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「どうして、どうしてこんなことに……」


 阿津見市内にある私立病院の一室。外科病棟のある五階の一人部屋に置かれたベッドの傍らで宗御寺美都把しゅうおんじ・みとははつぶやいた。

 室内は陰鬱な気で満ちていた。美都把はパイプ倚子に腰掛け、ベッドに横たわった少年の手をずっと握っていた。


 「いつかこんな日が来るんじゃないかって思っていた。だけど俺の中ではずっと先のことだったんだ……」


 うつろな瞳を少年に向けながらうなだれる少女の背後、遮光カーテンが閉じられた窓際で、男がため息混じりに言った。


  男は年季のせいで艶の失せた紺色のスーツを堂々と着こなしているが、顔は若々しく見かけだけなら伏した少年と変わらなかった。


 「彼のせいじゃない」


 美都把は鋭い眼光で男をにらみながら言った。


 「すまない。俺がもっと注意していればこんな事には……」


 男は焦燥に満ちた顔を隠すようにうつむきながら、ベッドの上の少年に向けて言った。


 横たわった少年の口には人工呼吸器のマスクがつけられ、微弱な息を吐くたびマスクの内側が薄く曇っていた。腕から数本の管が伸びており吊り下げられた点滴の瓶に繋がっていた。


 「――交通事故ですって!? この傷が刃物でつけられたことなんて一目瞭然じゃない!! なのに――」


 警察に告げられた言葉が思いだすだけで怒りがこみ上げてくる。


 「落ち着け。確かに彼が何者かに襲撃されたのは事実だ。だが情報が入ってこない、意図的に伏せられているんだ。いま騒ぎを起こせば逆に目立ってしまうぞ」


 宗御寺ミカセが病院に搬入されてからすでに三日が経過していた。初日の夜中に警察署長自らが病室を訪れ、ミカセが交通事故に巻き込まれた旨を語り、次の日には事故の加害者と弁護士を名乗る男が病室に現れ、泣きながら土下座していった。しかし美都把から見ても、ミカセの胸に刻まれた“縦に裂かれた傷”は明らかに刃物で切りつけられたものとしか思えなかった。


 「でもっ! ミカセが襲われたことが何を意味するのか、あなたならわかっているでしょ?」


 「ああ、わかってるさ。だけど彼は生きて俺たちの前にいる。いまはそれだけで十分だ。俺はミワ様に力を貸してくれるよう頼んでくる。キミは“犯人捜し”がしたくてたまらないだろうが、俺が戻るまでミカセを守ることに徹してくれ」


 男の言うことは正しい、それは美都把もわかっていた。しかし、どんなに冷徹であろうとしても、彼女の中で一度煮えくりかえったはらわたはそう易々と冷え固まってはくれない。最愛の人物を傷つけられたこの悲しみは、行き場のない怒りとなって彼女の腹の中で燃え続けている。ミカセは決して喜ばないとわかっていても、犯人を見つけ出して殺してやりたいというこの衝動を押さえることは難しかった。


 「私が彼を守る。もう誰にも手出しさせない……」


 声を震わせながら美都把は言った。男は美都把の傍らまで歩み寄りそっと肩に手を置いた。


 「ミカセの側にいてやれるのはキミしかいないんだ」


 美都把は伏した少年を見ながら小さくうなずいた。


 「だけどこの一件は“講”が裏で糸を引いているのよ……」


 男はドアを注意深く見つめ、気配が無いことをわかると小声で話し始めた。


 「その可能性は高い。ミカセを殺害するに至らなかったことに理由があるのかはわからないが、事後処理は恐ろしいほど完璧だった。地元警察への徹底した箝口令にマスコミへの情報操作、それから損壊した事故車両の用意や偽の加害者を出頭させる周到さ。やつらなら……講ならば可能だろう」


 美都把の口元が怒りに歪んだ。白桐講――。長いことその名を口に出すことはなかったが、心の中に腫瘍の如く巣くう忌まわしき名だった。


 「悔しいが、講が仕組んだことであっても、今の俺たちにはどうすることも出来ない……」


 「――だからって!!」


 美都把は立ち上がり、険しい表情で男に詰め寄った。

 

 短めの黒髪が揺れ、怒りのせいで白々とした肌が紅潮している。美都把の鉄のように硬く冷たい眼光が男に注がれていた。


 「落ち着いて最後まで聞け、大事な話なんだ」


 美都把の目元が若干和らいだのを見て、男は続けた。


 「ミカセが目を覚ませば、彼の証言から重要度の高い情報を手に入れることができる、そうすれば下手人を特定することも難しくはないだろう。問題はその後だ、ミカセにはどう説明する?」


 「どうってそれは……」


 「俺たちは何も知らぬ振りをしながら、ひどい事故に巻き込まれたのだと説明するか、あるいは彼に“真実”を話すか。目覚めた彼の記憶に異常がなければ、自分の体験と世間に流れている情報の食い違いに疑問をいだくだろう。我々がいくら嘯いたところで彼は決して納得せず、自分の足で真相を探ろうとする。その過程で彼が再び危害が及ぶかもしれない、だから……」


 真実を話すべきか? と問われた瞬間、美都把の頭は真っ白になり、早鐘を打つ心臓の音が胸一杯に轟いた。ミカセの性格は幼い頃から一緒に暮らしている美都把が一番わかっている。頑固で正義感がつよく嘘や不正をとことん嫌う、そんな性格である以上、自分たちが彼を欺こうとしても、おそらくミカセは一人で真実に向かって歩き出してしまうだろう。今まで彼と築いてきた大切な日常が、こんな形で幕切れを迎えるかもしれないと思っただけで美都把の今にも胸は張り裂けそうだった。


 「待って、もう少し時間をちょうだい……」


 家族として食卓を囲んだたわいもない団欒――。年頃の男女として意識しながら過ごしている学園生活――。これからもずっと続くはずだった安寧が音を立てて崩れようとしている。 今までの生活を虚構に変えてしまうほどの力をもった“真実”を前に、美都把は答えを出せずにいた。


 「そうだな、ほんの少しだが時間はある、それまでよく考えておいてくれ。俺は今から奈良に向かう」


  男はそういうと壁に立てかけておいた鞄を取り、ドアノブに手を伸ばした。

 「ねえ京護きょうご


 京護と呼ばれた男は振り返って美都把を見た。


「何だ?」


 「あなたはこれでいいの? 真実を話してしまえばミカセと過ごしてきた日々が偽りになってしまう。すべてを知ってしまったミカセがいままで通り接してくれるかわからない、私たちもそうよ、彼を次代の“霧の王”として扱わねばならない。私は彼と家族として過ごしてきた時間がたまらなく愛おしいの、もうこれ以上家族を失うのは嫌……」


 美都把は嗚咽と震え抑えながら言葉を紡ぐ。少しでも力を抜けばその場に崩れ落ちてしまいそうになるど彼女の心は憔悴しきっていた。


 「俺は誰が相手でも、どんな状況でもミカセを守ると心に決めている。それが“霧人きりひと”との約束でもあるし、親友としても生涯ミカセを支え導いていくつもりだ。美都把、キミが思っているよりもミカセはずっと強い。初めは戸惑うかもしれないが境遇や立場など彼にとって大した問題にはならないだろう。ましてや家族として暮らした者に不審を抱くことなんてない。それはキミが一番わかっているはずだ」


 そう、ミカセは強い、それは子供の頃からともに過ごした美都把が一番知っている。体や心の成長もミカセがの方が先んじていたし、彼は人と関わるのがうまい方ではなく、自らグループを外れて行動しているが、それでも確固たる“自分”を持つことの出来る強い人間だ。ミカセならば真実を知ってなお、あらゆる思惑に立ち向かうだけの力はあるだろう。だがそうなったとき、彼が自分の前から姿を消してしまうのではないかと思っただけで美都把はたまらなかった。


 「わかってる、わかってるわよ……」


 美都把は自分に言い聞かせるようにつぶやくとミカセをに目を向けた。


 「ミカセが知りたいと望むなら答える。でもそうでないなら私は口をつぐむわ」


 「いいだろう。なら俺もその時がくるまで彼を見守り続けよう。だが講の動きも気になる、もしもの時はこの街を去ることになるかもしれない。だからその時までに覚悟を決めておいてくれ」


 「ええ」


 美都把が深くうなずくと、京護はドアを開けて病室を後にした。


 カーテンを開け外界を眺め見ると、最近になって立てられたホテルのビル群が視界を遮っていたが、その隙間に藍色を湛えた海が見えた。窓をすこし開けると潮けを帯びた風が入り込み、薬品臭い室内に清浄な空気を運んでくれた。


 湿気った梅雨の空気を胸一杯に吸い込んでは吐き出す動作を何度か繰り返すと、美都把の胸に若干の落ち着きが戻ってきた。ミカセが意識を取り戻したときに側に居なければならないのは自分だ、そんなときに取り乱したままでは彼を不安にさせてしまう。常に冷静で感情に乏しい、それが宗御寺美都把という少女であり、ミカセの望んだ彼女の姿なのだ。


 ――ザザッ。


 窓から遠景を臨んでいると背後で衣擦れする音が聞こえ、美都把は驚いて振り返った。そこには純白のシーツの上で微かに動くミカセの指があった。


 「ミカ……セ……、ミカセッ!」


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