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うちは「友情」と生ビールしか出しません

作者: DJ克明

 僕はお父さんに小さい頃から「友情」を重んじよ、学生時代はそれだけでいいというふうに、厳しく教育されました。父は「文学は友情だ」と言ったり、「男同士の大切さ」を言ったり、しかし、「ホモはあかん」とはっきり強調したりして、僕に教え込みました。それは美しいものでした。


 父の「友情」の教育は果てしないものがありました。例えば、えんどコイチ『ついでにとんちんかん』というギャグ漫画がかつてありまして、僕は少年の頃、それが好きで、宝物でした。ある時、友達のバースデー・プレゼントに、その漫画をあげろと言ってきたのでした。僕はそこまでしたくはないという思いと、お父さんもそんなことを誰かにしたり、されたりした経験があるのだろうかとも思いましたが、僕はとてもすさまじかったけど、『ついでにとんちんかん』を友達に渡したのでした。聞くところによると、友達の兄貴が「こんな面白いマンガはない」というふうなことを言って下さったらしく、やっぱり、父はすごいなと感動したものでした。僕はそれほど「友情」を意識して生きてきたのです。


 小学校の時の同級生で、誰も友達がいない、誰ともしゃべることさえしない、ある生徒がいました。僕はその時分はわりと明るい方でしたが、なぜかその生徒にシンパシーを感じて、アプローチを試みました。その生徒はとても純粋で、心の優しい人間性をやはり持っており、僕らは今までに経験したことのないぐらい仲良しになりました。ところが、ある時、些細なことで揉め事になりました。彼の言い分によると、彼は僕より優しい人間だということでした。彼は僕には弱者の才能がないからだと言うのです。それはでも、彼が僕から「一本取ったに過ぎない」というふうに理解しました。ところが、その事件からというもの、彼と僕はどんどん疎遠になってゆき、とうとう一言も喋らない関係になってしまったのです。

 彼は本当に僕から「一本取った」だけだっただろうか。いや、それは僕が責任をもって認識したことだったではないか。じゃあ、これは何だったのだ。しかし、そのことによって自然消滅のような形をとって、縁が切れたことには驚きを隠せなかった。でも、このようになることはやっぱり彼は僕を裏切ったのかも知れない。いや、それは彼が裏切ったのではなく、僕が裏切られたのだ。同じことのようでこれは実は違う。この件で僕は人は絶対に裏切ってはいけないもので、許すことは自分のそういう本性をも許すことになるとそういうことを得ることができたのだ。


 友達がなぜ、必要かというと、寂しいからで良いと思う。お互い寄り添い合い、心を温めあうことが可能であるなら、友情は成立する。「友情が素晴らしものであるから」という理由で、友達と付き合うというのも、かたっ苦しい。友達関係はそういうものではない。時には失礼な発言もされるし、またある時には自分も相手に失言してしまう時がある。その自分から言ってしまったことに、特に後悔する。しかし、友情にコミュニケーションの問題はないと思う。だが、友達関係が成立するまでなら問題にもなり得るが。コミュニケーションの問題の唯一の解決策はやはり「積極性」だと思う。これはみんなも言ってることだが。


 僕らは会社でいつも三人で昼食をとり、休憩室で話をして休みながら盛り上がっていたが、その中の一人だけ、いつも僕ともう一人の僕の友達である後輩をバカにしたり、おちょくったりする先輩がいた。最初は我慢したが、ある日、その先輩が僕らを「ホモ」だと罵った。僕ら二人は確かに仲が良いが、決して同性愛感情など一切ない。僕は心の底にたまった怒りに堪えていたが、とうとう僕はその先輩を「友達」ではないと判断し、認識することにした。それからというもの、食事の時間をずらして、一切関わらないようにすることに決めたのだ。友達なんだけど、その関係が嫌で、どうにかその関係を絶ち切りたい、その人との「友達」をやめたい。そんな「友達」っているだろうか。でも、友達はある場合には裏切られた瞬間、友達ではなくなる。みなさんにも友達のようで「友達ではない」という人間が、輪の中に存在していないだろうか。


 そうだ。やはりいじめっ子は友達ではないのだ。


 あっ、あの先輩は友達ではないんだ。


 友達がいじめられたら、もちろん戦うべきだ。

 しかし、本当にいじめっ子だけが悪いのか。

 それは「自分にも責任はある」ということなのだ。

 それは自分も被害者だったから、そう思うのだ。

 僕はこれからもっともっと友達を守るべきだ。

 いじめっ子だけが悪くない。

 僕がもっともっと勉強して、実践すべきなのだ。 


 僕はこう思う。ある男同士の関係に「友情」が成立しているかどうかは、自分の悩みや苦しみを、何のためらいもなく相談できるかどうかぐらいでいいんじゃないかと。


 

 人は他人を助けることにメリットを感じにくいし、でもどこかで誰かをフォローしたり助けたりすることもあることにはある。しかし、僕はやっぱり友人関係は助け合って育んでいくものだと考えます。「助ける」ということは「愛」をクリエイトしていることになる。立派に生産しているのです。お互いがお互いを助け合い、「幸せ」の相乗効果、相関関係を作ることが素敵です。「見返りなんて甘い」と思うことが、相手への友情だと思います。

 

 

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