42. 夜討ち朝駆け上等な世界に転生しました
城門へ向かう途中だった。
甲冑の関節が低く鳴り、補給した液体が内部を巡っていく感覚がある。動ける。昨日の無茶の“ツケ”は、今なら押し込める。
――そこで、城内の兵が一斉に道を開けた。
「男爵閣下だ!」
恰幅のいい男爵が、陣中鎧のまま走ってくる。走るのが似合わない体型なのに、息が全く乱れていない。背後には家令と、顔色の悪い士官が二人ほど。
……味方側は、見た目が悪いほど有能と言う、ベースが乙女ゲームとは思えない設定に忠実というか何というか。
男爵は私たちを見つけるなり、目を見開いた。
「待て! 今から出るのか、命婦殿!」
「……命婦はやめてください。今は時間がない」
私が返すと、男爵は歯を噛み、しかし言葉を飲み込んでから続けた。
「いや、分かっている。貴公らが動けば戦場が動く。
だが――補給が届いたばかりだ。門を固め、態勢を立て直すのが先ではないのか?」
男爵の声は焦りではなく、城主としての当然の判断だった。
背後の家令が、もっともらしく頷く。
「そうです。今は城内の立て直しが最優先かと。昨夜の喜びが冷めぬうちに――」
私は男爵の顔を見た。
この男が領民を飢えさせまいとして歯を食いしばってきたことは、もう分かっている。
そして、彼は無能ではない。たとえ私のような“余計な知識”がなくとも、それは明白だ。
だからこそ、ここは長々と説くより、芯だけを突く。
「昨日、話しましたよね。幕僚団は“救援が失敗した前提”で動く、と」
男爵の眉がぴくりと動く。思い当たる、という顔だ。
「……敵が疲労した頃に、乱戦へ乗り込む。功を奪うには一番楽な手だ。
貴公は『明日くらいに来る』と言ったな」
「はい。そして男爵も同意した」
家令が顔をしかめる。
「しかし、それが分かっているなら、なおさら籠って守りを――」
「だから、その前に出ます」
私が言い切ると、男爵の部下たちが一斉に固まった。
“なぜ”という疑問が顔に出る。城門から出る? 今? 夜明け前に?
男爵も同じ表情だった。
だが次の瞬間、視線が私の甲冑ではなく、荷の集積所へ向く。芋袋。樽。城兵の顔。戻った血色。
補給が届いたことで、城は「守るだけの箱」ではなく、もう一度「戦える拠点」になっている。
私はその視線の先を追い、続けた。
「幕僚団は“乱戦になったところ”に来ます。なら――先に乱戦を作ってしまえばいい。
戦場が混乱している場合、あいつらは“美味しい時だけ”入ってくる。
幕僚団の読み通り上手くいったとして、城は助かっても戦場の主導権は奪われます」
男爵の喉が小さく鳴った。
「……主導権を、こちらが握り直す」
「そうですね」
私は軽く頷く。
当然、その意図は持っている。だが――それだけではない。
幕僚団が狙っているのは“乱戦そのもの”というより、乱戦に便乗できる“立場”だ。
なら、乱戦が起きなければ起きないで、別の口実を探すだけだろう。
救援の遅れを取り返すため、指揮権の整理だの、補給線の再構築だの――「城を助けるため」と言いながら、結局は功名を掠め取る形に持っていく。
……何もせずに、物資だけ消耗して。
城内の誰も、それを悪意だと断じきれない。だからこそ厄介だ。
そして疲弊しきった城には、何も入って来ない。
だから、こちらから“乱戦”を起こす。
介入の形を、先にこちらの都合で固定してしまう。
「夜明け前に出て、谷口で一度だけ大きくぶつける。
狙いは勝ち切ることじゃない。――戦場を散らし、相手の算段を崩すこと。
そうすれば、幕僚団が到着した時点で、彼らの描いていた“都合のいい参戦”が成立しなくなる」
男爵の声が低くなる。理解が形になり始めていた。
その言い方には、恐れと同時に、わずかな興奮が混じっていた。
やはりこの男は、無能からは程遠い。
領民を守るために歯を食いしばりながらも、勝ち筋を見れば目を逸らさない。
私は一拍だけ置き、最後の一押しを加える。
「ええ。乱戦にしておけば、相手が迎撃を出しても主力が薄くなる。出さなくても、こちらが好きに荒らせる。
――どちらに転んでも、損にはなりません」
☆ ◆ ☆ ◆ ☆
そこでホンザが、にやりと笑った。
「そういうことです、男爵閣下。
幕僚団が来る前に、戦場を乱戦にしておく訳です」
「乱戦に……? しかし――」
家令が反射で言い返そうとして、言葉を飲み込む。
男爵はもう半歩先まで見えている顔だ。だが家令は、まだ“城を守る理屈”の枠にいる。
私は一度だけ息を吐いて、言葉を継いだ。
「逆に聞きます。敵が整然と待機して、何も起きなかったら――幕僚団はどうします?」
家令が口を開きかけ、また閉じた。
答えが出ないのではない。出したくないのだ。
ホンザが肩をすくめる。笑いを隠す気もない。
「どうもしませんな。
“機が熟すまで待つ”とか言って。――機が熟すのが運次第なのは棚に上げて」
ノルベルトが追撃するように、わざとらしく頷いた。
「突発事態に弱いから是正します、って看板は立派なんだけどさ。
突発事態が起きても、基本、見てるだけなんだよな。慌てもしないけど、手も出さない」
「慌てないのは長所だがな」
テオドルが淡々と言う。
それがまた、嫌味として効いた。
「ただ、動かないのは別問題です」
私が続ける。
「動かずに対峙して、水と食糧だけが消えていく。
そうなれば、せっかく私たちが持って来た宝――食糧も、持ち腐れもいいところになります。
無理矢理にでも“動く状況”を作る必要がある」
男爵が小さく頷いた。
ここまで来れば、彼にはもう見えているのだろう。幕僚団の“介入の形”まで含めて。
私は言葉を重ねる。
「乱戦が起きなければ、あいつらは別の口実を探す。
指揮権の整理だの、救援の再編だの――“整える”と言いながら、結局は何も変えずに功名だけ拾う。
だから、こちらから乱戦を起こして、介入の形を先に固定する」
私の言葉を受けて、ノルベルトがやけに愉快そうに肩をすくめた。
「迎撃が出てくりゃ出てきたで、主力が薄くなる。
出てこなきゃ、こっちが好きに荒らせる。
どっちに転んでも、悪くないってやつ」
ホンザが口の端を上げた。
「ついでに、幕僚団が“運”を拾いに来る前に、こちらが“状況”を拾う。
……同じ拾うでも、だいぶ品が違うって話ですな」
男爵は、息を吐いた。苦い笑いだ。だが、否定ではない。
「……恐ろしいほど合理的だな」
「仕事ですから」
テオドルが淡々と返す。
男爵が私を見る。
領民を背負う者の目だ。決断を測る目だ。
私は頷いた。
「補給は成功しました。でも勝ってはいない。
勝っていないからこそ、次の手をこちらが握ります」
私は、敢えて不敵に見えると自分では思っている表情を作る。
「それに、外にはまだ芋も酒も残っていますから」
黎明が、城壁の向こうで薄く白み始めていた。




