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罪と恋

作者: 矢口 旬

この作品はフィクションです。

この作品に登場する人物、又は人物名、団体名、地名その他固有名称はたとえ実在する名前と同一のものであっても何の関係もございません。

誤字・脱字がございましたら報告していただけると幸いです。



 柳倉幸作(やなぎくらこうさく)は絵を描いていた。

 「・・・・・・・・・・」

 ペタペタ、サッサッと規則的な静かな音が部屋に響く。

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ペタペタ、サッサッ。ペタペタ、サッサッ。

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ペタペタ、サッサッ。ペタペタ、サッサッ。ペタペタ、サッサッ。

 「いくら何でも寂し過ぎるよ!!」

 ペタペタ、サッサッ。

 「無視するなーーー!」

 「何か問題でも?」

 仕方がないので、一応返事をしてやる。

 「ありまくりだよ!!」

 物凄い勢いで分厚い眼鏡をかけた女子生徒、『晴宮陽子(はれみやようこ)』という名の騒音の塊が近付いてくる。

 なんだか面倒臭さ過ぎて今日はもう帰ることにした。

 「って、なんでいきなり帰り支度!!?」

 面倒なので口も聞かない。

 「しかも、何かひどいこと考えなかった?」

 珍しく勘が鋭い。今日は恐らく学校の備品が何かしら壊れるだろう。

 今日は極個人的理由で帰るのが得策だと思う。

 「それじゃ」

 「全くもう、出展の〆切り近いんだよ?いつまでも恐い仏像なんて描いてないで、そろそろテーマに合った物作らないとダメだよ」

 「知らん」

 そんなこと、俺には関係ない。

 「俺はただ技術が欲しいだけだ。出展なんてどうでもいい」

 それだけを言って帰る。すると、後ろでため息をつくのが聞こえた。

 無視して帰路につく。活動場所である美術室に描きかけの不動明王を置いたまま。





 ――――美術室。

 「いよぅ!今日も元気に芸術にのめり込もう!!」

 テンション高めの教師が乱入してきた。クルト・D・型姿(かたすがた)―――美術部の顧問である。

 「こんにちは、クルトン」

 「だからクルトンはやめてくれ、あとせめて『先生』をつけろと何度も・・・・・ん?柳倉はいないのか?」

 「帰りましたよ、ついさっき」

 「またか。そろそろ楽しげな物を描いて欲しいもんだ」

 それぞれ、呆れと落胆の色を見せる。

 そう会話する二人の前には、憤怒の形相をした不動明王が描きかけの状態で鎮座している。そこから伝わってくる感情は憤り以外感じられない。けれども、その怒りはどこか――――。

 「・・・・悲しそう」

 いつの間にか気配を完全に消して、少し大人びた雰囲気を纏った女子生徒、『静原千鶴(しずはらちずる)』が後ろに立っていた。

 「うおぅ!!?静原か。驚かさないでくれないか?」

 「・・・・何のこと?」

 「いや、何でもない」

 「・・・・そう」

 それだけ言うと荷物も置かずにUターン。同時にストレートの長髪もふわっと舞い上がる。

 「?どうしたの??」

 「・・・・夫がいないなら、来てる意味がない」

 さも当然、という様に答える。彼女の中で、それは当たり前の事になっているのは、美術部内では周知の事である。

 「お前もか。まぁ、静原はほとんど描き終えてるからいいか」

 やれやれ、といった風にため息をつくクルトン。

 「それじゃ、自称『柳倉君の妻』なんだから説得しといてよね」

 「・・・・任せて。それと」

 「?何よ?」

 「・・・・自称じゃない」

 「はいはい」

 会話が終わると、各自の作業に移る。

 一人の生徒は作品を作り、もう一人の生徒は同じ部の仲間を説得しに。





 「出展か・・・・」

 考えなかったわけじゃない。一度は出してみてもいいかもしれないと思ったこともある。でも、その時は――――。

 思考を少し停止させる。もう決めた、償い続けると。

 「・・・・あなた」

 「誰がだ」

 思いに耽っていると、余計な奴が寄って来た。

 「・・・・最近、つまらない」

 「それは残念だったな。作品がうまくいってないのか?」

 答えは予想できるが、俺は敢えて聞いた。

 「・・・・夫のあなたがいないから」

 「そうかい」

 予想通りすぎて欠伸が出る。このやり取りもいつも通りだ。

 「・・・・それに」

 なのに、今日はいつもと違っていた。

 「・・・・あなたが悲しそうに作ってるから」

 「・・・・・・・・・知ったことか」

 数秒の間があって、それだけ答えた。

 「・・・・図星?」

 「違う」

 と思いたい。

 だから、もう一度自分に言い聞かせるように、誓うように繰り返した。

 「違う。絶対に」

 「・・・・そう」

 ただ、その時に見た微笑が、少しだけ気に入らなかった。

 「・・・・・・・千鶴」

 だから。

 「・・・・なに?」

 「何でもない」

 一言だけ、言った。

 「・・・・いいよ」

 返された言葉は、やっぱり少しだけ気に入らない。




 ――――翌日。

 「ちっす」

 「ブヒ」

 誰もいないと思っていたが、返事があった。

 「三井か」

 「ブヒ」

 こいつは『三井涼兵(みついりょうへい)』。正真正銘、豚だ。何故か美術部特別部員になっている、謎な存在だ。

 まぁ、この非常食のことは放っておいて、俺の作品はどこに―――――――――視線の先に、ズタボロになった自分のキャンパスがあった。

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ズーンや、どよ~んといった効果音が聞こえてくるほどの落ち込み具合だ。

 まさか、自分が被害に遭うとは思わなかった。あの破壊神ども~・・・・!

 「ヤッホー、柳倉君!昨日はごめんね~。ばらばらになっちゃった♪」

 ここ一週間で最高の笑顔を見せて何を言いやがりますかな?この尼は。

 幸作は人間離れした動きで陽子の後ろに周り込むと―――

 ぐりぐり、ぐりぐり。

 「ひゃぅ~!な、何するんだよぅ」

 ぐりぐりぐりぐり、ぐりぐりぐりぐり。

 「痛い痛い!ごめんなさ~い!!」

 パッ。

 唐突に手を離す。

 「あ、許してくれる?」

 「土下座」

 「うぅ・・・・ごめんなさい」

 「新しいキャンパス」

 「はい・・・」

 部費からだと思ったのか、クルトンに交渉した時のシミュレートを行っている。が、それは甘過ぎる。

 「自腹だ」

 「そ、そんなっ!!今月、私ピンチなんだよ!?」

 「自腹」

 「・・・・・・はい」

 しょんぼりと肩を落とす破壊神。俺の私物や作品が壊されたのはこれで何度目だろうか。全く、こっちが地面に埋まる勢いで落ち込みたいっての。

 「いよぅ!!今日も芸術に明け暮れよう!!!」

 出た。騒がしい教師No.1が。

 「いや~、すまなかったな、柳倉。うっかりあの絵を壊してしまった!」

 豪快に笑う反面教師にぴったりのクズ。

 カカカッ!

 笑っていた教師のすぐ横を何かが掠めていった。

 後ろを振り向くと美術室の壁に、三本の彫刻刀が刺さっていた。

 そのことにア然としながら、恐る恐る前を向くと、そこには不動明王が仁王立ちしている。もはやこれは、愛おしい一生徒ではない。

 クルトンは自然と土下座してしまっていた。

 「申し訳ありませぬ」

 「遺言は以上だな」

 「ひどいなっ!もう死刑宣告か!?」

 「ひどい?」

 「いえ、滅相もございません。悪いのは私であります」

 「学食のグルメランチを十日間」

 条件を聞いたクルトンの顔が、真っ青になっていく。

 「なぁ、たかが一教師の給料なんて安いものなんだ。だから食材で値段が変わるとはいえ、最低でも650円もする上、最高は1500円もするランチを十日はさすがに――――」

 「一ヶ月。望むなら、一年でも構わない」

 「十日間奢らせていただきます」

 不動明王が、二つの仏敵を下した。

 非常しょ―――三井涼平も、料り――敵視されないかと、肉――肝を冷やしていた。

 ――――千鶴の後日談。

 「・・・・そろそろ夏なのに、秋の終わりくらいに涼しかった」

 ちなみに、その話をしている時の彼女は、この世の終わりを見たように怯え、震えていたという。

 ――――学食奢り五日目の様子。

 「ぬぬぬ、これでは一日の食事がおにぎり三個になってしまう」

 クルトンが家計簿と格闘していると、幸作が話し掛けてきた。

 「あさってまでは高級食材使うから最高値だって」

 「なんだとぉ!!!?」

 実は、幸作が学食の人に頼んで値上げしてもらっているからなのだが、クルトンが気付くはずもない。

 結局、十日連続で1500円のグルメランチを奢らされたクルトンの財布は氷河期に入り、これまでにない絶望に見舞われたという。





 幸作は作業できないので帰ろうと思ったが、呼び止められた。

 「・・・・私の作品、見てって」

 断る理由もなかったから、美術室に残ることにした。

 ペタ、ペタ、ペタ。

 パレットを机に置き、麻痺していてほとんど動かせない左腕で抑えている。

 右手はキャンバスに向かって黙々と動かしている。

 表情は必死で、楽しそうだ。

 描いているのは教会に見える。しかも、華やかな花の飾り付けが施されている。自分が作るのとは違う、とても明るい作品だった。

 「教会か?」

 集中している横で、思わず聞いてしまった。

 「・・・・え?」

 カシャン。

 集中が途切れて、パレットが落ちてしまう。

 それを、麻痺している左腕で懸命に拾おうとする。しかし、腕がやっとのことで伸びたのに、手が開いてくれない。どれだけ力を込めても、指一本すら動かない。

 見るに耐えないが、直接パレットを拾う気はない。それは彼女の努力を否定することになるからだ。

 だから、彼女の手をとる。開いて握らせて机に置き直す。

 「すまなかった」

 「・・・・いいよ」

 結構な迷惑をかけてしまったにもかかわらず、二つ返事で許してくれた。

 「・・・・結婚式場」

 一瞬何の事か分からなかったが、すぐに先程の質問のことだと理解した。

 「はいはい、そうですか」

 「・・・・うん、そう」

 誰と誰の、とは聞かなかった。面倒臭さかったから、のはず。決して野暮だと思ったわけでも、答えが分かってるからでもない。どこかで、そう言い聞かせてる自分がいるのを自覚しながら。さらに、このやり取りに苛立ちを覚えている自分も自覚して。




 その後、普通に解散し昇降口に向かうと、いつもと同じように近寄ってくる奴がいた。

 「またお前か・・・」

 「・・・・夫と一緒に帰るのに理由がいる?」

 いい加減に目を覚ましてほしいもんだ。

 一度大きくため息をついてから切り出す。

 「いいか、何度も言うが俺はお前がどうして俺を好きになったのかわけ分かんねぇんだよ」

 「・・・・理由がいるの?」

 さっきと全く同じ調子で聞いてくる。そうする、そうなるのが自然の摂理だとでも言うように。

 「当たり前だ。俺達が今こうしてるのだって、本来なら有り得ねぇんだぜ?」

 これが他の奴なら一目惚れとかの理由で片付けられたかもしれない。

 けど、俺とこいつではそんな理由はありえない。そもそも俺達はこんな関係になんてなってはならない出来事があった。それだけの事を、俺はしてしまったんだ。

 「・・・・一目惚れ」

 なのに、こいつはありえない答えを返した。

 心が少し、ざわついた。

 作品を壊されていらついていたのかもしれない。もしくは、色々な事を溜め込みすぎたのかもしれない。



 頭の中で何かが切れる、音がした。



 「ふざけんなよ・・・・・・っ!!」

 「・・・・あなた?」

 いつもは心配をかけないようにするのだが、今は逆に怒りを助長させた。

 「いい加減にしろよ!!はっきり言って理解できねぇんだよ!何でお前の左腕を奪った俺を好きになるんだよ!?俺を嫌いになるってなら分かる!転校したり、訴えたりするのが普通だろうが!!罰なら甘んじて受けるし、周りから非難されたりする方が当たり前だと思う!なのに、お前は俺に笑顔を向けやがった!冷たい目で俺を見ればいいのに、わけ分かんねぇよ!これじゃあ、一人で罪悪感なんて感じて償おうとしてる俺が馬鹿みたいじゃねぇかよ!?本当になんで許した上に、好きになんかなったりすんだよぉ!!?」

 肩で息をするほどの勢いで言いたいことをぶちまけた。

 目の前にある顔はショックで固まっている。もしくは、絶望でもした顔か。正直、どうでもいい。見る気も失せて振り向いた。

 これで、俺達のおかしな関係は終わった。ようやく正しい関係になるんだ。

 だというのに、正しい結果なのに。




 何でこんなに心が苛立つんだ。




 「チッ」

 意識的でないとやらないはずの舌打ちを無意識にやった。

 後ろは振り向かなかったが、さっきから微動だにしていないのが分かった。

 「チッ!」

 もう一度、今度は意識的に舌打ちしてその場を後にした。




 翌日。

 不動明王を描く気は完全に失せていた。

 それどころか、何かを作ろうとする気力が全く湧いて来なかった。

 でも、何か作ってないと不安になるから仕方なく聞いた。

 「おい壊し屋」

 「なによ、その言い方。私には『晴宮陽子』って名前があるんだから」

 思いっ切り睨まれる。面倒臭いので、普通に聞き直した。

 「晴宮、出展のテーマって何だ」

 「『幸せ』だけど・・・・・・・って、えぇーーーーーーー!!!!??」

 うるさい。

 「急にどうしたの!?」

 「仏像は描く気が起きないから。けど、そのテーマじゃ無理だな」

 「どうして?」

 「気分じゃない」

 それだけ言って真新しいキャンパスと向き合った。何も思い浮かばないのに。



 しばらくすると、千鶴がふらふらの足取りでやって来た。

 「おい静原、無理するな。まだ〆切りまで少し時間があるし、今日はすぐに帰った方がいい」

 「・・・・・・・・大丈夫です」

 そのやり取りを聞いて微妙に違和感を感じたが、放っておいた。

 そのままいつものように作業を始める千鶴。ペタ、ペタという音が聞こえるはずなのに、何も聞こえてこなかった。

 見ると、何故か黒の絵の具で描こうとしている所で固まっている。遠目で見ても、千鶴の絵はあれで完成でも充分だと思う。にもかかわらず、明らかに合わない黒の絵の具を使おうとしてる。でも筆を置くことができないままだ。よく見ると、右腕なのに震えていた。まるで、見えない壁に阻まれてるかのように。その表情は恐怖があるように見えた。

 そのうちに、彼女の体がぐらっと傾いた。次に人の倒れる音が聴こえた。

 「千鶴!!」

 慌てて側に駆け寄る。抱き抱えると腕が力なく、だらりと下がった。

 「大丈夫か!?」

 「・・・・・・・・うん」

 反応もいつもより遅い。額に手をあてて見る。

 「熱っ!」

 ひどい熱だ。もしかしたら、40度を越えているかもしれない。

 「クルトン!病院に連絡を!!」

 手遅れになる可能性もある。はっきり言って危険な状態だ。

 「もう呼んである。ほら、まずは保健室に」

 「最上病院です。患者はどこですか?」

 「速っ!!?学校から30キロは離れてるのに!?」

 驚くクルトンを余所に、手際よく千鶴を運んでいく。

 幸作もついて行こうとしたが、

 「いえ、任せてください。我々だけで充分です」

 断られた。

 そのまま千鶴の姿が離れていく。無意識に伸ばした手は何も掴めない。後は、ただ呆然と見送ることしかできなかった。




 「クルトン・・・・」

 「そっとしといてやれ」

 声を落として話す二人の目線の先には、涙を流しながら作品を描く幸作の姿があった。

 「うっ、うぅ」

 その横には完成図が置いてある。そこには、大きな剣に貫かれた少年が簡単に描かれていた。

 その絵の端にはタイトルも描いてある。


『今望む幸せ』


 と。

 その顔は満面の笑みで、嬉し涙を流していた。




 静原千鶴は夢を見ていた。夢というよりは過去の記憶だった。

 少し気になっていた少年を本格的に好きになった―――あの人は事件だと言ってるが―――出来事を。



 その日。クルトンが変なイベントを催した。

 とても大きな、大き過ぎるくらいの木材を買ってきて、皆で好きな所を好きに彫ろうというものだった。

 作業は一生懸命で、楽しくて、嬉しかった。幸作と一緒に作業できることを、何だか嬉しく感じた。

 少し見つめていると、急に周りが暗くなった。見ると、木材が自分に向かって倒れてくる。その時、あぁ、死んじゃうんだ、と思った。

 だから、横から衝撃が来て体が吹っ飛んだことを理解するのに時間を要した。さらに次の瞬間、頭に強い衝撃と激痛が走り、そのまま意識が途絶えた。


 その時。

 幸作は木材が傾いた時には既に動いていた。

 両手で千鶴を突き飛ばした直後、自分がとんでもないミスを犯してしまった事に気づいた。

 千鶴は机の角に頭をぶつけ、真っ赤な鮮血を流してピクリとも動かなくなった。その事にショックを受けて完全に硬直していた。

 だから気が付かなかった。

 今は自分に向かって木材が倒れてきているのを!

 ドゴッ!メキッ!

 「がはっ!」

 いきなりの衝撃に体から骨の軋んだ音がしたと思った。いや、もしかしたら内臓にも異常が起きてるかもしれない。

 そんな中でも、千鶴の事を後悔しながら幸作は意識を失った。




 気がついたら、幸作は知らない部屋にいた。

 「・・・・・・・・」

 ここはどこだ?天井が、いやに白い。

 自分の部屋でも、学校のどこかでもない。

 薬の匂いが鼻につき、ここが病院なのだと分かった。

 何故、自分はこんな所にいるのだろう?

 そう思った瞬間、全ての光景がフラッシュバックした。

 鮮血。動かない体。巨大な衝撃。罪悪感。

 「静原っ!?」

 焦って起き上がると、世界が歪んで見えた。

 「ぐっ・・・!」

 息が苦しくなって咳込むと、手に血が滲んでいた。先の衝撃で、内臓が傷ついたせいだ。あれだけの重量の木材が倒れてきて、まだ生きてるのはかなり幸運だと思う。皆で掘って質量を減らしてなければ、最悪上半身と下半身が引きちぎれていたかもしれない。

 けれども、そんな事を考えている場合ではない。一刻も早く、静原の安否を確認しなくては。

 最悪、本当に最悪、自分は静原を殺してしまっているのだ。それでなくとも、重症を負わせてるのは間違いない。早く確認せねば。早く、早く――――!


 千鳥足のまま、壁伝いに静原の病室を捜す。

 やはりダメージが大きすぎたのか、視界が霞む。時々、膝から力が抜けそうになるが、懸命に歯を食いしばって次の一歩を踏む。静原を見つけるまで、倒れる訳にはいかない。

 どん、とバランスが崩れてぶつかった壁の横に入院患者の名前が書いて合った。


 ―――――――『静原千鶴』と。


 その瞬間、ダメージが体に残っていなければ、幸作はすぐにでも病室に飛び込んでいただろう。しかし、ダメージのせいで扉に手を掛けるのに数秒かかった。だからこそ病室内から漏れた会話が聴こえてしまった。

 静原の信じがたい事実を。

 全身の血が比喩抜きで凍った気がした。何度も先程聞こえてきた内容を繰り返す。けれども繰り返す度に目の前が暗くなっていく。

 絶望が襲い、思わず膝をつく。

 心配して駆け寄る看護婦の言葉も聞こえない。二、三人で無理矢理部屋に連れていこうとするが振り切って病室内に入る。中に入ると訝し気な顔をされたが、幸作は気にしなかった。

 「本当なのか?」

 周りに構わずに医者に向かって尋ねる。

 先程聞こえた内容を。




 「静原の左半身が麻痺してるって本当なのか?」




 医者は残念そうに頷いた。

 そう、幸作が必死に千鶴を助けた結果が『これ』だった。

 悲しさは感じられなかった。

 悔しさも実感できなかった。

 憤りは全く湧いてこなかった。

 いわゆる感情というものが失われてしまったかのようだった。だから、幸作ができたのは千鶴の左手を握ることだけだった。心の中に罪悪感のみを残して。

 誰も何も言えなかった。

 涙を流しながら、ごめんと言い続ける姿にかける言葉が出て来なかったのだ。



 ――――――数時間後。

 幸作は千鶴の家族がいなくなってからも手を握り続けた。

 涙は止まっていた。

 呟きもしなくなった。

 罪悪感は、なくならない。

 夕食の時間になってもずっと居続けた。

 看護婦達が力付くで部屋に戻そうとしても動かなかった。最終的には周りが諦め、夕飯を口に押し込み毛布等で暖かくすることで了承してくれた。



 その後、幸作は一週間そこから動かなかった。

 時々思い出したように涙を流し、謝り、手を握り直した。

 親も医者も、さらには噂を聞いた入院患者までもが幸作にちゃんと自分の部屋で休むように説得し、説教したが、絶対に戻ることはなかった。

 ある日、再び千鶴の両親がやって来た。

 「もう、いいんですよ?あなたが倒れたらこの子が悲しむだけです。もう休んでください」

 語りかけるように言う。

 千鶴の両親も事情を知っていた。だから自分の娘を傷つけられたことを考えても、どうしても憎めない。それだけ幸作は必死に千鶴への謝罪を続けていた。

 けれども、

 「許さないでくれ」

 幸作はその言葉を跳ね退けた。

 「絶対に何があっても俺を許さないでくれ。あんた達の娘をこんな風にした罪人を、同情なんかで許さないでくれ。訴えてもらって構わない。罰はいくらでも受ける。転校させるように手配してくれてもいい。何をされても甘んじて受ける。だから決して俺を許さないでほしい」

 それだけ言うと、また祈るように手を握り直すのだった。

 だが、千鶴の両親もそれだけでは引かなかった。

 「ダメだ。許す」

 弾かれたように顔を上げる。その顔には疑問が浮かんでいる。

 「現実逃避したいほどに残酷で悲惨なものだが、君が娘を助けてくれた結果だということは変わらない。そして、それは立派なことだ。それに、君だって生きているのが奇跡と思えるほどの重症を負ったと聴いている。きっとうちの千鶴だったら、間違いなく死んでいただろう。それに比べれば、むしろ喜ばしいことだと言える。だから君も胸を張って女の子を死から護ったと思ってほしい」

 「ふざけるなっ!」

 叫ぶ幸作には表情が浮かんでいた。

 そう、それはまるで不動明王のような憤怒の表情だった。

 「俺が少し冷静に動いていれば、こんなことにはならなかったんだ!女の子を護った?胸を張れ?冗談じゃねぇ!自分が誰にも許されないことをした自覚くらいはあるんだよ!こんな結果で良かったなんて思えるわけがないだろうがっ!!こいつの左半身は俺が奪ったんだ!たとえそれが立派な動機での行動でも結果は『これ』だ!こんなのどう考えても許されていいものじゃあない!一生許されることはない、それだけの傷を負わせたんだよ!こいつが五体満足で過ごすはずだった人生を、俺が奪ったんだ!!分かってんのか!?俺は一人の人間の人生を無茶苦茶にしたんだ!これが許されなくてどうするってんだよぉぉおおお!!!!!」

 その言葉は千鶴の両親に言ってるのではない。むしろ、自分に刺を刺すかのように放たれていた。

 部屋に沈黙が漂う。

 5分。10分。30分。1時間。無駄に時間だけが過ぎていく。

 はたして、沈黙を破ったのは――――――

 「・・・・そんなこと、ない」

 千鶴だった。

 手を握られたまま、たっぷり数十秒もかけて起き上がる。

 「・・・・私は確かに救われたよ。だから、泣かないで?」

 いつもの淡い微笑みで語りかけてくる。

 幸作は何があっても離さずにずっと握り続けていた手を離した。その顔に浮かぶ表情は、驚きでも安堵でも色々な感情が入り混じった複雑なものでもなく――――


 恐怖。


 ただ純粋にそれしか感じていなかった。

 彼女は何を言ったのか?

 救われた?

 何故そんなことが言えるのか。

 何故自分を許すような発言をしたのか。

 何故自分の人生を目茶苦茶にした相手に笑顔を向けられるのか。

 そして何故、その言葉にホッとしている自分がいるのか。

 分からない解らない判らないわからないワカラナイ。

 思考が停止する。

 そして、心が恐怖に支配された。

 「あ、あぁ、ぁぁぁあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」

 病室から逃げ出す。病院からも離れていこうとする。どこへ向かうでもなく、いつからか降っていた土砂降りの中ただ逃げ惑う。

 ずっと逃げていたかった。

 だが、事故のダメージが抜けてない身体はそれすらも許してはくれなかった。道路の段差に躓いて派手に転ぶ。

 体の痛みは気にならなかった。でも心の傷みは我慢できなかった。1kmでも1mでも1cmでも1mmでもあの微笑みから逃れたい。ただそれだけを願って起き上がろうとする。だが、身体は動いてくれなかった。

 雨に体温を奪われていくのを感じる。それとともに、意識も薄らいでいく。



 唐突に目が覚める。

 すぐに先の病院で自分が宛がわれた病室だと分かった。幸作は諦めに似た感覚で大人しく入院生活を送ることにした。

 千鶴に会いに行くことはしなかった。

 幸い、普通に過ごすだけなら会うことはなかった。けれども、担当の看護婦が千鶴の様子を伝えに来ようとするのが欝陶しかった。

 千鶴の名前が出てくる度にやめてくれと言ったが、ある日物凄い勢いで嬉しそうに病室に飛び込んで告げた。

 「聴いて下さい!静原さんが、左半身が全て麻痺していると診断されたのに、左腕以外問題なく動いたんです!!」

 それを聞いた幸作はぽかん、としていた。イマイチ事の重大さが理解できていないようだ。

 看護婦は必死に説明を始める。

 「いいですか。静原さんは診断の結果左半身が麻痺していると出ました。そしてそれは一生かかってもほとんど動かないだろうと思われていました。けれども、今日実際に動かしてみたところ、左腕以外はすんなりと動いたんです。おそらくあと数日で退院できるほど問題なく。これはもう奇跡と言っても過言ではありません。さらにその理由はおそらく柳倉さんにあるんです」

 「お、俺に?」

 幸作には、もちろん何のことだかさっぱりである。

 「はい。柳倉さんが静原さんの手を握り続けた結果、脳が刺激され続けてちょっとしたリハビリと似た効果を得たのだと思われます。つまり、柳倉さんは静原さんを完全ではないけれど、確かに救ったんですよ!」

 何を言われたのか、すぐには理解できずにいた。

 けれども、以前のような恐怖は感じなかった。

 まだまだ納得がいかないが、それでもほんの少しだけ実感できた。

 それと同時に胸中で、ある決意が生まれた。

 静原を完全に救えるまで、この罪を償おう。きっとそれがおそらく唯一の自分の活路だと信じて。

 決して前向きではなくこの上ないほどに後ろ向きだが、今この瞬間確かに進めた気がした。

 元気にはならない。明るくもなれない。

 それでもやる気くらいは出た。

 まずは、戒めとして不動明王の絵を描こう。くだらないかもしれないけど、あいつに降り懸かる災厄を少しでも多く払えるように。そうして静原が自由に左腕を動かせるようになるまで側にいてやるんだ。

 そうだ。それこそが自分ができる唯一の『償い』だ。

 やるべきことの見つかった幸作はここ数週間では見たことのないような生気が宿っていた。

 宿った生気を爆発させるかのように静原のもとへと駆け出す。病室にたどり着き、ベッドで本を読んでいた静原の左手をにぎりしめて言う。

 「良かったなぁ!・・・いや、良くはない?でも良かったのかな?静原」

 「・・・・私に聞かれても・・あ、身体は問題なく動いたよ」

 「もちろん聴いたさ!左腕が動かないことも。だから―――」


 「約束してやるよ」


 一呼吸おいて宣言する。

 「静原の左腕が治るまで、俺が支えるってな」

 それを聞くと最初は驚き、次第に多くの喜びと少しの寂しさの混じった表情になった。

 「・・・・どうせなら、一生面倒見るって言ってほしかった」

 「それとこれとは別の話だ」

 思い切ってプロポーズに聞こえなくもないことを言ったのに軽くあしらわれた。

 「・・・・なら、もう一つ約束して」

 もう一度勇気を振り絞って言う。

 「・・・・私のこと、名前で・・『千鶴』って呼んで」

 言われた幸作は顔を真っ赤にしながらさっきとは打って変わって小さな声で。

 「おう、それも約束してやるよ・・・・・・千鶴」

 名前を呼ばれた静原―――千鶴は、今まで見せたことのない満面の笑みを浮かべていた。





 昔の記憶に浸っていた千鶴は、唐突に目が覚めた。

 周りがあまりに白いので、すぐに病院だと分かった。

 「・・・・あれ?」

 しばらく、何故自分がこんな場所にいるか分からなかったが、自分が高熱を出していたことを思い出し体調を確認してみる。

 どうやら、何事もなく済んだようだ。左腕以外が痺れるような感じもしない。

 取り敢えず病院の人に自分のことを知らせなければと思いナースコールを押したのだが、10分経っても誰も来ない。

 何回か押して、さらに30分ほど経った後ようやく担当の看護婦が来た。何故か神妙な面持ちで入ってくる。

 「・・・・どうかしましたか?」

 すると看護婦はしばらく口を閉じたままだったが、やがて言い辛そうに話し出した。

 「よく聴いてね、静原さん」

 「・・・・はい」




 「柳倉さんが致命傷を負ったわ」




 時間が止まった気がした。

 「今、手術を受けてるけど助かるかどうか・・・・・」

 看護婦の話はこうだった。

 土砂降りの中、傘もささずに歩いていた時、落雷で折れた巨大な木の先が幸作の腹を貫通したらしい。木の先が土に深く刺さり、地面に縫い付けられるようになっていたという。

 まるで、幸作が『今望む幸せ』のように。

 「・・・・確率的に言うとどのくらいですか?」

 「0.12%」

 絶望しかできなかった。

 今自分が祈ることしかできないのが悔しかった。



 ――――――それから4時間。

 一応手術は成功したようだが、目を覚ますかどうかは分からないらしい。

 だが、千鶴にはやるべきことが分かっていた。

 そうすれば目覚めてくれる確信もあった。




 幸作の意識は暗闇の中で明滅していた。

 これが『死』なのだろうか。ここまで何もないのだろうか。

 恐い。

 唐突に感じた『死』への恐怖。

 嫌だ。助けて。

 でも、それとは別に安堵している自分もいた。

 あぁ、これで終われる。

 長い永い時間、そんなことの繰り返しだった。

 恐怖し、安堵し、恐怖に安堵し、安堵に恐怖して―――――。

 どれくらいそうしていただろうか。

 ふと、光が見えた。

 暗闇しかない世界でちっぽけな、だが確かに明るい光だった。

 掴もうとするが届かない。必死に抗うと、少しずつ光が大きくなっていく。目を開けられなくなるほど光が大きくなった時。


 突然に覚醒する―――!


 「!」

 目の前には祈るように手を握る千鶴の姿があった。

 それを見ただけで分かった。

 お前も、こんな気持ちだったんだな。

 身体は起こせなかったが、口は開いた。

 でも、何て言えばいいのか分からなくて、

 「久しぶり」

 なんて言っていた。

 「・・・・バカ」

 泣いてたけど、笑顔だったから安心してまた目を閉じた。



 次に目が覚めたのは夜中だった。当然、周りには誰もいない。

 出来るだけ音を立てずに病室を出た。

 風に当たりたい気分だったから、まず屋上に向かおうとしてやめた。確か面会時間終了したら鍵をかけて入れないようになっていたはずだ。

 廊下を歩いていると誰かが寄って来た。

 月明かりを頼りに目を凝らして見ると、担当看護婦の人だった。前回入院した時から、大低はこの人が俺を診察兼監視している。名前は確か・・・・・・

 「水原さん?」

 「溝原です」

 惜しい。まぁそんなことはどうでもよくて。

 「どうかしたんですか?こんな時間に」

 「それはこっちの台詞」

 「少し風に当たりたくて」

 それを聞くと溝原は深くため息をついた。

 「全く、君はいつでもいつも通りね」

 「これでも違和感はないんすよ」

 そう言うと患者衣をめくって包帯をとる。

 そこには、あるべき部分が欠けていた。

 幸作のお腹に直径5センチほどの穴が開いていた。

 そう、突き刺さった木が肉をえぐり仕方なしにお腹に穴を開けた状態で皮を五十針弱も使って傷を塞ぎ、ようやく一命を取り留めたのである。そんな重症患者が風に当たりたいだけで勝手にうろうろしていたら、面倒を見る病院側の人間はため息をつきたくもなる。

 「あのねぇ、何かあってからじゃ遅いのよ?」

 「それはそれ。これだけが罰ならそれも良し、他にもあるというなら甘んじて受ける。ただ、それだけの事っすよ」

 疲れた笑いが零れる。

 腹に風穴が開いたのは幸作にとって、たかが罰に過ぎない。当たり前のように笑って受け入れる。そして罰ならば、死のうが生きようが関係ないのだ。

 まだまだ不安定な学生なのだから絶望したり、トラウマやコンプレックスになるのが普通だ。大人でだって大低の人は拒絶するものだろう。

 「とにかく自室に戻りなさい。君の部屋からなら、今宵はいい満月が見えるはずだから。あとは窓を開ければ充分でしょ」

 あくまで自然な笑顔を崩さない少年に少し不気味さを感じた溝原は、取り敢えず部屋に帰すことにした。今はこの少年といたくなかった。気温とは違う寒さに、身体が震えた。




 千鶴はご機嫌の様子で病院に向かっていた。右腕に幸作に持って来るよう頼まれたキャンパスや美術の道具を抱えて。

 幸作が元気だった。

 大変な怪我を負ったけど、生きて笑ってくれてる。それが一番元気の源になっている。

 ふふふん♪と鼻歌交じりに意気揚々と幸作の病室に向かう。けれど、病室のドアを開けた瞬間に笑顔が消える。

 幸作が着替えていたのだ。

 別にそれだけなら何の問題もない。

 問題は着替えている幸作が一緒に包帯を取り替えるところで、包帯を取り外した時に幸作のお腹にある穴が見えたからだ。

 慌てて隠す様子もなく、脱ぎかけの服を着直す。

 「入る時はノックくらいしろ。まぁ、持って来てくれたからいいか。悪いな、運ばせて」

 普通に会話をしてることにこれほど違和感を覚えたことはない。

 驚愕で止まっている千鶴を余所に絵を描く準備をする幸作。布を外したキャンパスに描かれていたのは、剣に貫かれた少年。その顔に浮かぶのは、笑顔。流しているのは、嬉し涙。それを描く幸作はいつぞやの自分のように必死だった。

 何故だろう。限りなくバッドエンドなのに、認めたくないほどに『幸せ』があった。それが酷く恐ろしかった。

 気付いたら体が勝手に動いていた。

 「・・・・やめて」

 「千鶴?」

 「・・・・こんなのは幸せじゃない」

 「そうか?こいつも一種の幸せの形だって思うぞ」

 その答えに対し、首をぶんぶんと横に振って否定する。

 「・・・・そんなになってあなたは・・・幸作は、幸せなの?」

 もう涙で視界が滲みながら、それでも泣くのを堪えて震えた声で聞く。

 「おぅ、これが『あれの』罰だっていうなら甘んじて受けるし、これで死んでも悔いはねぇ」

 あっさりと返されて、堪えていた涙のダムと一緒に、千鶴の中で何かが切れた。


 いつかの幸作と同じように。


 パァン、と乾いた音が病室内に響く。

 千鶴が幸作の頬を叩いたのだ。

 「いい加減にしてよ!!あなたがそんなことになっても誰も幸せなんて感じないの!そんなのは償罪じゃない、ただの自己満足よ!!自己満足で誰かを幸せに出来る訳がないでしょ!!?あなたが死んだら皆悲しむ!何より、誰よりも私が悲しむわ!!」

 今までに出したことのない大声で叫んだせいで喉が痛む。ダムの崩壊した目からは滝のように大粒の涙が流れて前がまともに見えない。それでも決して気持ちを吐き出すのを止めない。

 「いつもいつも!どうしてそう自分を大切にしないの!?前も今も!皆がどれだけ心配してると思ってるの?私がどれだけ悲しんでると思ってるの!?少しは考えてよ!!」

 一度鼻をすすってから、もう一度口を開く。

 「・・・・もう・・バッドエンドは・・・嫌」

 先程の叫びが嘘のように勢いは弱々しく、けれども意思は強く込めて。

 「・・・・お願い、だから・・・悲しませないで・・・・・・私、は・・・笑っていたい・・・・・だけ・・なの・・・」

 そこまで言い切って、それが限界だった。涙と泣き声が溢れて止まらない赤ん坊のように泣き叫ぶ。二人しかいない病室には、とてもよく響いた。

 泣いてる千鶴を見ていた幸作は。

 ビリィッ!ビリビリ!

 「・・・・え?・・・・何してるの?」

 「決まってんだろ。悲しませる原因を壊してんだよ」

 千鶴が涙を拭って見ると、しゃーねぇなぁ、と呟きながら先程のバッドエンドの絵をビリビリに破っていた。

 「約束してやるよ」

 破った絵をごみ箱に捨てると千鶴に向き直る。

 「お前を悲しませるようなくだらないこたぁしねぇってな」

 あの時のように、また宣言する。

 「笑って生きようぜ」

 その言葉に、また涙が溢れてきた。




 幸作が退院してから美術部は多忙を極めていた。

 幸作はわざわざ授業をサボってまで絵を描いていた。

 そのせいで説教喰らったり、補習決定になったりもしたがその分の結果はついてきた。

 作品には、千鶴と過ごすであろうワンシーンが描かれていた。

 海辺で左手で飲み物を受けとる、たったそれだけの絵だが、そこには確かに幸せが詰まっている。

 この作品は出展で最優秀賞を取った。

 そして、千鶴の作品は結婚式場。

 黒と白で新郎新婦も綺麗に描かれている。

 この作品は、出展には出さずに別のコンクールに出すとクルトンが言っていたが、はたしてその結果は―――――。




 「おぉーーーーーーーーーい!!!!!!」

 クルトンが近所迷惑も何のそので飛び込んできた。

 「どうした、何かあったのか、クルトン?」

 「聴けぇい!皆の衆。別口で出した静原の作品だが、なんと!東京の美術館に飾られることになった!!」

 一瞬、静まり返ったが次の瞬間には大喝采が美術室に湧いた。

 皆で口々に千鶴を讃える。いきなりのことにびっくりして何も反応できなかったが、少し落ち着いたのを見計らって幸作が声をかける。

 「よくやったな。おめでとう」

 「・・・・うん。ありがと」

 嬉し涙を目に溜めながら笑顔を浮かべて頷く。

 「よぉし!今日は三井で焼き肉だぁぁ!!」

 「ブヒ!?」

 テンションの揚がったクルトンがそんなことを言い出した。

 三井はいきなりの命の危機に脱走を計るが、

 「捕まえろ!!この時のために丸々太らせたんだからな!!」

 驚きの事実に三井の足が止まる。そして獣と化した部員達がそのチャンスを逃すはずがない。





 皆での大盛り上がりに終わった焼き肉の後。

 「・・・・どうしたの?急に呼び出して」

 幸作は千鶴と話をしていた。

 「その・・・ありがとな。多分、お前が手を握ってくれなかったら俺は目が覚めなかったかもしれない」

 「・・・・そんなの、当たり前でしょ、ふ――」

 「夫婦だから、だろ?」

 千鶴が目を見開く。

 今まで、一度も肯定されたことがなかったからだ。

 「今までは、何て言うか・・・成り行きでこうなってた気がするんだ。だから、やり直そうと思う」

 「・・・・やり直す?」

 あぁ、と言ってから一呼吸置く。

 「好きだ、付き合ってくれ」

 勢いよく深々と頭を下げる。

 しばらく呆然としていた千鶴だったが。

 「・・・・うん」

 やがていつもの淡い微笑で、ゆっくりと頷いた。




ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

他の作品も見てくださった方はこんにちは。

初めての方は初めまして。

この作品、投稿二つ目ではありますが、実はこちらの方が処女作なのです。保存していたメディアとPCを繋ぐコードが行方不明になった関係で今まで投稿できませんでしたが、これでようやく発信できます。

まぁ、こんな事はどうでもよくて。

つたない作品ではありますが、読んでくださったことに改めて感謝を。

ありがとうございます。

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