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”家族”と家族

(一)

目を覚ますとそこには見慣れない天井がった。

「何か、さらさらしてる。」

服の感触が何時もの物と異なっている。何時もの物は長年洗わず、洗えず着続けた所為かぼろぼろでべたべたとしているのに此の服は違っていた。

部屋は見渡す限り煌びやかで全体的に中流家庭の子供の部屋といった具合だろうか。大きく日の光を集める窓、木製のベッド、ライト付きの学習机等々。其処はまるで別の国の様に自分には見たことのない世界だった。

問題は此処が一体全体何処であるのかということだ。どう見ても自分位の年の頃の子供向けに作られた部屋である。

私は確かめるために部屋を出た。どうやら此処は二階建らしい。下の階より料理を為る音が聞こえる。その方を影から見るとキッチンに初老位の女性が立っていた。彼女は何やら嬉しそう且つ悲しそうなよくわからない様な表情で料理をしている。あまりにも良い匂いに腹が鳴る。其処で私は自分が倒れたのだということを思い出す。

すると初老の女性は私の事に気づいたのか此方を見て料理を為る手を止める。

「あら、目が覚めたのね。」

料理の入ったフライパンを置き其の女性が近づいてくる。

「此処は何処ですか。」

私は其の初老の女性にそう尋ねる。女性は「大丈夫、此処には彼方(あなた)の味方しかいない。彼方は何も心配する事は無いわ。」と優しく言った。

「かわいそうにねぇ。こんなに痩せこけて。もうすぐ御飯ができるわ。其れ迄お風呂に入ってきたら。」

女性がそう続ける。初めてである。此れ程まで自分に優しくしてくれる人を見たのは。

「本当にいいんですか。」

私がそう聞き返すと女性は優しく「ええ」と頷いた。

風呂など久しく入っていなかった所為か概念其の物自体が飛びかけていた。

服を脱ぎシャワーの冷水と温水の蛇口を捻ると其れを傷だらけの体に浴びせかけた。シャワーの湯は少し熱く傷口に沁みたが其れ程心地良い物は無かった。今まで体中をまとっていた汚れが全て流れていくようだ。何と気持ち良いのだろう。

公園の水の様に冷たくない、温かい湯だ。体中の疲れが抜けてゆく。

聊か不自然であり若しかしたら新手の誘拐なのかもしれないとも思ったがこんな天国の様な場所ならば自ら進んで誘拐されたいぐらいだ。

私が風呂から上がると沢山の御馳走が用意されていた。

思わず「凄い」と漏らす。そして女性はそんな私を見て微笑む。

「此れは全部彼方の物よ。さあ召し上がれ。」

毒物でも入っているのだろうか、そう思うものの体は正直で次々に料理を口に運んでゆく。美味しい。此れも復今迄に食べたことのない美味しさであった。その中でも特にただの塩握り飯が一番心に沁みた。

「美味い、美味い。」

涙を流し乍握り飯を噛み締める。たかが白米、されど白米。口の中に仄かな甘味と塩気が広がる。此の御握りには此れと言った味はない。料理自体も単純な物である。併し此れにはこもっているのだ。今迄私が触れた事の無い、幾ら足掻いても手に入れる事の出来なかった優しさが。今迄自分が此れ程迄に優しくされたことがあっただろうか。

箸が震え物が上手く取れない。なんなのだろう此の気持ちは。

「吁、吁」

声にな成らないくぐもった声が出る。目が熱い。涙が溢れてくる。

そして女性はそんな私を強く抱きしめ慰める。彼女も又、「大丈夫、大丈夫。」と言いながら涙を流している。其処には私を理解してくれる人がいた。私は生まれてこの方「愛」を知らなかった。正確に言うと私に向けられた愛を知らなかった。肌を伝う温もりも初めて感じた。其れはより一層私に悲しみでも痛みでない、まだ知らない涙を流させた。私は涙を拭うこともせずに唯只管産まれたばかりの赤子の様にわんわんと泣いた。

親からも受けた事の無い愛情が私に向けられていた。

私はこういう感情の名前を知らない。嬉しいでもない、楽しいでもなく悲しいでもない只管こみ上げてくる感情。

人の温もり等要らないと思っていた。だがこうして私を抱く腕は迚温かく、そう思っていたのは私が温もりを知らなかっただけなのだと痛感させた。私はその腕に身を寄せ其の儘暫く自らの感情に従った。

   (二)

気が付くと二時間程の時が過ぎていた。私は泣き疲れて眠っていたのだろうか。私はソファに横たえられブランケットをかけられていた。散々泣いた所為で目が腫れぼったい。

私は立ち上がりあの女性を探す。

女性は二階の彼女の部屋と思わしき部屋にいた。何かをじっと見つめてぼそぼそ呟いている。暫くして私に気づいたのか此方によって来て「もう落ち着いた。」と彼女はそう優しく問うた。

「ええ、御陰様で。すみませんこんな長居してしまって。

直ぐに帰ります。」

さすがに此れ以上迷惑をかけるわけにはいかないと思い私は言った。

併し、女性は首を横に振り私を引き止めた。

「いいえ、そんな事は無いわ。もう少し待ってて。私の夫が帰ってきたらあなたにもっと色々詳しく話すから。」

と女性が言う。いよいよ誘拐の線が濃厚である気がしなくもないがもう此の際どうにでも成れという気に成っていたし其れに抑々我が家には狙われるような金もない、其れに此程まで優しい人が誘拐犯である筈が無いという不確かな根拠が在ったので大人しく女性の言うとおりに為ていた。

其処から更に二時間程経つと玄関の方で物音が為た。それから数十秒後部屋に白髪交じりで撫でつけられた髪型の厳格そうな、且つ優しそうな初老の男性が入ってきた。恐らくは此の家の主人なのだろう。彼は私を見た後彼の妻である女性を見ると「此の子が件の子か。」と言った。

彼は私の背丈に合わせ腰を屈めるとどれどれと観察し始めた。

「成程、此れはきっとそういう物件なのだろうな、そして何よりもよく似ている。」

と言うと私に視線を合わせ、

「大丈夫だから安心してくれ」と女性と同じ事を言った。

その後、私は彼等に客間の様な部屋に連れて行かれると其の男性とテーブルを挟んで座らされ、女性は私と男性に「紅茶がいいかコーヒーがいいか」と聞くと飲み物を淹れに部屋を出て行った。

男性の名は栗原隆之介、弁護士だそうだ。成る程此の家の広さに納得がいった。私を保護してくれた女性の名は雪江というらしい。偶々買い物からの帰り道で倒れていた私を見つけたらしい。此処は私の住む所から見ると隣町に当たる所に在る彼等の自宅だそうだ。其処で私の頭に在る疑問が過ぎった。

「何故此の家には子供部屋が在るのか。」

其処である。見た所栗原夫婦には子供がいない。普通此の歳の夫婦であれば子供部屋は自分の様な歳の頃の部屋というよりは青年の部屋になるはずである。色々と辻褄が合わないのだ。

「子供は、」

栗原氏はそう言い一度息をすうと繰り返した。

「子供は七年前に家を出て行ったよ」

彼の口から先程私が心の中で否定為た言葉を口に為る。私の考えすぎであろうか。何か引っかかる物が在る物の私は話を続けた。

「単刀直入にお聞きします。栗原さん、貴方方は何故此処まで私に良くして下さるのでしょうか」

栗原氏は撫で付けられた白髪交じりの髪を軽く掻いて紅茶を口に含む。

「うむ、先程より語彙力、推理力等中々頭のキレる子だ。」

彼はそう言うと朗らかに笑った。

「其れで、何故なのでしょう。」

其処迄言って漸く自分の格好に気付く。私が合点の行った様な顔で細かい文字の本を読むかの如く自分の体を見つめる。

栗原氏の表情から察するに私の今思っている事は正解の様だ。遡って考えて見れば簡単なことである。前提として先ず私の体には其れは其れは沢山の痣や傷跡がある。

「さらさらしている。」

そう、私は目覚めた際に此の事に気付いた。

「此れを見たのですね。」

私がそう問うと「肯定する」と口には出さぬ物の栗原氏はゆっくりと首を縦に振る。

私が目覚めた時私の服装は新しい物へと変えられていた。其れは詰まり何者か、恐らく栗原夫人が私の服を脱がせ新しい服を着せたのだ。当然服を脱げば其れ等の傷も晒される。擦り傷若しくは切り傷ならば其処等の男子の体にも沢山在り然程珍しく無いだろうが流石に焼きの痕、ケロイドだらけの背中は此れは異常であると物語っている。此の流れで助けを求めれば栗原夫妻は助けてくれるのだろうか。私は最早限界だった。一刻も早く誰かに助けて欲しい。今心の絵を描き上げろと言われれば物の見事に歪んだ世界で叫び続ける、ムンクの叫びの様な絵が描き上がる事であろう。

「あの、」

私は口を開き「助けて」と言おうと為るが其れ以上言葉が出てこない。誰かに肩を掴まれている。其れも一人じゃない。沢山の小さな手が私が行こうと為るのを妨げようとしている。そうだ。私は行く訳にはいかない。守らなければ行けない弟達がいる。彼等には私の様な思いを為て欲しく等無いのだ。私が居なくなれば次の標的は弟達だ。

「兄、痛いよ痛いよ。助けて、助けて。」

そう叫ぶ弟達の姿が容易に想像できる。

「どうしたんだい。」

栗原氏の言葉で現実世界へ引き戻される。私は行く訳にはいかない。其の為には嘘を付く必要が有る。

「此の傷は自分で付けたものです。恐らく貴方が今考えている傷とは違うでしょう。」

我ながら下手な嘘である。若しかしたら弟達を無視し助けて欲しいと願う私の部分がそうさせたのかもしれない。当然、栗原氏は御見通しの様で唇を親指と人差し指でつまむような考える姿勢を為たと思いきや栗原氏は突如着ていた背広とシャツを脱ぎだした。

「此れって。」

私は驚いた。其れは薄れていて傷には見えない物の其処丈歪な形をしていたり薄青くなっている所が沢山在った。

「我が両親は虐待の常習犯だった。」

栗原氏は最早良いだろうとシャツを着ながら話し始める。

「親からの暴力は日常茶飯事だった。私が解放されたのは君より少し大きかった位の頃の事だ。解放と言っても其れは良い響きの物ではなかった。何故ならば解放されたのは私の両親が違法な薬物に手を出し塀の向こうへと送られたからだ。」

栗原氏は苦笑いしながらそう昔語りを始める。

「親が居なくなった後特に引き取り手が居なかった私は施設へ送られる事に成った。不思議な事に当時の私は洗脳されきっていたのか其処に親は居ないのに親の為に働かなければと一種の強迫観念に襲われていた。そして其の所為か私は日に日に病んでいった。

よくフィクションの世界に於いてそういった施設の人々は総じて優しい様に描かれる。併し現実は優しくない。彼らの目は常に蔑みを湛えている。吁、此奴等は捨て子なんだなと。そういった人々の吐く言葉は例外なくただまやかしの正義に囚われた妄言である。

そんなある日私は妻、雪江と出会った。当時は私も雪江も病んでいたが、互いに話すうちに徐々に私たちは解放されていった。其の頃には強迫観念も消え去り何も抱える物は無くなっていた。その時気付いた。虐待を受けた人の気持ちは虐待を受けた人にしか理解できない、と。」

そういうと栗原氏は復紅茶を飲み乾し私の肩に手を置き目を覗き込んで言った。

「何か後ろ髪引く物があるのだろう。併しよく考えて欲しい。此れは他の誰でもない、君自身の人生なんだ。君は如何したい。助けが必要か否か。」彼のそんな言葉に私の心は揺らぐ。

「僕は、」然言いかけた所「兄。」と絶望を含んだ私を呼ぶ弟達の声が脳内に児玉為。

「助けてよ、兄。」

「熱いよ苦しいよ、兄。」

「御腹減ったよ。」

兄、兄、兄。頭の中でこだまする。駄目だ。矢張り弟達を見捨てる事は出来ない。然考え決心している。

「僕は、助けて、欲しいです。」

けれど、私の口は正直ものであった。弟達以上に私は限界だったのである。

「兄、兄。」

私の中の弟達が叫ぶ声が私を呼び止める。

「御免よ、御免よ。」

私はそう心の中で叫び続けた。栗原氏は頷き此方を見ると「うむ」と言った。

「ならば決まりだ。一応児相にも連絡済みだ。彼等の曰く此方で預かる方が良いそうだから。暫く此処で暮らしなさい。親達に関しては私に任せておけ。」

どんと胸を叩きながら栗原氏は分厚い本を取り出し何やら作業に取り掛かった。

「部屋はあの部屋を使って良いですよ。今日は最早ゆっくり眠りなさい。」

何時の間にか現れた栗原夫人が変わらぬ笑顔で言う。

「其れでは御言葉に甘えまして。おやすみなさい。」

「ええ、おやすみ。」

私は幾らかの様な過去があるとはいえ他人なのに此処迄優しく為てくれる彼等の態度に少し驚き感動してまた泣きそうに成るのを踏みとどまり元の部屋に戻りこの世のものとは思えない程暖かで柔らかい毛布に身を包み目を閉じた。

     (三)

「こんのだあほが、ちんたらちんたらしてんじゃねぇよ」

乱暴な口調で叫ぶ父の姿。

「あんたら(うるさ)いねぇ、腕貸せや。焼き入れたる。」

ヤニで黄色くなった汚い歯をむき出しにして煙草の煙を吐き出し、煙草の赤々と為ている部分を見せながら脅し口調で言う母。彼らの相手は私である筈だったが其処に居るのは私ではない。弟達だった。

「おら、早くせんかいな。」

ビール瓶を机に叩きつける父、飛び上がる弟達、飛び散る茶色い瓶の破片。できる事なら今すぐにでも弟達の前に飛び出し私が悪いと叫びたかった。けれども何故か足が動かないのだ。「動け、動け。」然念じる物の私の足はピクリとも動かない。そして遂に切れた父親がもう一本のビール瓶を弟達の脳天へと振り下ろした。

「止めろ、止めてくれ。」

そう叫んだところで夢から醒めた。額から汗が流れ落ちる。あまりにも生々しく恐ろしい夢であった。寧ろ今の此の状態の時こそ夢で実は先程迄の夢が現実でないかとさえ思えてくる。

時計を見ると時間は未だ朝の二時にすら成っていなかった。部屋に時計があるというのも慣れない物だ。

「ん、あれは。」

時計の下に何やら写真立てが倒れている。徐に其れを起こすと其処にはまだ若い栗原夫妻ともう一人、私と同じくらいの年の子が楽しそうに映っている写真が飾られていた。

此の子が七年前に此の家を出たという夫妻の息子だろうか。三人とも眩い笑顔で映っている。一方私はそんな楽しそうな彼等の姿を見て羨むばかりで有った。家族と言う概念を感じさせる一枚である。

そこで先程より何やら下の階より物音がする事に気付いた。そして扉を開けると其の声の主が栗原夫人の物であることもわかった。声を辿り廊下を歩いてゆくと一つの部屋に辿り着いた。そして其処に栗原夫人の姿を確認できた。

「彼方、人助けをしてほしい。自分の様な人間に手を差し伸べたいと言ってたわよね。良い子だったのにねぇ。」栗原夫人はそう語りかけていた。手前に線香の置かれた白黒の顔写真に向かって。

「彼方は最後まで良く虐めに耐えてきました。本当に、本当に。救えなくてごめんね。」

そう言うと彼女は復涙ぐむ。

「子は。七年前に家を出た。」

自分はなんと愚かしいのだろう。見事に子に関する話の際の栗原氏の顔に差していたであろう影を見落としていた。地雷を踏んでもなお其れに気付いていなかったのだ。

私は彼等が此程までに優しくしてくれていたもう一つの理由を知った。今の栗原夫人の言葉から察するに子供は今より七年前虐めによって追い詰められ自殺、復私を助けてくれたのは根本的には栗原夫妻がかつて施設に居たからと言う理由が在るのかも知れないが恐らく彼女は親やクラスメイトより虐められ倒れていた私を見て、私の体の傷を見て息子と重なり「今度こそ救って見せる」と決心したのだろう。

そうこうするうちに弟の事や此の事が私に家へ帰るべきだと告げる。

「僕は此処に居てはいけない種類の人間なんだ。」

私はそう呟くと洗濯機より元々着てた襤褸の、服とは言い難い穴だらけの黒ずんだ布を取り出し其れを着ると今まで借りていた服をきれいに畳み、感謝の意を示す置手紙を書き私は夜が明けぬうちにこっそりと家へ帰って行った。その夜の道は全てをのみこまんとばかりに深い黒を保ち続けていた。復、我が家は栗原家とは綺麗サッパリ正反対に、相も変わらず其の冷酷さを醸し出していた。

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