兄弟の”想い”
(一)
随分と懐かしい夢を見ていたものだ。近頃幸が薄いからか人生未だ未だ捨てたものではないというのを思い出すために本能が映し出したのだろう。ただあの頃と違い私のバイトに因る収入も在るので其の御蔭か週に二回程温かい湯を浴びる事が出来るようになったのは大きな進歩である。
鳥の鳴き声や新聞配達の音でもう直ぐ其処迄朝が迫ってきているのを知った。
「さて、そろそろ行きますか。」
私は家を出ると青白い独特な朝の空気の中バイト先へと向かった。
(二)
今日はバイトの給料が振り込まれる日であった。其の御蔭で私は久しぶりにカップ麺を食べる事が出来た。こうして食物を噛み締めていると栗原の人々を思い出す。
我が家は今日の今日まで相も変わらずの殺伐とした雰囲気だ。
いま彼らは如何しているのだろうか。あの後私はもう一度栗原家へ行こうとしたが何せ家へと逃げかえった時は深夜で真っ暗だったため栗原家がどこにあるかは知らないのである。
(三)
「此の愚図、さっさと起きろ。」
頭を蹴飛ばされ目が覚める。私の頭を蹴ったのは母親だった。
「こんな深夜に何があったんですか。」
私は暴れながら意味不明な言葉を吐き続ける母親に説明をこう。
「どうしたもこうしたもあるか。彼奴がしょっ引かれたんだよ。」
母が曰く父親が暴力沙汰を起こし警察に捕まったそうだ。私自身彼等を見ていて何時かはやるとは思っていたがこんな早い物とは思ってすらいなかった。そして私を起こした理由と言うのが父が捕まったことで収入が激減することが予想され為ると兄の学費、塾代が儘成らないから唯でさえ飽和状態のスケジュールに更にバイトのシフトを加えて来いと言うものだった。母は相も変わらず「兄は、兄が、」と繰り返し、私はおろか弟達さえ眼中に入っていない。母にとって息子は兄一人で私たちは所詮一環の働き蟻にすぎないのだ。
翌日、私がバイト為ていると店長に呼ばれた。父の件であった。田舎である此の街に於いて噂は光速で拡散為ると言っても過言でない。私のバイトはコンビニの接客業故此以上私を雇うのは難しいのだそうだ。こうして私はシフトを増やすどころか職を失う事に成ってしまったのであった。
それからの生活は酷い物だった。金を入れられない私は最早奴隷としても用済みの様で日に日に母の暴力もエスカレート為ていった。まずは親は私を退学させた。唯一の希望も失われたのだ。次に体罰の方もエスカレート為ていった。元々両親が私に体罰を加える際見えにくい場所を狙っていたのだが近頃は見ればわかる場所にも為るように成った。恐らく母も相当焦りを感じているのだろう。そんなある日私宛の手紙が十通程届いた。母達が旅行に出ると言って姿を眩ましてっから三週間経った日の事だった。どれも同じ職種でどれも違う名前の会社からだった。そう、消費者金融からである。額にして数百万程借りた事に成っているが当然乍私は借金など為ない。恐らく母が私名義で借りてきたものだ。更に言うならば其の金の七割は兄の学費、塾代、残り三割は母の玉入れ代と言った所だ。此処にも弟達と私は含まれない。併し此の土地柄、更に学生向けのバイトが殆ど接客関係の物で有る事から現在の状態では私を雇ってくれる店など存在せず、復家族も私を切り捨てて何処かへ逃亡、なので私はなんとしてでもバイトをする必要が有ったので私は毎日働き場を探し街を練り歩いた。此の世界とは何て理不尽なのだろうか。然思っていると私の目に或る文字が飛び込んで来た。
「弁護士事務所、相談初回三十分無料。」
正直弁護士に頼ってどうにかなる問題かどうかは分からなかったが解決しなければどちらにせよ此の先待ち受けるのは我が身の破滅である故一か八かと其処に寄ってみる事に為た。細く急なコンクリート製の階段を上ってゆくとすり硝子ざらざらと為た小窓付きの彼方此方に茶色い錆の見受けられる如何にも重そうな鉄扉が見えてきた。
「此処で、良いのだよな。」
もう一度周りを見渡し其処が弁護士事務所であることを確認為る。そして勢いよく鉄扉をノックする。
「はい、どうぞ。入ってください。」
私は恐る恐る扉を開ける。事務所は小奇麗な机と林檎印の付いた青い半透明の箱に包まれたブラウン管コンピュータやアクアリウムが置かれ、建物本体の外見の古臭さを感じさせなく洒落ていてモダンな物であった。そして背凭れの長い回転椅子に座った男性が此方を振り返る。其の人の特徴を見る。撫でつけた白髪交じりの髪の毛、穏やかそうだが厳しそうな顔、そして私は其の人間を良く知っていた。
「栗原隆之介様、でしょうか。」
思わず畏まってしまう。
「如何にも。少年、久しぶりだな。」
いやはや運命とは何と面白い物であろうかと思った瞬間であった。
(四)
久しぶりに再会を果たした栗原氏からは色々な質問をされた。何故あの時姿を眩ませたのか、あの親の元で本当に大丈夫なのか。其の姿はまるで遠くに下宿為た息子の近況を聞きたがる父の様だった。復、栗原夫妻とは実際会って一日で別れたというのに随分と親密な関係である。何か波長のようなものが合うのだろう。
「其れで、此処に来たという事は何かあったのだな。」
栗原氏は先程迄の朗らかな人格に打って変わって急に鋭い目つきに変わった。所謂弁護士の目と言う奴だろう。
「ええ、実は、」
私は今までに起こった事の在りの儘を話した。
「と言うわけでこういった場合はどうすればいいのでしょう。迚此丈の額は支払えないのですが。」
私がそういうと栗原氏は神妙な顔つきで言う。
「君は洗脳されている。」
「はい。」
思わず聞き返す。洗脳とは詰まり私が親の言うが儘に成っているということであろうか。否、そんな筈が無い。私は其れを口にだし否定為が栗原氏は其の否定を否定した。
「君は最早洗脳されきってる。其れを証拠に君は其れ丈の事をされておき乍親を如何為かよりも金を如何するかの方に考えが行ってしまっている。こんなことを言うのも酷だが君は先ず第一に君の御両親と縁を切る必要が有る。」
栗原氏はそう断言する。確かに尤もである。けれどもそれには大きな問題があるのだ。
「弟達はどうなるのですか。」
其れが疑問だった。弟達は未だ年にして十から十四ほど。あの親の元に残すには酷すぎる。そう言うと、栗原氏は笑い出した。
「なにがおかしいのです。」
「いや、済まない。つくづく思うのだが君は良く言えば真面目、悪く言えば自分で自分の破滅を作り易い人だ。」
そういうと栗原氏は一呼吸おいて続ける。
「君は今自分の人生の自由を手に入れるか自分の人生を捨てるかの選択を迫られているのに君は弟の心配をしている。そこで、だ。君は一度自分の事だけを考えてみよ。其れで一体君は何をしたいのか、然為れば何を為可きか見えてくるだろう。」
自分の事、考えているつもりだった。だが改めてこういわれると自分の事をすべて後回しにして他人の為にかけてきた人生であった。併し弟達はどうなるのか。弟、弟、弟。自分等如何でも良い。
「そうだな、此れは一寸為た昔話だ。」
栗原氏がそう切り出す。何の話で有ろうか。
「昔々、一人の十程の年の少年が居た。その少年は迚正義感が強く何時も虐められている他の少年を庇っては傷だらけになっていた。そして其の子供の親は嘗て親や周りから虐めを受けていた故其の子の事を誇りに思っていた。併し或る日、事件は起こった。其の少年は自殺為たのだ。彼の手紙には此の様に記されていた。御免なさい、私は弱く、最早耐えられません、と。そして彼の手紙にはこうも記されていた。我が幸せは父さん母さんの幸せに在り。彼は何時だって自らの幸せよりも他人の幸せを尊重していた。併し彼の然言った考え方が彼自身を追い詰め、殺したのだ。常に他人思いな彼を誇りと思っていた彼の親達は其の手紙を見て迚後悔為た。我が子の人生とはなんだったのかと、何故私は目の前の事だけを見て其れを良い事と為て、止めなかったのだろう。どれ程の良い事であろうと身を滅ぼす程では意味がないのに。君が誰を庇っているかは知らない。併し初めて君を見た時から二つの意味で似ていると思ったのだ。」
彼は私と出会った最初から私が弟達の心配しか為ていない事を見抜いていたのだ。だから私を似ていると言ったのだ。虐待的な意味合いでは彼らに、自分の事を考えていないという意味では彼等の息子に。
「僕は、僕は自分の人生を選びたいです、でも最後に一度だけ弟達と話させてください。」
私がそういうと栗原氏は「よろしい」と電話を貸してくれた。
私がガチャガチャとダイヤルを回すと運よく出たのは親ではなく一番上の弟だった。
「もしもし、俺だ。棄乍だ。此れから暫くいなくなるけれど良いか。」
私が嘘交じりに、試すという意味でそういうと電話の向こうの弟は豹変した。
「何を言ってるんだ、兄。兄は父さんと母さんの遊び道具なんだよ。良いから早く帰ってこい。」
私は其の言葉に絶望する。弟達が私を必要と為る理由は所詮身代わりでしかなかったのだ。そう、私は洗脳されきっていたのだ。其の話を聞き私の心の中で何かが吹っ切れた。今迄の人生、すべて利用されるだけの人生。そう考えると何かもうやってられないと思った。奴隷ロボットに意志が芽生えた瞬間である。
弟達には悪いがそういわれ吹っ切れた私の選択肢はそれ以外になかった。
「今回はサービスだ。借金の件心配はいらん。」
「ありがとうございます。」
どうやらこういった事例は多いらしい。今回に限ってはありがたいのだが世が荒んでいる事を示すようであまりうれしくはなかった。
「そして、家族との絶縁は行うか。」
「はい。」
最早未練はない。此処まで来たのだ最早休ませてもらうとしよう。
「そして最後に、絶縁するとなると誰かしら保護者と成る者が必要である。其処でだ、君さえ良ければ私たちが君の親となろう。家に、来ないか。」
こうして私の人生は百八十度大きく変わる事に成った。




