第一章「新たな生活」第二話
「この、アンポンタン!」
ゴン!
「痛っ!」
母ウィプサニアのゲンコツは、昔もらってた次兄ドルススからのよりも痛かった。
「結婚前に大股開いて、大酒かっ食らうローマ女性がどこにいますか?!」
「つぅー。たまには息抜きもいいかな?って思っただけです」
「たまには??」
「……はい」
「嘘仰い!あんた毎晩飲みあるいてたんでしょ?」
「い、いいえ」
「親の目は誤魔化せても、あんたのお兄さんの目は誤魔化せないわよ」
「あああああ!ガイウス兄さんかぁ!」
後々第二代目ローマ皇帝になる、兄カリグラである。昔は寝小便兄カリグラとしょっちゅう喧嘩してたけど、最近は随分とあたしへのイタズラやチクリも、だいぶ影を潜めてきたと思ってた。どうやら、自分よりも先にあたしが結婚するんで、母にチクリいれたみたい。
「あのバカ兄貴め……」
ゴン!
間髪いれず母のゲンコツが頭を直撃する。
「イったーい!お母様~!そんなにゴンゴン叩かないでください。バカになったらどうするんですか?!」
「もうすでにあんたは十分にバカです。"兄貴"なんて下品な言葉遣いするんじゃありません」
「はーい」
「返事は伸ばさない!」
「はい」
「罰として食事抜き!」
「えええええ?!」
食べ盛りなのにである。
とにかくこの頃は、食事を減らされる事が多かった。後から知ったのだが、自分の娘を嫁に出すことは、最高の生贄を神に捧げるのと同じらしい。美の美しさはもちろん、素姓の品性も鍛錬させられると同時に、ローマ女性にとって一番大切な、美徳や道徳観というものもしっかり叩き込まれる。当然皇族は出来て当たり前、更に煌びやかに民衆を惹きつける存在感でもなければいけない。大体、このローマに結婚の神だけでも三つ以上あるのだから、遊びたい盛りの当時のあたしには、苦痛の何物でも無かった。
「イテテテテ……」
「アグリッピナ姉さん、せっかくお母様と仲良くなったのに、前とあんまり変わらないんじゃない?」
次女のドルシッラ。
あたしや末っ子のリウィッラと違って、お淑やかでウェスタの巫女並みの厳しさで生きてる。
「ドルシッラ、あんたそこにいたの?イチチチ……」
「お母様があんまりにも大きな声出してたから、何事かと思って来てみたらこれだもの」
「元はと言えば、あのバカ兄貴さえ、チクらなければ、こんな事にはならなかったのに~!」
「元はと言えば、アグリッピナ姉さんが抜け出して、お酒ばっかり飲んでたからでしょう?それに最近の姉さんは、本当に口悪いよ」
「そう?何か、民衆のラテン語って、どことなく格好良くない?」
「はぁー。それどころじゃないでしょう?今のお姉さんは」
「何ていうか、活気が違うってか」
「アグリッピナ姉さんって、本当に昔からミーハーだわ」
ドルシッラは飽きれて部屋の奥に行ってしまったが、あたしはそれでも構わず民衆のラテン語を練習していた。すると末妹のリウィッラが口を尖らせてやってきた。
「アグリッピナお姉ちゃん?」
「うん?おう!リウィッラかい?どうしたん?」
「何その喋り方。それよりも、さっきから、変なちっさい女の子が来てるんだけど」
「ちっさい女の子?」
ああ、メッサリナだ。
あいつわざわざ来たんだ。玄関まで迎えに行くと、仔猫のメッサリナが飛び込んできた。
「アグリッピナお姉ちゃん!」
「メッサリナ!よく来たね」
あたしは頭を撫でながらよちよちをしてあげる。あれ?リウィッラはどこに行ったんだ?いつもならあいつ、あたしと一緒にいるのに。
続く