き込まれても役には立てないぞ。それに、隠し事ができないのはそっちも同じだろ)」
「(俺は人間のようにやましい事なんか考えないから心配ご無用)」
こいつ、わざと嫌味っぽくしたな。俺が釈然としないでいると、ルシルは体を動かすのを止めて椅子に座った。
「(そういえば天使を天界に戻す手段って、具体的にはどうするんだ?)」
「(ん?ああ、それは後々話すさ)」
いきなり隠し事じゃねぇか。しかし、何故かルシルの思考を読み取る事が出来なかった。どういう訳か聞こうとしたが、先にルシルの方から思考が送られてきた。
「(久しぶりに動いたら眠くなってきた。駅に着いたら起こしてくれ)」
「(わかった)」
ルシルの思考を読み取れなかったのは、単純に奴が眠気で何も考えてなかったからのようだ。しかし、少し柔軟しただけで眠くなるとは、いざという時に大丈夫なのだろうか。
脳内が静かになったのを確認し一息つく。まさか俺が天子になるなんて想像もしてなかったが、なってしまったものは仕方ないと割り切ろう。こう言ってはなんだが発掘作業員として平凡な人生を送るよりは面白い人生になるかも、という期待もあるが、もちろん不安もある。平々凡々な俺がどこまで天使の望みに応えられるか、今は友好的なルシルだが何かの拍子に体を乗っ取ってくるかもしれない。まだ出会ったばかりだから当然といえば当然なのだが、どうもルシルは天使らしくないというか、信用できない雰囲気がある。
俺が天子になったと知ったら家族は驚くだろうな。特にマルカは大袈裟なくらいに。
今思えばマルカが天子にならなくて良かったと思う。マルカの才能を天子の義務で埋もれさせるのは勿体ないし、俺が天子になることで得られる特権階級を活用すれば一般人では手が届きにくい文献なんかも見ることができるだろう。という綺麗な理由があれば汚い理由もあるわけで、マルカが天子になったとなればあの家で俺の存在価値が本格的に皆無となっていただろうから、それを回避できて安心している部分もある。どちらが本音かと聞かれても俺は選べない。昔からそうだ、俺は俺自身が考えている事にすら答えを選び出せない。時々自分が何を考えているのか分からなくなる事さえある。
負の思考に落ちていくと、列車が停車して意識を正常に戻された。リュンリグネに着いたようだ。俺は少し慌てて席を立ち、列車を降りつつ脳内でルシルに呼びかける。
「(……ん、着いたのか?)」
声が聞こえると俺の右腕から上半身だけを霊体化させたルシルが現れた。全くもって奇妙な光景だが、霊体化のルシルを見れるのは俺と他の天使(天子)だけらしいので、周囲から注目を集める事はそうそうない。
「(ああ、真っ直ぐ教会に向かって良いのか?)」
「(おう、そうしてくれ)」
霊体化でも思考で会話できるのは助かった。もし口頭のみでの会話だったら、周囲から自分の腕に話しかける変人と見られることだっただろう。憑依が心身を共有する状態なら、霊体化は心だけを共有している状態といったところか。ルシルは先ほどから興味深そうに周囲を見渡している。街の案内でも頼まれると思ったが目的はしっかりと覚えていたらしく、俺は教会を目指す事にした。
ティエドゥール教会リュンリグネ支部
大通りを抜け閑静な住宅街を進み、人気の少ない道を進んで漸く教会に到着した。
「(ずいぶんと立派な教会だな)」
黒い石材で出来た教会を見上げ、ルシルは素直に関心しているようだった。
「(地上に天使が降り立ったとなれば教会に力が集まるのは自然な事だろう。首都にある教会はもっと立派だよ)」
「(なるほどな、感心感心)」
満足そうに頷くルシルを横目に、俺は教会の扉を開けるべく歩を進めた。