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第1接種「自分の生きる人生を愛せ。自分の愛する人生を生きろ」

2021年8月1日の13時に作者はワクチン接種します。明日更新がなければ、作者は異世界転移したものとお考えください。

自分の生きる人生を愛せ。自分の愛する人生を生きろ

Love the life you live. Live the life you love.





 接種券を受け取った俺は、ワクチン接種の列に並んでいた。何の躊躇いも無かったと言えば嘘になるが、正直なところ心配はしていなかった。


「はい、次の方~」


 職員が事務的に次の人間を呼ぶ。無機質な呼び声を聴いていると、何処か落ち着く気がした。


「はい、少しちくっとしますよ」


 今までの人生のように、受けろと言われればなんの考えもなしに受ける。依頼であれ仕事であれ、ワクチン接種であれ、それは変わらない。


 実際、今回もそうだ。


 よく考えて生きていれば、こんな結果にはならなかっただろう。だけど、考えるなんてのは面倒だ。受動的に生きていた方が楽に決まっている。難しいことを考えると悩みが生まれる。悩みが生まれると苦しみ藻掻く。そんな人生、誰だって嫌だろ。


 だから俺は考えない。


ーー考えずに、打ってしまった。


 注射を打った瞬間、身体に電撃が走るかのような強烈な痛みが襲った。たしかに、注射は苦手だったが、大の大人が注射程度で、呻き声をあげるはずがなかった。


「うああああああああああああああああ!」


 俺は叫んでいた。腕が焼けるように熱い。こんなにも痛いなんて聞いていなかった。これはきっと自分だけが感じる痛みなのだろう。テレビでやっていた、アナフィラキシーってやつなのかもしれない。

 その場でのたうち回る俺。周りの人間は慌てた。人がどんどん自分の方に集まってくる。俺はその様子をぼんやりと眺めていた。


 そこで、なんとなく分かった。


ーー俺は死ぬ。


 俺は死を受け入れた。未練なんかない。それなりの人生だった。後悔するほどのこともない。あるがままを受け入れよう。流れに身を任せ、なすがままの人生だった。


 結婚もして、仕事にも慣れて、子どももできて、幸せな生活を続けることができたはずだったのだ。それが、この注射一本で奪われたのだ。普通の人間ならば、憤慨し、我を失うだろう。

 だが、破鬱はうつにはそれがなかった。無執着、無頓着、無神経。何事にも必要以上に関与しない。その気質を最後まで貫き通していた。いや、貫いてしまっていたと言った方が正しい。


「破鬱さん! 破鬱さん!」


 白衣を纏った人間が必死に俺の名を呼ぶが、俺はそれに応えることができない。全身から力が抜け、魂ってのが剥離してゆく気分だ。思念だけが、この世を彷徨うことになるのだろうか。はたまたこれは一時のもので、俺は天国に無事に召すことができるのだろうか。



 この事件を契機に、破鬱はうつ 無大むだい、28歳はワクチン接種による稀なる被害者として、あらゆるメディアを席巻することになる。


 だが、もうそこに俺の意識も、魂も、自我も、存在してはいなかった。


 彼の世界はいともたやすく奪われた。彼はもうここにはいない……


 彼の「現世」での生活は幕を閉じたのだった。



「…………」


 目を覚ますと、目の前には知らない景色が広がっていた。

 霧がかかったように辺りは視界が悪い。鬱蒼とした森の中ということだけは分かる。生き物の気配が全く感じられない。ここは死後の世界なのだろうか。


「ってこれなんだ……」


 頭の中に文字が浮かんでいる。とても奇妙な感覚だ。その文字を読むと、


【状態異常無効】


 ゲームの中の画面のような表示。これがワクチンを打った効果だとでも言わんばかりに、俺の脳内に直接この能力が刻み込まれている気がした。


「どうして、まだこれが……」


 右手に握りしめていたのは、中身が入った注射器だった。だが、俺が打ったものとは異なるタイプのようだった。


「これを打てってことなのか……」


 辺りには人っ子一人いない。誰かに質問しようにも、聞く相手がいない。そう言えば、ワクチン接種は2回目もあるんだったっけ。


「これが2回目の接種ってか。どうせ、死んだ身だ。なるようになるさ」


 やけになったわけではない。いつものように懐は大きく、間口は広く、寛大な精神で事を判断したまでだ。


「……ッ」


 痛みは殆どなく、打った後は清々しい気持ちになれた。どんな薬品がこの中に入っていたのだろうか。それは俺の知るところではない。


「おいおい……嘘だろ……」


 注射を自分で打つ経験なんて今までしてこなかった。だから、この方法が正しいのかなんて到底分からなかったが、どうやらこの注射の効果は覿面だったようだ。


【身体能力強化】【魔法無詠唱状態】【自動回復付与】


 先ほどと同じように脳に直接言葉が送られてきた。そして少し時間をおいて、四つ目の表示がなされた。


【肉体退行】


 それは薬の副作用ともいえる効果だった。先ほどまでの3つの能力向上とは異なる、デメリット能力。一目見て効果が瞬時に想像できた。


「身体が……縮んでいる……」


 あの有名な名探偵の如く、俺の身体は小学生のそれと遜色がないくらいにまで小さくなってしまっていた!


「あんなの絶対ありえないって、思っていたのに……そんな薬あるはずないって思ってたのに……」


 自分がまさか見た目は子ども状態に成り下がってしまうなんて想像もしなかった。ここから一体どうすればいいっていうんだよ。


「とにかく歩くしかないか……」


 だぼだぼの衣服を身にまといながら、俺はただこの仄暗い森を一人彷徨った。ここが地獄なのだとしたら、あまりにも不親切だ。俺たちの知っている地獄なら、然るべき罰を、然るべき場所で、受けることができるはずなのだ。だが、それもできない。


「天国ってわけでもないだろう……」


 延々と霧の中を進む。だが、一向に景色は晴れない。


「…………」


 次第にこれが夢で、自分が成しえなかったこと、やり残したことがあるからこそ目覚められないのだと思うようになってきた。心の問題なのかもしれない。何かに踏ん切りをつけて、また新たに決心を固めれば目が覚めて病室で寝たきりだった自分と対面できるのかもしれない。

 何かきっかけさえあれば、元の世界に帰ることができるような気がした。


 だが、心の中ではこう言ってくる自分もいる。


「もう、ここは別世界だ。もうあの世界には二度と戻れない」


 そう考えると、怖くなってしまう。もう死んだと分かっていれば、踏ん切りもつく。だか、こうして前世の記憶を持ったまま、この霧の世界で生きているとどうしても考えを巡らせたくなってしまう。


 考えるのが嫌いだったはずの俺がこんなにも考えてしまっている。いかん、いかん。考えなしに突き進もう!


 走って、奔って、駆けて、疾走して、疾駆して、我を忘れた。置かれた状況も、これからも展望も、あの世界に残してきたものも。

――何もかも、考えないようにした。



毎日更新がんばるぞい!

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