□“平凡な”彼は自らの非凡を省みる□
例えば小説やら漫画やら映画やらアニメやらの主人公が、自らを平凡な存在であると自称していたとしよう。
しかし、それは往々にしてその主人公の主観に過ぎず、実のところ、その主人公は平凡でないケースが多い。
その主人公にはまだ目覚めていない力が備わり、時に絶世の美女と口交わす境遇があり、そして滅亡を迎えようとする世界は、その自称“平凡な”主人公によって救われるのである。
なぜこんなことが言えるのか。
それは物語というものは平凡であってはならないからだ。平凡な日常を描く物語は読み手を退屈させるだけだからだ。
だけど、そう、それは物語の話。
現実の人間には、何か目覚めていない力なんてものは備わっていないし、世界を救う力も特別ありはしない。絶世の美女に出会う権利くらいはあるだろうけれど。
つまり、僕が何を言いたいのかと言うと、平凡を自称する主人公は、決して平凡足り得ないということだ。
だからこそ、あえて言おう。僕は平凡であると。
この場合の平凡とは、辞書的な意味でごくありふれているということを意味するのだが、ではなぜ僕がそれを声高らかに自称できるのか。
たいした話じゃない。
僕はあらゆる物事において『平均』の存在だからである。
人が平凡か非凡かは大抵の場合、学力や体力を数値化して、その良し悪しを比較することで決定する。
それらは主観的ではなく、客観的だからだ。
その数値が平均値に近ければ、平凡。逸脱していれば、非凡。とても分かりやすい仕組みと言える。
そして、それら客観的なテストを僕が試そうとすれば、その結果は決まって――平均点なのである。学力テストは学校平均であり、県平均であり、全国平均を採る。体力テストもまた学校平均であり、県平均であり、全国平均を採る。必ずそうなるといわけではないが、おそろしいほどの高確率でそうなる。
試しにテストで一〇〇点を取れば、そのテストはみんなが一〇〇点になるのである。その逆は試したことがないが、きっとみんなまともに解答することはできないのだろう。もしかしたら誰かがマイナス一〇〇点を採った上で、僕が〇点を採ることになるのかもしれない。ちょっと面白そうだが、試す気はない。
しかして、これは他の勝負事全般にも同様に作用する。
最初の勝負に僕が勝てば、次は負ける。毎回交互にというわけではないが、結果的に五分五分の成績となる。では一試合しかしないとなると、それはもちろん引き分けという結果になる。
一勝一敗一引き分け。五〇勝五〇敗、なんて当たり前。
万年ど真ん中の平均男。逸脱することなく、中間点の存在たる僕が平凡以外の何者であるのだろうか。
と、まあ色々なことを述べてみたが、もちろん僕だってわかっている。
そんな奴は絶対に平凡ではないということを……。
「お前は相変わらずだな」
今日は期末試験の結果発表だった。我が高校の年三回行われるものの内、一回目がまとまって返される日だった。
その日の僕は返却されるテストを極めて順調に受け取り、そのまま何事もなく下校するはずだった。が、別に赤点を採った成績不良であるわけでもないのに、なぜか職員室に呼ばれてしまった。
理由はわからない。目の前で座る僕の担任――早川博文が僕に答案を返すなり、放課後の職員室行きを言い渡した。
そして来る放課後、早川教諭の第一声が先ほどのそれである。
「なんの話ですか?」
「悪い、少し唐突すぎたな」頭を掻く。「俺がお前の担任になって、早くも四ヶ月がたったわけだが、なかなかお前が特殊な人間なんじゃないかって思えてきてな」
「つまりどういうことでしょう?」
「これまでのクラスの成績を見ていたんだ。お前の点数に変な感じがしたからな。そしたら、中間も今回の期末もお前は全教科平均点だったそうじゃないか」
「本当ですか?」考える――フリをする。「確かに言われてみればそうですね。気が付きませんでした」
わざとらしく言葉を返すが、内心では驚きを隠せなかった。というのも、僕の人生においてその“平凡さ”に気が付いた人間は、彼が初めてだったからだ。
僕の白々しい嘘に、彼は顎を一撫でし、目を細める。
「別にお前がカンニングをしているとは思ってない。常識的に考えて、この結果はカンニングをしたって採ることができないからな。できるとしたら生徒全員が結託する必要がある」
「事実僕はカンニングをしてませんしね」
「だろうな」
早川教諭は鼻で笑うと引き出しからクリアファイルを取り出した。透けた先にはいくつかの表とグラフが見えるが、内容まではわからない。
「ただ、ちょっと気になったもんでお前の一、二年の時の成績とクラスごとの平均点をまとめてみたんだ。そしたらこっちでも、なかなか興味深い結果が出ちまってな」
「……はあ」
また随分と暇な男だ。高校の教師、ましてや受験を控える三年生の担任ならもっと他にすることもあるだろう。
「例えばここだ」
そう言って彼は表の一マスを指差した。横に学年と試験内容、縦にクラス平均が並んでいる。
「二年生最後の期末試験。俺がまだ担任になる前だが、この回は二年生最後ということで教師陣も張り切ってしまったせいか、ほぼすべてのクラスが平均点を下げてしまったらしい。しかし、この中で一クラスだけ平均点を落とすことなく、むしろ上げてきたクラスがあった」
そう言って彼は指を下へとずらし、ある一点で止める。
「お前の在籍していたクラスだ」
指は僕がいた二年F組で止まっていた。
「そう言うときもあるんじゃないですか?」
「そりゃそうだな。だけど、こっちを見てくれ」
すると早川教諭はファイルの中から、今度はその試験での個人成績を取り出した。出席番号順に並んでいるもので二年F組のすべてが網羅されている。こんなものを僕に見せてもいいのだろうか、甚だ疑問である。
「久世隼斗を覚えているか?」
「もちろんです。元クラスメイトですから」
久世隼斗。一年の時からあまり素行が良くなく、二度ほど停学を食らっている生徒だ。授業自体は割りと出席していた印象がある――といっても素行不良の生徒のわりにという意味で、普通からすればやはり少ない――のだが、いったい今回の話とどのような関係があるのだろうか。
「その久世なんだが、一年の時の試験はすべて赤点だったにもかかわらず、二年生なった途端に成績が急上昇した。おまえの平均点に合わせるかのようにな」
その言葉に心臓が鳴るのがわかった。
「それこそ偶然ですよ。久世くんの得意な分野だったんでしょう」
「久世だけならな」
「え?」
「成績が上がっているのは久世だけじゃないんだよ。赤松、丹澤、野波。この三人の成績もその一年間だけ向上し、お前とクラスが変わった今年度から急激に成績を落としている」
「……」
ほほう。早川博文、なかなかに鋭い男だ。初配属でこの高校に来てから五年目、他の教師に比べればかなり若いが、若いのはその頭の中も同様らしい。
別に僕のこの“平凡さ”は隠し事ではないので説明しても構わないけれど、いかんせん説明して信じてもらえる自信がない。
例えば今回のパターンだって、普段の基準から外れる結果のものだ。
僕の“平凡さ”が及ぼす範囲はかなりの広範囲にわたる。期末テストのような学年が関わってくるような内容は、その学年全体に影響する場合が多い。要するに学年全員の成績が底上げされ、僕の平均点がクラス平均ではなく、学年平均になるという感じだ。
ただ、ここ最近の試験ではなぜかクラス単位にしか作用せず、このように鋭い人間に気付かれるという結果を招いてしまっている。
なぜこんな能力が僕に備わっているのか。その答えを僕は持ち合わせていない。
過去になんらかの異変に巻き込まれて、このようなはた迷惑な能力が備わったと、今時のアニメっぽく考えてみたいものだが、それが正しいと言えるほど僕は過去に詳しくない。
僕にはある時点から過去の記憶がない。
だいたい八歳くらいだろうか。
僕の住んでいる町は歴史に残るレベルの大火災に見舞われた。
建物は全焼。多くの人間が死に、多くのものが失われ、一時町は停止した。
僕はその大火災から生き延びた。
――火災前の記憶をなくして……。
僕の“平凡な”能力は、その時から発揮されている。それより前から使えたのかもしれないし、その火事以来使えるようになったのかはわからない。
ともかく、その時点から自覚ある形で僕は“平凡”になった。
「さっきも言ったが、別にカンニングを疑っているわけじゃない。ただ俺の純粋な興味のひとつとして、もしこの平均点を採ること、クラスの点数を底上げすることに、何らかのトリックやらカラクリやらがあるのなら聞きたいと思っているだけなんだ」
「……」
返答に迷った。今なら早川教諭も信じてくれそうだが、ほんの一瞬――わずかに一瞬だけブラフの可能性を考えてしまった。
もしかしたら彼は僕がカンニングをしていると疑っているのではないか。それを匂わせず、カンニングの自白を引き出そうとしているのではないか、と。
そうなると僕のこれからの発言はかなり危うい。包み隠さず話してしまった場合、僕は頭のおかしな奴にされかねない。
「わかりません。まったく身に覚えもありませんし」
だから僕は再び嘘をついた。それが正しいだろうと思った。
その言葉に早川教諭はぐっと背もたれに寄りかかり、諦めたようにため息をついた。
「そうか……わかった。いらないことで時間を取らせたな。申し訳ない」
「いえ、こちらこそお力になれずすみませんでした」
そう言って僕は彼に背を向け、小走りにデスクの間を歩き出す。一刻も早くこの場を離れたい。これ以上留まるのは愚策だろう。しかし、
「冷泉!」
不意に呼び止められ、僕は振り返った。立ち上がった早川教諭がこちらを見ていた。
「言いたいことがあるなら言った方がいい。やりたいことがあるならやった方がいい。お前の信念に従って行動しろ。その結果なら文句は言わない」