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としでんイマジネイト  作者: ばらっど
序章・根暗オタクと斧女
8/12

それって屁理屈じゃないかな?

 絶望的状況と言うのは、じわじわと自覚する。

 まだ、何か手が有る筈だと言う根拠のない妄想に取りつかれ、迷路を彷徨うように可能性を巡るうち、少しずつ、自分が深く深く泥沼に沈んでいる事を悟る。

 そしてようやく、全ての道が行き止まりである事に気付くわけだ。


 まさに今の俺がそんな状態だった。


「くっ……くそぉっ!! なんだってんだ一体!」


 口裂け晴香の軌道は直線的だが、速い。

 ミサイルのように飛んできては、俺が避けた先の本棚や壁に食らいつくのだが、そのたびに障害物の一部を喰らい、抉って行く。

 本棚は少しずつ齧られて、穴空きのビスケットのように頼りないものとなって行く。そのたびに本が床に落ち、ばらばらとページが開いて、図書顧問の先生が見たら発狂しそうな有様だ。

 あくまで正面から飛んでくるので、冷静になれば避ける事も出来るが、それも長く続けばいつ捉えられるか解らない。

 なにせ、出口は封じられているのだ。戦う手段も逃げる手段も無いまま、化け物の攻撃をかわし続ければ、いつかは限界がやってくる。


 詰まれる事が解って居る盤面で、延々と遊んで嬲られているような、そんな気分だ。


 まして、晴香の動きは徐々に鋭くなってきている。

 まるで「身体の使い方に慣れて来た」という感じだ。


 あいつがなぜ、口裂け女になっているのかは解らない。だが、少しずつ変貌した身体に馴染み始めているのだ。それは疲労が蓄積されるだけの俺とは対照的だ。いつかは必ず、食らいつかれる。


「……なんで逃げるの?」


 俺を追い詰めるのは、単純な死の恐怖だけではない。

 晴香の声で語りかけられる言葉は、精神を疲弊させる。


「私が、そんなに嫌いなの?」

「ちがうっ、お、俺はっ……」

「じゃあ、何だって言うのよ!!」


 晴香が手をかざすと、本棚から床に散らばった本が、ざわざわと動きだす。


「なっ……こ、今度は何だ……!?」


 鈍重な蝶のように、本がそのページを開いて「羽ばたいた」。

 ふわふわと宙に浮かび、その動きはまるで、目も無いのにこちらを睨みつけて居るような気さえする。


 同時に、背中に気持ちの悪い汗が滲んで来るのが解った。

 口裂け女である晴香は、部屋の「出入り口」すらも自分の支配下に置き、無数の牙を生やして俺の逃走を阻んでいる。

 そんな能力バトルのような芸当ができるのであれば、奴の攻撃が突進だけと考えるのは不味い。

 もし、「口」という単語が口裂け女にとって、何らかの引き金であるのならば――――。


 無駄に本を読み続けて居ると、その中に出て来た知識が身について、変に雑学が豊富になったりする。


 俺の記憶の中から、一つの知識がけたたましく主張している。


 確か、本というのは複数のパーツに分かれて居て、それぞれ細かく名称がついている。

 ページの上部は「天」、下部は「地」、ページの閉じられた谷間部分は「のど」といった具合で、昔読んだノベルではこの知識が重要な伏線になっていた。


 そして、確か、本の背表紙の反対側……ページを開くことのできる側の事を……。


 「小口」と言うのでは無かっただろうか。



「齧って」



 晴香の声が号令のようになって、開いた本から無数の牙が生えてくる。

 

 棚から落ちて開いた全ての本が、まるでトラバサミのような凶悪なフォルムになって、こちらへ向かって飛びかかって来る。


「そ、そんなのもアリかよっ……!」


 三冊の本の牙が、ダーツのように壁に突き立った。

 俺は床を転げるようにしてそれを避けたが――。


「うぐっ……!」


 左腕に激痛が走る。

 一冊の本が腕に噛みつき、その牙を深く食い込ませている。


 痛い。

 痛い、痛い、痛い。

 とてもではないが、今までに体感した事のないレベルの痛み。

 鋭利な牙は内側に向かって生えているためにちょっとやそっとでは抜けそうにない。血管や神経を乱暴に裂いて、肉ごと骨を抱え込むようにしている。


「うううううっ……ぐっ、ひぃっ……!」


 以前襲われた時は、結局、一度の攻撃も受ける事はなかった。


 それが、腕を一本齧られただけで、これだ。

 見た目が怖いだけならまだいい。

 実際に痛みという物を経験させられてしまうと、否応にも恐ろしさを思い知らされる。

 こちらを睨む無数の本たちは、奴の号令さえあれば次々に牙を剥き、また俺にこの痛みを与えてくるのだから。

 それを想像するだけで、身体が竦み、涙が溢れる。


「…………」


 晴香は無言で、俺の前に立った。

 裂けた口はもう、笑みの形を取って居ない。

 きつく一文字に結ばれて、その表情が不満だとか、怒りだとか、とにかく負の物を抱えているのだけは解った。


 初めての表情だ。


 少なくとも、晴香は俺に対して怒ったり、文句をいったりしても、こんな顔は見せなかった。

 口が裂けて居ても、その瞳は晴香のままなのに、見たことも無い色に濁っている。

 

 それは、口裂け女に取りつかれてしまったせいなのか。


 たぶん、違うんだろう。

 今更、晴香の動機が解らないほどには、俺も鈍感じゃない。


 だって晴香は、あんなに、自分の本音を吐きだしたのだから。


 だから、痛みも辛いが、その目が俺を責めて居るようにしか見えない方が辛い。

 骨が見えるほど腕を抉られて置いて、我ながら余裕だと思う。

 

「……ねえ、真白」


 晴香はゆっくりとしゃがみ込むと、低く、優しい声を出した。

 その目つきには似合わない、とてもとても優しい声だ。


「……ごめんねえ、痛いでしょう。でも、もう大丈夫」


 その両手が伸びてきて、俺の頬を包む。

 口が裂けただけなんだ。その手の肌触りは、紛れもなく晴香のものでしかない。


「すぐ、そんな事も感じられなくなるからね」


「私と、真白と、一つになるからね」


「もう、ずっと一緒だから」


 その声が優しいのは、なんとなく理由がわかった。

 甘える時、縋る時、子供の頃の晴香はこういう声を出した。


 今更そんな事を思い出して、今までそんな事も忘れて居たのに気付いて、胸が苦しくなる。

 俺がアニメに嵌って延々と現実から目を背けている間、晴香がずっと自分を見て居たとなると、申し訳ないと言うよりも、ただただ怖い。


 ここまで晴香を追い詰めたのが自分だと、直視するのは、怖い。


 そもそも人と簡単に向き合えるんだったら、こんな人間になってやしない。もっと社交的で居られたら、晴香は口裂け女に憑かれる事も無かったのかもしれないけど……そうはならなかった。

 だから、今更そんなことを後悔しても、意味はない。


 ただ、少なくとも。


 これからそう遠くない時間に、晴香に食われて死んでしまうのだと思うと……怖さこそあったが、それ以上に、死にたくないと思った。

 

 俺が死んでいったそのあとに、晴香はいったいどうなってしまうのだろう。

 ずっと口裂け女に憑かれたまま、人間ではなくなってしまうんだろうか。

 晴香をそこまで追い詰めたのは間違いなく俺なのに、俺はこのまま死んでいくだけなのだろうか。

 情けない俺のまま、情けない姿を最後に晴香に見せて、死んでいくんだろうか。




 それは、嫌だ。




 そう思ったのを、自覚できたかどうかも定かではないが、とっさに俺は飛びおきた。


「んぐえっ!!」


 頭を上げた位置に、晴香の顎があった。

 いざ俺を食おうとしていたのだろうが、大きく開けた口がガチン、と音を立てて閉じ、涙眼になって居るのが見えた。


 その隙に俺は本棚の裏から、逃げようとするが……目の前に、開いたままの扉が見えた。

 外への出口では無い、図書準備室の扉だ。締め忘れていたのだろう。

 まだ晴香の支配下に置かれていないそれが、最後の光明に見えた。


 図書準備室に転がり込み、扉を締める。


 まだ、弁当の匂いが微かに残っている。

 嗅がせたら晴香の食欲が刺激されるかもしれない。


「……この期に及んで、まだ逃げるのね」


 腹を射ぬくようなドスの効いた声が、扉の向こうから響く。

 途端に、扉から牙がじわりと生えてきて、それが大きな口となる。


「……いつもそう。真白はいつも、いつも、逃げるだけ。現実から、この世界から、私から……」


 その声は、目の前の口から響いてくる。

 

 むしろ自分から死地に飛び込んだのかもしれない。




 けれど、俺は恐れおののく一方で、頭の片隅に妙な閃きを覚えて居た。


 晴香は「出入り口」や「小口」といった、まるで言葉遊びのような要素ですら自分の力に変えてしまった。

 そういう自由な解釈は、口裂け女の力に限った物ではないんじゃないか。


 ロアは言っていた。

 「想像力こそがイマジンの力になる」と。


 少なくとも、最初に俺が出会った口裂け女にはあんな力は無かった筈だ。

 もし使われていたら、俺はふとん屋に転がり込む前に死んでいた。

 じゃあ、なぜ今はあんな力を使えて居るんだ。


 答えはたぶん、晴香の存在だ。


 晴香の発想、想像力が、「口」の解釈を広げてああいう武器を生み出したのだとしたら。


 俺もロアに対して、同じ事が行えるのではないか。


「……どの道、試さなきゃ死ぬんだろ!!」


 図書準備室には、使い古しのカーテンが畳んで置いてあった。

 それに、予備のテーブル。

 

 俺はそのテーブルの上にカーテンを広げ、律儀に持ったままだった弁当箱をテーブルの端に、逆さにして置く。

 弁当箱は小さなナップザックに入って居る。小学校の家庭科の時間に作ったものだが、今はそれは関係ない。


 準備が済むと、俺はテーブルの上に乗って座り込んだ。


 同時に、「口」となったドアから、晴香が姿を見せる。

 やはり、最後は直接食べたいのだろう。


「……まーしーろーくぅーん」


 似合わない猫撫で声を出して、にたりと笑って身を乗り出す。

 その晴香の目に映った物は――――。




「…………ベッド?」




 シーツをかけたテーブルと、弁当箱で再現した枕。

 その上に自分が乗って見せることで、ギリギリ「簡易的なベッド」に見える状況を作り出す。


 少々苦しい理屈だが……晴香の目からもこれがベッドに見えたなら、賭けは半分勝ったようなものだ。


 少なくとも、俺の「想像力」に、晴香を引きずりこんだ。


 あとは、きちんと機能するのかどうか――――。




「……俺を守るってのも、契約の内だろ。出て来い、斧女」

 



 簡易ベッドの下から飛び出した斧が、晴香の身体を叩き飛ばした。

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