10 従僕で社会勉強
前回のあらすじ…
一人で街に向かうルートヴィッヒは、レジーナに一冊の本を買い与えると、どこかへと消えてっ
た。
戻って来た彼には怪我をした形跡がある。守護精によって強化されても、痛いものは痛いこと
をレジーナは身をもって知っていた。心配する彼女に、ルートヴィッヒは少しずつ行動にも変
化が現れ始める…
「わぁ…本当に大きい…ゼーレンベルクより大きいかも…」
街に入るや否や、レジーナは道の幅と建物の量、そして行き交う人々に圧倒された。
「ここは伯爵領だが、国内では3番目の大きさを誇る街だ。1番は王都。2番はわかるか?」
レジーナは頭の中に覚えたばかりの地図を思い描いた。
ゼーレンベルクは侯爵領だが、レジーナが最初に辿り着いた1番大きい街でもクンストドルフほどではない。それでも領土の大きさはゼーレンベルクの方が上だ。
領土の大きさではなく、栄えてるかどうかだとしたら、地図を思い描いても意味がない。
ここは陶磁器の生産が盛んということは他の何か有名な産地……北部の葡萄は有名なワインの産地。西部の毛織物も有名なのは昨日の歴史書にもあった。
葡萄と毛織物……そこで葡萄は歴史書にはなかったことを思い出す。最近できた産業なのかもしれない。
「西部…シャーフェンヴォルト侯爵領ですか?」
「領土ならその北のヴィルデンブルクの方が大きいぞ?」
「でもヴィルデンブルクは昔から人が住みにくく開拓が難しいって昨日本にありました。シャーフェンベルクはクンストドルフみたいに産業があります」
「正解だ。お前は砂漠のようだな。水を与えればすぐ吸収してしまう」
ルートヴィッヒは正直驚いた。
どこかに書いてある答えを覚えたいたとしても凄いことだが、今は考察が成された上での回答だ。
きちんと本を理解しているし、ルートヴィッヒの話も忘れていない。
これはうかつな知識は教えられないな、と思った。自分が曖昧な知識は、伝えるにしてもきちんとそう断った方がいい。
街は活気に溢れていた。地方の集落との落差が激しい。
表通りの往来は激しく、商店からは威勢のいい声が聞こえる。
並んでいる売り物も豊かで、鮮度もいい。
裏路地も覗いて見たかったが、それはレジーナがいない時にしようと思った。
思ったよりも聡明で繊細な彼女は、また気に病んでしまうかもしれない。
「なんかいい馬車が多くないですか?紋章はついてないみたいですけど」
続けざまに3台大きな馬車が通った時、レジーナが気づいた。
「今夜は夜会があるそうだ」
「え?でもまだ社交シーズンですよね?通常はあまり領地に戻らないのでは…」
「おかしいだろう?」
「おかしいですね」
「というわけで今日は少しいい宿を取るぞ」
「え?どこでそう繋がるんですか?」
それから2人はまず貸し馬車の中から比較的大きな物を借り、馬はそこに預けた。
そして荷物の中からいつ用意したのか、見栄えのいいジャケットを2人分取り出す。
ルートヴィッヒの着ているものは質は良くても旅装だ。
ジャケットを取り換え、きちんとクラヴァットを付ければ見栄えはさらに良くなった。
レジーナには、従僕用のやや見劣りする物を着せる。少し幼い見た目だが、まだ初心者ということでいいだろう。帽子は外して、長い髪はシルクの黒いリボンで巻いていく旧式のスタイル。その方が従僕らしい。
「俺はそこそこいい家柄クラインシュタット家の子息。お前はクラインシュタット家の従僕か従者かそんなとこだ。御者がいないのが微妙だがまあいいだろう。ホテルはいくつかあるがとりあえず最初に見えたやつでいい。グレードは…真ん中のデラックスでいいか。支払いを聞かれたら主の名誉切手と言うんだ。できるか?」
「や、やります…デラックス、デラックス…メイヨキッテで支払い、メイヨキッテで…メイヨキッテなんですか?」
「家の紋章が入った専用用紙にサイン1つで金の代わりになるようなものだ。まあ家柄によっては相手にされないこともあるが」
「え、ちなみにルト様は…」
「断るやつはいないから安心しろ」
レジーナは馬車を進めつつプレッツェルに話しかける。
『ねえ、ルト様って物凄く高い家柄なんじゃ…』
『ジーナだって元々侯爵家だよ!これってすごいんでしょ?』
『私は凄いとかよくわからないわ。お姉様はいつもすごく綺麗なドレスを着ていたとは思うけど』
『ジーナ胸張って!物凄く良い家の従僕なんだから、ツンてしないと!』
『わ、わかったわ。こう?』
御者台で、レジーナの背筋が伸びた。表情も引き締める。
『そうそう!』
『メイヨキッテ、デラックスルーム…』
庶民的な建物が並ぶ表通りを抜けると、高級店の並ぶ街並みに変わる。
レジーナはあちこち気になったが、きっといい所の従僕はキョロキョロなんてしない。
ホテルの正面に馬車をつけると、専属コーチマンに馬車を預け扉を開いた。
長い足が馬車のステップにかかり、中から出てきたルートヴィッヒの佇まいは間違いなく貴族だった。
『すごくかっこいい』
『ジーナ、ぼーっとしちゃだめだよ』
煌びやかなロビーに気後れしそうになるのを堪え、カウンターまでまっすぐ歩く。
侯爵邸だって豪華だった。あの部屋以外には知らないけど。
大丈夫。私だって侯爵令嬢だったのよ。教育は受けてないけど。
「いらっしゃいませ。ご予約のお方でしょうか?」
『予約じゃないよ』
「いいえ。主が急遽滞在することになったので。部屋は空いていますか?」
「本日は大変混雑していまして。今空いておりますお部屋が、スタンダードのみとなっております」
そう言いながら受付のホテルマンはレジーナの後ろにいるルートヴィッヒを品定めするように見た。
ジャケットの質はそんなに悪くないが、少々体にフィットしていない。
足元は…悪くないが少し土がついている。
それに年齢が若い。
どこかの裕福になったと思ってる商人の息子あたりだろうか。
従僕に目を戻せば、彼も急ごしらえのようないで立ち。それにまだ従僕と言うには若すぎる。
「失礼ですがお支払いはどのように?」
『メイヨキッテだよ!』
『わかってるわよ!』
「支払いは主のメイヨキッテで」
ホテルマンが鼻で笑った気がした。
『こいつ絶対ばかにしてるよー』
『なんか腹立つわ!』
ホテルはいくつかあると言っていた。
ということはここではなくてもいいはず。
「主をスタンダードにお泊めするわけには参りません!失礼します!」
「ええ、またのご利用をお待ちしております…金を持ってね」
「ルト様行きましょう。ここでなくても大丈夫ですよね?」
ルートヴィッヒはレジーナが憤っているのを見て笑っていた。
「何がおかしいんですか。あの人ルト様のこと絶対馬鹿にしてますよ!」
「いや、それはそうなんだが、ジーンの反応が面白くてな。まさか断るとは思わなかった。想定外のやり取りに慌てる姿が見られるかと思ったんだが」
「あ!またからかってますね!」
「いや、頼もしいぞ?」
レジーナはふくれっ面のまま、また馬車を走らせると次に見えてきたホテルの前に止まった。
「ルト様、こちらは?」
「いいだろう」
さっきのホテルより見栄えもいい。
従業員の教育がなされてるといいのだが。
「いらっしゃいませ。ご予約の方でしょうか」
「いいえ。今夜は混んでいるとは思いますが、急遽滞在することになりまして。お部屋は空いているでしょうか」
「今御用意できますお部屋はスタンダードとスイートのみとなっております。ですが当ホテルはスタンダードでも他ホテルとは別格のものをご用意させて頂いております。もしお望みでしたらハイグレードと同じサービスもご用意させて頂きますが、いかがいたしましょう?」
『どうしよう、スイートって一番上のグレードよね?』
『わかんない。でもスタンダードってやつでもよさそうじゃない?何よりさっきよりヤなヤツじゃないよ!』
ここで主にいちいち確認していたら主の面目を潰してしまう。
以前世話をしてくれていた執事から「御者が道を間違えて大変だった」話を聞いたことがある。間違えても、間違えたように見せてはいけないとか。
レジーナは考えた末、素直に要望を伝えた。
「デラックスルームをお願いしようと思っていたので、それに準ずるサービスを提供していただけますか?」
「かしこまりました。お部屋は少々手狭となりますが、すぐにご用意いたします。お支払いはどのようになさいますか?」
「主のメイヨキッテでお願いします」
「では確認させて頂いてよろしいでしょうか?」
ホテルマンが後ろのルートヴィッヒを見て言った。
ルートヴィッヒは内ポケットから封筒を取り出すと、中を見せた。
「これは…失礼いたしました。本当にスタンダードでよろしいですか?」
「ああかまわない」
ルートヴィッヒはそう言うとサインを入れ、ホテルマンに差し出す。
「金額は後で入れてくれ。それとこのメモの用意を夕方までに頼む。勿論上乗せして請求してくれ」
「かしこまりました。ではラウンジをご案内します。お部屋のご用意が整うまで少々お待ちください」
案内されたラウンジで、出されたお茶とお菓子をルートヴィッヒの後ろで眺めていると、すぐに案内が来て部屋に通された。
部屋のグレードなどレジーナにはよくわらかないが、今まで泊まったどの宿よりも上質なのは理解できた。
中央のローテーブルにはお茶と菓子と果物まで並んでいた。
「デラックスって、シャンパンまで並ぶんですか?」
「それはホテル側の配慮だな」
「ルト様、実はとんでもないご身分ですね」
「隠している方が都合がいいんだ。知りたいか?」
「知りたいような、知りたくないような。でも僕も隠し事はしてるんで、言わなくてもいいです」
「主に隠し事をしていると宣言するのはどうかと思うぞ?」
「…言わないとだめですか」
「言いたくないのなら聞かないのは前に言った通りだ。さて、問題はこれからだな」
ルートヴィッヒはそう言うと、ローテーブルの前のソファに身を沈めた。
「ああ、もう従僕らしくしなくていいぞ?なかなか様になっていたな。機転もきくし、もったいないな」
「もったいない?」
「今まで教育は受けてこなかったのだろう?俺と同じレベルの教育を受けられていれば、きっとお前は思慮深く賢い人間になっていたんじゃないかと思ってな」
「10年…」
「ん?」
「10年分の教育は、どれくらいで取り戻せますか?」
「どの程度の教育を受けるかで変わるだろうな」
「じゃあもしルト様と同じくらいなら?」
「教師が優秀で、朝に晩に必死になれば…2~3年か?」
「ルト様はあと2か月で旅を終えると言っていました。そこでルト様とお別れすることになっても、もし僕が必死に勉強をして、ルト様が僕を傍に置いても構わないと思えるくらいになったら。その時は本物の従僕にしてもらえますか」
今までにない真剣なまなざしだった。
女性であるレジーナが従僕になれないのは当たり前だが、ここではぐらかしたり否定するのは違うだろう。
今彼女の中で、何者になりたいのかが明確に固まりつつあるのではないだろうか。
「それは誰かの従僕になりたいと言う意味か?それとも俺の傍に仕えたいという意味か?」
「ルト様の傍にお仕えして、この御恩をお返ししたいです」
「ジーン。今までどんなところにいたかは詮索しないが、今お前の中では俺が世界の一部ではなく全てに見えていないか?傍に仕えたいと言うならその道を用意してやることもできる。だが答えを早まるな。あと2か月しっかり考えろ」
是非とは言われなかった。だが駄目だとも言われなかった。
あと2か月ある。どれくらい勉強できるかはわからないが、付いて来いと言われるくらいにはなりたい。
真面目な話をルートヴィッヒはからかったりしない。
笑ったりせず、きちんと答えてくれてよかったと思った。
「僕頑張ります」
「ああ。俺も追いつかれないようにもっと精進しないとな」
「え、じゃあもっともっと頑張ります」
「そう肩肘張るな。だがそうだな、実は今夜頑張ってもらいたいことが1つある」
そう言われるとレジーナの顔に喜びの表情が広がった。
ルートヴィッヒの役に立てる時が来た。
犬なら尻尾が千切れそうなほど振っていそうな表情で彼の言葉を待つ。
「伯爵の夜会に出るぞ。勝手にな」
次回…「男装した少年だけど今から女装して令嬢になります」
ついに女であることがバレてしまった。そう思ったレジーナだったが、なんと彼は最初から知
っていた。
夜会のドレスを着たレジーナに、芽生えたものにずっと気づかないフリをしていたルートヴィ
ッヒは、急速に彼女を意識し始める…




