温室の中の記憶
壊れたものは元に戻らない。
見た目はそれっぽく繕えても、実態は全く別物だ。
例えば、落として壊れたマグカップ。
例えば、破損したデータ。
そして、目の前で私の名前を呼ぶ、見知らぬ女性の記憶。
私は連休を利用して久しぶりに帰省していた。
大学を卒業して就職し、目まぐるしい日々に追われながら、もう3年になる。
駅に着いた私に声をかけてきたのは、車で迎えに来ていたはずの両親ではなく、私の中学校の同級生だと言う女性だった。
見覚えはなかったが、距離感だけはやけに近い。
一緒に植物園に行った、と静かに話すが、残念ながら全く記憶にない。
私に彼女の記憶が無いことを悟ると、少し驚いた顔をしながらも、しかたないか、と呟いた。
名前を聞いても覚えがない。
彼女の話を聞いているうちに、その名前も頭から消えていった。
車の中で両親に確認しても、中学校の同級生という情報以外は得られなかった。
一応両親との面識はあるらしい。
次の日、帰省しても特にすることはなく暇を持て余していた私は、彼女と植物園に来ていた。
確かにこの植物園はよく来ていた記憶がある。
無いのは、彼女の記憶だけだ。
「ここ、覚えてる?」
植物園をまわりながら懐かしそうに話す彼女。
何か思い出すかと思ったが、私は胸を締め付けられるようになりながら、首を振ることしかできない。
すると彼女は少し安堵したように笑った。
彼女は近くのベンチに座ると、鞄から白いマグカップを取り出す。
ひびの入った、花柄のありふれたデザインだった。
「これ、ここで落としちゃったの。」
まるで大切なプレゼントを返すように、彼女はマグカップを差し出した。
私はそれを受け取る。
「ほんとに。ほんとに辛かったんだよ。」
声が少し震えていた。
彼女は、そのひびの入ったマグカップを、ずっと手放せずにいたのだろう。
「そのとき、なんて言ったか覚えてる?」
私は何も覚えていないのに。
一部が破損したデータは正しく機能しない。
私が覚えていないのなら、その罪はもう、読み取ることは出来ない。
「忘れてくれて、ありがとう。」
彼女は泣きながらそう言った。




