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第7話:「保健室の告白 ~心の距離、縮まる瞬間~」

 藤葉学園の保健室。いつもは静かなこの場所が、今日は異様な緊張感に包まれていた。ベッドに横たわる佐伯楓の姿。そして、その傍らで心配そうに付き添う月城遥の姿があった。窓の外では、梅雨特有の静かな雨が降り続いていた。


「楓くん、大丈夫?」


 遥が小さな声で尋ねる。その声には、心配と愛おしさが混ざっていた。


「うん……ちょっと熱っぽいだけだよ」


 楓は弱々しく答えた。しかし、その声には遥を安心させようとする意志が感じられた。


 数日前から体調を崩していた楓。今日の朝、教室で突然倒れてしまったのだ。幸い大事には至らなかったが、高熱のため保健室で休むことになった。


 遥は楓の額に手を当てた。その仕草には、慣れない看病の緊張と、大切な人を思う優しさが表れていた。


「まだ熱が高いわ……」


 遥のため息には、楓への深い愛情が滲んでいた。


「無理しすぎたのよ」


 遥が少し怒ったように言う。その声には、楓への心配と同時に、自分が気づいてあげられなかった後悔の念も含まれていた。


「数学オリンピックの勉強も大事だけど、体調管理はもっと大事なんだから」


 楓は申し訳なさそうに微笑んだ。その表情には、遥への感謝と、自分の不注意を恥じる気持ちが混ざっていた。


「ごめん、心配かけて」


 遥はため息をつきながら、楓の額に冷たいタオルを置いた。その優しい仕草に、楓は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。


(遥さんがこんなに僕のことを……)


 楓の心の中で、遥への思いが一層強くなるのを感じた。


「遥さん、授業は?」


 楓が心配そうに尋ねる。その問いかけには、遥の将来を気遣う気持ちが込められていた。


「心配しないで。先生に話して、楓くんの看病を許可してもらったから」


 遥の言葉に、楓は驚きと喜びを感じた。同時に、申し訳なさも込み上げてきた。


「そんな、遥さんの大切な時間を……」


「楓くんの方が大切」


 遥の言葉に、楓は言葉を失った。その瞬間、二人の間に流れる空気が変わった。


 静寂が流れる。只々、二人の呼吸の音と、窓を叩く雨音だけが聞こえる。


「ねぇ、楓くん」


 遥が静かに話し始めた。その声には、何か重要な決意が感じられた。


「覚えてる? 私たちが初めて図書室で話した日のこと」


「うん、もちろん」


 楓は微笑んだ。その笑顔には、大切な思い出を振り返る幸せが溢れていた。


「遥さんが『デミアン』を読んでいて……」


「そう。あの日から、私の世界が変わったの」


 遥の瞳が潤んでいる。その目には、楓との出会いが彼女にとってどれほど大きな意味を持っていたかが表れていた。


「楓くんが私の世界に入ってきて、全てが鮮やかになった気がしたの」


 楓は、自分の鼓動が早くなるのを感じた。遥の言葉一つ一つが、彼の心に深く刻まれていく。


「僕も……遥さんと出会って、数学以外の世界の美しさに気づいたんだ」


 楓の声には、感謝と愛情が溢れていた。


 二人の視線が絡み合う。そこには、言葉では表現できない感情が溢れていた。互いの目の中に、自分の姿を見つける。


「楓くん、私……」


 遥が言葉を詰まらせる。その表情には、言葉にしようとする決意と、それを躊躇う不安が混ざっていた。


「私、楓くんのことが……」


 その瞬間、保健室のドアが開いた。


「佐伯くん、具合はどう?」


 養護教諭の先生が入ってきた。


 二人は慌てて視線を外す。遥の頬が赤く染まっているのが、楓にはよく見えた。その姿に、楓は胸が高鳴るのを感じた。


「あ、先生。少し良くなりました」


 楓が答える。その声には、少し残念な気持ちが混ざっていた。


「そう、良かった」


 先生は楓の体温を測りながら、遥に向かって言った。


「月城さん、ありがとう。でも、そろそろ授業に戻らないと」


「はい……」


 遥は少し残念そうに立ち上がる。その表情には、楓との時間が終わることへの名残惜しさが表れていた。


 遥が去る前、楓は彼女の手を軽く握った。その触れ合いに、二人とも小さな電流が走るのを感じた。


「ありがとう、遥さん。また後でね」


 楓の声には、深い感謝と、再会を約束する期待が込められていた。


「うん、また後で」


 遥は笑顔で頷いた。その笑顔は、楓の心を温かく包み込んだ。


 保健室のドアが閉まり、遥の姿が見えなくなる。楓は天井を見つめながら、さっきの遥の言葉を反芻していた。


(遥さん、僕のことを……)


 楓の頬が熱くなる。それは熱のせいだけではなかった。心の中で、遥への思いが大きく膨らんでいくのを感じた。


 この病室で、二人の気持ちは確実に一歩前進した。まだ言葉にはできなかったけれど、互いの心の中にある感情は、もう隠しきれないほど大きくなっていた。


 楓は目を閉じた。遥の優しい笑顔が、瞼の裏に浮かぶ。その笑顔は、彼の心を癒し、同時に高鳴らせた。


(早く良くなって、ちゃんと伝えなきゃ)


 そう心に誓いながら、楓は静かに眠りについた。保健室の窓から差し込む柔らかな光が、彼の頬を優しく照らしていた。外の雨は、二人の心の中に芽生えた新しい感情を祝福するかのように、静かに降り続けていた。


 その夜、楓は夢を見た。遥と手を繋いで歩く夢。二人の周りには、満開の花が咲き誇っていた。その夢の中で、楓は遥に向かって何かを言おうとしていた。しかし、言葉が出る直前に目が覚めてしまった。


 目覚めた楓の頬には、涙が伝っていた。それは、夢の余韻なのか、それとも現実の切なさなのか。楓にはわからなかった。ただ、胸の奥で大きく育った感情を、もう抑えきれないことだけは確かだった。


(遥さんに僕の気持ち、ちゃんと伝えられるだろうか……)


 窓の外では、まだ雨が降り続いていた。その雨音は、楓の心の鼓動と重なり、静かな夜に響いていた。


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