”蟻”と”蟻地獄”
(一)
「なんじゃい此の大量の空き瓶は。まぁた飲んだんか、この穀潰しめが。」猿のような甲高い声で母が叫び散らす、其れに対抗するかのように「うるせいやい、このだあほが。ちいと黙らんかいな、吁やかまし。」と呂律のまわらない下品な声で怒鳴り返す父の声。併し乍此れで四人も兄弟がいるというのは不思議なものだ
「兄、御父さんと御母さんが。」
心配そうな顔で私より3つ下の弟が聞く。
「大丈夫いつもの事さ。彼れが帰ってくれば収まるに決まってる。そんな事よりお前達はもう寝た方がいい。」
「で、でも、若しかしたら」
「だから大丈夫さ。どうせ彼奴が帰ってくれば収まるさ。」
そう言って心配する彼等をぐいぐいと無理やり安全な二階の部屋へと押し込む。そう、此れは何時も通りの極日常的な物である。
私の父母は正直な所倣う可き所の無い人間、敬意をもって「御」を付ける必要も無い、言うならば汚父さん汚母さん、若しくは悪父さん悪母さんといった具合の人々である。其の名の通り私は彼等を嫌っている。向こうも私を好いていないだろうから願ったり叶ったりだろう。
兄弟たちを押し込めた後、夏場の夜、中途半端な温度と湿度を保った廊下の細かい水滴を潰しながら私は一人自室とは名ばかりの常闇に包まれた物置部屋へ戻ると無造作に放り投げられた衣類の山を踏みつけ部屋の隅に乱暴に体を横たえ、傍にあった飲みかけの気が抜けて甘くなったコークを口に含み更に乱暴に安物の牛乳臭く噛み堪えの無いながらう煙管の様に長細い牛肉のチャルケを口に押し込む。
「ああ、遊びに行きてえな」
口からチャルケのカスと共にぼそりと本音が零れ落ちる。実際此の儘外出してしまってもよい。窓から出ればばれることはないだろうし溺愛されている兄さえ帰ってくればあの親も収まる筈だ。抑々搾取為が為に作られた私が居ようが居まいがちゃんと金さえ家に入れれば親も何も言いはしないだろう。但、今出歩けば未だ高校生の私は直ぐに補導されてしまう。私自身補導されたことがないので詳しくは分からないが、少なくとも私が社会的不利に陥ることは確かだろう。若し私がバイトをクビに成りにでも為た日には、親に土下座までして入ることを許してもらった高校も辞めさせられてしまう。そんなことになれば私のこの家からの逃げ道は閉ざされてしまう。正にクビに成ることは銃で撃ち抜かれるのと同義である。実際はそんな皮肉めいた成り立ちをしている訳無いのだが私にはそう聞こえてしまう。只、どちらも成り立ちが処刑方法を示す言葉とは人生、詰まり生命を終わらせるという意味に於いては現代社会に通じるものがあるとも言えよう。銃と刀に乾杯だ、と気色の悪い笑いさえこみ上げてくる。其れに抑々此の異常なほどの騒がしさも慣れてしまえばただの子守唄、心地よいとさえ錯覚してしまいそうになるのだった。
(二)
喧噪な子守唄の中、目を閉じてうつらうつらとしていると原動力付自転車の耳障りなエンジン駆動音ともに烏骨鶏を驚かしたのかの様に怒鳴り声がピタリとやんだ。兄が帰ってきたのだ。
昔から然だ。私は親にとって無いも同然なのである。私が幾ら努力したところで親は振り向いてくれなどしない。抑々誰が現金自動預払出機を優しく撫で、癒してくれようか。恐らくそんな事をする人などいないだろう。 若し万が一そういった人がいたとしても精々その銀行の管理者位だろうが残念乍私は人間である故そんな人など何処にも居はしないのである。 肝心の親も私を産んだのは奴隷を作る為だと言っている位だ、期待為丈時間の無駄である。其の一方で「愛玩用」として生まれた兄は出来は決して良くないのに好きな学校に行かせてもらい、塾にも行かせてもらっている。欲しいものだって何も不自由せずに手に入れられた。
復、兄がそういった生活を為事が出来たのも決して親が裕福だからではない。私が幾つかのバイトを掛け持ちし、得た金より成り立っているのである。確かに子供の頃は食費や学費等最低限のお金をかけてくれたが、私が十六に成ると共に其等の金は打ち切られ自分の金は自分で稼ぐ為に働く事に成った。此処迄の金は所謂奴隷育成料と言った物だろう。
昔は「棄てる」という言葉、もう少し優しく易しい言葉では「捨てる」という言葉が出来上がった位なのだから不要な子を奴隷として育てる位なら未だこちらの方が良心的である。「こんな自分の華々しいとは正反対の歴史が積み上げられる位なら交通量の多い道路にでも放り出して轢死体にでもなった方が増しだ」等という世事にも笑えない、笑えたとしても引き攣った憐みの笑いしか浮かばない様な自虐的な冗談が思い浮かぶ程である。
而も、働き、得た金も殆ど兄の為へと消えていった。私が最低以上の生活を為為の金など何処にも存在しなかった。幾ら努力して金銭を用意しようとも薄羽蜻蛉の幼虫、所謂蟻地獄の巣に落ちた蟻が這い上がろうとするかの如く貯まる事は無く、復最後には滑り落ちて蟻地獄の腹を肥やすように私の金は兄や親の為の費用へと消えて行く。蟻の私は足一本残さず蟻地獄に食い尽くされてしまうのだ。尤も奴等は私達を蟻と言うより白蟻、所謂器齧り虫の仲間のように煙たがっているだろう。詰まる所、私は努力為た所何の意味も無い。正に糠に釘である。糠床の上にも三日で有れば漬かり過ぎでは有るが糠漬けが出来上がるので其方の方が個人的には好きである。
いやはやこんな理不尽な親達に今迄良く耐えて来たものだ。勿論の通り本来ならばその杯に無理やりに注がれたものを「断る」と相手の頭からかぶせんとばかりの勢いで注ぎ返して逃げ出したい所だが先ず眠るところをなくすのが怖い、其れ以前に他の蟻達がずるずると滑り落ちてくるのを待つ大口開けた幼虫共に食われてしまうのではないかと心配で、復他の蟻達には自分の様な道を辿らせまいと自分を抑え、此処に留まるのだった。
暫くすると居間の方よりほんのりと鼻を擽り腹を鳴らし、そして口を唾液で湿らせるような香りが為る。親たちが食事を始めたようだ。更に先程の様子とは打って変わって家族団欒と為た会話も聞こえてくる。子は鎹とはよく言ったものである。勿論其の家族および子供とは薄羽蜻蛉の一家の事である。其処に蟻達は含まれない。
「チィ。やってらんねぇなぁ。蜻蛉なら蜻蛉らしくとっととおっちんじまえってんだ。」
私は舌打ちをすると乱暴に袋から何本かのチャルケを引っ張り出し口の中に放り込んだ。
自分は兄弟たちの中でも特に親から嫌われていて小さい頃はろくな飯を与えてもらえなかった。「飯をもらえなかった」と過去形なのは今は何一つ与えてもらっていない為である。
決して待遇が良くなった等というわけではないの。寧ろ親兄弟の私に対する待遇は年々悪化の一途をたどるばかりである。
昔は飯を抜かれたら腹が減って仕方ないばかりだったのだが
幸い今は多少金があるので百円で買える安い成形牛肉のチャルケを買って晩飯代わりにしている。尤も腹は膨れやしないが精々塩分と蛋白質位は摂れる筈だろう。其れだけ在れば充分極まりない。
「そろそろ寝たかな。」
私は部屋を抜け出し先程迄怯えていた弟達がすやすやと寝息を立て安らかに眠っているのを確認した後、元の物置部屋に戻って復体を横たえた。
「明日は日曜か、するとバイトはフルタイムだったよな。
なんて気怠いのだろうか。」
独りぼそぼそと愚痴を零しながら復チャルケを放り込む。
「併し、働かなけば俺に明日はない。確りとやらねば。」
噛み堪え皆無の成形チャルケを必要以上の力で噛み切り意気込む。
独り言を言っているうちに徐々に瞼が重みを増していっていることに気づいた。
「さて、其の為にも最早寝ると為か。」
そういうと私はボトルを掴み口内のチャルケを洗い流さんとコークを流し込むと私はその辺にあった衣類を乱暴にかき集め山に為、其れを枕替わりに為と自らの第一次欲求に従いゆっくりと目を閉じ頭の中の事に乱暴に消しゴムをかけると私は深い眠りについた。




