第18話 既読スルー
私は──里中愛は、自宅の浴室でシャワーを浴びていた。
肌に滴る水は熱いのに、どうにも身体は冷たいままだ。
涙を指で払い、鼻をすする。
それでもこの辛さが収まることはなくて、顔は色んな液体が混ざり合ってぐしゃぐしゃになっていた。
鏡にみっともない顔がうつけど、今はそういうのを気にしてるほど余裕はない。
もはや何を信じればいいのだろうか。
美月は私に侵食している。どこまでかは分からないけど。
それを思い出すと、胸がきゅっと締め付けられる。そのたびに、また涙がこみ上げてきて、止まってくれない。
湯舟には浸からず、そのままお風呂から上がると、ぐしゃぐしゃの顔をタオルで拭う。少しはマシな顔になっただろうか。
そのまま、服を着て脱衣所を出たその時。
ピロン。
玄関から、嫌な音が聞こえた。
おそるおそるスマホに近づき、手に取ると
>美月からの一件のメッセージ
と表示されていた。
怖くてしょうがないのに、なぜか私はLIMEを開いてしまう。
>今日はありがとう
立て続けにメッセージが送信されてくる。
>私も愛ちゃんの家に行けて嬉しかった!
>また料理作ってあげようか?笑
美月からのメッセージは場違いに明るい。
怖いことが書いてなくて安堵する気持ちと私の気持ちを知らないで、という二つの気持ちが心を渦巻いていた。
ジクジク、と心の傷から膿が溢れる。
私に連絡してこないで、美月。
取り繕わないで。かといって本性を出すのもしないで。
そう小さく告げると、玄関に静かにスマホを置いた。
~~~~
次の日、私は7時に身支度した。
多分、今日も家に美月は来る。
居留守を使っても多分無駄だから、私は鉢合わせたくなくて早く家を出た。
朝早い学校は、人が少なくて居心地が良かった。
もちろん、美月もいない。
何だか《《久々に一人になれた気がする》》。
私は図書室で借りている本を開いた。
夏目漱石のこころ。
この作品に登場する「先生」と呼ばれる人物は、親友のKと同じ女性を好きになってしまう。
しかし先生は、Kの気持ちを知りながら抜け駆けしてその人と婚約。Kは裏切りによる孤独、そして自分を曲げてしまったことで最終的に自殺する。
友情が歪んでいき、破滅へと繋がる。何とも虚しい物語だ。
どうしてだろうか。立場も境遇も全然違うのに、私と美月を重ねてしまうのは。
その次の瞬間、教室の戸が開く音がした。
「あ、高野さんおはよー」「おはよう」
美月が教室に入ってきた。私は、本で顔を隠す。……ちなみに席は知られてるから、本当に無意味なんだけどね。
美月はチラリと私を一瞥すると、そのまま席について他の子と話し始めた。
美月が私を介さずに他の子と話したり、私の一言も喋らないなんて初めてだった。
一瞬引っかかったけど、私は気にせずスマホを手に取った。
りせちゃんに、昨日の話をしないと…
私は覚悟を決めて、りせちゃんのLIMEを開く。
そこに広がっていた光景に驚きが隠せなかった。
昨日のメッセージはきれいさっぱり《《なくなっていたのだ》》
あまりの出来事に、混乱する。
確実に見たはずなのに、どうして…
ざわざわと胸騒ぎがする。
>りせちゃん、昨日のLIMEが消えてるんだけど
>何か知ってる!?
そうメッセージを送ったけど、待っても返事は届かなくて、次第に授業が始まってしまった。
教室に担任の先生が入ってくる。
「え〜、てなわけで今日も国語始めます、礼」
コツコツ、と音を立ててチョークが黒板に足跡を残していく。
「よし、高野〜。この漢字読めるか?」
黒板には“頒布”と書かれていた。
「はんぷ、です」
「正解だ。ふんぷって読むやつが多いが、はんぷだからな〜。気をつけろよ?テスト出すぞ〜」
それからも、美月は平常運転だった。
いつも通りの笑顔。
いつも通りの立ち姿。
いつも通り過ぎて怖いくらい。
それに、美月が変な動きをした証拠はいつも残されてないのだ。まるで完全犯罪みたいに。
《《私だけに見せつけるように》》
そして、昼休みになったその時、膠着していた空気が動き出す。
美月は私のもとにやってくると、ドン、と机を叩いた。
「ねえ……愛ちゃん、何で《《既読スルーしたの》》?」
まるで刑事の尋問のように問い詰める。
「……!それは…」
言葉に詰まる。
LIMEを既読スルーした時、りせちゃんのLIMEには私の知らないやり取りがあった。
だからこそ、勝手にスマホを触られた事が悲しかったんだ。
けど、それを言っても証拠がない以上は誤魔化されるだけ。
黒い瞳がじっと私を見つめる。
その瞳に狂気が孕んでなかったのは唯一の救いだった。
「ねえ、無視しないで」
私は込み上げてくる悲しみを堪えながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「…美月ってさ、私のこと本当に好きなの?」
「今どうしてそんな事言うの?私の質問に答えてよ」
「……大事な事だよ」
一息おくと、話を続ける。
「私、美月のこと好きだけど、美月に束縛されたいわけじゃない」
「…」
「美月はさ、そこを履き違えてない?」
「何でっ……私がいつ…したの…」
「ずっと前からだよ」
「だから、既読スルーしたの!?」
美月は悔しそうに、苦しそうに唇を噛む。
「…もういいよ。愛ちゃん」
そう言い残すと、美月はどこかへと行ってしまった。
後で聞いたけど、美月はその日早退したらしい。
美月の席は、何だか空っぽに見えた。
また美月に置いて行かれてしまったように感じる。ぽつん、と教室の中でひとり浮かんでいるようだ。
──もういいよ。愛ちゃん
その言葉が、反芻する。
その度に美月の哀しげで──だけど怒った横顔がフラッシュバックしていく。
放課後、私は鞄を背負って帰り道を歩き始めると、岐路にたどり着く。
まっすぐ行けば、私の家。
曲がれば、美月の家。
前は、真っ直ぐ逃げてしまった。
けど、今は違う。
迷う事なく、私は曲がった。
もう逃げない。
距離を置くことなんてもうしない。
ちゃんと美月に向き合うんだ。
そして──ちゃんと誤解を解いて、謝らないと。
例え、それが苦しい道になるとしても。
しばらく歩くと、目の前に美月の白い一軒家が見えてきた。
私は覚悟を決めるように、アスファルトを踏み締めた。
狂った美月と愛。2人が相対する時が訪れた。
遂に、物語はプロローグに繋がる。
次回──第19話 彼女の本性
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