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うみうし駐在  作者: 咲沢魅守
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2話「捕食先は泣き虫ウミウシ」

 今にも泣きそうな顔……というよりもう泣いているのかもしれない、そんな弱気な顔でジャム子とイシガキを見ている。

 それが可哀想に思えたのか、ジャム子は答えた。

 「そうだよ、ここがすらぐ荘! もしかして君も新入りさん? 」

 怯えている女の子は元気のいい声に小さくビクッとしたが、「すらぐ荘」の単語を聞いて、少し安心したような笑みを零した。

 「あっあのっ……わたっ、私……今日からここ……に、住む予定、なんですけど……よっ……よろしいですか、ね……。」

 つっかえつっかえ、一生懸命に絞り出しました、というような言葉に少しの面倒くささと可愛さを、イシガキは感じていた。そして何故だか分からないが、なんとなく、漠然と、「欲」を感じる。……まあ可愛さを感じている時点でか、とイシガキは自分で納得させた。ただ、いくら自分の性癖に刺さるとはいえ、この調子では共に生活していくのにお互い非常に不安だろう。まずは基本の自己紹介だと、

 「俺はイシガキリュウグウウミウシ。イシガキって呼べよ。」

 「あたしイチゴジャムウミウシ! ジャム子とかジャムとか好きに呼んでね〜! 」

 二人は先ほどお互いでしたような、簡単な紹介を女の子に贈った。

 「あっ……あっ……私は……ミラーリュウグウウミウシ、と申します……。……ミラーと呼んでください。」

 途端、イシガキの脳内に稲妻が素早く駆け抜けた。「ミラーリュウグウウミウシ」……。そうか、だから彼女を見たときに……。

 「どしたの?」

 ミラーを視線で捉え続けているイシガキを、ジャム子が不思議そうに覗き込んだ。

 「いや、なんでもねえよ。」

 そう言うとイシガキはリビングを出ていった。

 イシガキが最初に感じた「欲」のように、ミラーもまた、イシガキの視線になんとなくの嫌な予感を頭に浮かべていた。


 三人はとりあえずの個人部屋を決めた。そこでもう二時間ほど各々で行動している。もちろんジャム子だって珍しく荷物を整理したり、たまに睡魔に負けてうたた寝したりしていた。が、30分くらい前から、ドン、ドン、と壁を叩く……というか殴るような重い音がするのだ。確か隣はイシガキだったと思うが。最初は寝相が悪いのだろうかと思って我慢して、時には心配していたジャム子だが、音はどんどん激しくなる。……別に壁の音とかけたわけではない。そんなくだらないことを言っている間に壁はドゴッと叫び声をあげる。家が壊れてしまう、そう思ってジャム子は勢いよく部屋を出、隣のドアを同じ勢いで開けた。

 うるさーーーーい!!! と叫ぶ予定だったがその声を呑むしかなかった。

 めっっっっっちゃ機嫌悪い。どちらかというと鈍感であろうジャム子でさえ瞬時にそう思った。さっきまで爽やかに自己紹介×2をしていたお兄さんと同じとは思い難いほど目は冷たく、全体的に殺気を纏っている。怖い。

 「どどどどどどしたの……」

 舌が上手く回らない。まさに蛇に睨まれた蛙だと思った。まあどちらもウミウシだが。

 「いっ、イシガキ、そんなに壁をいじめちゃほら、可哀想じゃ……あっ、いや、それも個性っちゃ個性だけどさ」

 ジャム子がしどろもどろに注意していると、イシガキがゆっくり距離を詰め、ぐっとジャム子の胸ぐらを掴んだ。

 「あだだだだだだ、ちょっ、すいませっ、ごめっ、ごめんほら! やっぱり個性でした! 個性! 個性だよ壁殴るのも! 」

 「いじめちゃ可哀想だぁ? 」

 イシガキは掴んだ胸ぐらをゆっくり上に持ち上げ、自分の顔の目の前にジャム子の顔を合わせる。いつも明るく、屈託のない笑顔を浮かべているジャム子でもさすがに怖く、無意識に唇を噛んでいて、目の下の皮膚がぴくぴくと動くのであった。その様子を見て目の前の男は満足そうににたりと笑い、

 「俺にいじめられるなんて泣いて喜ぶことだろ。」

 さらにジャム子の顔を近づけ、耳元でそう囁いた。ジャム子は、吐息が耳を弄ぶようでくすぐったいと思い、そのためかさっきの凍りついた体がふわっと溶けた気がする。と思ったのもつかの間、パッと手を離され、その溶けた体が鈍い音を立てて床に落ちた。

 「痛ぁっ!? 」

 「だからお前も喜べ! 壁と一緒に! 」

 そう言ってイシガキは床に伏せたジャム子の肩をぎゅうぎゅうと踏みつける。

 「いだだだだ……! これも個性か……! 」

 「あの……さっきから何を……きゃっ」

 騒ぎを聞いてドアが開いたままのイシガキの部屋を覗き込んでミラーは小さく弱い悲鳴をあげる。踏まれながらジャム子は顔だけをミラーの方へ向けた。

 「あっ、ミラーちゃん! あのね、今イシガキが」

 「すっ、すみません! お邪魔しました! 」

 なんかダメな誤解が生まれた気がする、と肩に痛みを感じながら、ジャム子は半ば諦めの表情を浮かべた。


 「誤解だったのですね……すみません私ったら……」

 三人はリビングに集まり、先ほどからの出来事を整理することにした。

 「いやいや、ミラーちゃんは悪くないよ。驚かせてごめん……って元はと言えばイシガキじゃん……」

 ジャム子は呆れた顔で隣のイシガキを見た。さっきまでの殺気(洒落ではない)はなくなったが、やはりまだ不機嫌そうである。

 「なんでそんなに機嫌悪いの? 」

  イシガキに呆れ顔のまま聞く。ちら、と横目でジャム子の方を見てイシガキは言った。

 「腹が減った。」

 子どもかよ。五文字がジャム子の脳の電光掲示板に表示された。

 「俺、腹が減るとテンション下がるんだよなぁ。」

 いやいやいやいやテンション下がるとかそんなもんじゃない。むしろ上がっているとも思う。というか変な個性のスイッチが押されている。ジャム子は頭の中だけで反論しながら愛想笑いをしておいた。ミラーが気を遣ってそっと口を開き、

 「でっ、でも、皆さんそうだと思いますよっ……。もう夕方ですし、ご飯にしましょうか……。」

 「ご飯にしましょうか」、その言葉が空間に放たれた直後。

 ミラーの右手はイシガキの口の中だった。



 それからが大変だった。

 イシガキはそのままがぶがぶとまさしく丸呑みでミラーを体内に取り込み、ミラーは泣き叫ぶ余裕もなく取り込まれていった。ジャム子はというと目の前で何が起きているか、頭の処理が追いつかず呆然とするばかりであった。オーバーヒートした脳内のまま、ぽつりとジャム子が言った。

 「ミラーちゃんは……? 」

 「ああ、食った。」

 「え」

 「俺が食った。」

 確かにミラーの姿はすっかりなくなり、イシガキが満足気に座っているだけだ。

 イシガキは、ミラーちゃんを、食い殺した……? 最悪の結果しかジャム子の頭には浮かんでこない。そのときである。

 かすかに息切れのような音が聞こえた。玄関の方に目をやると、深緑のウェーブ髪、緑の厚いニット、少しタレ目のぱっちりした目、そして臆病な眼差し…………ミラーだった。イシガキの方は頑なに見ず、伏し目がちにがたがたと震えている。

 「ミラーちゃん!? 」

 ジャム子はさらに混乱していた。イシガキまで「あれっ」といったような目でミラーを見ている。

 「たっ……食べられて、しまっても……元に、戻る……復活、するみたい、で……」

 小さな声だが、確かに「復活」という言葉が二人を貫いた。なるほど、創作に都合の良い設定である。

 「俺が満腹になったのも事実だし、ま、良いことじゃねえか」

 やれやれと安堵の声でイシガキは言う。それに異議を唱えたのはミラーだった。

 「私……すっごく、すっごく、怖かった……です……。イシガキさんは良いかも、しれませんが、私は……。」

 ぱっちりした目をさらに見開き怯える少女を見て、イシガキは考える。

 (それでも食わねえと俺が死ぬしなぁ……でもこの様子じゃ二回目はすんなりありつけそうにねえや……)

 「まあまあ、復活したんだしよかったよかった! ってことで! 仲良くしていこーよ! 」

 脳天気な声で言うジャム子の言葉に、イシガキはピン、ときた。

 そうだ。仲良く。

 イシガキはミラーに歩み寄り、後退しようとするミラーの肩を半ば無理矢理抱き寄せた。するとジャム子の方を向き、

 「そうだな! 助け合って生きていくことが大切だからな! ミラーも困ったことがあれば俺を頼れよ? 」

 (仲良くなって良い人だと思われたらこっちのもんだ)という考えを全く感じさせない爽やか系お兄さんスマイルを前面に出した。

 ジャム子は不穏を感じ取りながらも、まぁ仲良くなるならいいか、ということにしておいた。とりあえずSMグッズ大量持参系お兄さんであることはミラーに黙っておこうと思った。

 ミラーはというとぼろぼろととめどなく溢れてくる涙でもう周りは何も見えずにいたが、間違いなくイシガキは怖いという事実と素晴らしいほどの爽やかな笑顔は、はっきりと見えるようである。

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