三話『狩るということ』
術の勉強を始めてから約二年。今年でもう五歳になった俺は、いくつかの術を使えるようになっていた。
とは言っても今俺が使える術はまだあまり多くない。日々頑張っているつもりだが、それでも精々両手の指で収まる程度だ。
「我、種を芽吹かす打ち金となりて、今ここに灯火を成さん。『点火』」
手から放たれた種火によって、木片で作られた篝火が完成する。この前の雨で湿ってはいたが、何とか火はついたみたいだ。
「はぁ……」
自作した焚き火に手をかざしながらため息を吐く。
雨のせいか、冬の兆しか、気温も結構下がっているようだ。それは白い蒸気となって空中に霧散していった。
(いよいよ今日か、緊張してきた……)
寒気漂う秋空の元、俺達は狩りの準備をしている。いつも爺様が行っている狩猟に今日から俺も同行することになったのだ。
今は最後の準備である腹ごしらえの為に、せこせこと食事を作っている。
外でやる調理も随分と慣れたものだ。最初は結構難儀したが、今ではそこそこの物を作れるようになっている。
とは言っても急に作れるようになるのは人として違和感があるだろう。
だから言葉とかと同じように、これも少しづつ成長しているように見せかけたのだ。
(でもなんか、バレてるような気がするんだよね……)
それに正直な所、味付け以外は爺様の料理からも学ぶ点は多かった。獣肉の捌き方など、日本じゃとても学べない。
なので爺様視点からは俺が急に料理できるようになったとは到底思うまい。とりあえず今はそう思いこむ事にしよう。
「ねぇ、本当に私も行かないと駄目?」
出来上がった食事を口に運びながら話しかける。
今日の献立はパンとスープ。パンは街で買ってきた物、スープは手製の土鍋で肉と何とも知らない野菜類を適当にコトコト煮込んで作った物だ。
爺様は普段から自分の分にこれでもかと調味料をぶちまけている。最初の方は折角作ったのにと悲しんだものだが、こればかりはもう味覚が違うので仕方がない。
「何だ、急に怖くなったか?」
「まぁ、うん。そうなのかな…… 分からない。」
今日の為にあれだけ狩りの手順や万が一の時の戦い方などを頑張ってきたのに、何故だか急に気が引けてきた。
「じゃあもう今日は辞めとくか?」
茶化すような爺様の口調。だがそんな言葉に、何故か俺は安心してしまう。
(あっそうか……)
やっぱり俺は怖いのだ。
いくら術を覚えたからって、狩りの為に動きを勉強したからって怖いものは怖い。
それにまだチャンスはいくらでもあるのだ。わざわざ今日に拘る事は無い。焦る必要がどこにある。
(また今度に……)
いや違う。
俺は今試されている。
爺様にではない。
この俺、自分自身に。
そして恐怖心に。
怖いのは確かだ。でもここで逃げたら俺は、この先ずっと何事からも逃げ続ける事になるように思えてならない。
いや、思うというか確証がある。前世がそうだったのだ。勉強も習い事も受験も行事類も何もかも、嫌なこと全部から逃げ続けていた人生だった。
(それは、もう嫌だ……)
「いや、行くよ」
*****
俺達が暮らしているこの森は"ウンディア大森林"と呼ばれている。「世界冒険録」によれば、四大国の一つ"イデアステル永久王国"の東方に広がる森林地帯らしい。
国土の約三割を占めるこの森は、多種多様な獣の群生地体。そして最深部ともなれば"魔獣"や"魔物"までもが出現するという魔境だ。
「そろそろ"結界"を抜ける。気を引き締めろよ」
いつになく険しい爺様の声。俺のかねてからの予想通り、家の周辺には結界が張られていたらしい。
結界とは術の七つ分類の一つ、"結界術"により構築される空間の事を指す。「基礎術式教書」曰く、"世界に層を張る"術らしい。
何でも効率化が難しいらしく、街や都を守護する永続的な結界には百単位の人間の魔力、高度な物となればそのまた百倍が必要となるのだとか。
(空気が全然違う…… これが同じ森の中なのか?)
きっとこの結界は常に獣や人を払い、環境を安定させているのだろう。
この術式が、そしてそれを一人で維持し続けている爺様が凄まじいことが、術を学んだからかよく分かる。
それと同時にこの森が危険地帯と言われる所以も分かる。いるだけで強大な何かを肌で感じるのだ。ここは人のいるべき場所じゃない。本で読んだ以上にここは魔境だ。
(なんて場所に捨てるんだあの産みの親!)
気を引き締めながら道なき道を進む。見た事のある木々や草達なのに、結界の外と中じゃ感じる雰囲気が全く違う。重苦しくてとてもじゃないが耐えられない。
「……ねぇ爺様?」
「しっ、黙って着いてこい」
それにしても改めて見ると、見たことの無い植物ばっかりだ。
前世の森林も深く知っているわけではないが、それでもこの大きさが異常なことは分かる。何せ地面からじゃ木の頂点が見えない。
それにそこらの草や花なんかだって急に枯れたり燃えだしたりなんてのがわんさかある。
(考えてみればよく暮らせてるよな、こんな所で……)
しばらく歩けば川があり、そこには何匹かの獣がいた。きっと水でも飲んでいたのだろう。警戒心が強いのか、安らぎつつも辺りをキョロキョロ見回している。
それは栗鼠のような獣で、幸いにしてあの黒い化け物とは違うようだ。名前はなんと言うのだろう。まだ図鑑のような本は持ってないので分からない。
「いいか、絶対ここを動くな」
爺様はそう言うと、険しい顔になって距離を狭めた。そして右手を前に構え、逆の手でそれを固定し狙いを定める。これがこの世界の基本的な戦闘スタイルだ。
無言で放たれるは四発の石弾。あの化け物を殺した物と同じそれらは、小さな栗鼠共の首を見事に撃ち抜いた。
(す、すげぇ)
これは詠唱を口にせずとも術式を呼び出せる程に術を卓越させた術者にのみ許される業。"無詠唱"である。
無論初めて見たものでは無いが術を扱う身となってから見ても改めて異常だと理解できる。
俺もやってみた事があるが、全くできる気がしなかった。口で言うのとこれじゃわけが違う。
「さて、一回血抜きしてみるか?」
そんな凄いことを軽々とやってみせた爺様は、ニカッと笑ってそう言った。
爺様はナイフを俺に手渡すと、自分用のそれを使っておもむろに獣を捌きはじめた。
この地方では金属の変わりとして木材が使われている。「世界冒険録」によれはこの森の木材は"木鉄"と呼ばれ、その硬度と耐火性をもって世界各地で重宝されているらしい。
「はぁ、なんか不思議な感覚」
いつも調理などで触っているはずの獣肉。だが自分の手の中で血が流れ熱を失っていく感覚は初めてだ。正直あまり気持ちのいいものではない。
「あっ、違うそうじゃない。皮をめくりながら削ぐんだよ」
初めての解体は、予想よりも難航してしまった。やはり"死"が近いというのは気分が悪い。今日はもう寝れない気がする。
「よし、じゃあ帰るぞ」
「え?これで終わり?」
「今日は終わりだな。まあ実際に殺ってみるのは次回ってことだ」
結界に戻り家に帰る。だが爺様は一息つく間もないらしい。「買取所が閉まっちまう」とか何とか言いながら、捌いた獣肉を持ってまた街へと向かっていった。
「はぁ、なんか呆気なく終わっちゃった……」
そうボヤきながらいつもの大石に腰掛ける。時間でいえばもう十六時。そろそろ暗くなってくる頃合いだ。
体力も少しついてきたとはいえ、まだまだ虚弱の部類である。今日は歩きで、しかも休み休みだったから良かったものの、多分もう少しで気絶する所だった。
(それが分かって切り上げたのかな……)
脳裏に浮かぶ流血と死肉。心にくるものがないでは無いが、多分今日も肉を口に運ぶのだろう。
(はぁ……)
そう考えると自分が嫌になってくる。到底眠れるような気分では無いが、少し横になっておくか。
……なんだ。
何だこの感覚は。
いつもと変わらない景色の我が家。だが空気がおかしい。
──死の予感がする。
「%%%%%%%」
耳に響くはあの呻き声。
一度聞いたことがある。
奴だ。あの黒い獣だ。
「なんで結界の中に……」
いや、そんな事を言ってる場合じゃない。
考えなければ。
考えて行動しなければ。
そうじゃなければ死ぬのは俺だ。
まず何をするべきか。
逃げられるのならそうするが、どこに逃げると言うのだろう。
最悪な事に、ここはその逃げ込むべき場所だ。
ではどうするのか。
無論、戦うまで。
大丈夫、戦い方は学んでいる。
全て上手く行けば勝機は十分ある。
後は覚悟を決めるだけだ。
大丈夫だ、怖くない。
(……いける)
調理用の包丁を手に取り、気配を潜めて距離をとる。蔵に溜め込んだ保存食の香りに誘われたのか、奴は結界の中心である家の方向に向かっている。
だから俺は大きく外に回り込んで、奴の後方に陣取った。
(……とりあえず後ろは取れたが、狙うなら心臓だな)
静かに距離を詰めていき、着弾距離までもう少し。勝負は一撃。仕留め損ねれば死を意味する。
手を奴に向けて構え、狙撃点目掛けて呟く。
「我、鋭利なる石片の射手となりて、その標的を撃ち抜かん。『岩撃』」
「%%%」
狙いは命中。見事胸倉に撃ち込めた。だというのに奴は動いている。
(なんで!?)
「%%%%%%」
奴はこちらを血眼で探し、そして一瞬にしてそれは成る。多少ダメージはあるだろうが、それでも彼我の差は歴然だ。
(やっばい、どうしよう……)
奴はこちらを睨み付け、驚くべきことに"空中から炎を放射"してくる。それは一瞬で俺の足元まで到達した。
(!?)
俺はそれを咄嗟で避ける。だがすこしおそかったようだか。余波だけなのに服や靴が焦げてしまった。
俺は距離をとるように、でも目を離さないで駆けだした。それは爺様に教わった戦い方であり、無意識でそうした事から身についていたのだと自覚する。
(クソ!よりにもよって"魔獣"かよ!)
魔獣とは突然変異種、"魔法"が使えるようになった生き物を指す言葉だ。
魔術ではなく魔法、まやかしである術とは違う力を操る正真正銘の怪物。それは往々にして狩猟の専門家である"狩人"にすらも屠る事があるらしい。
"魔獣を相手取るならばその群れを相手取ると思え"、だっただろうか。聖人アカリスの戦いを綴った物でもある「福音」のどこかに、そんな節があった気がする。
(無理だ…… そんなの勝てない……)
だがそうは思いつつも足は動く。たとえ無理だと分かってもそう簡単に命を諦めてたまるかってんだ。
「我、恐ろしき水の流れとなりて、全てを飲み込む暴威を成さん。『濁流波』」
行使するは今の俺が扱える最大の魔術。大いなる水の奔流が一本のレーザーのように放たれる。
だが焦りによる詠唱の乱れがあったのか、行使されたそれは奴の真横をすり抜け霧散した。
「くっ、外した!」
だが足を止める暇はない。そうすればたちまち炎に呑まれる。
奴は断続的に火球を撃ち続けている。
今は木を盾にしたり、躱したりでやり過ごしているが、こんなのがいつまでも持つわけが無い。
ここら辺が耐火性のある木鉄の群生地で本当に良かった。
もし普通の森だったら確実に燃えた木々に押し潰されて死んでただろう。
そうじゃなくてもただでさえ弱い俺の体だ。煙を沢山吸ったら死にそうな気もする。
魔法は術とは違い、発動者の意思か物理的対処でしかその影響を打ち消せない。だから火事になったら目も当てられなかった。それだけは幸運と言えるかもしれない。
とにかくこの距離はマズイ。自分の術も届かなくなってしまうが背に腹はかえられない。奴の射程圏から外れるんだ。
(くっ、疲れが……)
何度も避けたりかわしたりで先程までの疲労感が限界を迎えた。一瞬、たった一瞬だけ気が逸れてしまった。そのせいで、走り続ける俺の行く手を塞ぐように炎の壁が作り出される。
「危ね!」
寸出で方向を転換するが、距離が段々近づいている。このままでは追いつかれてしまう。早く逃げないと。
(いや、違う……)
足を止め、腕を照準器として奴に狙いを定める。
このまま俺が逃げ続けても、どちらも消耗し続けるるだけだ。その場合体力の無い俺が確実に負ける。
だから勝負はここで決める。自分が生き残るために、今度こそ奴を殺すのだ。
(勝負だ、この不細工野郎!)
呼吸を整え向き直る。高鳴る心臓を押さえつけ、少しでも冷静にと心を宥めた。
訓練通りに手を前に構え、今度は正確にゆっくりと、でも怖いので叫ぶように詠唱した。
「我、恐ろしき水の流れとなりて、全てを飲み込む暴威を成さん。『濁流波』!!!」
狙うは第二の心臓、"魔石"。魔獣が魔法を使える所以であるそれは、特別な事情が無い限り心臓の逆位置に生じている。
いくら心臓を撃っても死なない屈強な生物でも関係ない。この世界の絶対的な法則として"魔石なくば死する"のだ。
「いっけええぇぇぇ!!!」
「%%%%%!!」
奴も負けじと火球を打ち込んでくる。その力によっぽどの自信があるのだろう。だが炎で水を止められる通りはない。
圧縮され破壊力を増した水流は炎をかき消し、パリンと音をたてさせて奴の魔石を撃ち砕いた。
「はぁ、はぁ」
この日俺は、生まれて初めて自らの手で生き物を殺した。それは今世だけではなく、前世も含めての話だ。今まで何千、何万という命の上に居たというのに、初めて手を汚したのだ。
初めての感触は案外呆気なく、だがそれは自分の手ではなく術で殺したからなのだろう。
だが生き物を自分の手で、あの憎むべき暗闇、"死"へと送ってしまった罪悪感が重くのしかかる。
ふとこの世界で初めてこれと同種の獣に出会った時に、焦りと恐怖で醜いだなんだと罵倒した事を思い出す。
だがそれは違った。違ったのだと俺は思う。奴はこちらを弄んでいたわけではなく、警戒していたのだ。今の俺と同じように必死に生きようとしていただけなのだ。
(そう、だったのか……)
恐怖でフィルターがかかっていたとはいえ、生きようとする意思を無意識で嘲っていた事が引っかかってならない。
だから俺は限界の身体に鞭を打って、奴を解体する事にした。
その命を無駄にしないように。
そして償いのように。




