2 鉄格子のはまる窓
前回のあらすじ…
幽閉されている窓の鉄格子が外れそうなことに気づいたレジーナ。
彼女は時間をかけそれを外し、ついに憧れの自由を手にしたのだった。
だがその日、屋敷には珍客が訪れていて…
レジーナが10年目の脱走を叶えたその日、実はこの屋敷に珍客が来ていた。
珍客と言ってはあまりに失礼なその人とは、この国シュトラルバッハ王国の王子、ルートヴィッヒ・フォン・シュトラルバッハだった。
彼は約2年前、王室男児の通過儀礼である「旅立ちの儀」に出立し、諸国を渡り歩いていた。
彼は第一王子であり順当にいけば王位継承権も第一位だが、この旅立ちの儀の結果によってはその順位など保証されない。
王家の男子として生まれたものは、16歳になると1人で旅立ち、その身を自分で立てなければならない。国を2年間自分の目で見て歩き、諸侯の領土を抜き打ちで尋ねることで謀反や不正を押さえる狙いもある。
つまり王子にはその眼力も求められるわけだ。
守護精がそれほど強力でない場合は二人までお供をつけることも許されたが、彼は伝説級のドラゴンを宿している。ついでに言うと第二王子である弟は鷲を宿しており、兄と入れ替わるように出立する際は恐らく供を連れて旅立つと思われた。
ゼーレンベルク領に入った彼は、自分の噂が立たないうちに侯爵邸を訪ねた。身分を隠していても、いつの間にか気づかれてしまうこともあるからだ。
王宮で学習した時はこの領地に特に不振な点はなく、納税はされているし、その数字も不思議な所はなかった。
領民が苦しんでいるなどの話も聞いたことはないが、それはこれから自分の足で確かめればわかるだろう。
ただ1つだけ懸念がある。
守護降ろしの儀以来表だって話題に出ることがなくなった下の娘だ。
報告では病気のためとあったが、自分の婚約者候補の1人となった姉のマリアンネがやたらと王宮に顔を出すことはあっても妹の話を聞くことはなかった。
今年16歳になっているはずの妹は、デビュタントは出られたのだろうか。
守護精は資料によればフレイムリザード。
令嬢が連れて歩くには悪目立ちするが、ヨロイトカゲのような外見の通り宿れば強い生命力を発揮する。
病弱と言うのがにわかには信じられなかった。
「もし行くようなら、それとなく様子を見てはくれないでしょうか」
ルートヴィッヒが出立する前、彼の母である王妃はそう言った。
今は社交シーズン中。
侯爵とマリアンネは王都のタウンハウスの方で過ごしているはずだ。
抜き打ちの意味が強いので先触れなどは勿論出さない。
彼は午後のお茶も終わろうかという時間に侯爵邸の門前に立った。
「ルートヴィッヒ・フォン・シュトラルバッハだ。突然の訪問ではあるが旅立ちの儀に倣ってゼーレンベルク侯爵領を検めたい」
門番は寝耳に水の王子の訪問に驚いたが、王子が旅立ちの儀に出立したのは当然知っている。いつかこういう日が来るとは思っていたが、ついにその日が来たのだ。
門番に馬を引かれ正面玄関へと続く道を進む。
周囲を見渡すが、よく手入れされた庭木に、掃除の行き届いた玄関口。特に不審な点はないまま屋敷に入れば、少しして家令がやって来た。
「突然の訪問済まない。だが屋敷内を検めさせてもらえばすぐに去るつもりだ。あまり構えないでほしい」
「ルートヴィッヒ殿下。まずは旅のご無事をお喜びいたします。どうぞお検め下さい」
「経営代理人を呼んでもらえるか?帳簿を見せてもらおう」
彼が侯爵の執務室で帳簿を検め始めると、家令は代理人に目配せする。「出来るだけ家人については話題に触れるな」。これは上級使用人の間では当たりまえのことだった。
まさか王子が社交界に一度も出た事のない令嬢のことなど気に掛けるとは思えないが、万が一ということもある。
家令は一時的にでもレジーナを通常の部屋に移し、病床にいるように見せかけるか逡巡した。
だが結局急ごしらえのボロを出すよりはそのまま話題に出さないようにしようと思い、王子が早く帰ることを心の中で祈った。
とは言え、やはり尋ねなければ失礼であろう。
家令は食事については申し出ることにした。
すぐに去ると言っているのだ、わざわざ泊まれと言う必要はないだろう。
「殿下、お疲れ様でございます。是非当家にてささやかな晩餐を用意させていただけないでしょうか。精一杯のおもてなしをさせていただきますので」
「いやいい。その心遣いだけ受け取ろう」
ルートヴィッヒは出されたお茶を飲みつつそう答えた。
家令は内心ほっとする。
「さようでございますか。ではわたくしは控えておりますので、ご質問等ございましたらいつでもお声がけください」
「ああ」
だが娘に対する疑惑はあれど、領民に対しては可もなく不可もなくな経営をする侯爵の書類からは当然不審な点も見つからず、書類を検めるのはすぐに終わってしまった。
「そういえば病弱の娘がいたと記憶しているが」
王子にしてみればこちらが本題だ。
控えていた家令に遠慮なくぶつける。同時にその挙動をつぶさに観察した。
ふむ、さすがに動揺を見せるようなことはしないか。
家令は想定した質問だったのか、動じた様子はない。
想像した通りの…いやそれ以上の答えを流暢に返してきた。
「レジーナお嬢様を覚えていただいているとは、主に代わりましてお礼を申し上げます。お嬢様はご存じの通り伏せっておいでですが、心も弱ってしまったのかなかなか部屋から出ようとはいたしませんーー
――使用人が近づくのもあまりいい顔をなさらない始末。お医者様も匙を投げてしまい、旦那様も奥様も、そして姉のマリアンネ様も気に病んでおられます」
よく喋るな、と思った。
とにかく自分に「会おう」という気を持たせまいと努力している、そう受け取れた。
「伏せったままでも良い。挨拶くらいできないだろうか」
「申し訳ございませんルートヴィッヒ殿下。意に沿わないことがございますと、その後しばらく病状が悪化してしまうことがございまして」
「ふむ。では致し方ないか。だが寝たきりでは体も弱ってしまうだろう?」
「ええ、ここ数日はずっと伏せったままですので、心配でございます」
なるほど、やはり会わせたくはないのか。そう思った時、裏庭から威勢のいい声が聞こえて来た。
騎士団の訓練が始まったらしい。
「おお。ゼーレンベルク家の騎士団か。こちらは見学しても構わないな?」
家令は話題がお嬢様から騎士団に移り内心安堵の溜息を洩らした。
「はい。それはもう是非に。騎士団も殿下直々の視察とあれば士気も上がりましょう」
騎士が訓練している裏庭に案内されると、気づいた騎士たちが一斉に敬礼をした。
王子が「気にしないでくれ」と言うと、騎士たちは緊張したまま訓練に戻る。
彼らの様子を見つつ、屋敷を見上げた。
こちら側に見えるのは家人やゲストルームとは違う部屋だろう。裏庭は訓練に使われるだけあって見せるための花壇があるわけではない。
同じ見た目の窓が並ぶ中、一つだけ気になる窓があった。
あれは鉄格子か?
はっきりとは見えないが、内側に鉄格子のはめられた窓がある。
しかもそこには人影らしいものまで見えた。
やはりあの家令、隠しているな。
ならば。
「隊長、俺も手合わせ願いたい」
王子が訓練に興味を持ち騎士がざわつかせた。そして彼は、《《うっかり》》訓練に夢中になると夜を迎えてしまった。
家令は心の中で舌打ちしつつ、結局この王子をもてなし、晩餐と部屋を用意した。
だが武芸にもめでたい彼は終始騎士の話をしていたので、「結局は興味のあることにのめり込む子供」と完全に油断した。
夜、用意された部屋でくつろいでいたルートヴィッヒは、使用人も休む時間になると自分の内に宿る守護精に語り掛けた。
「プロミネーア。昼間俺が見ていた3階の部屋の様子を見て来てくれないか」
すると王子の目の前の小型の翼竜が現れた。大きさはカラスくらいだろうか。
固い鱗は鮮やかなヴァーミリオン。瞳はルビーのような煌めき。
「中に令嬢が一人いるかもしれない。守護精はフレイムリザードと聞いた」
小型のドラゴンは窓から飛び立つと、5分とかからないで戻って来た。
「いたわよ。可愛い子を連れていたわ」
「もう寝ていたか?」
「いいえ、夜着ですらないわ。でも部屋の明かりは消していたわよ」
「寝たふりでもしているのか?気になるな。朝まで見張っててもらえるか?」
「いいわよ。ルトはちゃんと寝るのよ?広くてふかふかのベッドなんて久しぶりじゃない?」
「別に俺はお前の背中だって寝られるが」
「あら、頼もしくなったものね。最初に野営をした時のあなたに聞かせてあげたいわ。それじゃあおやすみ坊や」
そう言うと彼女はまた窓から飛び立った。「坊やはやめろ」という声はもう届かなかった。
プロミネーアに言われた通りベッドで休み、どれくらいたった頃だろうか。
彼女が戻った気がして目を覚ませば、案の定椅子の背もたれに降り立つ瞬間だった。
ベッドで横になったまま彼女に向き直ると、小声で「どうだった?」と聞いた。
「女の子が一人、外に出て行ったわ」
「出て行った?扉からか?」
「いいえ窓から」
「3階だぞ?」
「そうね。いくら守護精で強化していても、飛び降りるのはお勧めではないわね」
「飛び…ただの怪我じゃ済まないぞ!?」
「器用に植え込みに落ちていたわ。それでも痛いとは思うけど。でも大事なのはそこじゃない。あなた、馬を盗まれたわよ」
「は?」
プロミネーアの話によると、外に出た令嬢はまず厩舎に向かったらしい。しばらくすると出てきたが、馬丁の服でも盗んだのか男装に変わっていたそうだ。そして乗っていたのはルートヴィッヒの馬。
「部屋はどんな様子だった?」
「窓に鉄格子がはまっていたわ。それが1本壊されてそこから出たのね。部屋の中も見たけど、扉は内側から開かなかったわ。幽閉されてたみたいよ?」
「わかった。じゃあそのまま彼女の傍にいてくれないか?俺は明日の朝追いかける」
「あと3時間程で日の出よ。ちゃんと寝なさい?」
ルートヴィッヒはプロミネーアが飛び立つと窓を閉めた。
「病弱か…」
彼はそう言うとベッドに戻り、日が昇れば何食わぬ顔で朝食の席に着いた。
あの家令はどこか心ここにあらずという感じがしたが、理由が分かっているのでルートヴィッヒは何も言わない。
そして朝食後馬丁が首を切り落とされる覚悟で謝りに来たが、ルートヴィッヒが「咎めるつもりはない」と言うと侯爵邸でよく訓練された一番の名馬を寄越した。
邸を出ると、彼はプロミネーアを追いかける。南の方にいるのがわかる。そちらは侯爵邸から一番近い大きな街があるので、そこへ向かったのだろう。
彼もその街を目指し早速馬を飛ばした。
次回…
逃げ出したはいいものの、街にすら入れず門番に止められてしまうレジーナ。
そこに現われたのはルトと名乗る一人の冒険者で…