こ、これがリア充というものか
俺が月曜に清々しい気持ちで登校できるのは珍しい。
たいてい、学校は憂鬱なものだし、出来る事ならずっと休んで家でアニメでも見ていたいと思っていた。
だが、今日は違う。
ぺリーさんが描いてくれた絵のおかげで、俺は昨日、すこぶる機嫌が良くなったのだ。
珍しく晴香が休みなのが気になったが、そういうこともあるだろう。
暇なロアには家で未開封の同人誌を検閲させているし、家に帰った時に安心して同人誌を読めると言うのは、なかなか良い物だと思う。
まあ、学校に居ても、休み時間は寝たフリしかやることないのだが、昼休みともなると寝たフリで乗り切るのも辛いものがあり、俺はそろそろ教室から脱出しようとしていた。
「そんでさぁ、放課後に晴香の所にお見舞い行かない?」
「いいねー、ケーキ買ってく?」
「風邪引いてんのにケーキってどうなの?」
女子連中は相変わらず喧しいが、今日は話題が晴香の事ばかりだった。
つくづく、あいつの人望は厚いんだなと感心するが、別に俺には関係のないことだ。もし俺が休んだとして、お見舞いに来てくれる友達などいないだろうな、と考えて、少々気分が鬱屈としてきたので考えるのを辞める。
しかし、男友達か……もし共通の趣味について語り合える男友達がいたら、どうだろう。俺の生活も少しは変わるだろうか。
キモオタが二人に増えた所で、二人で仲間外れにされるだけだろうし、クラスの輪になんか入れないと思うけど……でも、少しは気が楽になるのかもしれない。
まあ、ぼっち飯にもすっかり慣れたし、このクラスに俺以外のガチオタクは居ない。
無理して人に合わせて仲良くするなんて死んでも御免だし、俺はこのままでいい。ダンゴムシは日陰が気持ち良いから日陰にいるんだ。
そんな風にして、俺は今日も一人、トイレか準備教室にでも向かおうと思っていた。
「霧島ぁ!」
びくっ、と肩がふるえる。
低く、力強い男の声が、俺を呼びとめる。
カツアゲか、パシリだろうか。
そんな考えが真っ先に頭に浮かんで、俺はだらだらと脂汗を流し始めた。
次いで、肩に手が置かれて、俺は「ひぇっ」と甲高い声を出して振り返ってしまう。
「うっ、う、魚住……さん?」
振り返れば、そこには我がクラスの代表チャラ男、魚住の姿があった。
相変わらず、染めた髪の毛にピアス、着崩した制服と、人を威圧することこの上ない格好をしている。
しかし、当の魚住はというと、にっかりと人懐っこい笑顔を浮かべて、それから少し大きめに見える包みを取り出して見せた。
「今日さ、一緒にメシ食おうぜ」
「……は?」
目を丸くするしかなかった。
メシ? 俺と? なんで? リア充ギャル男人気者の魚住が、なんで?
一瞬で脳内に嫌な想像が駆け巡り、ありとあらゆる最悪のパターンを考え出す。このままリンチされるんじゃないかとか、やはりパシリの前触れなんじゃないかとか、なんらかのドッキリを仕掛けられて笑い物にされるんじゃないか、とか。
しかし、俺の心配もよそに、魚住は既に食事を始めている普段の友人グループを指さして「安心してよ、今日は俺、一人だから」と言ってくれた。
そんな優しい対応をされても、ますます恐ろしくなるだけである。
けれど、魚住に面と向かって断る勇気も無いので、俺はか細い声でそれを了承するしかなかった。
☆
「いやあ、昨日は悪かったな霧島。あのケータイ、大事なもんなんだろ?」
「…………えっ」
二人っきりの緊迫感満載な食事は、図書準備室で行われた。
本当は図書準備室は飲食禁止なのだが、俺は図書委員(休んでいるうちに委員を決定させられた)で合いカギを持っているのを良いことに、人目を盗んで利用させてもらう事が多かった。
この憩いの場は出来るだけ秘密にしておきたかったのだが、なんと魚住は俺がここで食事している事を知って居たのだ。
それで仕方なく魚住を連れ込み、重苦しい雰囲気の中で弁当を開けた、その直後の発言がこれだった。
「いや、なんかスゲエ怒ってるみたいだったし、こないだは謝れなかったからさ。ほら、めっちゃ慌てて教室出てったじゃん? あれ相当怒ってんなー、と思って」
「えっ、あ、いやっ、あっ、だ、ダイジョブフす、大丈夫です……」
まさか素直に謝られるとは思わなかった。
っていうか何、こいつ、もしかして良い奴なのか? イケメンでチャラ男で人気者でスポーツ万能で良い奴ってなんだよ。ステータスの初期値いくらだよ。どんだけ多方向に振り分けてんだよ。
「大丈夫か? ケータイ壊れてなかったか?」
「あ、うん……だ、大丈夫だった」
「そっかぁ、良かったぁー……いや良くねえな。お前は大事なもん踏まれてんだもんな」
魚住のやつが、謝るためだけに俺と飯を食うなんて言い出したというのは、にわかには信じがたい話だ。なにか裏が有るのではないか、と嫌でも勘ぐってしまう。
当然だ。チャラ男というのは往々にして不良なのだ。
簡単に気を許す訳にはいかない。
「…………」
「……………………」
しかし、そうすると変な沈黙が訪れてしまった。
準備室が弁当の匂いと、重苦しい空気に満たされていき、俺はすぐに挙動不審になってしまう。他人と喋るのはもちろん苦手だが、他人と二人っきりで黙って居るのはもっと辛い。まして、今回は魚住が俺と話をしにきたのだ。このままでは気まずすぎる。
耐えきれなくなった俺は、なんとか話題だけでも繋げて置こうかとおもった。
「あっ、あの、魚住さん……」
「なんでさん付けなんだよ、クラスメイトなんだから呼び捨てで良いよ」
「えっ、あはは、はい、そっすね……」
何そのハードルの高い譲歩。
そう言われて素直に「魚住」なんて呼び捨てにしたら、突然キレ出すんじゃないだろうな。
「……う、うおずみさっ……魚住はさ、みんなと一緒のご飯じゃなくて、よか、よかったのでしょうか……?」
「ん? ああ、霧島って大勢いるのは苦手だろ?」
「……えっ、じゃあ、俺と話をするために?」
「まあ、余計な配慮だったら謝るけど」
心臓が止まるかと思った。
こいつ、そこまで俺に配慮してやがったのか。しかもそういう事を何の気なしに、息を吐くように口にしてくる。やっぱ怖いよ。逆に怖いよ。
そんな俺の態度を見て、魚住は柔らかく微笑んで話を続ける。
「まあ、俺はたまたま大勢が好きだけどさ、そうじゃ無い奴だっているのは解ってるさ。それが良いとか悪いとか言うつもりもねーし、だから霧島と話す環境に合わせただけだよ」
「……なんで、そこまで……?」
「だってちゃんと謝らないとさ、これからクラスメイトとして気まずいじゃん?」
「眩しいっ!!」
「えっ、何が!?」
畜生!こいつ聖人君子か!
ああもう解った、こりゃモテるわ! こいつ、臭いこと言ってるのに全然不自然じゃないもん! 嫌味なところが皆無だもん! 男子にも女子にも人気出ますわ当然ですわ!
「う、魚住は、すごいな……人と話すのにそこまで考えられるとか……」
「そうかなぁ、ポリシーみたいなもんだけどさ」
「……でも、俺みたいのと話してたらキモがられると思うよ……」
「別にいいじゃん、俺、気にしないもん」
惚れそう。
なんで三次元で珍しくときめいた相手が男子なんだよ。おかしいだろこのイベント。なんで俺は魚住に攻略されかかってるんだよ。
そんな風に魚住の評価が著しく逆転してきているのに、天邪鬼になってしまうのが俺である。
つい、言わなくても良い事を言ってしまいそうになる。
「……な、なんか、裏がありそうだな」
言ってしまった。
それから自分で口を塞いで見るが、もう遅い。
静かだった水面に大岩を投下したようなものだ。なぜ俺は友好的な相手に自分から喧嘩を売ってんだよ、馬鹿か。
が、魚住は鼻をぽりぽりと掻くと、以外にも目線を伏せて、
「実は、まあ、裏がないとは言わない」
「えっ、え、うえぇっ!?」
心臓が早鐘を打つようにバクバクと響く。
呼吸困難で走馬燈すら見えそうになるが、かろうじて意識は保てている、そんな状態だ。
なんだろう、やっぱり怒って居たのだろうか。俺はリンチされてしまうのだろうか。それで有り金全部まきあげられて、明日からカツアゲされる生活になってしまうのだろうか。畜生、そうなる前にロアで全員叩きのめしてやろうか。
「……霧島ってさ、犬飼と仲良いじゃん」
「………………は?」
なぜここで晴香の名前が出るのだろうか。
「だから、あの……」
「…………もしかして、晴香が好き、とか……?」
「わ、悪いかよ」
「マジすか……」
まさかの両想いか。
晴香、おめでとう。どうやらお前の恋愛はイージーモードだったみたいだ。畜生、リア充爆発しろ。
とはいえ、まあ晴香の恋が叶うとなれば、祝福する気持が無いでもない。あいつには何かと世話になったし、寂しいとは思うが、幸せになってもいいだろう。
まして相手が魚住なら、まず不幸になる事は無いと思うし。
「だからよ、霧島ならこう、犬飼の好みとか知ってるかなって。いや、謝ろうと思ったのが本題だぞ? これはついでの話だからさ」
「あー……」
「……あ、もしかして……」
魚住は一瞬、目を見開いて、それから物凄く申し訳なさそうな顔をした。
「……霧島も、やっぱ犬飼のことが好きだったか?」
「ないない全然ない絶対ないまずあり得ないロマンティックがとまらない」
「そ、そうか。ロマンティックは意味解らなかったけど、それなら良いんだ」
晴香は良い奴だと思うけど、恋愛対象かって言われると違うんだよな。
と言うのも、あいつは俺に対して色々と世話を焼いてくれるんだけど、なんだかあいつの態度は俺を見て居ない気がするのだ。
見て居るんだけど見て居ない、そういう形容しがたい雰囲気が、あいつにはる。
「まあ……脈あるんじゃないかな……魚住なら……」
「ほ、ほんとか!? いや、あいつ霧島の事、好きなのかなって思ってたからさ……もし付き合ってたりしたら、身を引かなきゃなって思ってたんだ」
「大丈夫、俺が三次元の女と付き合うことはありえないから……」
「なんだか知らんがすごい自信だな」
「……っていうか、魚住なら女の子なんて選びほうだいじゃないか、モテるし……そういう事で悩むの、少し意外だったっていうか……」
「ばっか、お前、俺はね、自分が好きになった女の子と付き合いたいのよ。好かれるのは嬉しいけど、相手は自分で選びたいの、解るだろ?」
「……解る」
言われてみれば、アニメキャラは別に俺の事を好いてくれるわけではない。
あの子たちは物語の中の存在で、いくら俺が愛した所で、返事が返って来るわけでもないのだ。音声ファイルやフィギュアと会話しても、この思いは届くことはない。
その事に気付いたのはもう結構前になるし、だいいち、その段階は俺はもう乗り越えた。
そう、アニメキャラたちが俺を愛してくれなくたって良い。
俺が愛しているから、それでいいのだ。
「……よく解るよ、魚住。愛されるよりも愛したいマジで、だよな」
「キンキキッズにしたって古いな、それは……でも解ってくれるか! いや、なんか案外気が合いそうだな、俺達!」
魚住がばしばしと背中を叩いてくる。
ここまでくるともう、本当にこいつは悪い奴じゃないんだろうと思えた。
つい、こちらからも歩み寄ってみたい気持ちが湧いてきてしまう。
「……魚住って、さ」
「ん、なんだ?」
「バスケだけじゃなくて…………ぷ、プロレスも、好きだよね。『月刊プロレスファン』読んでたし……」
「お、なに、霧島も好きなの? 良いよなぁプロレス! 最近は総合格闘技に押され気味だけどよ、あのショー的な魅力はプロレスにしか出せないよな!」
「そ、そうだよね……! 俺も深夜アニメのついでに、深夜の試合動画見る事があって……アニメみたいに技がダイナミックで、格好良いから……」
「そっか、でも俺はサブミッションが好きだぜ。派手さはともかく、あのテクニカルな経ち回りも、決めた後の攻防の駆け引きも良いな!」
「て、テキサスクローバーとかね!」
「良い趣味してんな霧島ぁ! バスケはともかく、プロレストークは相手がいなくて寂しかったから嬉しいぜオイィ!」
背中を叩く威力が強くなってきて、正直、痛い。
でも、正直なところ……楽しい。
友達と話すのって、結構楽しいな。
と、思い始めた矢先だった。
「おっと、メールだわ」
魚住のケータイから、流行の曲のサビが流れ始める。
内容を一読して、魚住は立ちあがってしまう。
「わーりぃ、霧島。俺、今日は金返す約束あったの忘れてたわ。小銭なんだけどさ、筧のやつ金欠だからちょっとの貸し借りでも一大事らしくてよ。購買行けないって怒ってんだ」
「あ、あ、そうなんだ。うん、行ってきたらいいよ、俺ももう食べ終わったし」
「悪いな、こっちから誘っておいて。また今度プロレスの話しようぜ」
そう言って、魚住は急いで廊下に走って行く。
なんだか、物凄く遠いところまで、一瞬で駆けて行ってしまった気がした。
「……ま、そうだよね。魚住は他にたくさん、友達がいるんだし」
筧というのが、魚住の普段からつるんでいる友達なのは知っている。
ちょっと共通の話題があったくらいで、深い友達にはなれはしない。
筧や他の連中の方が、もっと長く、親しくしてきたのだ。そして、そういう人とのつながりを蔑ろにしてきたのは俺自身だ。
だから、このちょっとした寂しさも、自業自得みたいなもんだ。
「っていうか……なんで男相手にちょっと嫉妬してんだよ。ホモじゃねえぞ俺は……」
ぶつぶつ言いながら、弁当を片付けて準備室を出る。
がらんとした図書室を眺めて、今日はこのまま、昼休みを本でもよんで過ごすのも良いかと思えた。
いつになく、俺は穏やかな気持ちになってしまっていた。
だから、
『――――わたし、キレイ?』
本棚の陰から響いてきた声は、一瞬で俺の気持ちに深い落差を作りだした。