38. 芋で一杯と通を気取りに転生しました
門の内側へ滑り込んだ瞬間、空気が変わった。
外の夕陽は城門の向こうで薄れ、代わりに石と土と汗の匂いが、むっと濃く押し寄せてくる。――生きている匂いだ。
次の瞬間、その生の空気をさらにかき乱すように、ラヨッシュの騎装馬型甲冑が、連結した荷車を引いたまま城門の石畳へ乗り上げた。
重い。
速い。
そして、でかい。
門をくぐるには本来あまりにも長すぎるはずの“列車”が、鉄と木と縄のきしみを響かせながら、半ば暴力的に城内へねじ込まれてくる。
蹄ではない。だが、石畳を打つ脚部の連打は、まるで巨大な軍馬の突撃そのものだった。
車輪が跳ねる。
荷台が大きく揺れる。
積み込まれた芋袋が嫌な音を立て、樽がぶつかり合って低く唸る。
それでも――落ちない。
選んだ台車は、見込んだとおりだった。
かなり無茶な機動にもかかわらず、車軸も、車輪も、荷台の組みも悲鳴を上げるだけで、破綻しない。
まるで最初から、この無茶のために作られていたみたいに、荷車の列はラヨッシュの脚に引きずられて前へ、前へと押し込まれていく。
「よし、入った!」
誰かが叫んだ。
だが、ラヨッシュは振り返らない。返事もしない。
「止めるな! 通せ! 続けて二台目!」
ただ脚を動かす。
甲冑の筋肉――いや、機構そのものが石畳を噛み、火花を散らしながら前へ進む。
馬車とも違う。牛車とも違う。
最近ようやく見慣れ始めた荷車の概念を、そのまま戦場に引きずり込んだような、無茶苦茶で、それでいて理にかなった突進だった。
連結された列車が門を通過していく光景は、城内の兵の目を完全に奪った。
敵に恐怖を与えるための力業だったはずが、味方にはそれ以上のものを与えていた。
最初に上がったのは、息を呑む音だった。
次に、信じられないものを見た時の、半ば笑いに近い声。
そして、それが一つに弾ける。
「入ったぞ……!」
「物資だ! 本当に来た!」
「芋だ! 樽もあるぞ!」
歓声が、爆発した。
城門の内側にいた兵たちが、まるで堰を切ったように駆け出してくる。
乾ききった顔に、血が戻る。
絶望を噛み締めていた口が、怒鳴るためではなく、笑うために開く。
「通せ! 通せぇっ!」
「荷を支えろ!」
「落とすな、運べ! 全部だ!」
奥まで到着したところで、列車はようやく止まった。
途中、ラヨッシュがわざとうねるように走らせたおかげで、後続の荷台もきれいに門の内側へ収まり切っている。
あれは単なる力任せではない。乱暴に見えて、城門の幅と荷車の長さを読んだ操縦だ。
止まった瞬間、待ち構えていた兵が一斉に群がった。
縄を掴む者。
荷台を押さえる者。
芋袋を肩へ担ぎ上げる者。
樽を二人がかりで抱え、歓声混じりに奥へ運ぶ者。
木の腹が鳴る。
縄が軋む。
石畳に足音が乱れ打つ。
その全てが、城塞都市の心臓がもう一度動き始めた音のように聞こえた。
私も甲冑で続き、門の陰をくぐる。
吊り下がった鎖の匂い。木の門扉が擦れる音。冷えた石壁の圧迫感。
たった一枚の扉が、外と内をまるで別世界に分けていた。
外は、まだ戦場だ。
だが内側では――今、確かに人が生き返っていた。
☆ ★ ☆ ★ ☆
城門の内側へ荷が吸い込まれていくのを見届けたところで、私は甲冑に声を通した。
「よし、まずは落ち着け。――食糧を運んだ者から、喉を潤せ」
物資の受け渡しで荒れていた空気が、ふっと緩む。
城内の兵が顔を見合わせ、そして遅れて、歓声の代わりに短い笑いが漏れた。笑う余裕が戻ったのだ。
「……ひでぇ音だな」
ホンザが門の内側へ入ってくると、肩を回すように甲冑を揺らした。
言葉はいつも通りぞんざいだが、声の奥には、隠しきれない安堵が混じっている。
「でもこれで、腹は繋げる」
ノルベルトは荷台から下ろされた芋袋を、甲冑の指先で軽くつついていて笑った。
笑う余裕が戻ると、人は一気に軽くなる。
ほんの少し前まで、城内に満ちていた張り詰めた空気が、今はもう別のものに変わりつつあった。
鉄騎騎士団は、門前の石畳の端へ寄って、甲冑のまま腰を下ろすように膝を折った。
ラヨッシュも、ようやく騎装馬型甲冑を止めると、重々しい音を立てて降りてくる。
無愛想な顔は崩さない。だが、肩の力がひとつ抜けたのは見て取れた。
テオドルも自機から降り、手袋の指を引き直しながら荷車の具合を眺めている。
いかにも冷静な顔をしているが、視線が何度も城内の兵へ流れるあたり、成果を確かめずにはいられないらしい。
他の騎士たちも、次々と甲冑から降りてきた。
誰も派手には喜ばない。歓声を上げるわけでも、拳を振り上げるわけでもない。
けれど、歩幅が少しだけ軽い。
兜を外した顔に、妙に口元だけが緩んでいる。
“任務を一つ成功させた”という喜びを、平静の皮でなんとか包んでいるのが、見ていて分かった。
ホンザが、門内の雑踏を見渡しながら、ふと零した。
「こんな時、僚兵がいると楽なんだけどな。
残り物資の護衛だの、連絡だの、段取りだの――俺らが全部やるのは勿体ねぇ」
「分かる」
私は甲冑の声を普通の大きさに戻した。
「一応、家令ヴォイチェフが募集はしてくれてるみたいだけど……。
うちみたいな中小の男爵領だと、なかなか来ない。給金も名誉も、結局は大手に流れる」
「世知辛いなぁ」
ノルベルトが、わざとらしくため息をついた。
だが、その言い方にもどこか浮ついた調子がある。愚痴を言う余裕そのものが、今はありがたい。
ラヨッシュは、最後の荷車をきっちり押し込み切ってから、ようやく息を吐くように言った。
「……次は樽を増やすなよ」
「それは相談だ」
ホンザが笑い、私も苦笑で返した。
「相談って言うな。減らせ」
「減らしたら、士気も減るぞ」
「士気の前に、車軸が死ぬ」
テオドルが淡々と挟むと、周囲で何人かが小さく吹き出した。
つい先ほどまで、城門の外では死ぬ気で押し込んでいたのに、こうして下らないやり取りができる。
その落差が、かえって現実味を持って胸に落ちてくる。
そんな軽口が、まだ続けられる。
それだけで、胸の内が少し軽くなる。
――城門を抜けた。
それだけで、世界が一段、明るくなった気がした。
☆ ★ ☆ ★ ☆
私は自分の――正確には、母が使っていた甲冑の、あちこちに括り付けておいた小ぶりの革袋を外していく。
腰の後ろ。脇腹。脚部の内側。盾の裏。
一つ二つではない。思いつく限りの“死角”に、ずいぶん前から忍ばせておいたものだ。
それを見たホンザが、いかにも愉快そうに肩を揺らした。
「おいおい。まさか、本当に持ってきたのか」
「持ってきた」
私は淡々と答えた。
荷を減らした分、余裕は作れた。
戦場で余裕を作るなら、胃袋と喉に入るものがいちばん効く。
だから樽は捨てた。――捨てたように見せかけただけで、中身まで諦めた覚えはない。
私は革袋を一つ持ち上げて、ホンザへ投げる。
「うわぁ、これがあるだけで動けるやつだ」
テオドルは皮袋を受け取り、ラベルも無いのに香りだけで値打ちを測るように鼻を寄せた。
「……雑ではない。ちゃんとしたのを選んでますね」
「外に飲まれるより、ここで飲まれた方がいい」
私はそう言いながら、城内の兵へも回すよう手で示した。
☆ ★ ☆ ★ ☆
「というか、どうせお前たちも持ってきているんだろう。捨てた樽とは別に」
一瞬の沈黙。
それからホンザが、とうとう堪えきれなくなったように吹き出した。
「ばれてたか」
「当たり前だ。どうせ、お前等のも空樽だったんだろ」
「いやいや、私は潔く捨てたつもりだったんですがね」とでも言いたげに、テオドルが何でもない顔で視線を逸らす。
ノルベルトは口笛を吹こうとして失敗し、ラヨッシュは露骨に嫌そうな顔をしたまま、何も言わない。
その“何も言わない”が、答えだった。
「やっぱりかよ」
私が呆れて言うと、ノルベルトが子供みたいな顔で笑った。
「だって、捨てるには惜しかったんだよ。
あの樽、見せ札にはちょうど良かったけど、中身まで本当に失うのは勿体ないだろ?」
「勿体ない、で戦場の荷を増やすな」
「いやぁ、でもさ。士気って大事じゃん?」
ホンザが横から大真面目な顔で頷く。
「大事だ。腹が減って喉が乾いた兵ほど、ろくなことを考えねぇ。
逆に、喉が潤えば、馬鹿みたいに働く」
「そこまで言うなら最初から申告しろ」
「したら減らされるだろ」
まるで当然の理屈みたいに返されて、私は一瞬だけ言葉に詰まった。
その隙に、ノルベルトが得意げに甲冑の腿当ての裏から革袋を二つ引っ張り出す。
「見ろ。ちゃんと左右に分散してた」
テオドルまで、やれやれという顔で胸当ての内側から一本、さらに外套の裏からもう一本出してくる。
「私は最初から、樽よりこちらの方が合理的だと思っていました」
「お前は合理的に隠してただけだろう」
最後に、全員の視線がラヨッシュへ集まった。
ラヨッシュはしばらく無言でいた。
そのまま押し黙っていればまだ格好もついただろうに、やがて諦めたように溜息をつき、騎装馬型甲冑の首元、鞍の下、脚の付け根――そんなところにまで括ってあった革袋を、ひとつ、ふたつ、みっつと外し始めた。
ノルベルトが腹を抱える。
「お前が一番持ってるじゃねぇか!」
「……樽は重い」
ラヨッシュがぶっきらぼうに言う。
「だから最初から袋で分散した」
「お前、嫌そうな顔して一番狡いな」
「今さら気づいたのか」
その言い方に、とうとうホンザまで吹き出した。
つられて周囲の騎士たち――甲冑から降りていた他の団員まで、思い出したように自分の機体のあちこちを探り始める。
すると出るわ出るわ。
小ぶりの革袋が、まるで隠し財産みたいに、肩当ての裏から、腰当ての内側から、盾の吊り紐の陰から、次々に出てくる。
「お前もか」
「いや、団長が“念のため”って」
「念のためでその数は多いだろ」
「二本は自分用です」
「一本たりとも自分用じゃない」
城門の内側に、ようやく戦場帰りらしい笑いが広がった。
死ぬ思いで押し込んだ荷と一緒に、どうしようもない狡さまで運び込まれていたらしい。
私は半ば呆れ、半ば安心しながら、革袋を城内の兵へ回すよう手で示した。




