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としでんイマジネイト  作者: ばらっど
序章・根暗オタクと斧女
1/12

三次元の世の中は生きづらい

 

 ごしっく☆シャロンが素晴らしいアニメである事は周知の事実だ。


 可憐な少女が魔法の力を武器に、魔物や怪物と戦う。それだけならば巷に有り触れた萌えアニメとなんら変わりが無い。ごしっく☆シャロンが素晴らしい所は、そのファンシーな外見とタイトルに反して、哲学的な概念とハードで重厚なストーリーを盛り込んだギャップにある。今やアニメ界隈ではその名を知らぬ物が居ない、今世紀最大のエンターテイメント作品。それがごしっく☆シャロンだ。


 叙情的で文学性のあるセリフ回し。個性豊かなキャラクター達。二転三転するスピーディな展開。そして、女神と等しき麗しさを放つヒロイン、ごしっく☆シャロンことシャロン=ベルベット。

 俺の青春はシャロンたんと出会って変わった。灰色の世界が色づくように、生きる事に希望を抱く事が出来た。言うなればシャロンたんとは、人生……かな。

陶器のような白い肌。滑らかで華奢な体つき。桃色のツインテールを縦ロールにし、フリフリの可愛らしいロリータファッションに身を包む。瞳はまるで宝石のように、鮮やかな色調のスカイブルー。有能優秀な作画スタッフが、この素晴らしいデザインを躍動感あふれるアニメで魅せてくれる。


お解りだろうか。俺の恋したシャロンたんが、動き、喋り、微笑みかける、その感動。その放映の瞬間はテレビの前に正座し、あの神作画、神選曲と名高いOP映像が始まった時、感動のあまりその場で失禁したのは言うまでも無い。その瞬間、俺はこの脳細胞の出来る限りをシャロンたんの動く姿の記録媒体へと替えたのだ。


 目を閉じればほら、今でもシャロンの名場面が脳内を駆け巡る。


 この俺、霧島(きりしま)真白(ましろ)の特殊能力の一つ、「脳内シアター」はアニメの名場面をコマ送りレベルまで鮮明に再生することが出来る。暇を持て余した時、限りなく有意義な能力なのだ。

 勿論、シャロンたんのセリフであれば一字一句間違いなく記憶している。脳内シアターのクリアなサラウンドによって、本放送となんら変わりのないクォリティの本編が、俺の中だけで流れだす。


『さあ、行くわよ魔物ども!』

『魔法使いは人々を守る、そのために生まれてきたのだから!』

『必殺、コズミック――――――――』


「ぎゃっはははははははははははは!」


 …………。


 けたたましい騒音が耳を突く。


 頭上から聞こえてくる甲高い笑い声が、俺に没頭を許さない。

 ちらりと視線を上げれば、必要以上に短くしたスカートと安産型のでかい尻が目に入る。香水の匂いが鼻にちらつき、じゃらじゃらした携帯電話のストラップが目に痛い。時折、机の角にぶつかって振動を与える。くそ、なんだってんだ。休み時間ならきっちり休ませろ、この腐れビッチめ。


 授業が終わったばかりの教室は、頭の軽そうな話題で雑然としている。自分の席という枠など無いように立ち歩き、柴犬色の頭のDQNどもが犬レベルしかない頭脳にぴったりな会話内容で楽しんでいる。まったくもって非生産的な連中だ。


 反面、俺は孤高である。


 俗世の雑音に目をそむけ、机に突っ伏して精神世界に埋没している。成長期の精神鍛錬は悟りへの第一歩だ。少なくともこいつらの無駄口より有意義には違いない。昨今、巷で騒がれているようなコミュニティ障害ではない。決して。俺は進んで独りなのだ。いや、シャロンたんが居る限り独りでは無いのだけれども。

 しかしこのビッチどもと来たら、よくもまあ飽きずに非生産的な話を続けられる。


「そういやさー、こないださー」

「まぁじでぇ? めっちゃウケんだけどそれー、きゃははっ」


ウケねえよ黙れ糞。俺はその話ならもう五回聞いてる。この女、会う奴全員に同じ話でもするつもりなのか。畜生、俺には話を振らない癖に。


「そんでさー……あ、ごめ、すみません」


 ビッチの尻がぶつかって、俺のケータイが机から落下した。

気をつけろ。せっかくごしっく☆シャロンのステッカーが貼ってあるのに、剥がれたらどうしてくれる。っていうか俺に話しかけるときだけ敬語になるな。そして落としたら拾え。俺は寝てるって設定なんだから早く拾えよ、怒らないでやるから!


 顔を上げないまま、なんとか机の隙間から床をうかがう。横ピースで微笑むシャロンたんの顔が確認できる。よかった、ステッカーの張ってある面は傷ついて無いらしい。

 なんとか気付かれないように拾いたいが、少々距離が遠い。目の前のビッチどもが、俺が寝てない事に気付いたら嫌だ。足でなんとかストラップを手繰り寄せねば……!

 ずずっと足を延ばすが、届かない。俺の体が現代の省スペースブームを受けてコンパクトなのが災いしている。つま先をぴこぴこと動かすが、空を切る。仮に届いても、ストラップの先端にはデフォルメされたシャロンたんのフィギュアがついている。あれを足蹴にすることはできないから、もっと足を延ばさねば。

 全身の筋肉を躍動させ、腰をひねってリーチを伸ばす。踵を引きつけ、つま先を延ばして足を直線にする。耐えろ、俺の筋肉。ふくらはぎから太腿にかけてのスマートなラインよ。奇跡が起きて間接が5センチくらい伸びろ!


「ひゃあう!」


 攣った。


 脚部を走る痛覚神経の電流。爪の間に針を差し込まれたかのような苦しみが襲ってくる。くそ、ビッチども俺を見るな! 思わずソプラノボイスで叫んじゃっただけだろうが!

 びくびくと死にかけの虫のようになる俺だが、シャロンたんから目を離すわけにはいかない。シャロンたんはまだ、健気に俺の助けを待っているのだ。


 ちくしょう、俺は嫁一人救い出す事が出来ないのか。痛みをこらえて伸ばす足に、じーんとした痺れが走る。もはや寝てないのがバレたような気がするから普通に拾えば良いのかもしれない。が、いま顔をあげたら、クラスの馬鹿どもの奇異の視線……否、もはや死線と化したそれが俺に襲いかかり、突き刺さるだろう。そしたら俺はショックで死んでしまうかもしれない。


 そんな緊迫した葛藤に頭を悩ませていると、耳に乾いた気配が届く。


 こつ、こつ、こつ――足音が響いてくるのがわかった。

 だがなんだ、これは。俺の席の前方からやってくるような……。


 ほんの少しだけ、腕の隙間から前方を見やる。ローライズにしたズボンに着崩して腕まくりした上着。腕には校則なんかガン無視したようなごっついアクセサリー。

間違いない、我がクラスでも筆頭のチャラ男……魚住だ。

この手合は目に入るだけで胃がむかむかする。隕石でも落ちて絶滅してしまえばいいのにな。


 ……おい、ちょっと待て。そのまま歩いてくるとこいつ……馬鹿、やめろ。その足を止めろ。それ以上進むと、ケータイが。俺のシャロンたんが。俺のっ!シャロンたんがっ!


「あ、なんか踏んだ」


 バスケ部である魚住の肥大化した足が、俺のケータイの上で笑うシャロンたんの顔面を踏みつけた。

ご丁寧に本体とストラップ、まとめて足の下に踏みやがった。

汗臭い体育館や、便所の床を歩いている足が、俺の、お、おおお、おれの、おれのっ、しゃ、しゃろんたん……。


「ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 雄たけびを上げる。涙がはちきれんばかりに目に溢れて視界が視えないが、教室内の無駄話は止まった。俺は机を弾き飛ばすかのように立ちあがり、奴の脚からシャロンたんを奪還する。


「うおお、何だ、どうした!」


 驚いて体制を崩す魚住。思い知れ、そのまま倒れて尻もちをつき、ケツの穴を傷つけて化膿して死ね。

即座にシャロンたんを胸に抱き、教室から出口までの最短ルートを選択してダッシュする。


「ぎゃっ」


足がもつれた。

背の低い俺の体が傾いたときに描く弧は短く、特に掴まれる物も無かったため、床に顔面をヒットさせる。痛い。鼻が熱い。鼻血が出たに違いない。化膿して死ぬかもしれない。


「お、おい、大丈夫か……?」


頭上から魚住の声が響いてくる。即座に跳ね起き、くらくらする頭を支えて走り出す。教室の扉は開け放ったままなのでスムーズに脱出、階段を目指す。


「ちょ、それお前のケータイだったの? 悪かったって、おーい!」


雑音が聞こえてくるが、無視。チャラ男の声を聞くと耳が腐るってお爺ちゃんが行ってたからな。それより早く、早く人目の無いところへ行くんだ。

じゃないと、じゃないと。


「……死にたくなってくる……」


 俺は、自分の枯れた声を聞いた。


          ☆


「やっちまった……」


 泣きそう。

 俺は屋上前の階段に座り込み、両手で顔を覆っている。

ここは日々の喧騒から遠く、いつも俺の心を癒してくれる。入学したときから侵されることのない俺の聖域。そして、俺とシャロンたんの人目を気にする事のない逢瀬の場だ。

ケータイを目の前に持ちあげて、魚住に踏まれたシャロンたんを確認する。大きな傷は無いようだが、塗装が少し剥げている。


「ごめんよ、痛かっただろうシャロンたん。俺がふがいないばっかりに……」

「ううん、大丈夫。魔法使いはこのくらいじゃへこたれないんだから(MP3再生)」

「でも、シャロンたんのツインテの塗装が少し禿げちゃったよ」

「少しの傷は慣れっこだよっ。ほーら、すまいるすまいる(MP3再生)」

「シャロンたん……」

「それより、さっき私が踏まれた時、怒ってくれたよね……怖かったでしょう? あんなちゃらちゃらしたギャル男相手に立ち向かうなんて(裏声)」

「そんなのへっちゃらだよ。シャロンたんは俺が守るって言ったろ」

「そのあと思いっきり転んだ時、びっくりして、心配で泣きそうだったんだよ? でも……ありがとう、嬉しかった(裏声)」

「シャロンたん……」

「おにーたま……(裏声)」


 二人の視線が重なり合う。ゆっくりと近づく、俺とシャロンたん。シャロンたんの桃色の髪の毛が、プラスチック製とはいえ風にそよいでいる気がする。そのアイプリント、もとい瞳が高鳴る鼓動に合わせて揺らいでいる。ストラップとはいえ、シャロンたんはシャロンたんだ。種族の違いなんて、愛があれば関係ない。


 もう何度か重ねた唇。けれど、いつだって初めての時と変わらないときめきを感じる。

二人だけの素敵な時間。唇と言うお互いの内面を繋ぐ部分を重ね合わせる事によって、俺たちはもっと深くわかりあえる。

 シャロンたんの小さな唇に、そっと触れる。クローズユアアイズ、クローズマイアイズ。伝わる熱を感じるために、ゆっくりと瞼を閉じた。


「……真白、なにやってんの」


「ホゲェっ!」


 いきなり声をかけられた。

 思わず目を開けると、階段の下に晴香が立っていた。

 犬飼晴香。女子である。


「ど、ど、ど、どっから視てたのお前」

「MP3再生のあたりから」

「けっこう最初からじゃねえか! 声かけろよ!」

「あんな恐ろしい物を目の当たりにして、動けるわけ無いでしょう……」


 人の恋愛を恐ろしい物とか言われた。

 というか、こいつデバガメしてやがったのか。これだからビッチは困る。愛する二人はそれだけで小さな宇宙を作れるのだからギャラリーはいらないのだ。


「あんた、さっき奇声あげて教室から逃げてったわよね」

「なぜ知っている……」

「私のクラスでやってるからでしょう」


 なんか俺のクラスじゃないみたいに言われた。こいつ、あくまで俺を排除したがってる気がする。クラスは一人の物じゃありません、生徒全員の物です。

 とはいえ、同級生の女子で俺に話しかけてくれるのは晴香だけである。他のビッチ連中に比べれば、圧倒的に優しい対応だ。


 晴香は従姉妹な上に、ウチのはす向かいに住んでて幼馴染に等しい関係だ。昔はもっと真面目な性格で、学級委員長なんか薦んで請け負ったり、イジメを見たら飛び込んで止めに入ったりするような子だった。

 それがいまや、どうだ。

 長かった髪は肩口に切ってウェーブをかけ、茶髪に染めて。スカートはそこらのビッチと同じように短くして太腿を惜しげもなく晒す。あまつさえ口を開けば「だるーい」だの

「ウケるー」だの「恋したーい」だの、美少女アプリ以上にワンパターンな会話内容。校則違反のアクセサリーやピアスなんかつける子じゃなかった筈なのに、高校進学を境にビッチング・エヴォリューションしやがった。


 まあ、昔のままだったら好きになってたかって言われると、別にそうでもない。

 だって所詮は三次元だし、三次元女は劣化するものだよね。


「な、何マジマジと見てんのよ……」

「いや、別に」


 無意識のうちに凝視していたらしく、晴香がたじろいでいる。時折、彼女はツンデレのテンプレートをアホがそのままなぞったような反応を見せる。まあ、この女にデレの成分が有るとは到底、思えないのだが。

 そんな風にしていると、晴香は目線を泳がせて頬を掻きながら、もごもごと口を動かした。


「……まあ、ほら。とりあえず教室に帰るわよ」

「え、無理だし。あの状況でどのツラ提げて帰れってんだよ」

「だからってずっと此処に居られないでしょ……私からも魚住君に弁明してあげるから。あんた、口下手だしね」


 やれやれ、仕方ないなあ。といった感じの空気をわざとらしいくらいに纏いながら、晴香はそんな事を言ってくれた。

 しかし、それに続けて、


「か、勘違いしないでよね! 別に真白の為じゃなくて、あれじゃ魚住君がかわいそうだから言ってるだけなんだからね! 魚住君、ちゃんと謝ろうとしてたんだから!」


 と言ってきた。まあ、そんな事だろうなとは思ってたので、俺も勤めて、晴香の意図は解って居る事を伝える。


「いや、解ってるって。魚住はイケメンだもんな。お前もこういう些細な所でポイント稼いで行きたいだろうし」

「えっ」

「ちゃっかりしてるっつーか、なんつーか……でも俺もそれじゃ癪だし、今日はこれからもう早退するわ。魚住にアピールするなら、もっと正攻法で行ってくれ」

「いや、ちょっ、違っ」

「それじゃ職員室に行って来るから。お前もとっとと教室戻れよ」


 早々に話を切り上げて、晴香を尻目に階段を下りて行く。

 背後の方から「バカバカ! 私の大バカ!」みたいな声が聞こえてきたが、思春期って悩みが多くて大変そうだよな、ほんと。


          ☆


 早退すると担任には伝えたが、その実、俺は放課後まで図書室に引きこもって居た。

 理由は簡単。本当に真昼間に早退すると、校庭を一人で歩く姿を生徒たちに目撃されてしまうからだ。


 そういうわけで勉強もせずに、図書室で延々と持参したラノベを呼んでいた。授業をさぼった遅れを自習で補う、なんてことはしない。

 なぜなら、自分からは努力しない無気力系が今の主人公的スタンダードだからだ。こういう態度をとる事で、イベントフラグを立ちやすくしている。いわば、これはむしろ積極的なスタンスなのだ。

 だから俺は態度を改めない。明日からも本気出さない。武士が一瞬の隙を辛抱強く待って一太刀に切り伏せるように、俺もまた雌伏の時を耐えている。

そう、怠惰とは辛抱の裏返しだ。


 そんな事を考えながら三冊ほど読み進めると、気づけば外では部活が始まっている。太陽が傾き、空がほんのりと茜色に染まりつつあった。

 まばらになった下校する生徒たちに紛れ、俺も安心して帰宅するべく図書室を後にする。

深くため息をつきながら、重ための鞄をぶらぶらと揺らして校門を抜けた。


「……やれやれ、今日も疲れた」


 ちなみに、このやれやれってのがポイントだ。

これはかなり最近の主人公っぽいセリフだ。主人公って奴は基本的に、日々のトラブルに対し疲れているのだ。あとは個性的な二次元女子が目の前に現れてくれればオールオッケーなのだが、晴香のような三次元量産型ギャル風味ストイコビッチでは駄目なのだ。


「あー、空から女の子ふってこないかなぁ、親方」


 そしたらすぐに甘い生活の始まりなのに。女の子は学校やバイト先や合コンで会う物ではない。基本的には空から降ってくると決まっている。俺んちにはまだ降ってきてないんだから、優しい女の子が居なくてもしょうがない。

 でなけりゃ転校するって手もある。転校した先が女子しかいない学校ならモテない筈がない。なんせ、ただ一人の男だからな。どんな奴だってモテるはずだ。

 ああそうだ、異世界に召喚されるパターンもある。勿論、俺がだ。召喚されるからにはこう、特別な因子とか持ってる筈だから、そこでなんか天才的な力を発揮して女子にモテモテになる。シャロンたんのストーリーもそうだったし、いわゆるファーストキスから始まる恋の物語だ。

 現実的な所ならやはり、昔から俺の事を好きな幼馴染との再会だったりするのだが、肝心の幼馴染がアレではしょうがない。だいたい幼馴染じゃないな、うん。あいつ俺に全然馴染んでないもんな。

 それにどれもこれも相手が三次元じゃ意味がない。あくまで俺が恋するのは、二次元世界の完成された美少女のみなのだから。


「あー、畜生。これは生まれた世界が悪いな。舞台設定が悪いとも言える」


 もっと俺の力を行かせる世界があるはずだ。ほら、現実世界だとダメダメだけど、別世界だと無双するタイプあるだろ? 俺、たぶんああいうのだから。

 大体、現実世界はおかしい。

 アニメの世界ならモブキャラもペロペロ出来るくらい可愛いのに、三次元女と来たら神様が納期に追われてたしか思えないレベルの作画崩壊を起こしている。猫耳もピンク神もロリータファッションも、三次元女では似合いようがない。

 世界観だって酷いもんだ。もうこれだけ文明が近未来っぽく発展してるのに、常識が古いままだ。ジャパニメーションは世界に認められる文化として、新しい日本のシンボルとなっているのに、一般人の常識が古いせいで日本ではオタクがマイノリティ呼ばわり。これでは人類は行き詰る。いつまでたっても三次元女は二次元美少女に進化できないじゃないか。


「つまりさ、現実はもっとアニメ的になるべきなんだよな」


 独り言だ。

 しかし、声に出さずにはいられないほど、強い思いがあるのである。


「日常生活がアニメに近づけば、人類がアニメキャラへと進化する事も夢じゃないんじゃないか! そう、この平坦平凡、ヤマ、オチ、皆無の現実が悪いんだ!」


 力強く拳を振り上げて独り言を言う様は、周囲から見れば奇妙なもんだろう。だが、幸いこの路地には人が居ない。ベッドタウン化しているこの周辺は、この時間ではまだ静かな物だ。

 だから、やっぱり声に出して言ってしまったのだ。


「あー、なんか過激なイベント起きねえかなぁー!」


          ☆


 結論から言えば、宅配ピザより遥かに早く、俺の要望は天に届いたらしい。

 ただ、その方向性を指示していなかったのが悪かったのかな。

 それは、あまり俺が喜ぶタイプのイベントでは無かったのである。


          ☆


「――――わたし、きれい?」


 突然、声をかけられた。

 方向は背後。いやに湿った、絡みつくような鈍い声。


 振り向けば、そこには女がいた。


 真夏だと言うのに、脛まで覆うようなロングコート。夕日に照らされるそのコートは、血糊のように深い赤。ご丁寧に帽子まで、同じ色に統一されている。

 けれど、最も強烈な存在感を放つのは、耳まで覆う巨大なマスクだ。

 こういうディテールを子供のころ、どこかで見た気がするが、俺はそこまで頭が回らなかった。


 何せ、晴香以外の女の子から声をかけられるなんて初めてだったもんだから、とにかくそれに驚いてしまったのだ。


「ねえ……わたし、きれい?」


 その女は、オウムのように同じ言葉を続けた。少しオツムが残念なのかもしれない。

 しかし、学校帰りに不思議な格好の女性と唐突な出会いとは、これはなかなか王道的なイベントに思える。アニメ的日常を待ち焦がれる俺の願いを、神様がきちんと聞き届けてくれたと考えて良いのだろうか。


 どの道、人の出会いが運命で、運命が神様の管轄ならば、それに関する事は神様に言わなければならないのだろう。けれど神様宛のアドレスは存じて居ないので、人間は人間同士で言葉を交わすしかないらしい。


 それがお礼でも、文句でも。


「チェンジ」


「…………は?」


 自分でもやや唐突に思える発言に、マスク女は首をかしげる。


「いや、チェンジ。劇的な出会いは良いけどこれは無いわ。無い無い、ぜんっぜん駄目だね、落第点」

「……え、いやっ、あの……わたし、きれい?」

「不細工」


 正直に言ってやると、マスク女は一時停止したように動きを止めた。

 きれい? と聞いてくるのなら、その逆の感想を聞かされてもおかしくは無い筈だろうに、ショックを受けるなんて覚悟が足りない。


「……わ、わたし、きれいじゃないの?」

「うん。っつーか三次元女の分際で思いあがるな。Z軸を削除してから出直してこい。歳は取るわ性格悪いわ老廃物は出るわの三重苦じゃねえか。くさそう。っつか臭い。まず自分の皮膚には一平方センチの範囲に約一千万匹の雑菌が居る事を自覚してから喋ってください。不潔。不気味。不細工。BU☆SA☆I☆KU。以上」


 声のトーンを変えずにまくしたてた。

 普段から俺が三次元女に抱く不平不満を、本日のストレスが後押ししてしまったのだろう。流石に初対面の相手に言いすぎたかな、とマスク女を見やると、帽子を深く被ったままでぷるぷると肩を震わせている。

 流石に女の人の泣き顔を見るのは嫌なので、さっさと横を通り過ぎてしまった。悪く思うな、マスク女。突然聞いてきたお前が悪い。


「…………――たい……――ない……」

「……えっ?」


 とても低く、小さな呟きが聞こえた気がした。

 思わず肩越しに振り返ると、肩をがくがくと揺らしながら、こちらへ歩いてくるマスク女。その目は血走り、眉は依り、指はマスクの紐にかけられている。


「…………ぜったいに、ゆるさない」


 その呪詛のような禍々しい声音まで、今度はしっかりと聞き取れた。

 流石の俺も危機感を覚え、じりじりと足を後ろに進める。女の足取りがテンポを挙げて行くにつれ、俺も再度振り向き、走り出すべきだと思った瞬間だった。


「……ぜぇったいにゆるさなぁああああああああああああああああいっ!」


 絶叫しながら、女はマスクを外す。


 その内側にあったのは、口。


 耳まで裂けていて、西瓜でも丸のみにしてしまいそうな口の中に、八重歯だけが無数に立ち並んでいる。生き物の口が消化器官であるという事実を主張するような、おそらくは鮫などに近いそれを大きく開けて、マスク女は突進して来た。


「ひっ、ひ、ひぃっ!」


 幾らなんでもこの状況で軽口を叩ける俺じゃない。

 頭蓋にドライアイスを放り込まれたように、頭の中が痺れて行く。脳の何かの化学反応だろうか。今までぼんやりしていた単語が、フラッシュのように眼の前で弾ける。


 ――――口裂け女。


 子供のころは驚異であったその名前が、今になって記憶から引きずり出される。その恐るべき危険性も、一瞬のうちに思い出す。

 迫りくる牙に背を向けると、一目散に逃げ出した。百メートル走では十六秒の俊足を駆使し、全力でアスファルトの道路を蹴り飛ばす。切羽詰まると自然に理想のフォームが取れるのか、今日の俺は普段より幾分か速いようだ。

 それでも、追ってくる口裂け女の息遣いが一向に振り払えない。それどころか、徐々にその気配は背中に近づき、今にも食らいついてきそうに感じる。

 悲鳴を上げてもこの時間、この住宅街に人は居ない。どこかの民家に駆け込もうにも、施錠されていたら一発アウトだ。


 何らかの施策が必要だったが、思考に回す分の酸素が足りない。少しでも足から力を抜けば、口裂け女が飛びついてきそうな気がした。


「畜生っ、夢だったらそろそろ醒めても良いぞっ……!」


 言ってはみたが、頬を撫でる風も、足に溜まる疲労感も実にリアルだ。運動に慣れない筋肉は今にも攣りそうで、心臓は久しぶりのフル稼働に破裂しそうだ。このまま走って凌げる時間は、どう考えても残り少ないだろう。


 どうにもならないと思われた所、前方に交差点が現れた。


 曲がれば一瞬だけでも、マスク女から姿を隠せる。そこまで深くは考えられなかったが、右足に目いっぱい力を入れて、転ばないようにカーブする。

切り替わった景色の中に、一点、今までの道とは違う物が存在した。


「……あれだっ!」


 目に入って来た「そこ」の入り口は、まるで俺を受け入れるように開いていた。

 それが交番や消防署なら、もう少し素直に安心できたかもしれない。けれど、俺を迎えてくれたのは、市民の安全よりは安眠を守ってくれる場所。


 その名は「大原ふとん店」。敷布団から掛け布団、まくらに毛布にベッドまで取りそろえる、老舗の小規模店舗だった。 


 珍しくシャッターが閉まって居ないから、侵入するのは容易だった。多少入り組んだ店内に入れば、マスク女をどうにかできないだろうか。おそらく大した解決にならないのだが、既に冷静な判断が出来る状態じゃなかった。

 足をもつれさせながら飛び込むと、色とりどりの布団が俺を出迎える。棚を掻きわけて奥へ進むが、武器になりそうなものは無い。四方八方、布団、ふとん。どうも人体に優しい品ぞろえだ。


「まぁてぇえええええ―――ッ!」


 口裂け女が少し遅れて、牙をガチガチ鳴らしながら飛び込んで来る。どうやら噛みあわせは良さそうで、手なんか噛まれたら手首から無くなっちゃうんじゃないかな。

 呑気な感想を抱く間もなく、俺はとにかく奥に逃げる。

 店内の構造はシンプルで、口裂け女も迷いようがない。いくつかの棚を走り抜ければ、その先にレジカウンターと、奥の倉庫へ通じる扉が見えてくる。人の良い店主のおかげだろう、扉は不用心に開いている。

 あそこに飛び込んで鍵を締めれば、少しだけは凌げるかもしれない。今まで以上に具体的な希望が解りやすく見えたせいで、俺は一瞬、気が抜けた。

 おかげで、足元にある踏み台に気付かず、盛大に躓くこととなった。


「うおおおわああああああああああっ!」


 本日二回目の大転倒。コンパクトな身体が小さな弧を描き、着地はやっぱり顔面から。

 しかし、今度は昼間のようなダメージは無く、俺の鼻は無事だった。


「あ、あれ、柔らかい……」


 俺の下には、キングサイズのベッドがあった。

 柔軟なバネが体重を受け止め、羽毛の布団が優しく包み込む。値札のお値段、二十九万円。なるほど、納得の価格設定だ。


「ってそんなこと言ってる場合じゃ無くて!」


 ベッドに乗ってしまった俺は、まな板の上の鯛の様だ。


 景色がスローモーションになる。やたらと鮮明に見えるのに、身体は意識についていかない。視界に捉えた口裂け女が、ゲームのエフェクトみたいにズームしてくる。今から体勢を立て直しても、この速度からは逃れられない。


「ちくしょう、もう駄目か……っ!」


 何もかもが絶望的。


 このまま俺はベッドの上で、あの女に食べられてしまうのか。あれ、なんか言葉にするとやらしい気がしてきたぞ。

 せめて目を瞑ろうと思ったが、極限状態だとそれもできないようで、俺はただただ迫りくる牙を眺めて居るしかできやしない。


 ああ、やっぱり最初は痛いのかな。


 なんとなく活けづくりの鯛に、親近感と同情を覚えたその時、脳裏を過ったのは両親や晴香の顔ではない。



 ――――シャロンたん。

 せめて死ぬ前に、最後にシャロンたんに会いたかった――――。




「死にゃしないよ、安心したまえ」



 そんな呑気な声が、下から響いてきた。


 と、同時に景色のスピードが戻る。

 走馬燈的スローモーションは、既に通常の速度になって、俺の視界はいつも通りの世界を捉えて居る。


 だから、俺の目には口裂け女が一瞬で吹き飛んだように見えた。


 厳密には、彼女は弾き飛ばされたのだ。


 ベッドの下から飛び出した、巨大で禍々しい、その「斧」に。


「――――壁に耳あり障子に目あり、ベッドの下には斧女、ってね」


 芝居がかった口上のとおり、"彼女"はベッドの下から現れた。


 西洋人形のように端正な顔と、か細く伸びた華奢な手足。それを飾る大仰なドレスと相まって、彼女はゴシックロリータの化身のようだ。

俺は、そのディテールにやはり見覚えが有った。

 それは口裂け女ほど遠くの記憶を参照する必要はない。縦に巻かれたツインテール、豪奢なフリルのロリータファッション。全体を形作るシルエットは、「ごしっく☆シャロン」のそれに近い。


 だが、彩度が圧倒的に足りないのだ。


 その髪の毛も、ゴスロリなドレスも、闇夜のように深い黒。足を覆うニーソックスまでもが、黒と灰の徹底した暗色。

 それを雪の如く純白のフリルが彩り、純白のリボンがアクセントをつける。

 その肌は陶器を思わせる程の色白で、全身の服装にマッチしてモノトーンの色彩を統一している。


 まるでモノクロ時代のアニメからやってきたような、徹底したオセロカラーの少女。

けれど、ただ一色だけ鮮やかな色も与えられている。

刃のような切れ長の瞳。そして唇を舐める小さな舌。その二点だけは闇夜の灯りのように、鮮やかな真紅に染まって居る。


 非常に場違いな話だが、不覚にも瞬間、俺は思ってしまった。


 この子は三次元にして尚、美しいと。


「やあ、少年。怪我は無いかい」

「えっ? あ、あ、はい。無いです、全然無いです」


 そんな俺の感想を余所に、彼女の態度は着きぬけてフランクだった。仕草は兎角、優雅なもので、貴族のように慇懃無礼な空気を纏う。

 きっとRPGのお姫様とは、こういう姿をしているのだろう、と、俺は思ったかもしれない。

 彼女が、腕ほどの長さの大きな斧を握って居なければ。


「……ベッドの下の、おの、おの……斧女?」

「如何にも。私がその斧女と言う奴だ」


 お姫様みたいな顔で、伯爵のような喋り方。第一印象がずけずけと本人に踏み荒らされて、マイルドに噛み砕かれていく。


「いやさ少年、君は運が良いな。私と会うまでに口裂け女から逃げおおせたとは、普通だったら助からんよ?」


 黒いマニキュアで飾られた彼女の指は、カイゼル髭を弄るように動いた。

 なんだろう、この、彼女から漂い始めたおっさんのオーラは。


「とはいえ、相手は危険なイマジンだ。既にかなりの力を付けて顕現したと見える。あれほどになってしまうと、私一人では骨が折れるな」


 ふむん、と可愛らしく鼻を鳴らして、彼女は顔をこちらに向ける。

 ベッドの上で腰を抜かす俺に、まるで夜這いでもかけるように、慣れた所作でしなだれかかってくる。


「えっ、あ、あのっ、斧女さん?」

「悪いが、少し食事させてもらう。なにせ、顕現したばかりでお腹がぺこぺこなのでね」


 肌触りの良い掌が、俺の頬を柔らかく包んだ。

 切りそろえられた前髪が額をくすぐり、深紅の瞳が近づいてくる。

 俺は顎を引く事も出来ず、彼女の「食事」になってしまう。


「んっ…………」

「……ん、んっ、ん? んんんんんんんんんんんんんぅっ!」


 唇に、信じられないくらい柔らかい物が触れる。

 しっとりとした感触に、驚く声すら抑え込まれる。

 だが、甘いファーストキスを堪能するにも、なぜか俺の体力は物凄い勢いで抜けて行くではないか。


「んむっ! くるし、んっ、んぐ、んんん~~~~~~っ!」


 急速に思考が空っぽになって行く。何か、口から知性を吸い取られているかのような気がする。俺の肩が落ち、足がまともに立てなくなって、ようやく彼女は口を離した。


「……ぷは。まあそう驚くなよ、その歳になって初めてでもないんだろう?」

「……は、初めてですぅっ」

「そうかー、じゃあごめんねー」


 物凄く適当に謝罪して、彼女は再び斧を握った。

 少し離れた所では、口裂け女が起き上がろうとしている。あれだけの斧で殴られて、かすり傷一つ負っては居ない。だが、足はあきらかにふらついていた。

 斧女はそれに正面から向かい合うと、片手で握った斧を顔の前へ掲げる。

 その刃へと唇を近付け、


「起き攻めで悪いな、口裂け女。少年からもう一発分はチャージできなさそうなので、今のうちに決めさせてもらうぞ。」


 声と共に吹きかけられた吐息が、斧の刃を赤熱させる。

 高温の炎で焙られたように、眩い光が刃を包む。

 その斧を振りかざし、斧女は跳躍する。

 低い天井のぎりぎりを掠め、空中で身体を身軽に捻り、綺麗なアーチが口裂け女へ迫る。


「ちぇすとぉ――――――――――っ!」


 斧が光のラインを描く。

 その軌跡が、口裂け女の身体を通過する。

 着地した斧女は、口裂け女へと背を向けて、



「ばぁくはつっ!」


 と唱えると、戦隊物のトドメ演出のように口裂け女が爆発した。



「えっ、ちょ、うひゃあああああああああああああああああああああっ!」


 そんな爆風に煽られて、俺はベッドごと店の奥へと吹っ飛ばされる。


 なんということでしょう。


 創業、実に六十年。父から子、孫の世代へと受け継がれた、寝具の老舗、大原ふとん店。

 その年季の入った木製建材が、無残に爆炎でぶっ飛んでいく。羽毛もウールもお構いなし、全部焼かれて塵芥。


 物事の終わりって儚いね。そんな風に考えた瞬間、飛んできた梁が俺の顔面を強打する。


「んぎゃんっ!」


 情けない悲鳴を上げて、壁に叩きつけられる俺。本日二回目の顔面ヒットは、どうやら回避できなかった。ぼんやりと視界が掠れて行く中、視界に焼きついたのはゴスロリのシルエット。満足げに斧を担ぐ斧女が、勝利の高笑いを挙げている。


 そんな地獄のような風景を最後に、俺の意識は遠い所に行ってしまった。


タイトルがキツい文だったので変えました。

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