2.うまい話には裏がある
「おめー、丁稚のくせになに堂々表玄関使ってんだよ」
両替所に入ると、さっそく二十歳前の若衆に引き留められた。
じゃらじゃらそろばんを鳴らしながら朝霞にメンチを切ってくる。
「えと、僕は丁稚じゃなくてですね。今日は用心棒の面接に・・・」
「はああああああ?」
口入れ屋に書いてもらった紹介状を若衆に見せると、「まじかよ、人材不足って怖ぇな・・・」そう顔を蒼くして失礼なことをつぶやかれた。
「仕方ねえから坊主、ついてこい」
若衆に案内された千金楽屋の両替所は今日も繁盛しているようだった。
窓口には両替待ちの客がずらりと並んでいる。受け付けは客から銀を受け取ると、天秤にかけて重量を測って金を受け渡していた。
"東国の金遣い、西国の銀遣い”と称されるように、江戸では金貨、大阪では銀貨が流通している。
千金楽屋はこの金銀貨の交換や鑑定を業として行う両替商として栄え、今では旗本や御家人、大名などを主たる取引相手として金融業務を手広く営んでいるのだった。
目がちかちかするほどの金に目移りしていると、木製の昇降機の前にたどり着く。
(おお、昇降機なんて初めて見た)
朝霞は道案内の礼にぺこりと頭を下げる。
少しわくわくしながら昇降機に乗り込こもうとすると、若衆にぽんと肩を叩かれた。
やけに慈愛に満ちたまなざしだった。
「ま、あれだ。落ち込むなよ」
(不採用前提で慰めるとはどういうことか)
いらぬ気遣いとはこのことである。
昇降機の数字はぐるぐると回り『三百五十八』階でようやくチンと止まった。
自動で開いた扉の先には、極彩色の長い廊下が続いている。
床は複雑な模様のペルシャ絨毯、壁面はシノワズリ調のタイルが敷き詰められており、天井には格子絵が所狭しと描かれている。
廊下の両端には人の丈を優に超す巨大な伊万里焼の沈香壺が惜しげもなく等間隔に飾られていた。
(あるところにはあるもんなんだな)
慎ましいどころか極貧の生活を送る朝霞は、行き過ぎた豪華さに胸焼けを起こしそうだった。
うっかり置物を壊さないよう、腰にぶら下げていた愛刀「きり丸」を腕に抱え、慎重に絨毯の上を歩く。
(ええと、応接室はここか)
西洋風の扉を「御免」と言って開くと、部屋の中から女の声が聞こえた。
「お願いします・・・!もう少しだけ待ってください!」
(先客か?)
中途半端に開いた扉を閉めようかどうしようかと悩む。
隙間からは漆黒の着流しを着た長身の男とその背にすがりつく女が見えた。
男は煙管を吸って煙を吐き出すと、ゆったりとした動作で女と向かい合った。
「駄目じゃないか奥さん、貸したお金をみんな博打に使っちまうなんて」
絶世の美男子とは彼のような人のことを言うのだと、朝霞は素直に思う。
尻の下がった弓なりの眉と柔和な切れ長の目を持つ、それはそれは端正な甘い顔立ちの男だった。
「悪いけど、うちも慈善事業じゃなからね」
「でも、お金を勝手に借りてることが主人に分かったら、何をされるか・・・!もう重吾さましか頼れる方がいないの・・・」
女はガタガタと肩を腕で抱いて震えはじめる。よほどその主人とやらにおびえているらしい。
「女に泣かれちゃしょうがない。俺も鬼じゃない」
「重吾さま・・・」
美貌の金貸しは女を甘いまなざしで見つめ、骨ばった手でその黒髪をサラリとなでる。
(・・・部屋を間違えたのかもしれない)
二人の間に流れる妖しげな雰囲気に、なんとなく気まずくなった朝霞は扉を閉めようとした。その時だった。
「金が無いなら女郎になりな。あんた年かさは言っているが、人妻っていうのは一部の物好きには需要があるんだ」
男の口から出た言葉に朝霞はぎょっとして、思わず扉を閉める手を止める。
先ほどまでうっとりとしていた女の顔が凍り付いた。
「そんな!見世に出ろだなんて!」
「あはは、冗談が上手だね。あんたみたいな年増にたいした値がつくわけがない。せいぜい夜鷹だよ」
「・・・っ!」
夜鷹は夜に路上で性を売る最下層の売春婦のことである。一回の値段は蕎麦一杯程度という破格の値段だ。
いいところの奥さんならこの上ない侮辱だろう。
わなわなと震えている女を気にも留めず、男は白い歯を見せて笑う。
「あんたの借金は金三十八両、利子は月一分。夜鷹の線香代の相場は二十四文だから、そうだなぁ、一晩に五人相手しな。一両を四千文とすると毎日休まず働けば、四年と二百四十九日で借金が返済できる。よかったなぁ」
(ゲスい・・・)
赤の他人の朝霞ですらそう思うのだ。当人であればなおさらおぞましいだろう。
まるで明日の献立でも言うようにすらすら吐かれるぞっとする提案に、女はついに耐えられなくなったらしい。
「私は大店の女将です!そのような卑しい真似できるわけありません!」
激高した女に、先ほどまで笑みを浮かべていた男の表情が変わった。
汚い虫でも見るような侮蔑の表情である。女が自分の失言に気づいたときにはもう遅かった。
「ひっ!」
男は容赦なく女の髪を掴んで引っ張って這い蹲らせる。そしてその耳元で血も凍るような声でささやいた。
「だったら返せない金借りるんじゃねぇよ。旦那に土下座してでも金もらってこい」
男が手を叩いて「店の外追い出しといて」と命じると、恰幅のいい男たちがしゃくりあげる女をずるずると引きずっていった。
一連の流れを呆然と眺めていると、男が扉の前に立っていた朝霞に気づく。
すでに先ほどまでの冷徹な表情は引っ込み、感情の読めない笑みを張り付けていた。
「おや、お稚児さんじゃないか」
(社会病質者!!!)
控えめに言って最悪の邂逅だった。