7ー1 少年と少女と女
前回のあらすじ…
キッチンでルートヴィッヒと共に料理に挑戦したレジーナ。いつも幽閉されていた屋敷で出さ
れた食事も、こんな大変な思いをして作るものだったのかと改めて知る。
地図で次の行先を確認するレジーナは、知るとはどういうことなのかを分かり始める。
「肉屋のおじさん、おはようございます」
「ん?なんだ昨日のボウズじゃねえか。まだ開店前だぜ」
「感想を言いに来ました」
開店準備で重い荷物を運び込んでいた髭の店主は、まさか律儀に言いに来るとは思わず面食らった。
「お、おう。どうだった?」
「辛かったです」
「あっはっは!ガキだなぁ、ボウズ。胡椒が辛いか」
「ただ辛いだけじゃなかった。香りがいい。何種類か使っているのか?」
レジーナの後ろで馬を引く美青年に、店主は「よくわかってんじゃねぇか」と言った。
「複数混ぜているがそこは企業秘密だな。ビールと恐ろしいほど合うぞ」
そう言うと店主は箱の中から何か取り出した。
「ほらよ、ボウズ持って行け。こっちは辛くない。だがあんまり日持ちはしねえから今日にでも食っちまえ」
「わあ、ありがとうございます!ルト様、やっぱり店主は良い人です!」
「ああ、そのようだ。世話になった。ジーン、行くぞ」
歩き出した2人にはもう聞こえなかったが、いかつい髭面は「そういうのは俺の聞こえないとこで言え」とボソボソ言っていた。
2人は町を出ると、街道を東にひた進む。
レジーナは慣れない馬で懸命についていく。
お尻が痛くなってしまい、恥ずかしながらもそれを訴えれば小まめに休憩を挟んでくれた。他にも、手綱や足の動きを教えてくれる。
乗馬に対してこんなに細かく指示があるのは知らなかった。
休憩時にリンゴをかじりつつ、ルートヴィッヒは色々なことを教えてくれた。
そのほとんどは一般常識なのだが、レジーナの稚拙な疑問を馬鹿にすることなくきちんと答えてくれた。ただ答えるだけでなく、時折彼女自身に考えさせる。
ルートヴィッヒの声は柔らかく聞きやすい。耳に心地よい上に知らない世界を紡ぐ彼の言葉を、レジーナは夢中になって聞いた。
「ジーン、熱心に聞いてくれるのはいいが、俺の話を鵜呑みにはするなよ?」
休憩も終わりまた馬に跨った時、彼はそう言った。
「どうしてですか?」
「俺の言うことが必ずしも正しいわけではない。俺とお前の考えが違っていてもいいんだ。最後に答えを出すのは自分だぞ」
「でも僕、どれが正しいかなんてわかりません」
「今はそれでいい。別の考えが出てきた時に、比べて自分で判断できれば。情報だって目まぐるしく変わる。自分の知っていることにもある程度疑問を持つのは大事だ」
レジーナにはまだ判断材料が少なく、意味を正確に捉えたわけではなかったが、彼の言葉はしっかり胸に刻んでおこうと思った。
「ねえ、ルト様って、将来は何になるんですか?今の旅はお仕事なんですか?」
「将来か…順当にいけば父の跡を継ぐことになるだろうな。俺もそのつもりではいる。旅は仕事かと言われたら、まあそんなとこだろうな」
「継ぐお仕事があるんですね。僕はどうしよう。何になれるんだろう」
遠くを見れば答えでも書いてあるかのように、前方を見つめながら彼女はそう言った。
「何になれるかではなく、まずは何になりたいかではないか?」
「何になりたいか…」
レジーナは隣のルートヴィッヒを見る。
旅に同行させてもらいまだ3日目だと言うのに、既に彼女は全面的に彼を信頼していた。
右も左もわからない無知な子供が、優しく救いの手を差し伸べられたのなら皆そうなるのではないか。
「私、このままルト様にお仕えできたらいいのに」
それは心の中の独白のつもりだったが、小さく口から漏れ出ていた。
蹄の音に混じりルートヴィッヒの耳に微かに届く。
彼女は本来なら侯爵令嬢。姉が婚約者候補としてあるのだから、彼女にだってその可能性はあったはずだ。
望めば、宮廷で召し抱えることも可能だろう。
だが彼女が見ているのはあくまで旅人のルトであり、王子のルートヴィッヒではない。
宮廷に彼女の夢があるとは思えなかった。
「もっと色々なものを見てみろ。そのうち見つかる」
「そうですね!僕まだ3日しかーー」
3日しか世の中を見ていないんだし。
そこでふと、彼が誕生日でこの旅を終えることを思い出した。
「ねえルト様、誕生日でこの旅が終わるのなら、それはいつなんですか?」
「あと2か月だ」
2か月。
あと2か月したら、自分は1人で生きていかねばならない。
もう侯爵家に戻るつもりはないし、どこかで平民と同じように家を持ち、金を稼ぎ、自分の力で暮らしていかなければならない。
旅を続けるにしても、何かしら仕事ができるようにならなければ野垂れ死ぬだけだ。
それはとても重要なことだった。
だけどそれだけではない。
ルト様とずっと一緒にいられないかな。
彼女は本気でそれを考え始めていた。
残りの2か月、覚えられることをなんでも覚えたら、本当に彼の従者として雇ってもらえないだろうか。
それとも、女性であることを明かせばまた別の働き方があるだろうか。
例えば…きっと彼はそれなりの身分があるはずだ。お屋敷のメイドとか、メイドとか…女性の仕事ってなんだろう。
姉は…14歳の時に第一王子の“婚約者”になったと自慢していた。
物語では「世継ぎを産むのが女の仕事」という台詞もあった。
ルト様の……妻?
急激な自分の思考の飛躍に、思わず「ひえっ」と声を出してしまった。顔にプレッツェルが張り付いたみたいに猛烈に熱い。
流石に彼女の思考まではわからないルートヴィッヒが、突然慌て始めたレジーナに「どうした?」と聞いた。
真っ赤な顔で、「な、なんでもないです」と言っていたが、一体何を考えていたのだろうかと首をひねる。
その時、遠くの雲が光ったのが見えた。
雷雲だ。
まだ自分たちの頭上にはそれほど厚い雲はないが、昼頃なのに全体的に暗い。
彼はレジーナを止めると、馬上でひょいっと抱き上げ自分の馬に乗せた。
今しがた妙なことを考えていたレジーナはびっくりして馬鹿みたいに鼓動が跳ねたが、ルートヴィッヒに指摘されて遠くを見れば確かに雷が見えた。
「風はこちらに流れている。巻き込まれる前に急ごう」
ゼーレンベルク侯爵領から関所を抜けクンストドルフ伯爵領に入る。
本当は関所を抜けたところで昼の休憩を取りたかったが、ここから急いで1時間ほどの所にある最初の町に入るために馬を飛ばした。
しかし天候の移り変わりの方が一足早く、雨が降って来てしまった。
荷物から革のケープを取り出すと、レジーナごと頭から被る。
「あまり防水性はないがないよりマシだ。背を預けていいからもう少し俺にくっつけるか?飛ばすぞ」
腹をぎゅっと抱え込まれてしまい、先程の顔の熱が全身に広がった。
早まる鼓動をどうしたらいいのかわからず、ぎゅっと唇を噛みしめているうちに雨があっという間に体を激しく打ち付けた。
ケープも間もなく雨水が染みてしまい、全身がずぶ濡れになっていく。
「もう少しで町だ。大丈夫か?」
「は、はい。だ、大丈夫ですっ」
彼女の声が上ずっている。
寒いのかと思ったルートヴィッヒが、ケープの下でさらに密着度を高めてくる。
「ひ、ひえ…」
「怖いか?落ちることはない。頑張ってくれ」
違うんです。
変なこと考えてしまいごめんなさい。
結局ケープもほとんど意味をなさないほど濡れてしまった2人は、ようやく町に着くと急いで宿を取った。
しかし同じように行商人や旅人が殺到したため、取れた部屋はシングル1部屋のみ。
ただ小型の暖炉が設置されており濡れたものを乾かせるのはありがたかった。
部屋を取るのと一緒に薪を買うと、ルートヴィッヒが手早く火を入れ濡れた装備品を暖炉の前に並べた。