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父、”父”になる

    (一)

「今でも美緒ちゃんは憎い。」

然心配そうに尋ねるは雪江さん。

「今迄本当にすみませんでした。元妻は元妻なのに娘を憎み暴力に走るなど御門違い、(もっ)ての(ほか)なのに。」

私がそういうと雪江さんは「よかった」と胸を撫で下ろしこう続けた。

「美緒ちゃんはね、今家に居るの。美緒は私や彼方と血が繋がっていなくても立派な孫ですしね。只、」

ばつが悪そうに然言い隆之介に目配せを為た。そして隆之介はその言葉を引き継いだ。

「美緒は、無声症で声が出なくなってしまっているんだ。」

無声症、其れは精神的ショック等により声が出なくなる病気の事である。恐らく精神的ショックとは私の事だろう。悔やんでも悔やみきれない。

「其の様子だと何故美緒が喋れなくなったか理解しているようだな。」

正直だんまりだった。私が悪いのは分かっている。其の事は逃れようのない事実だ。

「心にも相当な傷を負っている。恐らく最初の内はお前の姿を見れば美緒は怖がるだろう。」

当然の事である。私は其れ丈の事を為たのである。

「美緒の心に大きな傷をつけたのはお前だ。併し同時に美緒の傷をいやせるのもお前だ。お前の償い、其れは美緒に一生を尽くす事だ。」

隆之介が言うと私は「はい」と腹の底から声を張り上げて言った。


     (二)

 其処から数ヶ月ほど経ち、私は出所為た。初犯だった事、深く反省していた事により大分罪が軽く成った結果である。勿論の通り私は会社をクビに成っている。仕事は此れから見つけてゆく。

私が栗原家の扉を開けると隆之介、雪江さん、そして美緒が立っていた。

「今迄本当にすみませんでした。」

深々と頭を下げる。其れを見て隆之介は美緒に言う

「こういうわけなんだ。最早悪いお父さんは何処にもいない。良いお父さんに戻ったんだよ。だから許してあげて。」

其れを聞いた美緒は隆之介と雪江さんを交互に見てからこくりと縦に頷く。其の顔は確かにあの女に似ているが、今は最早憎くもなんともなかった。

「本当に今迄悪かった。」

私がそう言い手を伸ばそうとすると美緒は急に体を強張らせ雪江さんの後ろに隠れてしまった。

「無理も、ないか。」

分かってはいたものの大分ショックである。併し所謂自業自得でもある。

「それでは。」

「おうよ。何かあったら俺達を呼べよ。」

隆之介は笑いながら言う。美緒は微かに震えながらも場の雰囲気に合わせ微笑む。こんな事ができるように成ったのかと感動為る反面こんな年に成る迄申し訳なかったと自責の念がこみ上げてきた。

私が美緒を車に乗せると続いて私も乗り込んだ。車を走らせる道中にせめて警戒を解こうと色々と話しかけたり途中ジュースを買ってやった。それから私の昼は就職活動で忙しいのでかまってやることは出来なかったが夜は毎日かまってやった。最初の内は怖がって私が近づかない限り近寄ることは無かったが、最近では寝る前に絵本を抱えて私の元へ来るようになった。その本は雪江さんが買ってあげたものらしい。

「めでたし、めでたし。」

こういった具合に私が本を読み終えると笑顔を見せるようになった。やっと私に対する警戒心は解けたのだろう。何故だろうか、今迄は其の笑顔を見ると元妻が思い出されて憎く思えた。併し今は違う此の笑顔が愛おしくて何時迄も守って行きたいと思えるようになったのだ。

こういった具合に笑顔は見せてくれるようにはなったが併し私が撫でようとすると決まって体を強張らせ私を避けようと為る。嘗て暴力をふるわれた恐怖からであろう。其れを見るたび私は罪の意識にさいなわれた。

そして私は美緒の為に尽くし続けた。其れが私の贖罪である。だがそれ以上に今は美緒の事が愛おしい我が子として見えて居たからでもある。

そんなある日の事である。連絡がつかなくなって数年も経つ妻から連絡があった。内容は迚短く町のはずれに在る人気のない海岸に美緒と共に来いとのことだった。私は何をしたいのか薄々感づいては居たが美緒を連れて其処へ行くことにした。

    (三)

「やっと来たね。」

其処へ着くと彼女は既に其処に居た。

「ああ。美緒もいる。」

そういって後ろに居る美緒を優しく引っ張って前へ出す。

「そう、大きく成ったわね。煙草、吸う。」

心地よいさらさらとした風を浴び、目を細め乍彼女は言う。

「いや、煙草はいらない。今は美緒の為にも吸ってないんだ。」

そう私はあれからは美緒の為に生きようと決めている。

「その節は悪かったわ。私は()の頃私を愛してくれる存在なら誰でも良かった。でも大人に成って行く内私に愛をくれる人は未だ未だ沢山居る事に気付いてしまったの。御免なさいね。」

淡々と短い言葉の内、彼女の裏切りの理由も含め自己中心的に構成された言い訳が展開される。確かに我々は所謂放置子、更に被虐待児で有った。併し其丈に彼女の此発言には怒りが湧く。だが彼女の言う事も少しばかり理解できる自分に対しても怒りが湧いた。

「あれからいろいろあったんだってね。でも其れは仕方ないわ。私でも同じことを為ると思うもの。」

相変わらずの無責任な物言いである。が、其の次に彼女が放った言葉は私を納得させるに至った。

「私、あの後再婚したの。それでね、棄乍の為にも、美緒の為にも。美緒を私たちが引き取るわ。」

やっと美緒との関係を取り戻せたと思ったのにこれである。既に彼女には最早これ以上ない程沢山の物を奪われている。美緒迄、美緒迄もが奪われてしまったら私は如何為たら良いのだろうか。然思い、「美緒はもう、」と私がそう言おうとした瞬間間髪入れず彼女は叫び返す。

「でも彼方は嘗て其の子に暴力をふるったじゃない。其れに第一彼方は今無職、良くてフリーターじゃない。」

彼女が然叫ぶ。だんまりだ。何一つ言い返せない。

「ほら美緒、お母さんと一緒に来ましょう。」

彼女が美緒に手を伸ばす。美緒もなんだかんだで恐怖が残る私なんかよりも彼女の方がいいだろう。そう心の中で諦めがついた。彼女達はふと見れば既に遠くに居る。

美緒が幸せであればそれで構わない然思った其の時彼女の方から悲鳴が聞こえた。美緒が抱きかかえようと為てきた彼女の腕に噛みついたのだ。

「美緒。」

私は驚愕し叫ぶ。すると美緒は口を開いた。

「あうさん、おたうはん、おとおしゃん。」

其れはかすれて言葉に成っていなかったが確かに聞こえた。

「お父さん」と。

「美緒、声が。」

美緒の声が戻ったのだ。私は走ってきた美緒を抱きかかえる。最早(もう)震えていない、美緒は私を父親として認めてくれたのだ。

「こういうわけだ。」

私が彼女の方に向き直り然声をかける。

「だからさ、俺に任せてみてよ。俺、俺の理想を貫くから。例えお前が其処に居なかったとしても、幸せな家庭を作り上げる。家庭に、家庭には決まった形等無いのだ。」

そう、もう私は大丈夫だ。嘗ての私には無理であったが今の私ならば出来る。根拠は無いけれど確信丈は在った。そして決心が固まった私の心にはまるで海辺の心地よい風が心に吹き込むようだ。

「わかったわ。野暮だったわね。それじゃ。」

彼女がそう言い去って行く。此の後、彼女の行方を見たものはいなかったが、多分新しい家族でよろしくやっているのだろう。

あれから私と美緒は完全な家族に成れた気が為た。

      (四)

その夜、私と美緒は自宅の縁側に座って晩夏の夜の香りを楽しみ乍線香花火を為ていた。

「なあ、美緒。」

私がふと美緒に話しかける。

「なあに、御父さん。」

然言う美緒は昔よりかは大人に成ったものの、未だ口調には幼さが残り、其の顔もぷっくりとしていて未だあどけなさが残るものであった。

こんなにも愛おしいのに何故私はあんな事をしてしまったのだろうか。

「なあ美緒、本当に俺なんかが御父さんで良いのか。」

さっきはああやって言ってくれたけれどもまだ不安は残っていた。

「なんで。御父さんは御父さんじゃないの。」

首を傾け私に言う。

「本当に、本当に御父さんで良いのか。美緒にあんな酷い事をしたのに。」

私が美緒に繰り返し問う。けれども美緒の答えはこうだった。

「昔の御父さんは怖い怖いだった。でも今の御父さん、美緒、大好き。」

つぅっと涙が零れ落ちる。私は堪えきれなくて美緒を抱きしめる。

「御免。悪かった。本当に。美緒、俺は死ぬまでお前に尽くす。父として、お前が許す限り。」

謝りながら、泣きながら美緒を抱きしめる。線香花火が地面に落ちくぐもった音を立て消える。

「御父さん、泣いてるの。」

美緒はそういって窪みのある柔らかい小さな手で私の頬を触れる。

美緒は曲がってない。こんなにも確りとしている。私がほったらかしにしている間にもここまで大きくなったのだ。

けれどもこの体は未だ細く、迚小さい。私が、父である私が守っていかなければいけないのだ。血の繋がり等関係ない、私が父なのだ。

「御免、ちょっと取り乱した。」

私はそういって涙を拭う為に衣嚢からハンケチを取り出そうと為ると一緒に折りたたまれた。祭りの知らせが落ちた。

「なあ、美緒、今度一緒に御祭り行こうか。」

私が然言うと美緒は満面の笑みで「うん」と言った。

美緒の其の笑顔は此の夏打ち上げられたどの花火よりも輝いていたことだろう。私と美緒は親子だ。血の繋がりが無くても親子なのだ。此の先どんな事が有ろうとも。私は父である。

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