三次元の色仕掛けはドドメ色
目が覚めると、俺は傷一つないキングサイズのベッドの上に居た。
困った顔の大原店主が、腕を組んで俺を見下ろしていた。店内は焼ける匂い一つなく、相変わらず古臭いだけだった。
売り物によだれを付けたとして、俺はしこたま怒られた。「違うんです、あれは斧女と口裂け女のバトルのせいなんです」と言うと、しこたま殴られた。このご時世に体罰とはPTAに対する反乱組織の一員に違いない。結局、俺はしょんぼりとしながら帰宅することとなった。
☆
結局、あの体験は夢だったのだろうか。夢にしてはリアルに過ぎ、現実にしては荒唐無稽。実感と理性が喧嘩して、頭をますます混乱させる。何か一つでも、目に見える証拠があれば良いのだけれど。
その証拠は案外、我が家にあった。
「…………なんで居んの?」
自室に入ると、ゴスロリ斧女がくつろいでいた。
右手にポテチ、左手にセガサターンのコントローラー。斧はどうした、斧女。
「ああ、御帰り。っていうかお邪魔してるよ」
「ただいま、っていうかお邪魔すんな」
「良いじゃないか、ファーストキスを奪ってやった女の子が自室で無防備に横になってるんだぞ? それはもうワクワクムラムラたまらんだろう?」
「俺はポテチ食いながら足で足を掻いてる女に興奮したりしないから」
「まあそう言うな。君も聞きたい事が有るだろうと思ってね」
のそのそと身を起こすと、斧女はくりくりした赤い目を向ける。
畜生、なんで三次元の癖にこんなに可愛い作画なんだ。直視するのもなんだか気恥かしく、思わず目線を逸らしてしまう。この子を作ったのは神様では無く、名のあるアニメーターに違いない。
「だが、その前に一つ、私からも君に聞かなきゃならない事が有る」
斧女の声は、深刻にそのトーンを落とした。
顔つきも真剣そのもので、おそらくはあの口裂け女に関する事を聞かれるのだろうと、俺も緊張気味になってしまう。
「……この部屋、セガサターンが有るのになぜドリキャスが無い?」
「知るかぁああああああああああああああああッ!」
ブチ切れ気味に鞄をベッドに叩きつけた。
切れ気味っていうか、切れた。
「知るかってことはないだろう! この部屋は君の物で、このサターンも君のものだろう? だったら君は当事者じゃないか! なぜ歴史に残る神ハードたるドリームキャストが存在しないッ!」
「俺はセガ信者じゃねえからだよォ! っていうかお前セガ信者か! ミステリアスな遭遇からどんどん俗物になってるじゃねえか!」
「畜生っ、GK乙っ!」
謎の呪文を唱えて斧女はゲームのプレイに戻った。それは別にセガ関係ないだろ。
アニメの画質を高度に保つハイビジョン液晶の中で、青いハリネズミが走り回っている。しかもこの女、コアなファンの癖に死ぬほどへたくそじゃねえか。
「いや、それより俺の質問に答えろよ! お前は何者だ? あの口裂け女もなにもんだ? なんでキスした? なんで大原さんちは無傷なんだ? なんで俺はモテないんだ!」
「まあ落ちつけ。私は聖徳太子じゃないし、音声認識タイプのスマートフォンでもない。それとも君は私にスマートフォン機能を求めてなめこを育てさせたいのか? ふふっ、こいつはとんだド変態だな」
「今どっかいやらしく感じる要素が存在したか……?」
「……君のなめこ、育ててあ、げ、る……何を言わせるんだ! 訴訟するぞ!」
「うわぁこいつ面倒くせぇえええええ……」
やたら艶めかしい発音のなめこを頂いた所で、少しはまともに話す気になったのか、斧女はベッドに腰掛けた。
「まあ、順番に答えを出していくとするなら、まず私は土地神の力の欠片である」
「……土地神?」
「そう。この深空町を守護する土地神。名を、ヒメムロアマツノカミ。私の事も、縮めてヒメだのロアだの呼んで構わんが、アマと呼ぶのだけはやめてくれよ」
「……じゃあロアで。その荒唐無稽な話も、あの超常現象を見せられちゃ受け入れるしか無いよなあ」
「そうだな、そしてあの口裂け女もヒメムロアマツノカミ……その力の一端が具現化したものだ。我々は異魔神……イマジンと呼ぶ物だな」
「その糞ダサい用語はともかく……あれも神様? 神様が人間を襲うのかよ」
「神が襲うのではないよ。あれが人を襲うように作りだしたのは、人自身だ」
「……意味が解らん」
俺も伊達にアニメオタクをやっている訳じゃない、この手のファンタジー設定に理解力は着いて行ける筈だが、斧女改め、ロアの話は廻りくどかった。
彼女は手品の種明かしを楽しむように、じわじわと情報を小出しにしているようだ。
「そもそも口裂け女とは何だ、少年」
「……何だって、そりゃ口の裂けた女の怪物じゃないか」
我ながら気の利かない返事をすると、ロアは大仰に首を振る。
「そう言う事ではないんだな。つまりあれはフィクションだ。人間が作った噂話が流行し、病のように蔓延した存在だ。多くの人間の意識の中に、口裂け女と言う概念が存在している。言わば集合意識の結晶だね」
「……そういう言い方なら、口裂け女を作ったのは人間ってのも納得できるな」
「そうだ。我々は発生する過程で近くに居る人間の意識に影響をうけるのだが、その時、その人間の深層心理で恐怖を抱いている物を自分の核に選ぶのだ。恐怖心というのは強い存在感を持つからね」
「……つまり?」
「砕いて言えば、あれは誰かの、怖い物のイメージが実体化した物なのだよ」
「最初から砕いて言えよ」
ただ難しい事言いたかっただけじゃねえか。これじゃ外見と相まってただの中二病の女の子にしか見えないぞ。
「同様に、私はベッドの下の斧男という噂話をベースに具現化している。この斧を持っているのと、ベッドの下から現れる事が出来たのはそのおかげだ。おそらく、君は斧男の都市伝説に対し、強い恐怖を覚えた経験があったんじゃないかね」
言われてみれば、小学生の頃に斧男の話を聞いた時、あまりに怖すぎてベッドで寝られなくなった事が有る。あれから一年近く、両親の部屋で一緒に寝て居た事は別の意味でトラウマとなっているから、未だに強い印象が残って居てもおかしくないが……。
「……でも、なんでゴスロリなんだ? 斧男ってそんな話じゃなかった筈だよな」
「それは少年、君のせいだな。びしっ!」
びしっ、と指を差された。擬音は口で言われた。
綺麗に塗られた黒いマニキュアが、真っすぐ俺の鼻先につきつけられる。
「私があのベッドの下から顕現しようとした時、強い想像力の波動にあてられたのだよ」
「……強い想像力?」
「君、死ぬ前にこれの事を思い出したろ」
そう言うと、ロアはベッドの下に手を突っ込み、ずるりと薄い本を取り出した。
ベッドの下に広がるのは、俺の大事な大人図書館。
その中の蔵書の一冊である、「シャロンと大人のすてっぷあっぷ☆(十八禁)」である。
「うぎゃぁああああああああああああああっ! ぎゃぁっ! ぎゃああああああああああああああああああっ!」
「落ちつけ少年、近所迷惑だぞ。しかし成るほど、原作絵の再現レベルは高いが、これはコピー本だからな。私が白黒カラーで具現化してしまうのも頷ける」
「嫌だぁっ! 薄い本に命を救われたとか嫌だぁああっ!」
「いや、助けてやったのは私だからね。勘違いしないでね」
そのまま手をポテチの袋につっこみ、もくもくと頬張り始めるロア。詰め込めるだけ口に詰め込んでいるようで、頬がハムスターのようになっている。
「まあ、私たちは人間の意志の力に敏感なのだよ。顕現途中で強い意志を感じてしまうと、簡単に引きずられてしまう。しかし同時に、それは私たちが成長する武器ともなるのだ」
「成長ってどういうことだ? もしかしてお前も時が経つとゴスロリの似合わない年増コスプレイヤーになっちゃうのか?」
「君は成人したコスプレイヤーに特定の恨みを持っているのか?」
おそらく、人外如きにはわからないだろう程の恨みがある。しかし、それをこの場で語るのは時間の無駄なのでやめておくことにした。
「ともかく、私たちの成長とは魂の成長だ。成長の果てに老化などしない」
「……魂の成長?」
「そう、私たちは土地神の力の一端……しかし、成長することで次代の土地神と成る事が出来るんだ。現在、この街の神はちょうど、代替わりの時期に在る……あの口裂け女と私とは、いうなれば土地神候補のライバル同士というわけだな」
「敵対してるもんなのか……だから俺を助けてくれたのか?」
「いや、まあ君を助けたのは下心によるものだな……おい、なぜ胸と股間を隠して後ずさる。私を何だと思ってるんだ」
「初対面でいきなり唇を奪ってくるキス魔。もとい痴女」
「さっぱり否定できん!」
なかなか潔いやつだった。
何気に気が合うんじゃないかと思い始めている俺が居るが、ここで懐柔されてはならない。買って財布の紐締めよって言葉もあるしな。無いな。ウソだな。
「しかしな、あのキスにも意味は有る。あの場面では特に仕方なかったのだよ」
「三次元女っていつもそう。適当な理由をでっちあげて正当化した気でいる……」
「君は三次元女に親でも殺されたのか?」
呆れながら指をこめかみに当てるロア。このジェスチャーは欧米の人が頭の病気を心配する時にやる奴だと記憶している。遺憾である。
「私たちの成長の糧はね、人間の想像力なのだ。噂、都市伝説の形を取ることからも解るだろう? 影響を受けると言う事は、強いエネルギーを得る事ができるのだよ」
「……まあ、その話はだいたい、理解できたな」
「そしてそれを最も効率よく行う手段が…………経口摂取なのだ」
「そのメカニズムは理解に苦しむな……」
つまり、この女、俺の口から想像力パワーを吸い取ってくれやがったってことか。どうりで今日はぼっち帰宅中の暇つぶしである妄想タイムがはかどらなかったわけだ。俺みたいに趣味が妄想のやつには死活問題じゃないか。
「別にマウストゥマウスでなくとも良いが、それが一番効率が良い。特に先ほど君から吸収した、ごしっく☆シャロンの必殺技イメージはかなりの純度を誇っていた」
「……あ、そうか!」
あの爆発は、シャロンたんが敵にトドメを刺した時のエフェクトだ。アニメの中でも何度かバンクとして目撃している。そして派手に爆発する割に、背景や周囲にダメージが残って無い、アニメのお約束ポイントもそのままだった。
こいつがさっき使ったのは、シャロンたんの必殺技だったのか……。
「だいぶ強く吸ってしまったからな。あの一発で君の想像力は一度枯渇してしまったが……それでも有り余る威力を発揮できた。大したものだよ、君の想像力は」
「まあ……毎日、学校では空想か妄想しかやることがないからな」
「そいつは随分と悲しい力だったんだな……」
赤い瞳を可愛そうな色に染めるロア。俺がケータイでアニメ動画を視聴しているのを見たクラスの女子に近いオーラを感じる。
「しかしな、君の想像力は強すぎて危険だ。私だけでなく、あの口裂け女を呼び寄せるくらいにはな」
「そうか、あいつも俺の妄想力を狙って……」
「想像力な。そういうわけだから、これから私が付きっきりで守ってやろう」
「えっ」
「これから世話になるからよろしく頼むぞ、少年!」
「そこは話が飛躍しすぎだろ!」
さっさと話を切り上げてしまったロアは、ポテチの残りを食べきると平然とゲームのプレイに戻ってしまう。俺はそれを後ろからヘッドロックし、アンポンタン極まりない耳にしっかりと文句を伝えてやる。
「おい、お前、まさか住み着くつもりじゃないだろうな……口裂け女は倒したんだからさっさとどっか行けよ」
「ははは、頸動脈が締まってるよ少年」
当たり前だ、殺す気でやっている。しかし斧女と来たら涼しい顔のままで余裕そうにしていやがる。腹立たしい事この上ないが、うん、近くに来るとなんか良い匂いがするな。
「しかし少年、これから君は他のイマジンに狙われると思うぞ。先ほど、この街に存在する多くのイマジンが君を感知したからな」
「は? なんでまたそんな……!」
「少年、先ほど君はなにか、強い意志を持って願い事をしなかったかね」
「……願い事……」
そう言われて、俺は記憶の糸を手繰り寄せる。ここ最近、何かを強く願った事と言えば、口裂け女に襲われた時にシャロンたんを思い浮かべた事か、その前に……。
――――あー、なんか過激なイベント起きねえかなぁー!
「……まさか、あれで?」
冗談じゃない。あんなの、いつも四六時中考えている事だ。
珍しく口に出しはしたが、あの時だけ強く願ったわけではない。それなら先週あたりにシャロンたんのアニメを録画し忘れた時、母さんが気を利かせてくれている事を願った方がよほど強い意志を発揮した筈だ。
「……いや、絶対おかしいって。あんな呟き如きで願いをかなえられちゃうんなら、ツイッターは龍の玉より便利なアイテムになってるだろ」
「まあ、君の呟きは引き金に過ぎなかったのかもしれないね。だが、思いの力は形にする事によって強くなるんだ。例えば言霊、例えば儀式、そして例えば……」
ロアはゆっくりと腕をまわし、俺の腰のあたりを探る。くすぐったくて身をよじる間もなく、ポケットから俺のケータイを取り出して、
「――――例えば、偶像崇拝」
そこにぶら下がった、まじっく☆シャロンのストラップを摘まんで見せた。その様子は、まるで自分を象ったフィギュアを見せびらかしているようにも見える。
「偶像……って、フィギュアじゃないか。それも二頭身デフォルメの」
「人型の無機物に強い意志を込めた言葉をぶつけ続けるのは、君が思うよりも危険な行いなのだよ? 分散した意識ならともかく、君は明確に方向づけた意識を、この人形にぶつけすぎた。もはやこれは一種の呪術道具レベルの力が籠って居るぞ」
「そ、そんなので呪いの人形ができたら、全国のオタクどもは死滅するぞ!」
「時期が悪かったな。土地神の代替わりが始まり、私達イマジンが力を求め始めた時、君は間の悪いタイミングで願いを使ってしまったんだよ。この人形と言うアンテナを使い、意思を広範囲に発信してしまった」
ロアは一度言葉を切ると、本当に深刻そうに溜息をついて続きを語る。
「……そして不幸だったのは、君の持つ想像力が強すぎたことだな。大したもんだよ、一人でも数十人レベルの想像力を補える。先ほどの願いは、イマジン達に美味しい餌の在り処を広めてしまった事になるな」
「……そんな、日々の妄想トレーニングがこんな形で裏目に出るとか……」
正直に言うと、そういうシチュエーションも妄想した事あるけどさ。主に寝る前とか、寝付くまでの間に妄想するのって基本だよね。
とか言っても気を取り直すことなど出来ず、ロアは更なる追い打ちをかける。
「放っておけば、口裂け女のように危険なイマジンに取り憑かれるか……最悪、取り殺されてしまうかもしれないな。想像力を吸い切られると、心が死んで廃人になりかねない」
「……バッドエンドすぎる」
具体的に死の危険を口に出され、本格的に頭が痛くなってきた。
しかし、そんな項垂れる俺を心配することもなく、ロアは胸を張って頼りがいのありそうな態度を取る。
「安心しろ、少年。だからこそ私が付きっきりで守ってやろうというのだ」
ロアはやや薄い胸を拳で叩き、にっこりと優しげな笑みを浮かべる。
実際、彼女はさきほど、口裂け女から俺を守ってくれた。既に行動として、俺を守ると示してくれているのだ。
そんな献身的な態度にも、俺は戸惑うことしかできない。
「ロア……お前、なんで俺のためにそこまでしてくれるんだ?」
「……愚問だよ、少年」
俺の質問に、少し照れくさそうに笑って頭を振る。
そして、それはさも当然の理由だと言うように、力強く俺に答えてくれた。
「私も、少年の想像力を餌にして効率よく強くなりたいからな」
「…………それって、既にお前に取り憑かれてる事になるんじゃない?」
「そうだよ? …………ぐぇえっ!」
首にまわした腕を思いっきり締めた。
腕を思いっきりタップされているが離さない。プロレス動画を一日一時間は視聴していることが役に立ったな、このまま喉を潰して退治してしまおう。
「テメエ、要は口裂け女から餌を分捕っただけじゃねえか! なんにも脅威が去ってねえよ! サラ金の借金をサラ金で返してるみたいなもんなんだよ!」
「しょ、しょしょ、少年、ギブ! ギブミーチョコレート!」
「降参じゃなくて要求してんじゃねえか! ってか俺はそろそろアニメが見たいんだよ、テレビを渡せ! そして出ていけ! 俺の崇高な孤独をこれ以上邪魔するな!」
「まあこのステージをクリアするまで待て。セーブが出来ないからな……!」
「お前さっきから最初の落とし穴で落ちてばっかりじゃねえか! 核融合発電の普及の方が先に終わりそうだぞ!」
「元々、私たちは単体では想像力が乏しいのだ。こういうゲームをプレイするイメージもどこかから摂取しないと備わらない……!」
そう言うと、ロアは首を締めて居た俺の手を引きはがし始める。ギブとは一体なんだったのか、結構全力で殺しにかかっていたのに、こいつは赤子の手でも捻るように簡単に振り払ってしまった。
「……はむ」
そして、俺の人差し指を捕まえると、当然のようにそれを咥えてしまう。
「えっ」
「……もぐもぐ」
指先が湿った温かい感触に包まれる。
まるで味わうように、赤い舌が絡みついて肌の上を這っていく。
「お、お、おま、なにしてっ……」
「このゲームは君のなのだろう? ならば、このステージに適した操作法をイメージできる筈だからな……!」
画面に目を向けると、先ほどとはうってかわってサクサクと攻略していく青ネズミ。スーパープレイと言えるレベルではないが、確かに自分の見慣れた軌道でぴょんぴょんとアスレチックコースをクリアしていく。
「……お前も大概、くだらない事に自分の能力を使うんだな……」
「使える物はチートと攻略サイト以外使う、それがゲーマーと言う物だろう、少年よ」
「こういうのはチートと変わらないんだよ!」
「にゅおおっ!」
引っ張ると、ちゅぽん、と指先が口から抜けた。流石に吸引力は人間と変わらなかったらしく、ロアは釣り竿から逃れた魚のようになっていた。濡れた指先が外気に当たって、ほんのりと冷たい。
「むう、少年。顎が外れたらどうするんだ。あと、君は手が女の子みたいに綺麗過ぎる。力仕事とか苦労とかさっぱりしてない手だぞこれは。身体も華奢だし、もっと鍛えるべきだ」
「ほっとけ! 良いからとっとと出てけってんだよ、うちにゲーマー斧女を養うスペースは無い!」
と言いつつ、指を咥えられて完全に錯乱している俺は、部屋の隅へ戦略的撤退を行う事にした。あくまで戦略的撤退なのであって、懐柔された訳ではない。そのうち改めて抗議を行うべく精神を整えるため、一端離脱するだけだ。
「だいたい、その、イマジンとか言うのが襲ってくるってのもお前が言ってるだけで証拠はないじゃねえか……お前がただ俺に取り憑きたいだけって可能性も……」
そんな言葉をさえぎるように、着信音。
ロアが手に持ったままのケータイから、ごしっく☆シャロンのテーマソングが大音量で鳴り響く。
「ほれ、少年。着信だぞ」
放られたケータイを慎重にキャッチする。着信のバイブレーターで、シャロンたんが小刻みに震えている姿がなんとも可愛らしい。
しかし、俺は既にこの事態の特異さに気付いていた。
「待て……おかしい。俺は帰宅しているし、家族もみんな帰宅済みだ……俺に電話がかかって来るわけがない!」
「悲しいな、その推理は……」
濡れた子犬を眺めるようなロアの視線を無視しつつ、着信画面を確認する。
番号は非通知。勿論、俺には非通知着信で驚かせようと悪戯してくるような友達は居ない。DQNが変な催しに使用しない限りは、だ。
同時に、ふと頭によぎる物がある。
口裂け女に、ベッドの斧女。都市伝説の怪物が具現化すると言うなら、この奇妙な着信は何を意味するだろう。
「……まさか、な」
そんな馬鹿なと思いつつ、もしかしてという感情も半分。垂れ流しになっている着信音がサビに入る辺りで、結局その着信を取る事にした。
『もしもし……わたし、ペリーさん』
「…………」
なんだろう、ちょっと思ってたのと違うんじゃないか。
少なくとも俺には開国を要求してくる友達は居ない筈である。
「…………人違いじゃないですか?」
『今、浦賀に居るの』
「人違いじゃないっぽい!」
おいおい、どういう事だよ。都市伝説ならまだしもアメリカ人だよ。何で東インド艦隊の司令官から電話が来るんだよ。
っていうかアニメ声すぎる。耳元できゃぴきゃぴした非現実的なロリボイスが聞こえてくるのだが、俺はいつ声優目ざましコールサービスを登録したのだろう。
『貴方が霧島真白くん?』
「……違います」
『えっ、ご、ごめんなさい。間違えたの……』
否定したら通話を切られてしまった。なんだこいつ。
でもきっと素直な子なんだろうな、と思いつつ数秒後、また電話がかかって来る。
『もしもし、私ペリーさん』
「……はい、もしもし」
『今、久里浜に居るの!』
「やっぱりペリーなんだ……っていうか移動速いな」
相変わらず凄いアニメ声だが、アニメキャラの音声ファイルと会話するのは慣れて居るので、さほど違和感は無い。っていうか、ちゃんと電話口に生きている相手が居る通話はどれくらいぶりだろうか。
『さっきと同じ声じゃない……やっぱり貴方が真白くんなの!』
「違いますよ、もう一度間違えただけじゃないですか」
『えっ……ご、ごめんなさい。もう一回ちゃんと番号を見るの……すみませんなの……』
と、また慌てて通話が切れた。今度はちょっと涙声になっていた。
何だろう、俺の胸に何か、新しいタイプの快感が芽生えてきている気がする。
「……おい少年。あんまりペリーを苛めるなよ」
「黙れ斧女まだ居たのか。っつーかそう言われると俺が日米関係を悪化させる存在みたいな気がするからやめろ」
「というか、君は真白くんと言うのだな。名乗られる前に名前を知ってしまったぞ」
「名乗る気も無かったからな……待て、なんで今の奴は俺の名前とケータイ番号を知ってるんだ」
「言ったろ? 君の存在はかなりの数のイマジンに知られてしまったと。ネットワークに強いペリーさんなら、この程度は朝飯前だな」
「……マジかよ」
肩から力が抜け、へなへなと崩れてしまう。
自分の情報が不特定多数の知らない者に知られている、というのは結構キツい。まして、相手は化け物。今の間抜けな通話だけで、そういう状況が決定的になってしまった。
と言う事は俺、本当に日常を踏み外しちゃったんだな……。
「少年。いや、真白くん。これで解ったろう、君は今やケータイの番号すらイマジンに掌握されている状況なのだよ」
「……悔しいけど、マジっぽいな」
「どうだろう。君はこれから正体の解らない怪物どもに狙われる事になる。それに一人で立ち向かうよりは、同じ怪物と協力して立ち向かう方が建設的だと思うんだが」
「……強引な論理展開だなあ」
とはいえ、ロアの言う事はあながち、間違いでも無い。
こんな事、警察や自衛隊が解決できる案件でも無い。というか、アニメにおけるあの辺のポジションって基本的にはやられ役なのだし。今頼れるのは事態を把握している、化け物そのもののロアしかいないのだ。
「それに、私たちは土地神の一端であるが、次代の土地神になるのは一体だけだ。だから私たちイマジンは同族を倒していかねばならない。私が強くなってイマジンを退治すれば、真白くんも狙われる心配が無くなるじゃないか!」
「……逃げ惑うより、迎え撃つべきってか」
まあ、どの道戦うのはこいつなのだし、俺はこいつに指をしゃぶらせるなりなんなりして想像力を提供してやるだけで良い。なるほど、この状況では体の良い盾になってくれるかもしれない。
だが、ロアがやたらと必死で強引なのがどうも怪しい。
幾ら可愛くて人間じゃないとしても、こいつは所詮、三次元女。三次元女は嘘つきで腹黒、それは身を持って良く知っている。確実に何らかの裏が有る筈だ。しかし、それを正面から問い正しても素直に答えるとは思えない。
なら、こいつに利用されつつ思惑を探り、逆に利用してやるという手もある。
ほんの少し沈黙しながら、自分の閃きを綿密に確かめる。いくらテンションがコミカルでも、これは人外との契約行為なのだ。極めて危険な行いなら、それに見合うだけの対価をこちらも求めないと、割に合わない。
考えがまとまると、俺はロアの方へ向き直る。
「……解った、じゃあ、取引しよう」
「本当か! それではこれから宜し…………取引?」
「ああ、一方的に利用されるんじゃ溜まったもんじゃ無いからな。こちらの要求も呑んでもらわないと割に合わないだろ」
「いや、それはだから、私が君をイマジン達から守ると言う……」
予想外の展開なのか、ロアは珍しく慌てふためいた。心のバランスを崩したところを逃す手はない。ここで一気に畳み掛けていく。
「お前がイマジンと戦うのは俺を守るためじゃ無く、土地神候補の争いだろ? それが結果的に俺を守る事に繋がるだけだ。まあ、そこはお互いに一点ずつ、利害が一致してる。だが……お前は俺の想像力を吸い取るんだよなぁ?」
「……それは、成長し、強くならないと他のイマジンも倒せないから」
「俺の大事な大事な想像力をお前に奪われる。この行為に見合う対価を、お前は支払ってないんじゃないかな」
「……えっ、いや、そ、そうかな? でも」
「そうだよ(断言)。お前はイマジン狩りと想像力摂取、俺は守ってもらうだけ。お前は二件、俺は一件だろ。割に合わないだろ」
「……そ、そうかも、しれない」
「だったら俺ももう一件、お前に対価を求めても良いよなぁ?」
「…………う、うん」
うへへへへへ、こいつチョロいぜ。イマジンは想像力が乏しいって言うのも、あながち間違いじゃ無いらしい。ちょっと強引に押してやれば簡単に騙せる。この調子なら他のイマジンも案外、強引にやれば騙せるんじゃなかろうか。
「……だが、真白くん。これ以上、私に何をしろというんだ?」
「ふん、そんなの決まってるだろうが」
そう言うと、俺はベッドに腰掛ける。きょとんとしたままのロアを睨み、ぽんぽんとベッドを叩く。するとロアも合点がいったようで、白い頬をほんのりと桜色にした。
「なっ……そ、そうか、そう言う事を要求してしまうのか、君は」
「ああ、つまりは俺の想像力を高める手伝いをしてもらうのよ。お前に吸われるばっかりじゃ、すぐ廃人になっちまう。お前が自分で俺のイマジネーションを刺激してくれれば、もっと効率が良いだろ?」
「…………草食系かと思っていたら、とんだベッドヤクザだな、君は。仕方ない、私もなんだかんだ初めてなのだ。上手く出来ないかも知れないが……」
少しもじもじしながら、おずおずとロアが近づいてくる。
ゆっくりと腰を下ろすと、ドレスの胸元に手をかけながら、俺へと唇を近付け――――、
「って、おい、何やってんだ斧女」
「……えっ?」
びくりと身体を震わせ、ロアの動きがそこで止まる。
吐息がかかるほど近い位置で、大きな瞳が挙動不審にぱちくりしている。
「いや、だって真白くんが要求したんじゃないか……イマジネーションを私で高めようとしているんだろう?」
「……お前は勘違いしている」
俺はため息を吐きながら、ベッドの下から本の山を取り出した。
それを見て、ロアは困惑した様子でうろたえている。まず、こいつに対して俺がどういう人間なのか、もっとしっかり解らせねばならない。
「最初に言っておく。俺は三次元ではイマジネーションを刺激されない」
高らかに宣言し、薄い本をロアへと差し出す。
作者、サークル名が見えるよう、しっかりと本の特徴を誇示して。
「これからしっかり仕事してもらうぞ、斧女」
にやりと笑う俺に対して、ロアは少しだけ笑顔を引きつらせた。