37.6 絶対芋焼酎作ると心に誓う転成者
夕陽はまだ残っていた。だが谷間の入口だけは早く影になり、空気が一段冷たく感じられる。
親衛隊の隊列は、見た目ほど締まっていなかった。
盾の角度がばらつき、間合いも一定しない。――“飾り”だ。そう思っていた。
だから、あの矢も通るはずだった。
「――撃て!」
弩弓の音が走り、弩矢が一直線に飛ぶ。狙いは、隊列の中心。号令を出しそうな位置。
一本で崩せる。崩れたところを押し込めば、谷の口は塞げる。
……はずだった。
矢の前に、甲冑が割り込んだ。
親衛隊の中心から、半歩。
ひときわ装飾の控えめな――だが妙に背筋の伸びた機体が、右腕を伸ばす。
金属が鳴った。
弩矢は、その右手で受け止められた。
握り潰したのではない。逸らしたのでもない。
“止めた”。勢いを殺し、落としてみせた。
一瞬、士官の口が開いたままになる。
さっきまで軽く鼻で笑っていた自分が、馬鹿みたいだった。
「な、なぜそんな……!」
敬語が抜けたのも気づかない。
自分の部隊長を庇うならまだ分かる。だが、今の位置は“要”だった。矢を受ける必要のない場所だ。受けるなら盾がある。受けるのは、あまりに――
カイルは甲冑の首を、ほんの少しだけこちらへ向けた。
顔は見えないのに、“目が合った”気がした。
「部隊長がやられたら、部隊は動かないだろう」
返ってきた声は静かだった。
息一つ乱れていない。
士官は、そこで初めて理解する。
この人は“飾り”ではない。
前に出るのは勇気ではなく、必要だからだ。
部隊が動くための“核”として、自分でそれをやっている。
「……っ、失礼しました」
敬語が戻った。戻さずにはいられなかった。
「命令を。すぐに」
カイルは迷いなく答える。
「盾を半歩前。槍は斜め。右端は一列下げて角を作れ。
谷の口を“壁”にする。押すな。耐えろ。相手の速さを殺せ」
「はっ!」
士官は叫び、伝令へ回し、腕を振った。
さっきまでばらついていた盾が揃う。槍の角度が同じになる。
隊列が“点”から“線”へ変わり、線が“面”になる。
その瞬間だった。
鉄騎騎士団がぶつかってきた。
重い。速い。乱暴だ。
だが――乱暴なはずなのに、角を狙ってくる。端を割ってくる。
陽動で引き寄せ、ずらし、そこへ突っ込むつもりだったのだろう。
(こいつら……現場で戦える)
士官は舌打ちしそうになって飲み込む。
飲み込ませたのは、背後の静かな声だった。
「右端、守りに入るな。押し返すな。受けて、滑らせろ。
盾の縁で相手の脚を誘導する」
「え……」
士官は思わず振り返りそうになった。
その指示は、自分が頭の中で組み立てているより早かった。
しかも、戦場の状況に合っている。
「ほら、来る」
カイルが言った直後、相手の甲冑が角度を変え、まさに右端を抉りに来た。
士官は反射で叫ぶ。
「右端、滑らせろ! 盾の縁を立てろ!」
金属が鳴る。
火花が散り、相手の刃が空を切る。
“受けて、滑らせる”。ただ耐えるのではなく、速さを殺して位置をずらす。
相手の勢いが一瞬、止まった。
「今だ。槍を前へ。――三歩だけ」
カイルの声が落ちる。
三歩。深追いするな、という意味だ。
勝った気になった瞬間に壊れる。
士官はそれが分かってしまう。
「三歩! 三歩だけ前へ!」
親衛隊が揃って出る。
揃って戻る。揃って締める。
(……この人、指揮が上手い)
上手い、では足りない。
“適切”だ。過不足がない。
それがどれほど怖いことか、士官は戦場を知っている。
激戦の最中、士官は気づく。
自分の口が、勝手に動くようになっている。
カイルの意図を先に読んで、先回りして部下を動かしている。
「左列、半歩開けろ! 槍の角度、もう少し下げろ!
盾の縁、揃えろ! 谷の口を譲るな!」
――命令を忠実にこなす、だけじゃない。
カイルが見たい形を、自分が先に作ってしまっている。
(……将器)
その言葉が、喉の奥で転がった。
口に出すのが怖い。だが、見えてしまった。
この人は、戦場に立つべき人間だ。
参謀気取りだと笑っていた自分が、恥ずかしい。
「よくやっている」
カイルが、ぽつりと言う。
それだけで、士官の背筋が伸びた。
褒められたいわけじゃない。
“認識された”ことで、自分がこの隊列の一部になったと感じたのだ。
だが、戦場は情緒に浸らせてくれない。
谷の向こうで、別の動きが生まれた。
城門側。塞いだはずの喉元が、急に騒がしくなる。
「――何だ?」
士官が叫ぶより早く、前方に、ひときわ異質な甲冑が立った。
城門前に、仁王立ち。
装甲の姿勢が、まるで“門そのもの”みたいに見える機体。
外装の意匠は騎士のそれだが、立ち方が違う。
“押し通す”気配がある。
その甲冑が、谷間に響く声を放った。
「今だ! 打って出ろ、『寝返《double-crosser》』!」
言葉の意味を考える暇はない。
次の瞬間、城門が開いた。
門の内側から、別の甲冑が飛び出してくる。
旗印。
あれは――この城の主、男爵の機体だ。
「……まさか」
士官の喉が渇いた。
城内から出る。つまり――内側が“味方になった”ということだ。
「城が……動いた?」
誰かが呟く。
違う。城が動いたんじゃない。
“男爵が”動いたのだ。門前に立つ異形の甲冑――あれに呼応して。
そして、決定打が来た。
谷の奥から、地面を裂くような振動。
複数の荷台が、列車みたいに連なって突進してくる。
牽いているのは、騎装馬型――ケンタウロスの甲冑。
「……あれが、牛車を引くやつか」
さっきまで“無茶”だと思っていた光景が、現実になっている。
速度がある。荷台がある。
そして、門の内側と外側が、同時に動いている。
親衛隊の“壁”は、壁のままだ。
だが、壁は“挟まれる”と崩れる。
「――退け」
カイルの声が落ちる。冷たいほど落ち着いている。
「谷の口を保ったまま、後退。深追いするな」
その瞬間、隊列の後方――斜面の影から、もう一つの甲冑が滑り込んできた。
機体は軽い。だが、動きが無駄に速い。
親衛隊の列へ横から付き、盾の抜けを補うように立つ。
そして、甲冑の拡声が、苛立ちと焦りの混じった声を響かせた。
「――無茶をしないでください」
士官は、はっとしてそちらを見る。
あれは……
「秘書官殿《エーデル中佐》……!?」
だが、戦場に出るタイプじゃない――はずだった。
カイルは振り向かない。だが、返す声だけがわずかに低くなる。
「来るなと言っただろう」
「言われても、です。あなたが倒れたら意味がないでしょう」
その言い方は、忠告というより叱責に近かった。
それでも甲冑は下がらない。隊列の“穴”を埋める位置に、ぴたりと収まっている。
(……この人たち、主従というより――)
士官がそう思った瞬間、城門前の叫びがまた耳に刺さった。
カイルが、ほんの一瞬だけ黙る。
そして、誰にともなく――呟いた。
「……寝返、か」
次の言葉は、もっと小さかったが、士官の耳には届いた。
「セレルナ男爵……。ゲームだと、確か“寝返り男爵”と呼ばれた流れがあった。
……なら、命婦殿も――俺と同じ匂いがするね」
士官は、その意味を完全には理解できない。
だが、“将器”の背中が、今しがた別の戦場を見ているのだけは分かった。
士官は、一瞬だけ歯噛みした。
今、押し返したい。今、意地を見せたい。
だが、さっきの弩矢を右手で止めた理由が、ここで効いてくる。
“部隊が動くため”だ。
壊れてはいけない。崩れてはいけない。
「……了解!」
士官は叫び、部下へ伝える。
「後退! 谷の口を保て! 崩れるな!
――生きて戻るぞ!」
親衛隊が、揃って下がる。
揃って盾を立て、揃って槍を引く。
撤退が“敗走”にならない。
その列の端で、秘書官の甲冑が一歩だけ踏み替え、最後まで“穴”を塞いでいた。
まるで、退く背中に「形」を残すように。
城門前では、仁王立ちの甲冑がまだ立っている。
あの声が、まだ耳に残っている。
『寝返《double-crosser》』。
――負けた。
そう悟った瞬間、士官は自分が次に何をするべきかも悟っていた。
次は、笑わない。
次は、侮らない。
次は、この指揮官のために――先回りして勝つ。
夕陽が、戦場の影を長く伸ばしていた。




