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坂を登り切ったころには雨は止み、住宅街の明かりが見えてくるにつれ腐臭が漂ってくるのを感じた。


 真新しい舗装路を蹴りながら黄泉穢をたどっていくと、道路沿いに街灯が密集している場所があることに気づいた。黒々とした黄泉穢はそこに向かって伸びている。


 (公園? どうしてこんなところに……)


 夜那はいったん足を止め、周囲に人影がないことを確認してから気配を殺して近づいた。、入り口にはコンクリート製の石柱が立っており、はめ込まれた鉄製のプレートに阿津見台公園と彫り込んであった。


 街灯の光を避け、背の高い植え込みに身を潜ませながら中の様子をうかがったときだ。


 ――やめて!! こないでっ……!!


 公園奥から怯えた女の悲鳴が聞こえてきた。


 (まずい!)


 夜那はとっさに植え込みを飛び越え、周囲を見やった。


 公園は完成してから日が浅いのだろう、真新しい色鮮やかな遊具が街灯の光を受けてキラキラと輝いた。


 素早く首を動かしあたりを見回すと、砂場の近くに三つの人影を見つけることができた。一人は学生服を着た少年で仰向けのままぬかるんだ地面に倒れている。そして右手に鎌らしきものを持っている紺色のレインコートの大柄な人物と、その正面で蒼白とした顔で尻餅をついている少女が見えた。


 体型と漂う腐臭からレインコートを着たモノは“傀儡”であると確信した。傀儡がいるなら操りくりてである傀儡師くぐつしが近くに潜んでいるはずだ。夜那が探索を試みようとしたとき腐臭とは違う何かがツンと鼻を突いた。


 (血の臭い……)


 常人より優れた夜那の嗅覚を刺激したのは鉄のような生臭ささだった。元をたどると倒れ込んだ少年の胸元に目が向いた。黒い制服のせいで気づかなかったが胸から腹部にかけて深い裂傷を負っており、流れ出た血液が水たまりを赤く染めている。夜那は命に関わる傷だと瞬時に悟った。


 夜那の目が少年に向いている間、鎌をもった人物はゆっくりと少女に近づき右手に持った鎌を振り上げた。


 「ひいっ――!」


 少女が悲鳴を上げるよりも早く夜那の体は動いていた。前傾気味の姿勢で全力疾走し、三十メートルほど距離を三秒たらずで駆け抜け目標の背後まで接敵した。


 不自然に膨れあがった体と鼻を突くような腐臭が間近に迫り、夜那は事前に把握しておいた手順を思い出した。


 死体を利用した屍傀儡しにくぐつ黄泉罪よもつつみによって操られているだけの“死体”であり、脳髄を破壊しないかぎり動きを止めることはない。本来なら操り手である傀儡師を叩くのが上策であるが、いまは目の前の少女の命が優先であると夜那は判断した。


 夜那は巨体の中央を走る胸椎にありったけの力を込めた拳を放った。

 骨と骨がぶつかる鈍い音が鳴り、次の瞬間鎌の切っ先が夜那めがけて飛んできた。夜那は後ずさると目の前の巨体の膝が折れるのが見えた。


(チッ……)


 だが思った通り、腐敗ガスによって異常なまでに膨らんだ“死体”はぶよぶよになった肉と皮膚が鎧とり拳がはじき返されてしまう。


 (私も鈍ったものだ……)


  しかしダメージはゼロではなかった。人差し指と中指の第二関節を使った指突は確実に傀儡の脊椎に亀裂を入れた。腰と胸の中間あたりから黄泉穢が黒煙となって漏れ出しているのが確認できる。


 傀儡の動きが目に見えて鈍くなる。しかし完全に動きが止まった使えなくなったわけではなく、ゆっくりと落ちかかった膝を伸ばし、夜那の方に向き直った。


 (なんとか注意は引けたか)


 傀儡の後ろで震えながらこちらを見ている少女と目が合ったが、夜那はすぐに眼前の肉塊に視線を戻した。


 離れた場所に潜んでいる“傀儡師”は素手で傀儡に損傷を負わせた夜那を脅威と認識したのだろう。傀儡は獣のような唸りを上げ、夜那めがけて突っ込んできた。とても腐りかけの肉塊とは思えぬ早さで、気を抜いていた夜那はあっという間に接近され体当たりを食らいそうになったが、なんとか身をよじって回避した。


 そうしている間にも傀儡は体勢を整え、再び夜那に体当たりを食らわせるべく腰を低く構えた。


 街灯の明かりが肥大し原型を止めていない傀儡の顔を浮かび上がらせた。紫色の皮膚に膨れあがった唇とでろりと口から飛び出ている舌、目周りの筋肉が膨張しているせいで生気のない眼孔が飛び出さんばかりに向きだしになっている。


 目を向けるのも嫌になるほど醜く変貌した死に顔であるが、夜那の鋭い目は生前から残る特徴を見抜いた。


 「……そ、そんなっ……」


 夜那は言葉を失った。そこにあったのは長年連れ添った親友の顔だった。見間違えるはずがない、その証拠に左手の薬指には真新しい白金の指輪がはまっていた。ミウチを見分けるために昔は特別な符牒を使ったが、最近ではそういったやり方は廃れ、身につける装飾品などにミウチだけが判る文様を刻んでおくのが慣例となっていた。膨張した傀儡の指に食い込んでいるこの指輪は夜那が腕利きの彫金師に作らせ、親友であるヤマネに贈った物だ。

 耳を澄ましてみると、獣のうなり声だと思っていたものは縊死時に狭窄した喉から漏れる断末魔のような音だった。


 大切な親友の亡骸を弄び、殺しの道具として女子供を狙う傀儡師のやり方に、夜那は発狂しそうになるほどの強い怒りを覚えた。


「おのれ傀儡師っ!! 殺すっ、殺してやる!!」


夜那は傀儡となりはてた哀れな親友の亡骸から目を離すことなく、近くに身を潜めているであろう傀儡師に怒号を飛ばした。しかし周囲に何の変化も見られない。


夜那は怒りに手が震えているのに気づき、ハッとなった。ヤツ(傀儡師)の黄泉罪は死体を操るだけではない、そんなものは初歩の技術にすぎない。むしろ心の弱みにつけ込み相手を手玉にとることこそが傀儡師の本領だと言える。故に平静を保つことこそがヤツらとの対峙するにあたって最も重要なのだ。


 「この報いは必ず受けてもらいます。あなた方“八酒鐵やさがね”全員に……」


  “八酒鐵”。夜那がその名を口に出した瞬間、傀儡に動きがあった。ゆっくりと膝を折りこむと、そこからバネではじき出されたような凄まじい跳躍で夜那めがけて飛びかかってきた。


 「ふんっ」


 胸椎に損傷を与えたからだろうか? 傀儡の動きはやたらと雑であり、すれ違いざまにふるっていった鎌でさえ易々と躱せるほどだった。

 傀儡は勢い余って入り口の垣根に頭から突っ込み、枝葉に埋もれた顔を引き抜こうともがいている。


 夜那の頭に一つの疑念が浮かんだ。


 人の死体を操る屍傀儡は、骨格の空洞部分や筋繊維の中に長い時間をかけて黄泉穢を練り込み、それを現核(物質化)させて脳と脊椎を経由することで死体を操作する黄泉罪である。だがこれを実現するには鋼の精神力と熟達した技量が求められる。自分の知っている傀儡師ならば、道具が使い物にならぬと判断した時点で捨て置いて逃走を図るだろう。


 数少ない傀儡師の中でも屍傀儡を使えるのは“あの男”しかいないはずだ、あの男がこのような醜態を晒すとは思えない。


 バリバリという垣根の壊れる音とともに傀儡が起き上がると、人とも獣ともつかぬ不気味な音があたりにこだました。


 音を聞くなりここが住宅街の中にある公園だということを思い出した。人目につくのはまずいし、なによりこれ以上犠牲者を出すわけにはいかない。

 横目で砂場のあたり追ってみると、先ほどの場所には死に体となった少年が横たわっているだけで少女の姿が見当たらなかった。もしかしたら助けを呼びに行っているのかもしれない。


 後々の死体の処理は代祇に任せればいい。――まずは。


 夜那は腐臭にかまわず深呼吸すると心の中で合掌し、親友の顔を思い浮かべた。


 「許してヤマネ……」


  そう告げると同時に夜那は傀儡の懐めがけて飛び込んだ。ぬかるんだ地面に残った深い靴跡は彼女の脚力の強さを物語っていた。


あまりの早さに傀儡は反応しきれていなかった。とっさに鎌を持った右手を振り上げたが、夜那の鋭い手刀てがたなが右手首の関節をとらえ、骨の砕ける鈍い音とともに鎌は明後日の方向に飛んでいった。


 反撃する暇も与えず夜那は左右の膝関節めがけて二連蹴りを放つと、腐敗により肥大した体重で負荷がかかっていたのだろう、鈍い音をたてて簡単に折れてしまった。


 傀儡はひざまずく格好になり、それでも左手を伸ばし夜那を捕らえようとしたが、それよりも早く夜那の手刀が傀儡の首をはね飛ばした。


 ドスンという音を立てて肉塊が地面に崩れ落ちた。繰り手である傀儡師を探したかったが騒ぎを聞きつけた住民がいつやってくるかわからないので諦めざるを得なかった。これも傀儡師の算段に入っているのだろう。

 

 

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