婚約者が悪役令嬢化しないように婚約破棄を匂わせたら溺愛するしかなくなった
突発短編です。
婚約破棄と溺愛で遊んでみました。
お楽しみいただけましたら幸いです。
「やれやれだ……」
私は学園内の私室に戻り、溜息を吐いた。
「殿下、何かお悩みの事でも?」
付き人であるスターチスの言葉に、私は頷く。
「……マリーが私の婚約者という立場を笠に着て、傲慢に振る舞っているという噂が学園内で流れている」
「真偽を調べて参りましょうか?」
「いや、調査そのものが新たな噂を生む危険の方が高い。少し様子を見る事にする」
「畏まりました」
頭を下げるスターチス。
「スターチスは噂についてどう思う?」
「そうですね。マリー様が直接そのような行為をしているところを見た事はありませんが、噂が立つという事には何かしらの意味があると思われます」
「……実際にマリーが傲慢に振る舞っているか、それとも誰かがそう思わせたいか、か……」
「仰る通りかと存じます」
「どちらにしてもマリーに一言言っておいた方が良いな」
「それがよろしいかと」
考えがまとまったところで、私は机に向かい、筆を取った。
傲慢さを疑われている事、誰かの作為かも知れないが好ましい状況ではない事、この状況が続けば周囲から婚約者の適正について疑問の声が上がる可能性を記す。
これでマリーが傲慢さを抑えるなり、足を掬われないように気を付けるなりすれば、証拠のない噂なら立ち消えるだろう。
継続するようなら本腰を入れて対応するまでだ。
「殿下、お伺いしてもよろしいですか?」
「何だ」
筆を置いたのを見計らって、スターチスが声をかけてきた。
「殿下はマリー様をどのように見ておいでですか?」
「そうだな……」
私は言われてマリーのこれまでの会話や行動を思い返す。
落ち着きがあり物静か、それでいて他に影響されない強さ。
女としては可愛げがないとも言えるが、王族の婚約者としては申し分ない。
「私の婚約者である事を誇りに思っている様子はあるし、芯の強いところもあるが、それで横柄な態度や傲慢な振る舞いをするとは考えにくいと思っている」
「左様でございますか。ではお手紙を届けて参ります」
「頼んだ」
さてこれで解決すると良いが……。
見えない未来に、私はもう一度溜息を吐いた。
叩扉の音。
スターチスが戻って来たか。
「殿下。マリー様がお会いしたいとの事で参られておりますが……」
「そうか。通してくれ」
「畏まりました」
手紙を読んですぐ来たのか。
これは噂が事実であるという謝罪か?
それとも無実であるとの訴えか?
どちらにせよ、話が進むのなら歓迎だ。
スターチスに茶でも淹れさせて穏やかに話をしよう。
「で、で、殿、えほっ、殿下ぁ……!」
……飛び込んで来た号泣する女。
あれ? こいつ誰?
見た目はマリーだが、態度や振る舞いが全然違いすぎる。
マリーは落ち着きがあって物静かで、他に影響されない芯の強さのある女性。
そこら辺の印象が全部吹っ飛んでるんだが。
まるで親に酷く叱られた子どもだ。
「わ、わだじ、げほっ、ご、ごんやぐばぎ、ざれぢゃゔんでずがぁ……!」
「いや待て落ち着けマリー。あくまでその噂が続くようであればの話で……」
「……やっばり、ごんやぐばぎざれで、ごぐがいづいぼゔで、ひぃ、ゔらろじで、ひぃ、ひぃ、づめだぐなっで……、ひぃ、ひぃ、ひ……」
「あ、おい!」
顔が真っ青になったかと思ったら、そのまま倒れて来た。
抱き止めたマリーをとりあえず長椅子に横たえたが……、何を言っていたんだマリーは?
「殿下、これは一体……?」
後から来たスターチスが私に問うが、それは私が聞きたい。
「スターチス、状況を説明しろ」
「はい。殿下からのお手紙をお渡しした際には、マリー様はそれは嬉しそうに開けられました。しかし文面を読むにつれ顔色が悪くなり、殿下にお話したいと……」
「それだけにしてはこの様子は異常だ。それと婚約破棄はともかく、国外追放だの裏路地で冷たくなるだの、不可解な言葉を口にしていた」
「……あぁ、成程」
スターチスが納得した様子を見せた。
何か知っているのか?
「殿下。それは今貴族令嬢の間で流行している悲劇小説の流れです」
「何? 悲劇小説?」
「はい。王子の婚約者を射止めた貴族令嬢が、嫉妬からくる周囲の讒言で婚約破棄から国外追放になり、慣れない暮らしで病に命を奪われます」
「何だその地獄を煮詰めたような小説は」
理解ができない。
主人公に恨みでもあるのかその作者は。
「そこに真実を知った王子が駆けつけて号泣する結末が、悲劇的ながら美しいと評判なのです」
「……それはわかったが、なぜそんな小説の話を我が事のようにマリーは言ったのだろうか」
「……これは推測ですが、殿下はこれまでマリー様と必要最低限の接点しかお持ちではなかったですよね」
「そうだな。国の決めた婚約ではあるし、学生の身で無闇と接するのも慎みがないからな」
「その対応が『自分は形ばかりの婚約者で、いつか婚約破棄を言い渡されるのではないか」という不安がマリー様を蝕んでいたのではないでしょうか」
「む……」
確かに考えられなくはない。
父上の代では有力貴族の力が拮抗していて、三家の娘と婚約し、母上以外とは婚約破棄をしたという実例もある。
それで悲劇小説の主人公と自分を重ねていて、手紙の内容で恐慌に陥ったのか。
……知らぬ事とはいえ、悪い事をした……。
「どうすれば良いと思う」
「そうですね。悲劇小説で作られた思い込みなら、別の小説の内容で塗りつぶすというのはどうでしょうか?」
「別の小説の内容?」
「はい。溺愛小説と言われる、これも貴族令嬢に人気のものですが、不遇な状況にある女性が高貴であったり財力を持った男性に過剰に愛される物語です」
「……私とマリーの立場に似てはいるようだが、具体的にはどうするんだ?」
「例えばですね、今回のような状況ですと……」
……ふむ。
……何?
私がそれを言うのか!?
マリーに!?
頭がどうにかしているのか!?
そんな言葉を口にする男などいないだろうに……!
「……本当に効果があるのか?」
「わかりかねます。しかしこのままでは、マリー様は殿下に対して不安と恐怖を抱き続ける事になるのは確実かと……」
「くっ……」
……致し方ない。
先程のような取り乱した態度では、それこそ婚約者としての適性を疑われる。
そして本当に婚約破棄になったら、マリーは失意で死にかねない。
……人助けと割り切ろう。
「……う」
「目が覚めたかい? 私の可愛いマリー」
「!? で、殿下!? も、申し訳ありません! 殿下の前で寝るなんて私……!」
えっと、こう言った時は確か……。
「私はマリーの寝顔が美しくて、つい許可もなく眺めてしまっていた。おあいこという事で許してくれないか?」
「ふぇっ!? で、殿下……!?」
マリーは顔を真っ赤にしている。
先程の顔色の悪さとは真逆だ。
つまりこの方向で良いのだろうか。
ちらりとスターチスに視線を送ると、目を逸らして口元を抑え、小刻みに震えていた。
……後で覚えていろ。
「……あの、殿下、先程の手紙は……」
「あれはマリーを妬む者の悪戯だろうと思うから、注意をしてほしいというつもりで書いたんだ。驚かせたようですまない」
「そ、そうでしたか……。私、思い違いをして、おかしな事を口走ってしまい……」
この流れには……。
「確かに驚いた」
「! で、殿下……!」
「私はマリーと結婚する事は考えていても、婚約破棄する事など考えた事はなかったからね」
「……!」
頬を押さえて俯くマリー。
本当に合ってるんだな!?
これで良いんだな!?
間違ってたらただじゃおかないぞスターチス!
「では殿下、マリー様もお疲れのようですし、お部屋までご案内いたしましょう」
「あぁ、そう……」
頷こうとした私にスターチスの強い視線!
……そうか、ここで私が送るべきなのか……!
「……だが、私はマリーと少しでも長くいたいのだ。部屋までは私が送ろう。それで良いかな、マリー?」
「そ、そんな、畏れ多いです……!」
「婚約者と共にいたいと願う事は罪ではない、そうだろう?」
「……はい……」
真っ赤な顔で頷くマリー。
笑顔のスターチス。
自業自得とはいえ、今後もこれを続けていくのか……。
「……あの、では……」
!?
マリーが、私の袖を……!?
「……お部屋に戻るまで、こうして……」
「……あぁ、わかった」
マリーの幼い子どものような行動に、一瞬心臓が跳ねた。
今のは一体……?
「殿下……?」
「あぁ、行こう」
にやついているスターチスへの罰を考えて頭を冷静に戻しながら、私はマリーと共に廊下に出るのだった。
読了ありがとうございます。
婚約者のために恥を忍んで溺愛台詞を吐く王子。
こんなのもよろしいかと。
その内その台詞が真意になったりなんかして……?
ちなみに王子ニドル・カークタスは、花言葉に『忍耐』『燃えるような愛』『雄大、偉大』『優しさ、暖かさ』を持つサボテンから。
婚約者マリー・ゴルドーは、花言葉に『可憐な愛情』『絶望』『悲嘆』を持つマリーゴールドから。
付き人スターチス・イエロは、花言葉に『誠実』『愛の喜び』を持つ黄色のスターチスから。
花言葉は楽しい。
お楽しみいただけましたら幸いです。