第四章「落魄の始まり」第四十九話
「ドルスス、あんたに頼みたい事があるのは、ある教団についての事なんだけど……」
「リウィア様、それはキメラ、つまり密教トゥクルカですね?」
書斎では、次兄ドルススと曾祖母の大母后リウィア様が話されていた。これはある意味、今まで野放しにしていた密教トゥクルカに、痛恨の一撃を与えるべく第一歩となるのである。
「知っていたの……」
「はい。実は先日、配給用の食料が、何者かによって強奪されたのです。そこには、黒いキメラの硬貨が落ちていました。以前にも、僕が付き合っていたサルビアや、兄ネロからも、その硬貨の話を聞いていたのですが……」
「けれども、貴方のお師匠さんからは、おまじないか占いの一種だと言われたのかしら?」
「魔除けのお護りだと……。サルビアはエトルリアの占い師ハルスペックスについておりましたので」
「やはりね。巧みに姿をくらますトカゲそのものね。でも、今の貴方がお世話になっているお師匠さんを、私が疑えということは酷なことよね?」
「はい……。正直言って、そうです。兄ともこの事は話しましたが、やはり僕のできることには、限界があります」
しかし大母后リウィア様は、むしろそんな次兄ドルススの不器用な性格を、心から賛美するような笑顔を見せていた。
「ウィプサニアは、なんて素晴らしい次男を産んだのでしょうか」
「え?」
「ドルスス、貴方は自分を好きになってくれる人に対し、迷わず信じる事ができる、素晴らしい才能に満ち溢れているの。私の考えでは、その才能に溢れる子供って、大抵が次男の場合が多いのよ」
「そ、そうなんですか?」
「ええ。貴方の祖母アントニアは、私の次男ドルサスと結婚したでしょう?あの子もティベリウスと違って、素直で人を信じる才能に溢れていたわ」
「そうだったんですか。でも、それならセイヤヌスさんも次男だから……」
リウィア様は兄の話を聞いて、少し不可思議な表情をしていた。その表情を見た兄は、どこか戸惑いを感じている。
「そうだったかしら?セイヤヌスは、確か長男としてアエリウス氏族の養子になったはずよ」
「え?!セイヤヌスさんが長男?!う、嘘だ!」
「本当よ。確か、えっとここの書斎には、うちの旦那や息子が行った、出征調査の控えがあったはず。どこにしまったかしら?ああ、あった。これこれ」
持ち出されたパピルスの書簡には、エトルリア出身者たちの出征調査が詳細に記述されていた。そこには当然アエリウス氏族の養子として、長男であるセイヤヌスの名前が書かれている。
「そ、そんな……」
「エトルリア出身の氏族に対しては、共和政の元老院議員からも、厳重に管理を怠らぬようにと、うちの旦那も厳しく言われ続けてきたの。王政時代の嫌悪感とアレルギーがあるのは、どんなに時代が移り変わろうとも、消えることのないローマ国家の事実よ」
兄はその事実に目を閉ざしたい葛藤に駆られていたが、リウィア様の仰る事実は、曲解しようもない現実であることを目の当たりにした。
「では、寡婦になったセイヤヌスさんの母親が、セイヤヌスさんの兄を養子にさせるために、死者を弔うことさえも、まるで厭わないような行動をとったことも、事実ではないと?」
「きっと、ウィプサニアやネロと対立していた貴方の心へ、セイヤヌスが踏み込むための口実だったのでしょう」
もう一つ、大母后リウィア様はパピルスの書簡を兄に見せる。それは、父ゲルマニクス暗殺容疑に問われていたピソの裁判記録だった。
「ピソは覚えているわよね?」
「はい。忘れられるものですか!父を裏切って困らせた人物であり、母までも変えさせてしまったのですから」
「では、ピソがなぜ裁判中に自殺したのかは覚えている?」
「ええと、確か家族を守りためにだったような」
「ここの裁判記録に、ピソが自分の家族を守るために要求したことが、何処かに書いてあるかしら?」
皆無であった。
兄がどんなに調べても、裁判の口述記録には、むしろピソは自分を保身するあまり、家族の犠牲も厭わない醜さばかりであった。
「では、なぜ裁判中に、しかも家族を守りために自殺なんかしたんですか?」
「ピソのような人間が、家族を守るために自殺なんかするものですか!むしろ家族を犠牲にしてまでも、己が助かる道のりを考えたはずよ。私とピソの妻であるプランキーナは、古い付き合いがあったから、彼女や子供達を守るため、裁判中に恩恵を与えたのよ」
「そうだったんですか……」
「既に家族が守られているはずなのに、ピソが自殺なんかする理由がどこにあるのかしら?そしてピソの自殺の第一発見者は誰になっている?目を凝らして、よく見なさい」
そこに書かれていたのは、プラエフェクトゥス・プラエトリオである皇帝直属の親衛隊長官の名前。
「ル、ルキウス・アエリウス・セイヤヌス!!」
続く




