遅効性の毒
「では、あなたは自分のせいで悲しむ人間がいても構わない、と……そう仰るのね」
私が言うと、目の前の少女はポカン、として私を見た。
泣き濡れた顔のまま。
「ずいぶんと自分勝手ですのね。でも、恋愛なんてそんなものかしら。それくらい、あの方を愛してるのでしょう?ほかの人間の気持ちなど、どうでよくなるくらいには」
「そ、そんな……そんなつもりは、私は」
そこで、鋭い声が聞こえてきた。
「オリビア!!」
きた、と思った。
そろそろ登場する頃合いかしら、と思っていたの。
ヒーローは遅れてやってくるもの、ですものね?
振り返ると、そこには私を睨みつける金髪の男性が。幼い頃は可愛い顔をしていた彼も、今や立派な青年だ。
彼はスタスタと歩いてくると、少女──ルシアの前に立ち塞がった。
まるで、私から庇うように。
「彼女に何を言った」
「あなたと別れて欲しいと言いました」
正直に答えると、彼──ウィリアムの顔が険しくなる。
そして、私を鋭く睨みつけて、言うのだ。
「ふざけるな……!僕は、ルシアと結婚する。勝手なことを言わないでくれ!」
「ウィル、だめ……!」
ルシアが背後に庇われながらウィリアムに言った。
それに、彼は振り向いて憤慨したように言う。
「何がダメなんだ?僕はきみが好きだと言った。ルシア、きみだって……」
「でも、ウイルはオリビア様と結婚しなければならないわ。おうちのためにも。……そうでしょう?」
「くだらない!家は、兄が継ぐんだ。僕が誰と結婚しようが、僕の勝手だ!」
「旦那様はそれではいけないと言っていたじゃない!オリビア様のおうち……バーンズ家との結婚は絶対だって。お願い、ウィル……」
何がお願い、なのか。
私はしらーとした思いでふたりを見た。
完全にふたりの世界を生み出しているところ悪いのだけど。
ねえ、私まだここにいるのよ?忘れてない??
悲恋に酔った女は鬱陶しい、そんな女を説得しきれない男も煩わしい。
結果──私は、大きくため息を吐いた。
私の婚約者、ウィリアム・ベケットの肩がびくりと震えた。
「……今日のところは帰ります」
婚約者の、彼の恋人がどんなひとなのか、知るのが目的だった。
もう十分に、目的は達成した。
私が踵を返すと、ウィリアムに名を呼ばれる。
「待って、オリビア」
「…………なにか」
振り返ると、ウィリアムが緑の瞳を私に向けていた。
なにか、決心したような、そんな顔。
優しくも詰めが甘くて、甘やかされて育った伯爵家の次男坊、ウィリアム。
私の幼馴染。
あなたは、私以外のひとに恋に落ちたけど。
私は、あなたのこと、ずっと好きだったのよ。……なんて、あまりに惨めだし、今更言ったところでどうにもならないから、黙っておくけど。
ウィリアムは、硬い声で言った。
「きみとは、結婚できない。父上にも、そういうつもりだ」
「ウィル!!」
「……そう」
それならうまく、あなたのお父様と、恋人を説得してちょうだいね。
そんな思いで、今度こそ私は踵を返した。
☆
オリビア・バーンズ。
バーンズ伯爵家の娘として生まれた私のそばには、幼い頃からひとりの男の子の姿があった。
名前を、ウィリアム・ベケット。
幼い頃は、よく一緒に遊んだ。
彼と一緒に、同じ絵本を読んだりして。
日向ぼっこをして、青空を見たりもした。
ウィリアムは、優しいひとだった。
『ねえ、オリビア。僕、パブリックスクールに入ることになったんだ』
『そうなの?』
『うん。……不安だなぁ』
出来る長男と比較されることの多いウィリアムは、それを少しコンプレックスに思っているようだった。
悩んだ彼を励ましたくて、私は彼の手を取っていった。
『大丈夫よ!ウィリアムなら、きっと!絶対!』
『……ほんとう?なんだか、オリビアがそう言うならそんな気がしてきた』
はにかむ彼に、私はホッと安心した。
それと同時に、彼がパブリックスクールに入ってしまうということは、なかなか会えなくなることだと思った。
実際、彼がパブリックスクールに入ってからは、ますます彼と会う機会は減っていった。
それでも、ウィリアムとはいつか結婚するだろうな、と思っていた。
お父様同士が旧友で、付き合いも長い。
だから、きっと。
そう思っていたのだけど。
お父様からその報告を聞いた時、私は唖然とした。
『ウィリアムに恋人……?だって今まで、そんなこと』
『相手は使用人だそうだ。遊びだろう』
お父様はそう言ったが、私は悩んだ。
あのウィリアムが、遊びで女性と付き合うだろうか。
いや、そんなことはしない。
きっと、本気だ。
彼は本気で、その使用人と──。
私とウィリアムの婚約が正式に決まった。
だけど、ウィリアムは変わらずその使用人と付き合いを続けているようだ。
ついにベケット伯爵がウィリアムに使用人との関係を清算するよう命じた。
だけどウィリアムはそれに抵抗しているという。
ウィリアムは、私と会っても目を逸らし、気まずそうな顔を見せるようになった。
なんとも、ハッキリしない状況が続き、ある日私はその使用人に会ってみよう、と思った。
ベケット伯爵家に向かい、その使用人を呼び出してもらう。
ウィリアムは不在だというが、そのうち戻ってくるだろう。
使用人は、赤毛の少女だった。
ウィリアムより、二、三ほど年上だろうか。
童顔に、可愛らしい雰囲気。そばかすが白い頬に浮かんでいる。
名前は、ルシア。
私は、ルシアに、ウィリアムと別れるよう言った。
本気で言ってるつもりはなかったが、私の言葉を受けて別れるならそれで良いと思った。
ルシアは、私に呼び出された以上、その話だと予想していたのだろう。
泣くだろうか。
そう思っていたら、ルシアは涙目になりながらもハッキリと言った。
「ウィリアム様が結婚されても、私はそばにいます。彼が、望むなら」
少し、驚いた。
気の弱そうな少女に見えたから。
それと同時に、私は不快感に襲われた。
結婚してもそばにいる。
ウィリアムが望むなら。
そうすることで、彼女は想い人が結婚する辛さを耐えると、そう言いたいのだろう。
【例え、恋人がほかのひとと結婚しても、それでも私はそばにいる。彼のために。私が、そばにいたいから。そばで支えたいから】
ずいぶん、悲観的な考えだ。
悲劇に酔っている様子に、冷笑した。
可哀想な自分に浸って楽しんでいるところ悪いけど。
ねえ、それなら私はどうなるの?
「では、あなたは自分のせいで悲しむ人間がいても構わない、と……そう仰るのね」
そして、冒頭に戻るのである。
☆
お父様に婚約解消の申し出をした。
すると、お父様は渋い顔をした。
「……オリビア。少し待ってくれ。ジェイムズのやつに、確認してみるから」
「確認など不要です。ウィリアム様は、あの使用人を深く愛されていますわ」
「そうだとしても、伯爵家の次男が使用人と結婚などできるはずがないだろう!ウィリアムだって、それは理解しているはずだ。もしそんなことを無理に推し進めれば、あいつはベケット家の恥さらしになるだけだ」
お父様はそう言って、私の返事を保留した、けど──。
後日、私はまたお父様に呼び出された。
書斎に行くと、言いにくそうにしながらも、切り出した。
「あー……オリビア。ウィリアムとの結婚は、解消されそうだ」
「そうですか」
「だけど、少し事情があってね。お前は、【星司る巫女】だろう?」
星司る巫女──。
それは、未来を予知する力を持つ娘を指す呼び名。
この国には私以外に三人、同様の力を持っているひとがいる。
なぜそんな当たり前のことを聞くのかと思って頷いて答えると、お父様はさらに歯切れ悪く言った。
「……ベケットの使用人、ルシアと言ったかね。あの子を、星司る巫女にしてやって欲しい」
「仰っている意味がわかりません」
「お前と彼の婚約は解消する。その代わりに、ウィリアムはあの娘と結婚する。だけど、平民が貴族と結婚するなんてとんでもないことだ。有り得ない。許されるものでは無い。そうした日には、ベケットの名は地に落ちる」
「だから?」
「だから……」
そこで、私はお父様の言いたいことを理解した。理解、したくなんてなかったけど。
私は鼻で笑って、答える。
「ルシアに、【星司る巫女】の肩書きを与えたいと、そういうことでしょうか?彼女の代わりに私がこの力を使って、彼女を助けてやれ、と。……お父様、私を馬鹿にしているのですか」
婚約者だった男のために、嘘を吐けという。
そもそも、ただの凡人を【星司る巫女】だと偽るなど、発覚したらそれこそ爵位返上するほどの騒ぎになる。
私が責めると、お父様は弱ったように言った。
「ジェイムズには借りがある。婚約を解消する代わりに求められたのが、これなんだ」
……どうして、ベケット伯爵家がそんなに偉そうな態度を取れるのか、私には分からなかった。
私は、お父様のその言葉に是、とも、否、とも言うことなく書斎を後にした。
力を使って得た情報を、代わりに横流しするくらい良いじゃないと、そう思うかもしれない。
お父様は知らないのだろう。
知らないに決まっている。
このことは、星司る巫女しか知らないことなのだから。
星司る巫女が力を使う時。
未来を予知する時、それは魂を消耗させるのだ。
魂をすり減らせて行い力の行使、尋常ではない痛みを運んでくる。
身のうちから、食い尽くされるような。体を明け渡すかのような。
そんな恐れと不安と、恐怖。
そして痛みに耐えながら、戦いながら、私たちはこの力を使う。
星司る巫女にしか知り得ないこと。
魂を消耗する痛み、など言ってもお父様には伝わらない。
『それじゃあ、どうするんだ。ウィリアムと結婚するか』
と言うに決まっている。
だから、決めた。
他人の恋路を邪魔する結婚はしたくない。
他人の恋路のための犠牲にだってなりたくない。
だから、私は。
☆
お父様の話を受けいれます。
そうお返事をすると、すぐにベケットの家は、使用人ルシアが実は【星司る巫女】だったと世間に周知した。
ルシアと対面し、私が彼女の代わりに力を使うことを説明する。
ルシアは不安そうだったけど、拒否はしなかった。
ウィリアムは私に感謝していた。
『ありがとう。きみのおかげで、僕はルシアと結婚できる』
そして、頬を染め、言いにくそうに口にした。
『きみも幸せになれるよう、願っているよ』
……どの口が、と思った。
明日は、【星司る巫女】の力を使い、その結果をルシアに教える日。
その前日の夜。
私はベッドに座って、仰向けになった。
そして、手に持ったそれをゆっくりと目の前に掲げる。
……護身用に、と渡されている短剣だ。
それを、ひといきに。
その切っ先を胸に突き立てた。
☆
「どういうことだ……!!オリビアが死んだ……!?」
「トム、ご息女を亡くして気落ちしているところ悪いが、例の件で話がある」
バーンズ伯爵家を訪れたジェイムズ・ベケットが強い口調で彼を責めた。
オリビアの父、トムは頭を抱え、叫ぶ。
「ええいうるさい!守銭奴め。そもそもお前が、うちの娘の力をよこせと言うからこうなったんだぞ……!オリビアを殺したのは、お前だ!」
「なんだと!?」
「私は、このことを告発する!陛下に報告させてもらう!!」
「なにを……!!千万ルーブル融資してやったのは誰だと思っているんだ?お前がギャンブルで大負けしたと聞いて、昔のよしみで金を出してやったのに……!!」
「何が千万ルーブルだ!!そんなもののために、娘は失われてしまった!」
「話を受けいれたのは貴様だろう!!」
バーンズ伯爵家とベケット伯爵家の関係は完全に決裂した。
また、星司る巫女として世間に公表していたルシアは、実はその力がないことが明らかになった。
とうぜん、世間を欺こうとしたルシアと、ベケット伯爵家への風当たりは強い。
ウィリアムは、彼女を庇い、守ろうとしたがこれ以上の醜聞を許せば爵位返上も有り得るのでは、と恐れたジェイムズ・ベケットにより、それも叶わない。
ルシアはベケット伯爵家から追い出され、教会に身を寄せるようになった。
しかし、そこでも彼女を見る目は冷たい。
『体でお貴族様を篭絡しようとした売女……』
『恐れ多くも伯爵家と王様を騙そうとした稀代の悪女』
星司る巫女と偽ることはルシアが言い出したものではないのに、世間はルシアが悪だという。
ルシアは、宛てがわれた狭い自室の中で、膝を丸めて泣いた。
「どうしてこんなことになっちゃったの?ウィル、会いたい……」
しかし、彼女の恋人、ウィリアムも社交界を騒がせた責任を取らされ、家を追い出されていた。
平民に降格した彼は、生活を送るのに苦しみ、最愛の恋人に会いに行くどころではない。
ベケット伯爵家は、虚偽の申告が露呈したことにより、しばらくの登城禁止、社交界の出入り禁止が言い渡された。事実上の追放である。
そして、オリビアの父、バーンズ伯爵は、意外なことに『悪を摘発した勇気ある伯爵』として社交界で評価を得ていた。
負債を抱えており、ベケット伯爵家に頭が上がらない状況だったのに、愛娘のために事実を明るみにしたのだ。
【バーンズ伯爵、勇気ある告発!金銭と引き替えに。"星司る巫女"と偽ろうとしたベケット伯爵は、爵位返上の危機か】
新聞には、【星司る巫女】の力を搾取し、その肩書きだけを乗っ取ろうとした事実について、国王が酷く立腹している、と書かれていた。
私は、それを読み終えると新聞をテーブルの上に放り投げる。
「ちょっと。お行儀が悪いんじゃないか」
「なぁに、マティ。今の私はただの平民の娘だもの。口うるさいことを言わないでちょうだい」
マティ──偉大なる魔女。
この国に【星司る巫女】を作り出した。
魔女、と言ってもマティは男性の姿を取っているけれど。
彼は、長い銀髪を胸元に結わえながら、呆れたように私を見ている。
私たち【星司る巫女】の力は、元は彼の力だ。
遠い昔、王に助力を請われた魔女が、適性のある女性に力を譲り渡したのがきっかけだと聞いている。
「まさか、きみが自死するなんて思わなかったよ。ほんと、びっくりさせるね……」
「……もともと、星司る巫女の力は、魔女の力。あなたが余所事に気を取られて気付かなかったとしても、ほかの星司る巫女たちは私の死を予知する。そうすれば自然と、あなたに連絡がいくでしょう?」
私たちは、この力を通して互いにコンタクトを取ることができる。
魔女が反応するのは滅多にないことだが、流石に私が自死するとなっては無視できなかったのだろう。
彼は、力を与えた星司る巫女を孫のように扱う。
私の言葉に、魔女がなにか言いたげな顔をしたが、無視する。
そして、私は立ち上がると、ハタキを手に取った。
「さ、今日はお洗濯日和だもの!お掃除するわよ。マティ、洗濯物は朝のうちに出しておいてね」
私──オリビア・バーンズは死んだ。
そして、魂だけを移した。
魂だけ死に、体は緩やかな死を待つ状態だった、とある平民の娘に私は憑依した。
目が覚めたら、私は魔女の家にいた。
それから、私はここで暮らしている。
私が言うと、マティがうんざりとした顔をした。
「ああ、口うるさいやつが増えた。助けなければよかったかな……」
マティは汚部屋の住人である。
私が、今の私として目が覚めて直ぐにやった事は、この家の大掃除だった。
ちなみに、マティの言う口うるさいやつ、の筆頭は彼を毎朝起こす小鳥たちである。
「……もし、私がきみの死に気付かなかったら、どうしていたんだ?」
マティが、テーブルに頬杖をついて聞いてくる。
それを見て、私は笑って答えた。
「それなら、賭けは私の負けでおしまいよ。賭け事好きは、お父様譲りかもね?」
「きみの父は、嵌められて大損した。きみもそうなるとは思わなかったの?」
お父様は嵌められたのか。
それは初めて知った。
元々父はギャンブル好きだったので、いつか身を滅ぼすとは思っていたけど。
私は、窓辺に背を預けて答えた。
「それならそれで構わなかったわ。愛のない結婚も、愛のための犠牲になるのも嫌だったの。だから、賭けたの。私の未来に、私の命をベットよ」
ウィリアムは、ルシアのためだけに婚約を破談にさせる甲斐性もなく。
ベケット伯爵を説得することも出来なかった。
甘いのだ、ようするに。
自らの力で父を説き伏せることも出来ず、結局、婚約者だった私の力を借りるという。
情けないにも程がある。
婚約解消を前提とした、【星司る巫女】の肩書きをルシアに与える、という話だって、私の家から申し入れがあって決定したことだった。
私をなんだと思っているのだろう。
結婚の障害を無くすための、舞台装置?
"他人に【星司る巫女】の肩書きを与えるためだけに、力を使わせる"
……ねえ、ウィリアム。
あなたは、知っていたのにね。
『もう、星司る巫女なんてやめたい……!』
在りし日の私が、【星司る巫女】の力に苦しみ、泣いていたことを。
力を使う度に苦痛が伴う。魂がすり減る恐ろしさに、私は怯えた。
その恐怖に耐えられなくて泣いた私を慰めてくれたのは……あなただったのに。
『きみは優しいから、力を使うと苦しいんだね。オリビア、泣かないで』
そう言って、あなたはハンカチで私の涙を拭ってくれた。
『きみがその力を使わずとも良くなるように、僕は勉強を頑張るよ』
だから、オリビア。
待ってて。
──その言葉も、約束も。
きっと、あなたは忘れてしまったのね。
だから、あんなふうに笑っていられたのでしょう。
「……不遜なのか、不敵なのか。判断に迷うな」
マティが静かに呟くのを無視して私は部屋の窓を開け放った。
外から陽の光が差し込んでくる。
それに目を細めて、私は風に吹かれてなびく髪を押さえた。
「……ふふ、今日もいい天気!」