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老若戦争

作者: 雉白書屋

 駅を出てしばらく歩くと、いくつか人の姿を見かけたので、おれはほっとした。

 駅と言っても無人駅。ここはド田舎で、おれの故郷だ。しばらく顔を見せずにいたから、寂しがっているのだろう、ここで一人で暮らしている母に電話で帰ってくるよう言われ、おれは仕方なくやって来たのだ。

 ほっとしたと言うのは、畑に刺さる不気味な案山子ではなく、ちゃんとした人間に出会えたからというわけではない。その老人たちがおれに向ける目がこう言っているのだ。『よそ者が来た』と。

 おれは故郷が嫌いだ。ここには何もない。あるのは老人と、ここから出て行けない連中だ。ああ、一応、アレがあるが、その話はいい。おれはどれも嫌いなんだ。そんな連中から、よそ者に思われたことが嬉しかったのだ。

 どこからか暴走族めいたバイクの音が聞こえてきた。それに続いて、害獣撃退装置から出る銃声も。漂う野焼きの匂い。どれも懐かしく、今では愛おしささえ感じる。ここを離れ、自分が都会に染まったと思えるから。


「ただいまー」


「ああ、おかえりぃ! 無事に来れたんだねぇ」


 家に帰ると、母が玄関まで慌ただしく駆けてきて、おれにそう言った。


「ははは、大げさだなぁ」


「いやぁ、元気? 襲われなかったかい?」


「ああ、元気だよ。相変わらず、都会で働いていますよっと。ん? 襲われる?」


「まあ、ゲンさんに話は通しておいたから大丈夫だとは思っていたけどね」


「襲われるって、ああ、熊に?」


「ああ、オオウチさんに連絡しとかないとね」


「いや、誰なのさ、その人たち……」


 母のブツブツとした、どこか要領を得ない話し方に、おれは少しイライラしたが、とりあえず居間に入って腰を下ろし、母が淹れてくれたお茶をすすった。

 その時だった。外から凄まじい銃声が聴こえ、おれは咽返ってしまった。


「な、な、何だ今の音は!」


「あれはカラシニコフだねぇ。ロシアから流れてきたやつだよ」


「い、いや、それって銃、銃声ってことだよな、え」


 と、母のほうを向くと、母は頭に薄汚れた白いヘルメットをかぶり、両腕にしっかりと銃を抱えていた。


「な、そ、それ、本物なのか?」


「トンプソンちゃんだよ。ははっ、そんなに震えなくていいよ。今、サンちゃんとタモツさんにタケくんが出ているから」


「だから、誰!?」


 おれはそう言ったが、無視された。でも、母が口にするその名前に、うっすらと聞き覚えがあった。まだこの家に住んでいた頃、母の話に出てきた気がする。確か……そうだ、近所の人たちだ。


「はぁーあ、やったりますかねぇ」


「いや、い、一体何が、どういうこと」


「猿どもさ」


「さる……? 熊じゃなくて……?」


「あんたもよく知っている連中さ。ははっ、なんだい、花魁みたいに足を投げ出してさ。腰でも抜かしたのかい? まったく」


 と、窓から外を覗く母は、おれを見て、ため息をついた。


「あんた、この家を出て都会へ行くときにあたしにこう言っただろう? 『こんな田舎に残るのは老人とヤンキーだけだ』って」


 おれは俯き、「うん」と言った。責められている気がして母の目を見れなかった。


「あたしも昔、そう思ったよ。若い頃にね……。と、いうか田舎はみんな思うさ。まあ、実際そうなんだよ。そして、それが何世代も繰り返されると、今みたいな状況になっても不思議じゃないってなもんさ」


「だ、だから何なんだよ、何が起きてるんだよ」


「……戦争だよ。ヤンキーどもと、あたしら老人のな」


 地元に残ったヤンキーは、本能の赴くままポンポン繁殖して勢力を拡大し、その結果、老人たちとの間に確執が生まれた。騒音トラブルに若さに対する嫉妬、恐怖心。向こうは向こうで老人たちから馬鹿にするような目つきをされ蔑まれ疎まれ、そして老人たちが定めたルールに従うよう強いられ、お互いの目に悪しきモンスターに映っているのだろう。戦争は両方が自分たちは正義と考えている……なんて、その話はもういい。それよりも気になるのは


「なんで銃があるんだよ!」


「だから言ったろう。ロシアから流れてきたやつだって。他にも中国とかいろいろと」


「だからなんで!?」


「そんなの武器商人にでも聞きな。と討ち漏らしたな! 死ねぇやぁぁぁぁぁ!」


 戦争あるところに儲け話あり。なければ作る。この争いは誰かが煽り立てたものなのだろうか。それにしても、ド田舎のこととはいえ、なぜ情報が一切表に出ていないのか。昨日今日始まったことではないようなのに。窓ガラスを割って外へ銃口を突き出し、乱射するその母の姿が、どうも様になり過ぎている。


「よっし、何発か当てたよ。あの傷じゃ、もたないでしょう」


 銃口から立ち上る硝煙を蹴散らすように鼻から大きく息を吐き、そう言った母におれはおそるおそる訊ねた。 


「なあ、なんでこんな時に帰ってこいって言ったんだよ」


「ああ、そうそう。あんた、アキヒコって子と昔仲良くなかった?」


「え? アキヒコ……ああ、小学生の頃、一時期遊んでたよ」


 中学に上がると、奴は不良グループとつるむようになり、疎遠になったが。


「アキヒコくんは今、向こうの武器庫番をやってるらしいんだよ。あんた、その子を探してさぁ、ちょっと仲間に入れてくれって言って近づいて武器庫ごと焼いてきてよ。ほら、手榴弾と火炎瓶もあるからさ」


 と、言った母は、どこか自分の発言に酔いしれているようだった。うっとりとした目で手榴弾を撫でている。戦いに酔っている。ジャンキーだ。


「む、無理だって、おれに、そんなスパイみたいなことは……」


「でも、うちの息子がやるってみんなに話しちゃったからねぇ、困るよ」


「いや、困るのはこっちだよ。それに、居場所だって分からないんだろ?」


「そんなのは連中に聞けばいいだろう? 都会に行ったのにまーだ、人見知りが直ってないの? もーう、あんたがやってくれないと母さんたち負けちゃうかもしれないんだよ。向こうのほうが数も多いしさ、まったく少子高齢化って政府の嘘なんじゃないかねぇ。旗も作っちゃったのにさ。世の中の流れはこっちにある! ってさ」


 と、どこか陰謀論染みたことを言い出した母にゾッとした。おれは母を説得しようとしたが、おれを道具としか見ておらず、聞く耳を持っていないようだった。

 だからおれは、外を見張りながらブツブツ呟き始めた母に気づかれないように、こっそりと家を出て駅に向かった。

 走り続け、そしてふと最初に聞いた銃声は害獣撃退装置ではないと思うと背筋が凍った。遠くから聞こえるあのバイクの音も恐らく武装したヤンキー連中なのだろう。爆発音がしてその場に立ち止まると、遠くの方で、空に向かって昇る黒煙が見えた。そしてまた銃声がした。屋根瓦が崩れるような音も。


「おい! なぁーにしてんだぁ?」


「え、あの、違うんです!」


 迂闊だった。生け垣や塀からヌッと顔を出した老人に銃口を向けられ、おれは両手を上げた。その老人の後ろからさらにゾロゾロと老人が現れ、おれはあっという間に囲まれてしまった。

 

「あ、あの……」


「ああ、これ」

「だな」


 老人が銃を下ろし、そして笑った。 


「いやぁ、メグさんのところの息子だなぁ。立派になってなぁ」

「親のために帰って来るなんて、うん、えらいえらい」

「わたしらのためにありがとなぁ」

「カミカゼカミカゼクワバラクワバラ」

「派手にな、死んでくれなぁ」

「さあ、さあ行こうか」


「え、あの……」


 母の知り合いだったらしい。向こうはおれが逃げようとしていたのを知らなかったようだが結果、捕縛されてしまったおれは、連中に軽トラックの荷台に乗せられた。どこかに連れていかれるのか聞いても答えては貰えず、老人連中の要領を得ない話と危うげな運転に頭がおかしくなりそうだった。

 しかし、ほんの五分ほどトラックは止まり、おれは降ろされた。ただ、そこはヤンキー連中の縄張りの近くらしい。


「さあ行け、ほれ行け」


 陰険な顔をした老人に銃で背中を突かれ、おれは路地から通りへ歩み出た。手榴弾は持たされなかった。まず武器庫の場所を探ってこいとのことだ。

 おれが通りに出た途端、道やコンクリートブロック、汚い折り畳み椅子に座っている若い連中がキッと鋭い目でおれを睨んできた。連中が皆、同じような色の茶髪をしていたことも相まって、おれは猿の縄張りに足を踏み入れた気分になった。


「あ、あの、あー」


「……ふふっ」

「はははは!」

「はっはっはっは!」


 おれは彼らに敵意がないことを示すために手を上げようとしたが、恐怖心からか思ったほど腕が上がらず、まるでゾンビか幽霊のように両手を前に出して歩いていた。しかし、それが滑稽に見えたようで、連中の警戒心に満ちた目が嘲笑のそれに変わった。おれを指さして笑い、子供たちがおれの真似をして腕を前に出し、「あー」や「うー」と白目剥き、それを見て連中はまたゲラゲラ笑った。

 男連中のほとんどが髭を生やしており、髪は汚い茶色か金色だった。子供は揃いも揃って襟足が長かった。服装はツナギやジャージ。金のネックレスやブレスレットにサングラスなど、やはり都会のそれとは違う、田舎感あるヤンキーであった。地面に直接、CDプレイヤーが置かれており、そこから大音量で音楽が流れている。

 おれはへへへと愛想笑いを浮かべながら、どうにかこの場から逃げ出す方法はないかと考えた。しかし、おれを銃で突いたあの戦場かぶれの老人が言っていた、『狙っているからな。裏切るなよ』という言葉がおれの足を鈍くする。

 もっとも、それがなくても、この状況をどう切り抜ければいいのか、まったく見当がつかなかった。連中は笑ってはいるが、今にもキレ出すんじゃないかという、危険性が窺えた。こうして一歩一歩近づくと、それがより強く感じられる。猿は猿でも、獰猛なヒヒの群れの中にいる気分だ。


「おい……おい!」


「あ、は、はい!」


 折り畳み椅子に座る男に手招きされ、おれは急いで歩み寄った。


「おま――ひと?」


「はい?」


 よく聞こえなかった。おれは中腰の姿勢から、さらにその男に耳を近づけ、聞き返した。


「お――ど――」


「あの、音楽が大きすぎて……」


 と、聞き返したおれに、その男はあからさまに苛立った顔をし、CDプレイヤーのスイッチを切った。


「これ、スザク。いいよな」


「え、あの、その……」


「あ? 知らんの? スザクドリームスターズ。地元のスターじゃん」


 知っている。おれは昔から嫌いだった。この田舎の唯一の星とされている四人組のバンド。地元愛をうたい、ヤンキー連中が自分たちにそれを重ねて喜んでいるのが心底気持ち悪い。バンドメンバーも同級生など昔からの仲間らしいが内輪受けのノリに濁声の初老がはしゃいでいるのも鬱陶しいし、自分たちでスターと名付けるところも嫌いだし、何十周年だとかで、一時期町を上げて推していたあの時の同調圧力。そして、やはり何よりもあのバンドを好きな自分が好き、自分たちも自由人気取りの連中のことが――


「いやぁ、もう昔から大好きなんですよぉ! 地元人ですよ、当然じゃないっすかぁ」


 おれがそう言うと「だよなー!」と男は大口開けて、手を叩いて笑った。近くにいた女も笑い、黒い下着がピンクのジャージの裾から見え、おれは不覚にも興奮してしまった。

 

「で、お前どこの人?」


 と、男に急に鋭い眼光を向けられ、おれはうぐっと息を呑んだ。やはり獣染みた連中だ。仲間かそうではないかを見た目だけではなく、おれの心、その怯えから嗅ぎ分けているようだ。体を起こしたその男の腰には銃があった。

 おれが帰省したことはこの連中もわかっているだろう。質問の意図は『どこの家の奴だ?』だ。正直に答えれば、いくら馬鹿でもおれが老人の手先と察するだろう。ガチガチ震え、手と脇が汗で湿っていく。視界の端に動く影が映り、そして背後からは足音がした。連中がおれのほうへ集まっているのだ。にじり寄る暴力の気配におれは漏らしそうだった。


「何黙ってんだ?」

「何か言えよ」 


「あ、あの、あ、おれ、おれは――」


「おい! 爺連中が来たぞ!」 

「軽トラか!」

「いや、プリウスだ! やべーぞ! 本気だ!」


 ヤンキーたちは道路で遊んでいる子供の腕を掴み、慌ただしく散っていった。おれは、へなへなと地面にへたり込みそうになったが、グッと耐えてそばの家の陰に隠れた。それから数秒後、目の前を猛スピードの車が走り去っていくのが見えた。おれに群がった連中をまとめて轢き殺す算段だったのかもしれない。

 その後、辺りで怒号と銃声が飛び交い、爆発音が響いた。おれは足がもつれそうになりながら、必死に走った。

 この地で行われているのは代理戦争だ。中東や他で行われているのと同じく、争い合う国に第三者の国が援助し、その国と敵対している国が反対の国に援助し、という風に日々、この国で起こっている若者と老人の諍い、国中のヘイトがここに集中し、この田舎の連中を殺し合わせているのだ。この田舎という蟲毒で生き残り、そして何が誕生するのか、おれにはわからないし、知りたくもない。ただただ、おれは帰りたい。そう、帰りたいんだ。ここはおれの帰るべき場所ではない。

 おれは茂みの中で震えながら電車が来るのを待ち、そして電車が駅のホームに停まると同時に、中に駆け込んだ。

 走り出した電車からの窓から外の様子を覗うと、何本か煙が上がっており、一見すると野焼きのようだが、戦争の激しさを物語っていた。

 おれは電車に揺られ、窓から外の景色を、遠のく故郷を目に焼き付けた。そして、二度とここには戻らないと誓った。




『続いてのニュースです。また老人の暴走運転が――』


 あれから、ひと月が過ぎた。母から連絡は一切ないが、気にしないようにしていると、おれが見たことは全部夢だったんじゃないかと思えるようになってきた。

 仕事から家に帰ってきて、テレビをつけ、冷蔵庫から取り出した缶ビールを開ける。これが日常。これが平和。これが幸せ。

 相変わらず、地元で起きていることは報じられていない。だが、それは田舎だからではないとおれは思う。ニュースは相変わらず老人の暴走運転や若者の高齢者宅へ押し込み強盗などを報じており、それがどこか老人と若者の対立を煽るような造りをしていると感じさせられる。

 ともすれば、おれの地元で行われているのは、この社会が膿み、生んだ歪みではなく、何らかの試みのようなものに思えて――


 ――ピンポーン


 体が強張ったのは突然鳴ったインターホンのせいじゃない。間髪入れず聴こえた声だった。


「はぁぁい。お母さんが来たよぉ。開けてぇ」

「ここかい、息子さんのアパート」

「交通の便もよさそうだ」

「三階の部屋というのがいい。屋上に近いし、戦いはやはり敵の頭上を取らないとな」

「ここを対策本部にしよう」


 鳴り止まぬノック。戦争の足音におれは震えた。

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