歌唄いに与ふる練習曲
ー鳥の飛ぶのが空ならば、蝶が舞うのも空でしょう
雲の浮くのが空ならば、花が散るのも空でしょうー
これは、俺が人生で初めて音楽の授業以外で習った合唱曲の最新の一節である。高校生の俺、神木丈瑠は合唱の世界に入って今年で6年になる。今日は同業者である幼馴染の話題と一緒に俺の最近の生活を話そうと思う。
「おはよ、坊主。」
教室で机に突っ伏している俺に聞こえるか聞こえないかの瀬戸際の重低音で囁いてくるこいつが幼馴染の原田侑稀。
「おじさん!……坊主って言うのやめろって……」
侑稀は180cm超の長身で成績・ガタイ共にいいのだが1つ2つ難点を挙げるとすると、声が低すぎるが故に場合によっては聞き取り辛くなること、10代のくせに既に白髪が目立ち始めていることぐらいだ。しかしそれを帳消しにするぐらいに彼のバリトンは貴族と形容されるほどに重厚であり、年からかけ離れた成熟した雰囲気を醸している。だから、俺は敬意を持って彼をおじさんと呼んでいるのだ。
「じゃ、丈瑠もおじさん呼びやめろよ。……っつーか、お前坊主だろ……普段から声高いし、歌の時もハイトーンかますかカウンターテナーの癖に。」
そう、俺は地声が高いので、部活でも合唱団でも良く通るハイトーンもしくは裏声を売りにしている。
総じて俺たちは合唱で期待のエースと謳われているのだ。
「うっせーな、声と引き換えに見た目も成熟し切っちまったのはどこの誰かなぁ〜?」
ムキになって侑稀を小突いてみるとわざとらしい馬鹿笑いをしながら軽く頭を擦り付けてきた。
「はーい。そう言われちゃうとなんも反論できねーなぁ、……って言うこの人も両声類なんですけど?詐欺ってることには変わんなくね?」
「……お前、煽ってくれんじゃないのよ……」
こういう専門的な知識を織り交ぜたたわいない話をするのは長い間同じ曲を同じ場所で共有している同業者同士の秘密の会話みたいで気分がいい。きっと侑稀の方も同じ想いだろう。
「今日、散歩付き合ってもらってもいい?……なーんか疲れちゃったから。」
「育児疲れかぁ?……お疲れさんだよ、本当に。」
「まぁ、そんなとこかな……」
彼の両親は共働きで夜遅くまで働きづめ、おまけに6歳差の弟がいるため、そいつの日中の世話は専ら侑稀の担当。ちょうど今は反抗期も相まって特に手を焼いているらしい。彼のグレーがかった髪は普段は口にしないストレスの現れなのだ。
授業が終わってフラフラと外を歩く。
そんな中での世間話はやっぱり歌のこと。
小4から俺が侑稀を誘って始めた地域の合唱団の活動、その頃から頭の中は歌唱欲求……というんだろうか、とにかく誰かとハモりたいという衝動に駆られていった。特に声の高低がはっきりしているこの二人でハモると最高に気持ちがよく互いが互いの歌声の虜になっていったのだ。
本当に馬鹿な話だが、部活も声を聞きたいがために一緒にしたし、自分のしたいことだから後悔もしていない。
こんなことをそれとなく感じて感慨深くなっていると、「なぁ……」.とダンディな声が呼び止める。
「ん?どしたよ、そんなモジモジして……」
侑稀の顔を覗き込むと、耳まで真っ赤になっているのが手に取るように分かる。下手したら湯気出してぶっ倒れるんじゃないかと気がかりになるほどだった。
「なんでそんな動揺すんだよ……俺、昔はこうだったじゃんか……」
「言われてみれば……」
考え直せば、こいつは昔から低い声がコンプレックスで、人と会話するのが苦手な陰キャで奥手な生徒だった。それがいつのまにか自分からボケるような積極性を見せてきたので不思議に思っていたが、もうすっかり慣れていたので忘れていたのだ。
「あのな……こんなこと野郎に言うことじゃないけど……」
「早く言えって!……濁されるとムカつく。」
「惚れたんだよ、お前の声に。高くてふわふわして、あったかいから……男なのに抱いてもらってるみたいで……心地いいんだよっ!」
照れくさかったのか、公園で乗っていたブランコの漕ぎ方が目に見えて雑になっているのがわかってしまった。
可愛いかよ……俺自身にではなく声にってところに嫉妬したが、口下手すぎて俺も対えてやらなきゃいけない気になった。
「俺も恋しちゃったよ。かっこよくて、曲によって色が違って、大人って感じで……守ってくれそうな雰囲気が大好きです!」
そのあとしばらく二人は沈黙した……自分に言われたわけでもないのに、勝手に恥ずかしがるなんて本当に似たもの同士だなぁ……俺たちって。
「俺さ、合唱のおかげで人生変わった気がする。想いを吐き出すの苦手だったけど、みんなと、お前と歌ってくうちに逆に楽しくなってきちゃって……もっと伝えたい、歌いてぇなぁって思ってたらこんな自己主張激しいやつになっちゃったけど……悪くないかなって。後から蓋を開けてみると想い出が歌と一緒に溢れてくるって面白いから好きなんだなってさ。空の端っこってやっぱり繋がってるんだなぁ。」
しみじみと呟いている彼に若干引きながらも、コイツいい事言うなと感心もしていた。まさにそうだからだ。
「へー、ひさびさに名言認定しますwwwにしても、ちょくちょくお気にの曲の歌詞引用すんのな。」
「いいだろ、別に……てかさ、告白の答えは?」
「『まぁだだよ』、なんてな。」
「大概俺と変わんねーじゃん!」
「まぁ、でも、俺と歌い続けてくれんだろ?これからも、な?侑稀。」
「そらまぁ、コンビだし。離れる気ないから。もちろん。」
「よかった、安心したわ……おじさん!」
「言ったな、坊主……」
本当にこれから先もこのコンビでセッションするであろうことは容易に想像できる。多分、大人になってもどっかのサークルにどっちかが入って、どっちかが追う形で加入するのは目に見えている。
だから、生涯の音を表現し合うパートナーになんらかの形で恩返しをしたい。この出会いというレクイエムのお礼に。
でも、相手はそんなことより今を俺と唄っていければいいなんて気障なことを願っているくらいわかってるとも。きっと俺たちには練習曲ぐらい簡単で気持ちが素直に伝わるものがいいと信じたい。
俺も同じことを願いながら相方の横顔を愛しむように眺めていた。昨日も、今日も、明日も、その先までずっと君と奏でていたいから……よろしくな、相棒!