3ー1 良い人に拾ってもらいました
前回のあらすじ…
幽閉された令嬢がいることを確信したルートヴィッヒ。
彼は自分の守護精、プロミネーアにレジーナを追跡させたのだった。
「どうしよう、どうしよう。街の近くまで来たのはいいけど、私これからどうしたらいいの?」
自由に胸を膨らませ夜中に馬を飛ばした――と言うよりしがみついてきたレジーナは、街の近くにある森の中で一晩明かした。
明かしたと言っても寝たわけではなく、時折何かの生き物の鳴き声に怯えながら馬と、そしてプレッツェルに身を寄せ震えていたのだが。
厩舎には馬丁の私物もあり、そこから少年用らしい服を拝借したレジーナは髪をまとめあげキャスケットの中に収めた。ブラウスとキュロット、上からベストとジャケットを羽織り、やや大きいが作業用らしき長靴を履けば、一応少年ぽく見えた。
女性の身でうろつくのはあまり良くない気がした彼女は、本の真似をして男装したのだ。
金目の物はなかったが鞄に転がっていたナイフと置いてあったランプを詰め込み、一番大人しそうに見えた馬になんとか鞍を乗せるとひっくり返したバケツの上からよじ登りここまで来たのだ。
だが街は眼前に見えるものの、社会に全く出たことのない彼女はここからどうすべきか見当がつかなかった。
「このままじゃまずいわよね。お金もないし」
「お金もだけどさ、ここは侯爵邸から一番近い街だよ?もう少し離れた方がよくない?」
「確かにそうよね。でも次の街はどこかしら。前に見た地図だとここから東に行ったところにあったけど、距離がどれくらいなのかわからないわ」
「領地を出ちゃえば?」
「そうしたいけど、どこをどう行けばいいのか…」
「でもここにいたらなーんも始まらないよ」
レジーナは「そうよね」と呟くと、プレッツェルを体に戻した。
そして馬の手綱を引き、恐る恐る街へと近づく。街は外周を城壁で囲まれているので、どうしたって門を通過しなければならない。
大丈夫。
平静を装って。
馬丁の少年が馬を連れていたって何もおかしくないわ。
まだ朝も早い時間。それほど人の往来はなく、少し離れた所で見ていれば入って行ったのが1人、出て行ったのが3人くらいだ。
彼らは門番に止められることなく自由に出入りしている。
よし、私もやれる。
レジーナは深呼吸をした後、意を決して進んだ。
不自然にならないように、一度街道に出てからまっすぐ門に向かう。
こういう時どこを見ればいいのかしら。
目を逸らしすぎても変よね。門番を凝視してもおかしいわ。
ああ、どうしよう。何か聞かれたらどうすればいいの?
いよいよ目の前に門番が迫ってくる。
左右に1人ずつ。右の門番は犬の守護精が傍に立っていた。左の門番は鷹だろうか。
挨拶をしなきゃ。さっき出て行く人がしていたわ。
自然に、おはようございますって言うだけ。
「お、おはようございます」
少し固かったかな?でも大丈夫、ただの挨拶だもの。
「待て」
だ、大丈夫じゃなかったわ!
「なっ…んでしょう?」
声が裏返ってしまい、怪しさがどんどん増していく。
「お前、見ない顔だな。ちょっと鞄の中を見せて見ろ」
嘘、門番て顔を覚えてるの?こんなに広い街なのに?
「身なりが悪いわりにいい馬を連れているな。どういうことだ?」
馬ってどれも見た目は同じじゃないの!?
「ああー、えっと…これは…ご、ご主人様の、馬が…」
しどろもどろになりながらも、なんとか誤魔化せないかと嘘をついてみる。
だが執事以外誰かとまともに話すなんて幽閉後はなかった。
他人とどう会話をしたらいいかなんてもう思い出せない。
「ご主人様?主はどこの誰だ?」
「それと鞄を早く開けろ」
「こんな所にいたのか。探したぞ。まったく、次からは離れるなよ」
門番の手が鞄に伸ばされた時、後ろから若い男の声が聞こえた。
レジーナは自分の窮地を救う声だとも気づかず、鞄を抱えたまま固まっている。
「すまない。前の町で雇ったばかりの新人なんだ。手違いがあってはぐれてしまった。連れて行ってかまわないか?俺の通行証はこれだ」
そう言うと青年は一通の封筒を出した。
上質な封筒から出てきたのは一枚の通行証。
これも上質な紙、と言うより王家御用達の透かしが入っている。
「ルト・クラインシュタット この者の身分は王家によって保証されたものである…失礼しました。どうぞお通り下さい」
王家ゆかり、もしくは王の命を受けた特別な事情がある者の場合、このような通行証を持つことがある。
彼もそんな一人かと思い、門番は通行証を丁寧に返却して敬礼した。
「ご苦労。ほら、行くぞ」
やっと自分を庇ってくれたのだと気づいたレジーナは、「は、はい」と緊張した声で返事をすると、後を追いかけた。
そのまま表通りを抜け、どこかの裏路地に入るとやっと青年は振り返った。
「それで?お前は何をしているんだ。俺の馬を盗んで」
「ぬすっ…え?この子はおやし…」
お屋敷の厩舎にいた、とは言えまい。
なんと言えばいいかわからず、レジーナは自由を手にして早々冷や汗ばかり流していた。
「すみません、そうとは知らなくて…お返しします…」
「返せばそれで済むと思っているのか?」
「え…それで…それで済まない…ですよね。あのわたっ…僕はどうしたらいいですか?」
キャスケットの下はきっと半べそだろう。
何も知らないで飛び出して、この令嬢はどうするつもりだったのか。
幽閉帰還がどれくらいなのかはわからないが、仮に守護降ろしの儀だとすれば10年くらいのはずだ。
その間、本当にあの部屋から一歩も出されなかったとしたら、ここまで逃げてこられただけでも褒めるに値するかもしれない。
ルートヴィッヒは一瞬自室に10年閉じ込められるのを想像して、すぐ息苦しくなった。このまま親元に返すことはできない。かと言って連れ回すのも難しいが、せめてこの領地を出るまでの間は保護してやろうと思った。
「普通ならお前を警備兵に付き出すな。でも俺が悪い人間だった場合、奴隷商に売り飛ばすか俺自身がタダでこき使う。俺はどちらだと思う?」
レジーナはそう問われじーっと目の前の男を見上げた。つばの短い帽子には小さい羽飾りがついている。旅人がよく被る帽子だ。
目は赤い。自分と似ているけど、もっと明るい。目つきは少し険しいが、これが物語にある凛々しいと言う造りだろうか。髪も燃えるような赤で緩やかに肩に流れている。自分のオレンジがかった赤毛とは大違いの鮮やかさだ。
もしかしたら、ものすごく整った顔立ちなのではないだろうか。
比較対象を知らないのではっきりとは分からないが、さっきの若い門番2人と比べたら雲泥の差がある気がした。
見上げている首が痛くなるくらいには背も高い。
『きっと悪い人じゃないよ。だって綺麗なドラゴン連れてるもん』
守護精の声は宿主にしか聞こえない。
直接頭に響くような声に釣られ彼の後ろを見れば、少し離れた家の屋根に鮮やかなヴァーミリオンのドラゴンがいた。
思わず一瞬見惚れる。
しかし悪い人じゃないとすれば普通の人だ。そうすれば自分は警備兵に突き出されてしまう。きっとその後は屋敷に逆戻りだ。
「あの、悪い人でお願いします…売り飛ばさない方の…」
まさかの返答の仕方に、ルートヴィッヒは面食らった。一瞬遅れて、思わず笑ってしまう。
「面白いやつだな。ただ働きしたいのか?」
「あの、タダってお給金がないってことですよね?ご、ご飯は頂けるのでしょうか!?」
教養はどうなっているのだろうか。
少なくとも常識がないのはわかった。これは益々放置しておくわけにはいかない。
令嬢は必死なのだろうが、笑ってはいけないと思いつつも喉の奥で押し殺した笑いが出てしまう。
「失礼。わかった。返してもらえれば咎めない。だが家はどこだ?この街か?」
屋敷から抜け出してきたのは百も承知だが、彼女の本心を知りたくてそう聞いた。
だが家に帰されると思ったらしい彼女は、慌てて答えた。
「い、家はこの街じゃないです。けど、家には帰れないんです。あの、タダでいいんで連れてってもらえませんか!?何ができるかわからないけどなんでもしますので!」
「なんでもか。そうか。なんでもする…よく覚えておこう。俺はルト。旅をしている。お前の名は?」
「わた…僕はレジー…ジー…ジーンて言います。連れて行ってもらえるんですか?」
レジーナは期待に目を輝かせてそう聞いた。屋敷を出て1日もしないで自由は終わりかと思ったが、もしかしたらこの人はいい人かもしれない。
「いいだろう。ところでジーン、俺が良い人間の可能性は考えないのか?」
「良い人間だとどうなるんですか?」
「給金を出す」
「あの!良い人間に変更できますか!?」
その言い方についに我慢できなくなったルートヴィッヒは、声を上げて笑った。
「ははっ…変なやつだな。いいだろう、良い人間に変更してやる」
「え、じゃあ本当は悪い人なんですか?」
「そうだな…悪い人間は大体良い人間の皮を被るのは覚えておけ」
馬を交換すると、朝食を食べてないであろう彼女のために露店で適当に買ってやり、すぐにこの街を出た。彼女の旅装は心許ないが、次の町で揃えればいいだろう。恐らく一刻も早くこの地を離れたいはず。
馬を盗んでおきながら実は乗馬はできないという彼女の言葉に苦笑しつつ、自分の馬に乗せゆっくりと進んだ。
露店で買ったライ麦パンのサンドウィッチを一生懸命かじっている。
令嬢らしからぬその様子は、仕草まで気を配らなくても少年で通りそうだった。
「うまいか?」と聞けば「おいひい」と返って来た。
それを聞いてまた笑ってしまう。令嬢という前提で見ているから面白く感じるのだろう。あまり笑っていても可哀そうなので、街で雇った荷物持ち程度の認識に改めることにした。
食事が済むと、彼は少しだけ早く馬を飛ばした。
ある程度距離を稼いで、後は自分の馬に乗ってもらうつもりだった。
プロミネーアによると追手の気配はないということで、そこで自分の馬に乗り換えてもらった。
彼女の最終的な目的はわからないが、馬を盗むぐらいなのだから慣れてもらわないと困る。
スピードを落とし、コツを教える。
全力疾走はできないが、それでも部屋に閉じ込められていた割に彼女はよくついてきた。
自由を掴み取ることに必死なのかもしれない。
少し慣れてくると、その表情はこわばったものから、希望の溢れる煌めいたものへと変わった。