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第5話:「静寂の告白 ~揺れる心、届く想い~」

 藤葉学園の図書室。佐伯楓は、いつものように数学の問題集に向かっていた。しかし、今日は集中できない。隣には月城遥がいて、彼女の存在が楓の心を乱していたのだ。


 楓は、問題を解こうとするたびに、遥の方へ視線が逸れてしまう。彼女の長い黒髪、真剣な眼差し、ペンを持つ繊細な指先。すべてが楓の目に、これまでと違って見えた。


「遥さん」 楓が小さな声で呼びかけた。


「なに?」 遥が顔を上げる。その瞳に、楓は自分の姿が映っているのを見た。


「あのさ、この前の雨の日のこと……」


 楓の言葉が途切れる。何を言おうとしていたのか、自分でもよく分からない。ただ、あの日以来、遥のことが頭から離れなくなっていた。


「ああ、あの日ね」 遥の頬が少し赤くなる。「楓くんの言葉、すごく励みになったわ」


 楓は、思わず嬉しくなった。でも、それと同時に、胸の中にモヤモヤとした感情が広がる。この感情は一体何なのか。楓は、数学の問題を解くように、自分の心を解析しようとした。


 その夜、楓は決心した。思いを言葉にしてみよう。手紙という形で。


 楓は、真剣な表情で机に向かった。数式を書くように慎重に、一文字一文字丁寧に言葉を綴っていく。


『遥さんへ

 僕は数学が得意で、いつも論理的に考えることを心がけています。でも、遥さんと一緒にいると、論理では説明できない気持ちが湧いてきます。

 遥さんの詩のような美しい言葉は使えませんが、ただ素直に伝えたいです。遥さんのことが、大切に思えてきました。

 一緒にいると心が落ち着くし、遥さんの笑顔を見ると、僕まで幸せな気分になります。

 これが恋なのかどうか、僕にはまだよく分かりません。でも、遥さんともっと一緒にいたい。もっと遥さんのことを知りたい。そう思います。

 この気持ち、受け止めてもらえますか?


佐伯楓より』


 書き終えた楓は、手紙を何度も読み返した。これで良いのか、まだ迷いがある。でも、これ以上考えていると、きっと気持ちを伝える勇気がなくなってしまう。


 翌日、楓は緊張しながら学校に向かった。休み時間、遥のデスクに手紙を置こうと教室に入る。しかし、そこで楓は立ち止まってしまった。


(やっぱり、まだ早いかな……)


 迷った末、楓は手紙を自分の机の中にしまった。


「放課後、もう一度考えよう」


 楓は自分に言い聞かせた。


 しかし、その日の最後の授業。楓は突然保健室に呼び出された。慌てて教室を出る楓。そのとき、机の中の手紙のことはすっかり忘れていた。


 授業が終わり、遥が掃除当番で教室に残っていた。


「あれ? 楓くんの机から今、何か落ちたわ」


 遥が拾い上げたのは、楓の書いた手紙だった。宛名を見て、遥は驚いた。


「私宛ての手紙?」


 遥の心臓が大きく鼓動する。開けるべきか迷ったが、楓からの手紙なら、きっと開けても良いはずだ。そう思い、遥は封を開けた。


 手紙を読み進めるうちに、遥の頬が徐々に赤く染まっていく。最後まで読み終えたとき、遥の目には涙が光っていた。


「楓くん……」


 その時、教室のドアが開く音がした。


「あ、遥さん。まだ残ってたんだ」


 そこには、楓の姿があった。楓は、遥の手にある手紙に気づき、驚いた表情を浮かべる。


「それは……」


 遥は、読んでしまったことを謝ろうとした。でも、言葉が出てこない。


 二人の視線が合う。言葉なしで、お互いの気持ちが伝わった瞬間だった。


 教室に、夕暮れの優しい光が差し込む。その光の中で、楓と遥は言葉もなく見つめ合っていた。時間が止まったかのような瞬間。


「遥さん、その手紙……」


 楓が震える声で口を開いた。


 遥は手紙を胸に抱きしめるようにして答えた。


「ごめんなさい、楓くん。勝手に読んでしまって」


 楓は深呼吸をして、勇気を振り絞った。


「いや、謝らないで。僕が……僕が遥さんに渡そうと思っていた手紙だから」


 遥の目が大きく見開かれる。


「本当に? これ、私に……?」


「うん」


 楓は頷いた。


「でも、勇気が出なくて。だから机の中に……」


 二人の間に再び沈黙が流れる。しかし、今度はぎこちない沈黙ではなく、お互いの気持ちを確かめ合うような、温かな沈黙だった。


「楓くん」


 遥が静かに口を開いた。


「この手紙、嬉しかった」


 楓の心臓が大きく跳ねる。


「私も……楓くんのこと、大切に思ってる」


 遥の頬が赤く染まる。


「楓くんと一緒にいると、心が落ち着くの。そして、楓くんの頑張ってる姿を見ると、私も頑張ろうって思えるの」


 楓は、自分の耳を疑った。遥の言葉が、まるで夢のように感じられた。


「遥さん……」


「楓くんの気持ち、しっかり受け止めたわ」


 遥は微笑んだ。


「そして、私の気持ちも受け止めてほしい」


 楓は、ゆっくりと遥に近づいた。二人の間の距離が、徐々に縮まっていく。


「遥さん、僕……」


 その時、廊下から声が聞こえてきた。


「おーい、遥ー! まだ掃除してるのー?」


 白鳥凛の声だった。二人は慌てて距離を取る。


「あ、凛」


 遥が答える。


「今、終わったところ」


 凛が教室に顔を出す。


「え? 佐伯くんも一緒だったの?」


「いや、僕は忘れ物を取りに来ただけ」


 楓は少し慌てた様子で答えた。


 凛は二人の様子を見て、何かを察したようだった。しかし、それ以上は追及しなかった。


「じゃあ、帰ろっか」


 凛が遥に声をかける。


「うん……」


 遥は少し名残惜しそうに楓を見た。「じゃあ、また明日ね」


「ああ、また明日」


 楓も微笑みを返す。


 遥と凛が教室を出て行く。楓は窓際に立ち、二人が校門を出ていくのを見送った。


 夕暮れの空が、オレンジ色から紫色に変わっていく。楓は、胸の中に芽生えた新しい感情を噛みしめていた。


 これが恋なのか。まだ、はっきりとは分からない。でも、確かに何かが変わり始めている。


 楓は、机の上に置かれた数学の教科書を見つめた。そして、ふと思いついた。


「そうか。僕のこの気持ちも、難しい数式を解くみたいなものかもしれない」


 一歩ずつ、慎重に。でも、諦めずに解き続ける。そうすれば、きっと答えにたどり着ける。


 楓は、明日遥に会うのが今から楽しみだった。二人の関係は、新しいステージに入ったのだ。


 教室を出る前に、楓は窓際に立ち、深呼吸をした。


「よし、明日からも頑張ろう」


 そう自分に言い聞かせて、楓は帰路についた。明日への期待と、少しの不安。でも、それ以上に大きな喜びを胸に抱きながら。


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