マネーマネー
警察なんて職業についていると、ついつい人の嫌なところが見えちまう。子供も虐めるアバズレならまだいいが、最近では子供を使って金を稼ぐアバズレが、やに臭い口で子供は私のものなんだからとわめきたてる。
そのガキがかわいそうで救ってやりたいと思うなら警察としてやりがいもあるだろうが、その子供も子供で客からもらう金の幾らかをピンハネして、何に使うと思えば葉っぱをやっているのだからさらにたちが悪い。
それに何より、俺たち警官がそいつらに対して何をするかと言えば、精液臭い金を幾らかふんだくって見逃してやるのだからさらにたちが悪い。
子供で稼ぐアバズレから金を奪い、葉っぱをやってるガキ共から金を奪い、子供たちには客を紹介してやる。
この世の警察は慈悲深い存在なわけで、俺たち警察は肥溜めに生きる糞どもにここで生きていいという免罪符を売ってやっている。
結局何が言いたいかっていうとだな。人の嫌なところに潰してしまえばそれまでだが、それを黙認してやれば金になるってことだ。
そう考えると警察ってのは大変なビジネスで、とくにこの街は恰好の稼ぎ場になる。
元来ビジネスマンな俺は、常に街の奴らに目を光らさなければいけねえ。
疲れる仕事だ警察ってやつは。
そんな中で唯一癒される場所が、不味い酒が飲める「ルンバ」だった。無口で愛想の悪いマスターが作る酒はどれも洒落が効いていて不味い。工業用エタノールを注文すると真面目な顔をして出してくるあたり本物だ。小便を頼めば湯だったやつを持ってきてくれるだろう。
ただ、俺も癒されるためだけにこんな糞のたまり場になんかにくるわけでもない。
ここにもまた恰好のビジネスの相手がいる。
「お、俺は宇宙人に狙われてるんだ」
パトリックはいつもの調子で一杯目の酒を口につけてぐじぐじと話し出す。
「き、昨日、気がついたら勝手に時間が進んでたんだ。前に見たときは九時だったのに気づいたら十二時になってやがった。宇宙人にさらわれて何か埋められた。そ、それで被験体にされたんだが、役にたたないから殺されるんだ」
お前の脳みその方から腐った匂いがすると思ったのはそのせいなのかと問いただしくなったがやめた。
「今度誘拐されるときは言ってくれ、一緒について行って何匹か捕まえてやる。宇宙人を買いたいやつなんてわんさかいるだろうからな」
「ほ、本当だ。本当に宇宙人に命を狙われているんだ!」
必死に宇宙人に命を狙われるわけを話すパトリックの相手をげんなりとしながら俺はマルボロを取り出し火をつける。
パトリックはこの街のマフィアのドンだ。
今でこそ頭のふやけた馬鹿だが、昔は威厳もあって部下から相当親しまれていた。
だが、数年前に暗殺されかけたとき精神ガスを吸い込んで、頭のねじが何本かぶっ飛んじまった。常に誰かに殺されるんだという妄想に囚われ、最初こそ部下も話を聞いていたが今じゃそのせいで煙たがられ、今ではこんなしなびたバーで飲んでいながらガードマンの一人もいない。
頭のねじが緩んだ親玉なら死んでくれてもいいですよという了見だ。警察よりマフィアの方が世知辛い。
それで今では話を聞くのは俺だけになった。煙たがられているとは言っても実権はまだ掴んでいるし、俺への信頼も厚い。
ようはいいビジネスの相手だった、わけだが、さすがの俺も宇宙人が出てくるあたりにはため息の一つももらさずにはいられない。
「お前のごたくは聞き飽きたんだよ。俺が聞きたいのはお前のそのどもった鼠声じゃなくって金の鳴る音だけだ」
「ま、また金。か、かねかねかね。金があってもむなしいだけだ。す、すぐに命を狙われる」
「俺を命が狙われるほど金持ちにしてからもう一回ほざけ」
荒々しくウイスキーのグラスを煽り、マスターにお代わりを注文する。
「や、やめとけよ。飲みすぎだ」
「知るか。金の話がないならさっさと帰れ。命でもなんでも狙われちまえ」
悲しい目をして、すぐに目をそらす。精神も弱くなってしまったのを知っている。昔のやつはこれほどにもうじうじしたやつではなかった。最低でも命が狙われたぐらいでおどおどするような奴ではなかった。
「し、知ってるぜランス。あ、あんたも昔はそんなに金にはうるさくなかった。確かに金にはうるさかったが、そこまでじゃなかった。あんたの娘が……」
煽っていたグラスをカウンターに叩き付ける。マスターはそれを知らぬ顔で氷を砕いていた。
「す、すまない」
グラスの中の氷を見つめる。それはどれもアルコールのにおいのしみついた氷。この街と同じように酒臭い。
「お、俺は命を狙われている」
また、始まった。
「こ、怖がると同時に。つ、常に死を覚悟してる。だから、あんたには忠告したかったんだ」
「妄言野郎が俺に何の説教たれるんだよ」
「う、死にかけて初めて俺は怖くなったんだ。死ぬのが。今まで死ぬのなんて怖くないなんて思いながら、い、いざ目の前に死がちらついた途端、急に怖くなった。毒ガスが部屋中に蔓延して、少し吸い込んだ瞬間にく、くらっとした。俺は死ぬんだと思った。こんなちゃちなところで、突然に、お、俺の人生は終わりになるんだと思った」
妄想野郎は吃音をさらにひどくしながら懸命に話続ける。
「そ、走馬灯なんてなかった。ただ怖かった。このまま意識がなくなって死ぬんだと思うと怖くて仕方なかった。だから、意識が戻ったときお、俺は最高に嬉しかったと同時にすぐあの時と同じ恐怖がよみがえったんだ。また、いつか死ぬかもしれない。そう思うと夜も眠れない。失いかけて初めて俺は分かったんだ。お、お前らは俺がガスを吸っておかしくなったというが、これが正常なんだよ。た、ただ俺は気づいただけなんだ。あって当然のものをなくしそうになったことを。だから……」
「だからなんだよ」
「す、すまない」
「……何を謝る」
「お、俺も少し飲みすぎたようだ」
遠い目をしてグラスの中をのぞきこむパトリック。俺も黙ってグラスを傾ける。
俺は何かをなくしちまったのか。氷だけになったグラスを揺らしながら、膨らんだ財布の重みが急に疎ましくなった。
誰かが扉を開けて入ってきた鈴の音が響いた。
「ま、また俺を殺しに来たやつが来たな」
皮肉な笑みを浮かべてグラスを傾けるパトリックは相当酔っぱらっているようで、目の焦点があっていない。
「今のお前を殺そうってことは入ってきた奴はきっと宇宙人なんだろうさ」
「ち、違いない」
寂しく笑いながらも、視線だけ来店者に向けていた。奴は入ってくるところから、不自然にポケットに手を突っ込んでいる。
パトリックはまだ気づいていない。俺も俺で気づかないふりをしてやる。その闖入者がガキのようにがたがた震えながらポケットから何かを取り出そうとしているところを。
来店者は馬鹿正直に銃をパトリックに向けた。
素人のガキのように引き金に指を乗せたまま、ぶらぶらと手を振って歩いてくる様は壊れた人形を見るようだった。
こういう手合いは反応して引き金を引く。
こちらが何か言えば、いやおうなしにドンパチが始まる。流れ弾が当たるのは勘弁してほしい。
こちらにでも届きそうな来店者の息遣いが下がった瞬間、グラスを上げるふりをして、そのままグラスの中のものを男に浴びせた。
男は慌てたような声を出し、銃で振り回しながらのけぞった。
「危ねえな!」
しゃがみこみながら、男を押し倒し銃を取り上げるまで時間はかからなかった。
大きな悲鳴を上げて椅子の下に隠れるパトリックを無視して男と向き合う。
「ここは銃持ったやつなんか来るところじゃねえんだよ。ここで持てるのはグラスと煙草だけって相場が決まってるんだ」
懐から取り出した銃を相手に向けた。
「う、うわあああああ。殺される。殺される」
てっきり目の前の男から洩れると思われた言葉はパトリックの口から洩れだしていた。
わめき声がうるさいんだよ。
パトリック呆れながら男を見ると、銃をなくした闖入者はなよなよと嗚咽をたてて泣き出した。
まったくもって金のにおいがしない保育園に放り込まれた気分だ。
パトリックは影も形もなくなっており、マスターに目を向けるとすっと出口の方に視線を向けた。
「あの糞電波野郎!」
悪態を自分のものと思ったのか乱入者は余計に悲鳴を上げた。
「お前のことじゃねえよ。とりあえず泣くのやめろ」
「俺は殺されるんだ。マフィアのボスに銃を向けた。殺される」
「そうだな、あいつは今頃、部下どもに命を狙われたんだって言いふらすだろうよ」
言ってから俺はおかしくなって声をあげて笑う。
あいつは部下に言う。
「こ、殺されそうになった。そこのルンバで」
「今回はどこの宇宙人ですかボス。もう薬を飲んで寝る時間ですよ」
部下とパトリックのやり取りが目に浮かぶ。
理由を知らない闖入者だけ、訳が分からないといった模様で緊張している。
金の匂いがするな。
運のいいことに目の前のバカは俺が笑った理由にも気づいていない。金は持ってなさそうだが、知り合いの臓器売買のところにつれていけばいくらか儲かるだろう。
そもそも殺しに来たってことはそうとう切羽詰っている。そういうやつほど。藁にすがる。
「どうだ助けてやろうか。金次第じゃパトリックをやる算段もつけてやるぜ。まあ相当な額になると思うがな」
「ほ、本当か」
まだ疑っているようで男の緊張は解けていない。
「嘘を言うもんか。金さえ払えばどこまでも俺は忠実だぜ。お前らみたいな馬鹿に免罪符を売るのが俺の仕事だからな」
金は持ってなさそうな男だが、知り合いの臓器売買屋に言えばいくらかの金になるだろう。
頭の中でざっと計算する。
その金で何を買おういうものでもない。
ただ、金で何か満たしてくるかもしれないという妄想に俺は囚われているのかもしれない。
娘が、アリスが死んだと聞かされた時、俺はきっと何かの冗談だと思った。そしてすぐにその事故を握るつぶすための金を計算した。
なくしかけた時の罪なのかもしれない。
俺は悪者に免罪符を売る。
じゃあ俺にはいったい誰が免罪符を売ってくれるんだ。
いつか免罪符を売ってくれるやつが表れて、どれだけ莫大な金を要求されても買えるように俺は金をためているというのか。
男が取り出してもいいという臓器の話をしながら、俺は酒を飲み煙草を吸う。
頭に靄がかかってくるのが分かるが、それと同時に胸の奥は晴れやかになっていく。
俺は男の背中を大きくたたいた。
「よし、決まりだ。お前の持ってる財産、腎臓の一つと生命保険加入。これでお前さんがパトリックから命が狙われないように算段してやろう」
「ありがとうございます。これでまたパトリックを殺す計画を練ることができます」
予想以上にこの男は上物だった。酒も煙草もやらない健康体で、いくらかの貯金もある。手に入る金に浮かれて俺はさらに酒を注文する。
「しかし、お前なんでそれまでパトリックに執着しやがる。話を聞くと別に金をとられたわけでもないんだろ。女でもとられたか」
「いいえ、私に女はいません。そういった俗世の趣味には興味がないので」
通りで酒も飲まねえし、煙草も吸わないと思ったよ。
「ますますわからねえ。じゃあどうしてパトリックを殺そうとしたんだ」
「我らが同報の実験体だったのですが、いかんせん役に立たないので処分しなければいけないのです」
ハハハ、と笑いながらどこかで聞いたことのある話だと思ったが、気にしないことにした。