ep.01
皇暦762年5月4日
「……俺、このパーティーから抜けるわ」
どうして、と眼前の男は癖掛かった茶髪に灰の瞳の少年に問い掛けた。少年はだって、と続ける。
「このパーティーに俺、要らねぇだろ」
引き留めようとする者達の声などまるで耳に入っていないかのように少年は足早に去っていった。
この日、俺はこの十四年の、いや。前世も含めて四十五年の人生の中で何度目かもわからない挫折を味わった。
俺は転生者だ。
三十一歳の時に俺は死んだ。過労による転落、轢死なのだと。
今思えばロクな人生じゃなかった。
俺の人生は常に誰かの、それこそ高圧的な親の言いなりだった。逆らうことは許されず、その気力も無く凡を字に書いたような俺は学生時代の最後までを特に成果も出せず、勉学と親からの罵倒や振るわれる暴力で使い潰した。
常に監視され、日常の行動を全て秒単位で管理された。一秒でも過ぎれば殴る蹴る等の暴行を受けた。
その後、学力の問題で俺は強いられていた医師への道を断念し、親兄弟からの失望の目に晒されながらも進学。卒業後は俗に言うブラック企業に就職した。
それからは家庭を持とうという気力すら湧かない程馬車馬のように働き、叱責され、ハラスメントを受け、特盛のサービス残業と割に合わない給金と共に日々消耗していった。
それが良くなかったのだろう、憔悴で正常な思考が出来なくなっていた俺は気付けば自殺を図ろうとしたこともあった。
同僚や後輩に迷惑を掛ける訳にもいかず、辞職出来ず三十を過ぎていた。
そして……三十一の時、俺は命を落とした。
その日も残業明けで睡魔と戦いながら駅のホームで電車を待っていた時のことだ。不意に、足がもつれて転んでしまった。受け身を取る間もなく俺の身体は電車の前に落ちていた。
迫りくる轟音と眩い閃光に照らされ、ほぼ同時にぐしゃり、という体感……最期に過ったのは、ただ───「次はマシな人生を」───であった。
ふと、浮遊するような感覚に目を覚ますと、そこは真白な空間の中であった。身体は透けており、やはり俺は死んだのだと改めて実感した。だとするとここは死後の世界だろうか、と考えていると、
『お前は死んだ』
と何処かからか声が響いた。
その声の主は『転生神』と名乗った。
その姿無き神は横柄に、そして投げ槍にこう告げた。
『お前は記録係のミスによって死んだ。哀れなお前には転生する権利が与えられた』
心底どうでも良さそうなその態度に、俺は頭に血が上るのを感じた。だが、そんな様子など意に返さないかのように、その髪はせせら笑いながらこう続けた。
『尚、お前は転生特典の抽選から外れた。つまりは人生リスタートだ』
肉体が無いが為に掴みかかることも出来ない。
『フゥ……次の人生に幸あらんことを。……はよ行け』
同時に意識が暗転した。
そこから先は赤子からのリスタートだった。俺はこの、俗に言う異世界において『ライル・シュナイド』として生を受けた。
俺が生まれた場所は〈マギア魔導自治領〉と呼ばれ、遺伝的に〈魔法使い〉が多く産まれ落ちる地域である。稀に〈神官〉が産まれることもあるのだとか。
説明も特典もないまま産まれた俺は前世の数少ない友人から聞いた、俗に言う『俺TUEEE』なんて出来るはずも無く、平凡な〈魔法使い〉として育った。……何処まで行っても現実はクソのようだ。
だが、実家は貧乏ではあるものの家庭環境は良好で、前世の親が如何に『毒親』であったかを、それこそ豚にも劣る暗愚な人でなしであるかを思い知った。金や権力、立場は人をああまで狂わせるというのか……なら多少苦労しても普通でいいや。ああいう人でなしにだけはなりたくない。
ともあれ俺は十三の時に冒険者として生きていく為に家を出た。
前世含め四十五年生きてようやくなりたいものが出来たからだ。それは、〈魔法使い〉の頂点に達した者がなる事が出来ると言われている〈偉大なる魔法使い〉である。
十〜十三歳の頃に通っていた魔導学園──マギア魔導自治領では十歳となった者は基本的に三年間通う事が義務付けられる教育機関──の図書室に所蔵されていた伝記に著された、今から約四百年前に存在した〈偉大なる魔法使い〉の英雄譚のようなものであり、その書物を読み進める程に、俺は心躍っていた。その者は比類無き強さを持ち、時に竜を倒し、時に人を助ける……そんな人になりたいと思った。これが俺が旅に出る動機になった。
家を出て一年程は自治領に留まっていた。と、いうのも自治領が属している国家〈エインズワース皇国〉の駆け出しの冒険者が集う街〈ノルン〉へはワイバーン便──飼い慣らされたワイバーンを人や物の貨物に使う航空便──しか無く、それも料金が高い。自治領周辺の魔物を倒して報酬を得るも、はっきり言って微々たるものであり結局バイトを掛け持ちする羽目になってしまった。どうやら自治領周辺には弱い魔物は殆ど生息しておらず、そのかわり中程度からそれ以上の強さの魔物が生存競争をしている為らしい。要するに、自治領は駆け出し冒険者には優しくない、ということだ。本来であれば冬が来る前に──冬はワイバーンが冬眠する為に便が出ない──ノルンへと向かう予定だったが飼料の高騰で料金が値上がりし、金が足りず致し方無く自治領で冬越しをすることとなった……馬小屋で。
そう、馬小屋でである。
報酬や給与の大半をワイバーン便の料金の為に貯金しているので泊まれる場所は馬小屋しかなかったのだ。宿を借りる金なんて無い。手痛い出費ではあったが防寒具を値切って手に入れ、睫毛を凍らせながらも何とか俺は十四の誕生日を迎え、冬を無事に越すことが出来た。
そして冬の間もバイトで貯めた金が入った財布を握り締め、俺は春先の第一便に乗ってノルンへと辿り着いた。
ノルンは活気に溢れた街だった。
市場は賑わい、酒を酌み交わす者達や駆け回る子ども達、談笑する御婦人達の楽しそうな声かそこかしこから聞こえてきた。
俺は冒険者ギルドに向かい、自治領で取った冒険者であることを証明するドッグタグ──冒険者であることを示す魔導具で出身、名前、年齢、性別、生年月日、職業、所属する冒険者ギルドの場所、ステータス表示用魔法陣が刻印されている──を提示して登録を終えた後、街の中心にある掲示板へと向かった。パーティーメンバーを見つける為だ。
これまでの戦闘で俺のレベルは6になった。大半のパーティーの募集要項には『レベル5以上』と記されていた為早々に断られるとは思えなかったので、幾つかのパーティーと面接を受けた。
厳つい男達のパーティー、老人達で構成されたパーティー、女性ばかりのパーティー等のように癖の強い所もあった。
最後に面接を受けたのは『魔王討伐』を掲げたパーティーだ。
『魔王』というのはここから遙か北の大地に存在する、魔族──外見はほぼ人族だが角や尻尾、翼があり莫大な魔力を持つ種族──の住まう〈ジルバス魔王国〉を統べる王のことである。魔王国は資源や奴隷、領土を求めて周辺国へと侵攻を繰り返しており、滅ぼされた国家も多いと聞いている。
その脅威を取り除きたいと願ったのがこの、所謂勇者パーティーである。そしてそのリーダーは転生者だ。名前が日本人のものであり、武具も駆け出しの冒険者に見合っていない豪奢な物であること、そして本人に確認を取ったことから確信に至った。
年が近いということもあるのか、俺は割とすんなり面接を終えその場で採用された。……が、はっきり言って彼はオーバーなスペックを持っていた。というか、彼以外まともに戦っているメンバーがいないのだ。これでは寄生虫のようではないか。
一月程経って、俺は勇者パーティーを抜けた。正直な所、あのパーティーに俺は要らないと思う。要らないし、いなくても彼だけでやっていけると思ったからだ。
自治領にいた頃と同じように俺は再びソロに戻った。またバイトを探さなければならないだろう。駆け出し冒険者は討伐報酬だけで生きていくのは厳しいので、掛け持ちをしたとしても何ら不思議ではない。
採用面接の後、俺は二つの酒場と一つの露店のバイトをこなし、馬小屋生活を続けることとなった。
目下の目標は……次の冬越しだ。もうあんな辛い冬越しはしたくない。毎日死を覚悟する程こ寒さに凍える事態だけは何としても避けたい。かと言って、宿代は高い。最安値でも馬小屋の賃料の二十倍は軽く超えてしまう。それが今後も続くとなればその総額は察しの通りだ。
だからこそ……だからこそ、だ。
家を買う。
ボロ家でも曰く付きでも何だって構わない。雨風や寒さを凌げるのならば何でも良いのだ。これからの賃料の総額と比べれば少しはマシになるだろう。パーティーを組むのであれば拠点としても使えるはずだ。
頑張るぞい、と俺は気合いを入れ、腰ベルトに薬草等を入れたポーチと中古で買った護身用のカトラスをぶら下げ、杖を肩にぽんぽんと当てながらバイト先へと向かった。
同日、ノルンの門の前に一人の少女が佇んでいた。
茶髪茶目の少女はポニーテールに結わえた髪を風に揺らしながら、こう呟く。
「……ここから始まるんだ」
軽装で腰に二振りのダガーを差したその少女は期待と不安で心を揺らしながら門をくぐったのであった。
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