8ー2 美しき世界と汚れた路地裏
※傍点設定がなろう仕様に変更されておらず修正しました。
「ジーン、今から言うことを絶対守ってくれ。俺と馬から離れない。荷物も手放さない。それに、誰も信用しない」
「どうしてでーー」
「約束できるか?」
「――?わかり…ました」
ルートヴィッヒの表情が見たこともない真剣なものになっていて、レジーナは気圧された。こんな貧しい村に、悪い人でもいるのだろうか?
それから彼は、遠巻きに自分たちを見る村人に近づくと何人かに声をかけた。
最初彼らは会話を拒否したが、時々硬貨を何枚か渡しては話しを聞き出していた。
レジーナは何が成されているのかさっぱりわからず、黙って後ろで成り行きを見守る。
『なんの話してるの?』
『わからないわ。工房がどうとか?』
『なんでお金渡してるの?』
『だからわからないわよ』
レジーナは数少ない自分の世界、物語の中から冒険譚の一場面を思い浮かべた。
主人公を嵌めようとする悪い人が、“裏取引”というのをしていた場面だ。
今ルートヴィッヒがやっていることは、なんだかそれに似ている気がする。
『私、どうして本は物語ばかり読んでしまったのかしら』
『え、どうしたの急に?』
『もっと学になるような本を読んでいれば、ルト様のお役にたてたかもしれないのに』
『読ませてくれなかったかもよ。だって知ったら世界が広がるんでしょ?ジーナが窓の世界以外を知ったら侯爵としてはまずかったんじゃない?』
それを聞いてレジーナはなるほど、と思った。
幼い頃は両親は姉も自分も変わりなく愛してくれていたーーと思う。
部屋に閉じ込められてからは一度も会ったことがないし、執事や他の使用人も何も教えてくれない。
社交シーズンが終わり領地に家族だった者が戻ると、姉だけは部屋を訪ねてくることもあったが、それはレジーナを心配してではなく蔑むためだった。
天使と呼ばれているらしいけど、レジーナには悪魔だ。
両親はそんな姉を野放しにしていたのか、本当に何も知らなかったのかもわからない。
両親にとってレジーナは侯爵家にあるまじき守護精を宿した、許せない存在か、空気のどちらかなのだろうと思っていた。
「そうか。礼を言う」
実家のことを思い出していたら、ルートヴィッヒの話が終わっていた。
村人は鍬を抱え、農作業に戻って行った。
そんなことを数回繰り返すと、彼の用事は済んだのか、すぐに次の町に向かうと言う。
「何か知りたいことがあったんですか?」
そう聞けば、まずは村を出ようと言われた。
馬を引いて整備されていない道を歩いていると、村の中心部らしい場所に出た。
居酒屋らしいものが1つあり、何かの商店らしいものも2つ並んでいた。
お店はそれっきりで、路地裏にはボロを纏った子供が数人で座り込んでいた。
「ルト様、あの子たちってーー」
どう見ても元気のない子供に、どうしたのか尋ねようとしたら「足を止めるな」と言われてしまった。
「でもすごく元気なさそうですよ?病気とかですかね?大丈夫なのかな?僕様子見て来ます」
「だめだ…おい!」
制止の声も聞かず、レジーナは子供に駆け寄ってしまった。
ルートヴィッヒは慌てて追いかけたが、既にレジーナは子供らにまとわりつかれていた。
「お兄ちゃん、食べ物、なにかちょうだい」
「馬2頭も連れて、どうせ金持ちなんだろ?なんかくれよ」
「え、ちょっと待ってよ。やめて?なに?なんで?」
子供の1人の守護精だろうか、スズメが1羽レジーナの鞄に飛び乗りつっつく。
もう1人の守護精はハツカネズミで、レジーナのポケットによじ登った。
『プレッツェル、怖いよ!』
プレッツェルはそんな守護精を威嚇して追い払う。
びっくりして固まっているレジーナの後ろから、小さな包みが出された。
「お前ら、こいつをやるからあっちへ行け」
奪い取るように包みの中を見た子供は、何も言わず一目散に何処かへと消えてった。
「行くぞ。もう止まるな」
「は、はい…」
ルートヴィッヒが足早に進むのを小走りで追いかけ、村の外に出るとすぐ馬に乗った。
子供らの行動の意味がわからなくて、衝撃を受けたレジーナはそのまま無言でルートヴィッヒの馬の後ろを走った。
やがて休めるような木陰を見つけると、彼は馬から降りたので、レジーナも降りる。
いつの間にかお尻は痛くなくなっていたけど、そんなことにも気づかないで俯いていた。
「ジーン、座れ」
突っ立っていたら、いつの間にか火を起こしたルートヴィッヒにそう言われ、傍らに腰を下ろした。
「止まるなと言ったろう」
「ごめんなさい…ルト様はああなるのがわかっていたんですか」
「ああ」
「僕、子供が元気なくてなんか可哀相で…ルト様が僕を助けてくれたように、僕もあの子たちの力になれないかなって思ってしまったんです」
ルートヴィッヒが温かい紅茶を淹れてくれたが、受け取ったきり膝の上で抱える。
立ち上る湯気を見つめていたら、優しいルートヴィッヒの声が厳しい現実を語った。
「誰かに救いの手を差し伸べるのなら、そこには責任が付きまとう。俺はお前の面倒がある程度は見られると思ったから連れて来た」
「ではあの子たちは?お腹を空かせてるんですよね?僕の食料を分けてあげるとか…」
「それで腹が満たせるのは今の一瞬だけだ。それで満足ならそうするといい。明日は?明後日は?来月はどうする?」
「それは…僕ができるのは今持っているものを分けるだけです」
「俺ができるのも現状同じことだ。仮にひと月分の食費を渡せたとしても、今度は周囲の大人に取り上げられる。大人ですらそれを有効に使うことはあの村では難しいし、その次はもう何も残らない」
「じゃあどうすればよかったんですか?」
「小さな自己肯定感と満足感を得たいならパンをやればいい。その後ろにある責任を考えるなら、俺は無視をする。良心が痛むとしても、それは俺の問題であってあの子らの味わう日々はもっと過酷なものだ」
「僕、ずっと自分の人生は不自由でつまらないものだと思ってました。でも食べ物にも寝るのにも困らなくて、こんな風に学がなくたって生かされてて……なんて無知で贅沢だったのかしら…自ら変わろうともせず、心のどこかで自分のことを悲劇のヒロインだと思ってたんだわ…」
ポタ、と目から涙が零れた。カップの中に一滴落ちて、小さな波紋が広がった。
「今から変わればいい。気づいたのなら変われる」
「私でも変われますか…ルト様みたいに、もっと物を知ってちゃんと考えて…」
「できる。人を助けるのに背負うものはなんだった?」
「責任です…」
「お前は目の開かないヒナと言ったな。今その目が開いたんだ。俺は巣立ちさせる責任がある。そこから木を知るのも森を知るのもお前の自由だ」
こんなどこの誰ともわからない無知な自分を、ルト様は見捨てずに助けてくれる。
そう思うと、堪えていた涙が止まらなくなってしまった。
今自分は男の子であることを思い出し、なんとか止めようとするけどうまくいかない。
「あの、僕女々しいですか」
「男でも女でも泣くときは泣くだろう?気が済むまで泣けばいい。せっかく甘くした紅茶がしょっぱくなりそうだけどな」
カップの湯気がいつの間にかなくなっていた。その代わり波紋が続けざまに3つできる。
「わわっ!いただきます――はぁ、ルト様の紅茶はちゃんと紅茶ですね」
「次はお前が淹れろ。期待している」
「わ、わかりましたっ」
ブラウスの袖でぐっと涙のあとを拭けば、もう零れてくるものはなかった。
ルートヴィッヒの淹れた甘い紅茶と一緒に、心にも温かなものが広がる。
ルト様が自分にそうしたように、いつか自分もあの子供らを助けられるような人間になりたい。
レジーナの旅に、明確な意志が芽生えた出来事だった。
次回…「恋する冒険活劇」
街に用事のあるルートヴィッヒは、レジーナに本を与えて一人宿を出て行く。
残されたレジーナはそんな彼を見送りながら、徐々に自分に芽生える気持ちの変化に戸惑う
のだった。




