第一章「新たな生活」第八話
「あちゃー、アグリッピナ様。結婚式の前日には、小っちゃい頃から使っているお人形が必要なんですよ」
「え?そうなの?」
「はい。ご実家の守護神であるラールを祭る寺院に、お人形を祀るんですよ」
「え、でも、あたし人形なんて持ってないよ」
するとドルスス兄さんは、突然お腹を抱えながら笑い出した。ジュリアも何も言わずニコニコしている。リウィッラと私はポカーンとしたまま。
「あははは~。つまりな、アグリッピナ。昔からお転婆で、人形遊びもしなかったであろうお前の事を考えてだ、ジュリアさんは、わざわざ作りに来てくれたんだよ」
「はい」
そういうと、また、ジュリアは仔犬の笑顔で答えてくれた。あたしは恥ずかしくなって、頭をポリポリかきながら、気遣ってくれたジュリアに感謝した。
「あ、あははは。そういう事ね」
「確かに!お姉ちゃん、お人形遊びしないもんね」
ドルスス兄さんは嬉しそうに、リウィッラへあたしの過去を話し出した。
「ああ、リウィッラ。お前がまだまだ母さんのお腹にいた頃、お前のお姉ちゃんは昔っから木登りが大好きで、トゥニカは泥だらけ、膝小僧は擦り傷だらけで、しょっちゅう母さんに怒られてたよ」
「たははは、何だがお姉ちゃん、あんまし今と変わんないや」
「そうそう、母さんからお尻叩かれすぎて、だからあんなにお尻がでかくなったんだぞ」
「もう!ドルススお兄さん、そこまでひどくなかったですよ」
「何言ってるんだよ、アグリッピナ。余りにも木登りし過ぎて、母さんが心配だからって、お護りのブルラ貰ってたじゃないか」
「ああ、これのこと?」
私はスルスルと胸元からお護りのブルラを出した。ブルラとは、子供が産まれてから、病や呪いから身を護るためのお護り。貝殻に幾多の模様が彫られている。当時は、主に男性専用で、女性には余程の事がない限り持たせなかった。つまりあたしのお転婆は、母ウィプサニアからすれば、余程の事だったのかもしれない。因みにあたしのは、お兄様達の貝殻よりも小さな貝殻だった。
「ええええ?!お前、まだずっと持ってたのかよ」
「うん」
「普通は女の子がするもんじゃないんだから、十歳になったら外してもいいんだぞ」
「何と無く外せなくて」
するとジュリアとリウィッラが、物珍しそうに、あたしのブルラを眺めている。ジュリアはとっても綺麗と褒めてくれて、リウィッラは大人びいて、やっぱりお姉ちゃんはお転婆だったんだと頷いてた。
「ああああ!とっても綺麗!!」
「あ、メッサリナだ」
リウィッラは、後からやって来たメッサリナに対して、明らかに嫌悪感を出していたが、あたしはギュッと末妹の手を握ってあげる。
「アグリッピナお姉ちゃん?それ何?」
「うん、メッサリナ。これはブルラと言ってね、あたしの大切なお護りなの」
「見せて見せて~!」
メッサリナは駆け寄って、あたしのはブルラを引っ張った。するとその勢いで、紐の部分が偶然にも切れてしまった。あたしは、まぁ直せばいっかって思ったけど。そばにいたリウィッラは違った。
「ありゃりゃ」
「メッサリナ!ありゃりゃじゃないでしょ!あんた!これはアグリッピナお姉様が、昔から大切にしていたお護りなんだよ!」
「でも、切れちゃっただけだもん」
「切れちゃったじゃないでしょ!あんたが無理矢理引っ張って切っちゃったの!」
「でも、だってだって」
「だってもくそもあるかよ!あんた悪い事しているのに、自分のことばかり!アグリッピナお姉様にちゃんと謝りなさいよ!」
ビックリ。
リウィッラは今まで、あたしにはお姉ちゃんとしか呼ばなかったのに、突然この日を境に、他人様の面前では、敬意を表してお姉様と言い出したのだ。
「うううう、うわあああああん!」
「おいおい、リウィッラ。言い過ぎだって」
ジュリアはしゃがんでメッサリナを抱っこして、頭を撫でてる。
「あらら、メッサリナちゃん」
「うわあああああああん!」
「メッサリナ!ジュリアさんにも迷惑掛けて!泣いたってダメなんだからね!」
リウィッラは泣き続けるメッサリナへ、追い打ちをかけるように怒ってる。さっきまで泣いて甘えてた末妹がだ。
「もう、やめなってリウィッラ。お前もやり過ぎだって」
「でも、お姉ちゃんの大切なブルラが」
「大丈夫だよ。紐が切れたくらい、何とかなるって。ねぇ?ジュリア」
「ええ、アグリッピナ様。直ぐに直せますよ」
「ドルスス兄さんなんか、昔、ブルラを首でクルクル回し過ぎて、紐が切れちゃって、壊した事だってあるんだから」
「ええ?そうだっけ?」
「覚えてらっしゃらないんですか?あの鼻水を垂らしてた時ですよ」
リウィッラは驚いた。
「ええ?!ドルススお兄様って、昔鼻水を垂らしてたんですか?!」
「イヒヒヒ、そうそう」
「おい!アグリッピナ!お前って奴は~。それを言いたかっただけだろ?!」
「えへへ」
ジュリアに抱っこされているメッサリナも、ようやく泣き止んで一段落。だが、次の日にはリウィッラがメッサリナに泣かされる事になる。そう、幼いながらメッサリナとリウィッラの確執は、既にこの頃から始まっていたのである。
続く