第2話:ハンカチ
連絡が無いと辛いという花夜さんのために昨日は夜に通話をしたまま勉強をして、寝る時も通話を付けっぱなしだった。初めての彼女とのやりとりはとても新鮮で楽しかった。彼女の声が耳元に響くたびに、心が温かくなるのを感じた。
朝起きた時には、花夜さんとの通話は切れていて、彼女からは何も連絡は来ていなかった。そのことが少し不安を感じさせたが、俺は学校に行く準備を始める。
「あれだけ連絡を取り合っていたのに、突然何もないなんて……」
心の中で呟きながらも、俺は自分を落ち着かせる。花夜さんはきっと忙しかったんだ、そう自分に言い聞かせる。彼女の笑顔と優しい言葉を思い出し、自然と微笑みが浮かぶ。
玄関の扉を開けた瞬間、冷たい朝の空気が俺の顔に触れた。その中に立っていたのは、花夜さんだった。彼女の姿が見えた瞬間、心臓が一瞬止まるような感覚に襲われた。
「おはよう!梓眞くん!」
彼女の目の下には濃いクマがあり、顔色も悪い。それにも関わらず、彼女の声は明るく、元気が溢れている。薄明かりの中で、その目には微かな狂気の光が宿っていて、その異様さに一瞬驚く。彼女がここにいること自体が、何か不安を煽る。
「花夜さん、おはようございます。」
彼女の存在に一瞬驚きつつも、俺は冷静さを保とうとする。心の中で驚きを隠し、笑顔を作る。彼女の笑顔が純粋であるほど、その裏に潜むものを想像してしまう。
しかし、どうして花夜さんは、俺の家を知っているのだろう。昨日、帰る時は確かに花夜さんの家の前で別れたはずだ。俺はその疑問を胸に、彼女に尋ねることにした。
「花夜さん、どうしてここが?」
彼女の表情の雲行きが一瞬で変わり、晴れやかな笑顔から不安げな顔つきになる。その目には、焦りと疑念が一瞬交錯する。俺はその一瞬の表情を見逃さなかった。彼女の行動には、何か隠された意図があるのではないかと感じる。
「えっと、昨日の夜通話してた時に、救急車の音が聞こえてきたでしょ?それで、だいたいこの辺りかなって……朝、待ってたら、梓眞くんが本当に出てきてくれて。」
彼女の説明を聞いて、俺は思わず感心した。彼女の観察力に驚かされる。
「花夜さん、それはとても凄い才能ですね!」
俺の言葉に、花夜さんは嬉しそうに目を見開く。その笑顔は純粋で美しいが、同時にどこか不安定なものを感じさせる。彼女の目には微かな狂気が宿っていて、その光景が心に引っかかる。俺はその笑顔に心が揺さぶられる。
彼女がここまでしてくれることに感謝しつつも、その裏に潜むものを感じざるを得ない。彼女の行動が純粋な愛情によるものなのか、それとも何か別の理由があるのか、心の中で葛藤が生まれる。しかし、今は彼女の笑顔に応えようと決めた。
二人で揃って学校へ向かう。花夜さんが俺の腕に抱きついてくる。彼女の手は冷たく、指がしっかりと俺の腕に絡みついている。その冷たさに、彼女の存在の不確かさを感じる。
「一緒に居られるの嬉しいなぁ」
彼女の声は心底から喜んでいるように聞こえるる。彼女の握る力が強く、その小さな手の冷たさが俺の肌に刺さるようだ。初夏の陽光が差し込み、通学路の木々の緑が眩しい。しかし、その美しさとは対照的に、俺たちの間には一抹の不安が漂っていた。
「俺も花夜さんと登校できるの嬉しいですよ」
歩きながらいろいろ話をした。花夜さんは無邪気に笑い、時折俺の顔を見つめてくる。その瞳には何かを訴えるような強い光が宿っていた。授業中は集中したいから、連絡は返せないと伝えると、花夜さんは一瞬の沈黙の後、声を少し上げて抗議するように言った。
「それじゃあ、私がずっと寂しいままじゃない!私のこと、ちゃんと考えてよ!」
彼女の言葉に少し驚きつつも、俺は冷静に対応する。彼女の声には焦燥と不安が入り混じり、その表情はまるで今にも泣き出しそうだった。
「花夜さん、僕は授業に集中しないといけないんです。ですので、なにか代わりになるもので我慢してください」
彼女は考え込み、そして目を輝かせて答えた。
「それなら、何か梓眞くんの物をちょうだい。そしたら、それで我慢するから!」
今持っているもので、無くなっても何とかなるものは……ハンカチしかなかった。俺はそれを差し出した。
「花夜さん、これでもいいですか」
花夜さんは、そのハンカチを受け取り、いままでで一番の喜びを見せた。嬉しさのあまり、顔を左右に振り回していた。彼女の喜びが純粋でありながらも、どこか不安定なものを感じさせる。その姿を見て、俺は改めて彼女の存在の特異さを実感する。
「ありがとう、梓眞くん!一生大事に使うね!」
「喜んで貰えてよかった」
彼女の目には幸福感が溢れているが、その奥には一抹の狂気が見え隠れしている。俺はその微妙なバランスに戸惑いながらも、彼女の存在を受け入れることにした。
学校に着くと、教室で花夜さんと別れる。
「昼休み、一緒にご飯食べようね」
「わかりました、迎えに行きますね」
彼女の瞳が少し輝き、その一瞬の不安が和らいだように見えた。教室に入ると、周りの同級生たちが各々の席に座り始めていた。教室の窓から差し込む朝の光が、机や椅子を温かく照らしていた。
午前の授業は何事もなく、集中することが出来た。先生の声や教科書のページをめくる音が心地よいリズムを作り出し、少しだけ花夜さんのことを忘れることができた。
昼休みになり、花夜さんのクラスに向かう。廊下には昼休みを楽しむ生徒たちの笑い声や足音が響いていた。そんな中、弁当箱を二つ持った花夜さんが既に立っていた。
彼女の姿を見ると、嬉しそうな笑顔が広がる。その笑顔はまるで子供のように無邪気で、心が温かくなる。
「あの、梓眞くん。梓眞くんいつも売店だから、私梓眞くんの分も作ってきちゃった。」
その言葉に驚きと感謝の気持ちが混じり、俺は素直に喜びを伝えた。彼女が俺のためにわざわざ作ってきてくれたことに心から感謝し、嬉しさが込み上げてくる。
「花夜さん、ありがとうございます。ご馳走させてもらいます」
「こっちにきて」
花夜さんの後ろを着いていく。別棟の階段まで歩き、最上段の踊り場で腰を下ろす。その場所は静かで、人の気配が全く感じられなかった。
「ここね、穴場なんだ。誰も来ないんだよ。静かで落ち着くんだ」
「いい場所ですね」
「私たち二人だけの空間だよ」
花夜さんは嬉しそうに笑う。その笑顔は無邪気で純粋だが、同時にどこか狂気を感じさせるものがあった。彼女の瞳がキラキラと輝き、その中に隠された思いが透けて見えるようだった。
「梓眞くん、どうぞ」
花夜さんからお弁当を受け取り、蓋をあける。そこには、色とりどりのおかずと、オムライスが入っていて、ケチャップでハートが無数に描かれていた。
「これ、花夜さんが作ったんですか?上手すぎて感動しました」
「へへへ、食べてみて」
彼女の声は期待と興奮が混じり、その目には一瞬の輝きが宿る。俺はその期待に応えるべく、箸を手に取る。花夜さんの期待に応えたいという気持ちが強くなる。
「では、いただきます」
たまごやきを箸で持ち上げ口へ運ぶ。たまごの層が綺麗にたたまれ、曲線を描いている。その美しい形に一瞬見とれつつ、口に運んだ。口の中に広がる甘さに驚き、自然と笑みがこぼれる。
「おいしい!それに、甘い!」
「梓眞くん、甘いの好きでしょ。たくさん甘くしたの」
彼女の声には、自分が作った料理を認めてもらえた喜びがあふれている。その笑顔に、彼女の愛情がどれほど深いかを感じる。次にオムライスに目をつける。上のケチャップを少しならし、卵の布団を箸で割くと、中からふんわりとしたライスが顔を出す。
オムライスを一口食べると、口の中に広がる豊かな風味と深いコクが驚かせた。絶妙な味付けと丁寧に作られた料理に、感動せずにはいられない。
「花夜さん、とっても美味しいです。」
「よかったぁ。あ、梓眞くん、口にケチャップ付いてるよ。」
花夜さんは、スカートの下から手を入れて、朝に俺が渡したハンカチを取り出す。その仕草に一瞬の戸惑いを感じつつも、彼女の行動を見守る。
スカートの内側にはポケットでもあるのかな。そんな疑問が頭をよぎるが、彼女の行動に気を取られる。
「梓眞くん。拭いてあげる。」
彼女の顔は赤くなっていて、少し吐息が漏れている。花夜さんは、素早くハンカチで俺の口を強くふきあげ、ハンカチをまたスカートの内側へ収納する。
なんか、少し湿ってた気が……手拭きに使ったのかな。
「毎日、お弁当作ってあげるからね。私料理得意なの」
彼女の言葉には、俺への愛情がたっぷりと込められている。その愛情に応えるべく、俺も彼女のことを大切にしなければならないと強く感じる。彼女の瞳が嬉しそうに輝き、その愛情が一層深まる。
誰も通らない階段の踊り場で二人、お弁当を食べながら昼休みを過ごした。