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十月は紅図書館

作者: 安芸咲良

 くれない図書館には、魔法使いがいる。


 古い住宅が立ち並ぶ一角に、その図書館はある。

 石造りの門を抜けると続く細い砂利道。細さと砂利のせいで、車もバイクも自転車さえも入れないから、一度に借りられる本は両手に持ちきれるだけ。

 その砂利道の上に広がるのは、幾本ものもみじの木。秋には燃えるように色づく木々は、大層美しいと聞く。

 もみじのアーチを抜けたところ、そこが紅図書館だ。

 あたしがここに通い出したのは、夏が始まる頃だった。

「青葉さん、こんにちは」

 この私立図書館には、たくさんの人が訪れる。だけど二ヶ月も通い詰めれば、名前を覚えられてしまった。

 あたしは視線を落として、小さく挨拶を返した。

 紅図書館館長、紅京介さん。本業は本の修復士らしい。ここは私立図書館で、紅さんが趣味で開けているそうだ。と言っても紅さんのおじいさんの代からあるそうだから、そう言っているのは内緒だよ、といたずらっぽく話してくれた。

「この本どうだった?」

 今しがた返した本を撫でながら、紅さんは尋ねる。

 先週紅さんに薦められて借りたのは、子ども達が夏の間にひとりの老人を観察する物語だった。

「なんていうか……今の季節にぴったりだなって思いました」

 紅図書館に通い始めるまで、あたしは本なんて全然読まなかった。あたしの拙い感想にも、紅さんはうんうんと嬉しそうに微笑んでいる。

「また何か薦めてもいいかな? いろいろ見てから決める?」

 あたしは小さく頷いた。たぶん、薦められた本を借りることになるだろう。


 結局、紅さんに薦められた文庫本を一冊借りてきてしまった。

 夏のアスファルト道は、夕暮れ時とは言ってもまだ暑い。せっかく紅図書館で涼んできたのに、家に付く頃には汗だくになってそうだ。

 家も学校も、嫌いじゃない。

 だけど気付くと紅図書館のことを考えてしまっている。早く放課後にならないかなとか、早くこの本を読んでしまいたいな、とか。

 これも紅さんの魔法だろうか。

 あたしが紅さんのことを魔法使いだと思ったのは、二回目に図書館に訪れたときのことだった。

 何となくまっすぐ家に帰る気分になれなくて、遠回りをしていたときのことだった。あたしは謎の看板を見つけた。

『紅図書館』

 門構えは普通の民家で、多い茂る緑のもみじで先が見えない。この先に本当に図書館があるんだろうか?

 不思議の国に行けるような気がして、あたしは普段本なんか読まないくせにそこに足を踏み入れていた。

「なんだ、休館じゃん」

 もみじのトンネルの先には、確かに図書館があった。

 古びた小さな洋館のドアには『休館日 紅図書館』の札が掛けてあった。ドアにはめ込まれたガラスの向こうにはカーテンが掛かっていて、あたしはその隙間をそっと覗いてみた。

 薄暗い館内には、見える分だけでも天井に届かんばかりの本棚がある。もしかして壁一面の本棚なのかな。天井まで届く本棚に、外から見るだけでも圧倒される。

「あれ、お客さん?」

 突然の声に、あたしはぱっと振り返った。

 そこにいたのは、段ボール箱を抱えた男の人だった。メガネに黒髪で、優しそうな雰囲気をしている。『お客さん』ってことはこの図書館の人かな……?

「今開けるから、ちょっと待ってね」

「いやあたしは……」

 別に本には興味ない。

 と言おうとしたところで、その人はあたしと手元の段ボール箱を交互に見やった。

 そしてくしゃっと笑う。

「ごめん、手が塞がってるんだ。ポケットに鍵が入ってるから、開けてくれないかな?」


 薄暗い館内に、その人はぱちんぱちんと電気のスイッチを入れていく。建物の中は、思ったとおり壁一面の本棚だった。

 独特の香りがする。嗅いだことのない香りだ。

「ごめんね、本業の方の依頼が入ってて。紅図書館へようこそ」

 あたしはどうしたらいいか分からなくて、その男の人を見ていた。なにせ本なんて縁がない。男の人は段ボール箱をカウンターに置いて、中身を取り出していく。その箱の中身もまた、本だった。

 ふいに男の人が視線を上げた。反らす間もなく、ばっちり目が合ってしまった。

「本業は本の修復士なんだ」

 あたしが不思議そうに見ていたと思ってか、その人はそう言った。なるほど、箱から出てくるのは古びた本ばかりであるはずだ。今にも朽ちてしまいそうな本が、カウンターの上に積み重なっている。

「閉館は七時だから。あんまり時間がないけど、ごゆっくり」

 そう言ってその人は、カウンターの上の本に視線を落とした。

 あと一時間あまり。あたしは頭を抱えた。


 七時まであと十分を切った。でもあたしの手には何も握られていない。棚をうろうろしてみたけど、ぴんとこないんだ。今まで本なんて読んだことないんだ。当然だ。

「これとか、どうかな?」

 いつの間にか、後ろに図書館の人が来ていた。図書館の人はにこりと笑って、一冊の硬い表紙の本を差し出してくる。厚さは一センチくらいだ。

「つまんなかったらそのまま返してもいいから。返却期限は一週間後だよ」

 そう言ってカウンターへ向かう。あたしはカウンターで住所とか名前とかを書くと、その本を手に家に帰った。


 悔しい。悔しい悔しい悔しい!

 三日後。謎の敗北感を胸に、あたしは紅図書館の前に立っていた。

 本はちゃんと持ってきた。驚くべきことに、三日で読み終わってしまったのだ。本なんて全く読まなかったこのあたしが。

 あの人が、あたしが夢中になってしまう本を選んだことが何だか悔しくて、あたしは紅図書館の入り口で仁王立ちをしていた。

 いざ!

 あたしは図書館のドアを開けた。

 今日の紅図書館は、数人のお客さんがいた。みんな各々棚の前で本を選んだり、ソファで寛ぎながら本を読んだりしている。

 あたしはきょろきょろと辺りを見渡した。あの人は、この間と同じようにカウンターにいた。その前にはおばさんが立っている。

「やっぱり紅さんに選んでもらった本はアタシ好みだわー。ほんと魔法使いみたい!」

 楽しそうにおばさんとあの人は話している。

 なるほど、あの人は紅さんと言うのか。そして魔法使い。確かにぴったりだ。あたしも魔法にかけられたように、夢中になれる本を選んでもらった。

 おばさんは手を振ってカウンターを離れた。紅さんの口があっと開く。

「こんにちは。もう読み終わったんだね」

 そしてこのお見通し様。本当に魔法使いなんじゃないだろうか。

「どうだった?」

 あたしは一瞬口ごもる。感想を求められるとは思わなかった。

「……おもしろかった、です」

 悩んだけどそれしか出てこなくて、あたしは視線を落とした。気の利いたことなんて言えない。

「良かった」

 だけど紅さんは満足そうに笑った。こんなことでも良かったんだ。

「青葉さんはあんまり本を読まなそうだったから、短めで、でも現実味があるものがいいと思ったんだ」

 あ、名前。……そうか、この前ここで名前書いたんだった。

 だけど、いつも友達や親に呼ばれるこの名前に、何だか耳がくすぐったくなった。

「また……選んでもらえますか?」

 気付けばそんなことを口にしていた。ここに入るまでは、あんなに悔しい気持ちでいっぱいだったのに。

 紅さんは少し驚いた顔をしたあと、にっこりと笑った。

「もちろん」


 紅さんの本業は、本の修復士だ。いつもカウンターで本を切ったり貼ったり削ったりしている。

 本の貸し出し業務の合間にしているから、失敗しないのかなーと思って聞いたことがあるけど、

「難しい部分は家でしてるから」

と言っていた。図書館の裏が自宅になっているらしい。

 あたしはテーブル席に座って、頬杖を付いて本を読むふりをしながらカウンターを見ていた。

 紅さんはあたしの視線には気付かない。ただ手元の本を、慎重に切っていっている。

 紅さんの魔法の手が、本を修復していく様は美しい。ボロボロだった本が綺麗になっていく様子は、本当に魔法のようだ。

 紅さんは本が好きなんだろう。本の修復士なんてやっていて、趣味でこの図書館を開いているくらいだ。あたしには理解できない。

 だけどあたしはこの図書館の常連になりつつある。本なんて興味がないのに。

 このところ、学校より家より居心地がいいのが紅図書館になっていた。家ではお母さんが勉強勉強うるさいし、学校では友達と話すのが億劫になってしまっている。

 唯一の心落ち着かせられる場所が、この紅図書館だった。

「青葉さんは、進路とか決めてるの?」

 ふいに紅さんが声を掛けてきた。気が付くと、周りには誰もいなくなっている。午後六時四十五分。閉館が近いのだ。またこんな時間まで居座ってしまったことに、少し気恥ずかしくなる。

 なんでそんなことを聞いてくるんだろうと思ったけど、持っている本を思い出して分かった。将来に悩む少女たちの物語だった。紅さんがこの前面白いと言っていた話だ。

「まだ……ぴんとこなくて」

 年が明けて三年になれば、本格的に受験モードに入るのだろう。私はまだ、志望校すら決められていなかった。

「まだ高二だもんね。これからだよ」

 これから、なんだろうか。周りの子たちはぼんやりとだけど決めていて、あたしだけ出遅れているような気がしていた。

「紅さんは、中学二年のときにはもう進路決めてたんですか?」

「ううん、具体的には。小さい頃からこの図書館には入り浸っていたから、本に関わる仕事をしたいなーとは思っていたけど」

 やっぱり方向性くらいは決まってたんだなぁ……。あたしとは全然違うじゃん。

「焦って決めると、碌なことがないよ」

 目を伏せて紅さんは言った。

 紅さんも、後悔したことがあったんだろうか。


「青葉ー、なんで昨日来なかったのよー?」

 声を掛けられて、あたしは振り返る。廊下の先にいたのは同じクラスの美咲みさきだった。

「すっごい面白かったんだよ。アイツの声全然マイクに入らなくてさー」

 美咲は楽しそうに笑いながら話している。

 アイツというのは、同じクラスの鈴子すずこだ。全然喋らない大人しい子で、何とか喋らせようと美咲たちはいつもちょっかいを出している。昨日カラオケに連れていったらしい。

「でも今朝声掛けたら、なんかボソボソ言ってさっさと行っちゃった。ナマイキ」

 美咲は顔を歪めて言い放つ。一歩間違えたらイジメなんじゃないだろうか。

 だけどあたしはそれを指摘できずに逃げていた。あたしも美咲たちと一緒だ。

「ねー、次は青葉も来るでしょ?」

 あたしはうーん、と曖昧な返事をすることしかできなかった。


 秋も深まってきた。図書館へ続く砂利道のもみじも、赤く染まりつつあった。もう少ししたら、赤いトンネルを楽しめるんだろう。

 きいっとドアを開けると、カウンターの前には女の人が立っていた。

「青葉さん、こんにちは」

 あたしに気付いた紅さんが声を掛けてくる。女の人も振り返った。

 長い髪をサイドでゆるくまとめた綺麗な人で、その人もふわりと微笑みかけてくる。あたしは口の中でもそもそと「こんにちは」と返した。

「紹介するね。古書店を経営している蓮沼朋香さん。いつも本の修復の仕事を回してもらってるんだ」

「あなたの腕が確かだからよ」

 そう言って二人は笑い合う。

 二人の間に流れる空気に、ぴんときた。あぁ、この二人は付き合ってるんだなって。

「あたし、本選んできますね」

 何気ない調子で言って、その場を離れた。

 奥の本棚で、あたしは本に視線を落とす。適当に選んだ本だ。内容なんて入ってこない。目がするすると本の上を滑っていく。

 あぁ、あたしの恋は始まる前から終わっちゃってたんだな。

 そう思っても涙すら出てこなかった。


 鈴子とは中学も一緒だった。出席番号が近いから、班活動や掃除当番が一緒になることが多かった。あの時から、まったく喋らない子だった。

 風邪で鈴子が三日間休んだことがある。その間、ウサギ小屋の掃除はあたしがしていたのだけれど、別段それを気にも留めていなかった。

 放課後の廊下をあたしはひとり歩いていた。と、前につんのめる。ブラウスの後ろを引かれて振り返ると、そこにいたのは鈴子だった。三日ぶりに顔を見たけど、今初めてそういえば学校に来てたなと気付いたほどだった。

「あり……がと……」

 小さな声が静かな廊下に聞こえた。その言葉を発したのが鈴子だと気付くのに、数秒かかった。

「え、なにが?」

 突然お礼を言われても、何のことだか分からない。あたしのぞんざいな物言いに、鈴子は一瞬びくっと身を硬くした。

「ウサギ小屋の掃除……。わたし、休んでたから……」

 当番だから、掃除するのは当然だ。わざわざそれを言うためだけに、あたしを引き止めたのか。普段全く喋らないのに。

 鈴子の顔は、真っ赤になってしまっている。あたしも何と言ったらいいか分からなくて、廊下に沈黙が流れていく。

 下校の音楽が流れる。鈴子はくるりと背を向けると、走って去っていった。

 中学時代、鈴子と話したのはそれきりだった。


 あたしは教室の自分の机で、ぼんやりと頬杖を付いていた。

 前の方の席では、美咲たちが鈴子の席を取り囲んでいる。いろいろ囃し立てて、何とか喋らせようとしている。鈴子は困った顔を浮かべるだけだ。

 ふいに美咲と目が合った。

「青葉ー、ちょっとおいでよー」

 美咲が手招きしている。行かないわけにはいかない。あたしはかたんと椅子を鳴らして立ち上がった。

 みんなのところへ行くと、縋るような鈴子の目と視線が合った。あたしはその目を見ていることができなくて、すいっと視線を逸らしてしまった。

「あたし、先生に呼ばれてたんだった」

 笑ってそう言うと、輪を抜けた。みんなは「えー?」と笑って道を開けてくれる。

 鈴子のことは、振り返ることができなかった。


 本屋さんなんて、久しぶりに来た。やっぱり新しい本だと紅図書館の香りと違う。

 どうして今日はまっすぐ紅図書館に行けなかったんだろう。

 分かっている。友達に注意もできず、好きな人に素直に想いを伝えることもできず、そんな自分が嫌いなんだ。こんなあたしじゃ、紅図書館に入る資格なんてないんじゃないかって思ってしまう。

「あら、青葉ちゃん?」

 聞き覚えのある声が背中に掛かる。

「朋香さん」

 振り返ると、そこには見知った顔があった。今日の朋香さんは緩く波打つ髪を下ろしていて、大人の色気をかもし出していた。

「こんなところで会うなんて奇遇ね。参考書探してるの?」

 えぇ、まぁとあたしは曖昧に返す。

「朋香さんも本屋なんて来るんですね。古本屋でしたよね、お仕事」

「市場リサーチってやつよ。京介もよくしてるそうよ」

 『京介』が紅さんのことだと気付くのに、少し時間が掛かった。名前で呼び合う間柄なんだな、とぼんやりと考えていた。

 朋香さんは腕組みして、ふうっと息をつく。

「私も京介も本が好きなだけなのよね、結局」

 朋香さんはにっこりと美しく笑った

「青葉ちゃんもでしょ?」

 あたしはその笑みを見ることができなかった。

「あたし……そんなんじゃないです……。なんかいろいろうまくいかなくて、現実逃避しているだけです」

「それでいいのよ」

「え?」

「本は効くのよ。痛かったり、もどかしかったりする思いに。……なんてこれも本の受け売りだけどね」

 そう言って朋香さんはいたずらっぽく笑った。それさえも大人の余裕があって、今のあたしじゃそんな表情は作れない。だけど吐き出した息は、さっきの朋香さんに近かったんじゃないかと思う。

 その日、あたしは朋香さんが受け売りだと言った本を買って帰った。


 日曜の夕暮れ時は、紅図書館の人気が少ない。昼間の賑わいが嘘のようだ。

 あたしはソファに深く腰掛けて、分厚い本を読んでいた。紅さんが中学のときに読んで感銘を受けた本だそうだが、全く頭に入ってこない。不思議な手紙を受け取った女の子が、偉人を辿っていく話だけど、目が本を滑っていく。

「難しいでしょ」

 いつの間にか紅さんが傍まで来ていた。本棚にカタンと本を戻しながら言う。

「僕も完全に理解するまでに三回読んだ」

 こんな厚い本を三回も読んだのか。さすが紅さんだな……。

「紅さんでも、そういうことあるんですね」

 本を全て片付けて、紅さんはあたしの方を向いてにっこりと笑った。

「僕がより本好きになったのは、中学のときの司書の先生の影響なんだ。先生が次から次へと本を薦めてくるんだ。負けたくなくてねぇ、噛り付くように本を読んでた。……その本は僕が卒業するときに先生からもらったものなんだ」

 そう言って紅さんは、どこか遠くを見るような目をした。そのときを思い出しているのだろうか。

「追いつきたかったんだね。先生の知らない本はないんじゃないかって思ってたから。先生よりも本を読んで、『どうだ!』って言ってやりたかった。……そんなことより、その本を読んでどう思ったかを話す方が大事だったのに。……もう話すことができない」

 そう話す紅さんの顔は、今までに見たことがないくらい暗く沈んだものだった。先生は……亡くなってしまったんだろうか。

「好き、だったんですか?」

 あたしは思わず聞いていた。いろいろ考えて、それしか出てこなかった。

 紅さんは驚いた顔をしていた。

 何となく、そんな予感がした。紅さんは、司書の先生が女だとは言っていない。だけどその目に宿る色が、そんな予感を抱かせた。

 紅さんはパチパチと瞬きを繰り返して、やがてふっと笑みを零した。

「そう、かもしれない」

 空調の音だけが流れる。紅さんはそれきり何も言わなくて、あたしもかける言葉が見つからない。

 図書館の中はいつも快適な温度だ。本の状態を保つため、一定にしていると紅さんは言っていた。

 その空気が今は重苦しい。

「だから」

 口火を切ったのは紅さんだった。

「青葉さんには感想を聞かせてほしい。どんなことでもいいから」

 紅さんの瞳は優しい。きっと紅さんの先生も、こんな目をしていたのだろう。 


 十月は紅図書館がいちばん美しい。

 図書館へ続くこの砂利道の上を、もみじが我先にと赤く染まる。まるであたしの想いのよう。赤く赤く色付いて、決して褪せることがない。

 このもみじは美しい。だけどあたしの想いはどろどろだ。学校のことも何もかも、全部全部ごまかして、染まる赤で綺麗に見せようとしている。

 どんなに鮮やかな赤で染めても、元々ある色が黒ければただ黒くなるだけなのに。

 あたしは紅図書館のドアを開けた。

「あ、青葉さん。いらっしゃい」

 カウンターの向こうで、笑顔の紅さんが出迎える。あたしは、その笑顔を向けられるに値する人間なんだろうか。

「紅さん、何か元気の出る本を選んでください」

 何か言いたげに紅さんの口が開いたけど、何も声を出さずにまた閉じた。紅さんが本棚の方へ向かう。あたしはカウンターの前にただ突っ立っていた。

 きいっと図書館のドアが開く。

「あら、青葉ちゃんこんにちは」

「朋香さん……」

 いま一番会いたくない人だった。あたしは挨拶を返すことができず、視線を床に落とした。朋香さんは何か言いたそうだったけど、結局何も言わなかった。

 本を手に紅さんが戻ってきた。

「これなんか、いいと思う」

 朋香さんがそれを覗き込む。

「あら『あしあと』。これ泣けるのよね」

 手渡された本は、結構な厚みがある。最初に渡された本の比じゃない。

 いつの間にか、あたしも本好きだと認めてもらえたのだろう。

「ありがとうございます。家でゆっくり読ませてもらいますね」


 本を愛するあの人は、同じようにはあたしを好きにはならない。あたしを映す瞳に、赤く染まる想いが込められることはないのだろう。

 瞼の裏に、あの二人の並ぶ風景が浮かんだ。彼女の立ち位置に、あたしが立つことはない。

 結局はこの想いも、自分でどうにかしなきゃならないんだ。

 あたしは本をぎゅっと握り直した。

 葉が落ちるその日を、切に待つ。

「あしあと」以外の四つは実在する本です。

何の本か想像しながら読んでもらえると嬉しいです。

読んでくださってありがとうございました!

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[一言] 爽やかなのに切ないお話で、しかも一人一人のキャラがきちんとしていて、本当にすごいなと思いました。 場面の切り替わりにも付いて行きやすくて、一気に読みました。 叶わない恋ですが、その人を見る…
[一言] いつもお世話になっております、宮一宇です。読ませて頂きました、すごくすごく切なかったです。非常に描写能力、特に心理描写が細かく丁寧で、素晴らしいと思いました。青春小説として高いレベルにあると…
2014/10/10 01:47 退会済み
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