第一章「新たな生活」第四話
ドルスス・ユリウス・カエサル。
私達兄妹の次兄。長男のネロお兄様が次期帝位継承者として切望な眼差しで見られる中、次兄のドルスス兄さんは、ネロお兄様を母の傀儡と言い放ち、仲違いをしてしまった。今では、あのセイヤヌス一派として、母や長男と真っ向から対立している。
「ドルスス兄さん、な、何しにきた?」
「何だその言い方は?ガイウス。婚約した妹アグリッピナの姿を、兄であるこの俺が見に来てはダメか?」
「くそ……」
ティベリ・ゲメッルスは、セイヤヌスと不義を重ねるリウィッラ叔母様と毒殺されたドルスッス叔父様との間に出来た息子。当時の私達には知り得なかった事だが、ドルスス兄さんは、セイヤヌスの口車に乗せられ、母や長男ネロの監視をさせられていた。
「セイヤヌスの軍靴が…」
兄カリグラが小さく呟いた侮辱を、ドルスス兄さんは聞き漏らさなかった。
「何だと?!成人でもない貴様に言われる筋合いはない!それとも何か?ローマ兵に幼い頃からちやほやされていた"カリグラ様"は、そんなに偉いものなのか?!ああん?!」
兄カリグラの耳を引っ張り、そこへわざと大声を出して言い聞かせるドルスス兄さん。どこか、イライラしている様子だった。
「ドルスス兄さん、もうやめて」
「いいや、アグリッピナ。こいつは性根の腐ったバカ弟だ。こいつは昔からドルシッラを襲ったり、女装したり、お前の頭をかち割って血を流させたり、そんなことばっかりやってきたんだ。正しい兄のすることではない」
「そ、そうだけど。でも、最近はお母様と養父ティベリウスとの仲をもったりしてくれます」
「お前は、こんな寝小便小僧の肩をもつのか?!」
何だか今日のドルスス兄さんは、私にさえ怒りをぶつけてくる勢い。
「そうではないけれど。でも、あたしの結婚式前に、兄弟で喧嘩しているところを見たくないの」
「アグリッピナ……」
ようやくドルスス兄さんは、いつもの優しい表情に戻っていた。あの、お父様を亡くされる前の、兄らしく私を包んでくれた時期に。
「ガイウスの耳を離してやれよ、ドルスス」
「!?」
せっかく戻ったドルスス兄さんの優しい表情が、再び険しい顔へと戻っていく。そう、そこには例え兄弟であっても、決して分かり合えない蟠りが存在する。長男であるネロお兄様だった。
「なんだ、母さんの傀儡じゃないか?」
「あのな、ドルスス……」
「何だよ?」
「ガイウスに言ってることは偉そうでも、自分の兄を小馬鹿にする態度は、なんら変わらないぞ」
「ケッ!偉そうなのは、実力もないくせにチヤホヤされてるお前だろうが?」
「好きに言えばいい」
だが、長男であり家父長でもあるネロお兄様は、以前のようにドルスス兄さんの挑発には乗らなかった。むしろ兄カリグラの右手をすくい上げ、肩をパンパンと叩いて心配している。
「大丈夫か?ガイウス」
「あ、ありがとう、ネロ兄さん」
一人除け者扱いされたドルスス兄さんは、歯軋りをして、その光景を甘んじるしかなかった。
「ドルスス。僕やお母様の事を好き勝手に言うのは構わないし、お前が誰と組もうが構わない。だが、父ゲルマニクスの代わりになる家父長はこの僕だ」
「それが何だよ、ネロ!」
「つまり、相手と婚約式の契約をするのも僕だ。その間ぐらいは、アグリッピナを可愛がってやれよ」
ドルスス兄さんは、孤独だったのかもしれない。ネロお兄様へ向けられた怒りは、それらの反動からくる寂しさの塊のようで、静かにドルスス兄さんの視線は床に落ちていた。
続く