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初恋  作者: 青砥緑
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別れと出会い

 夕方、村の広場に王都の騎士様がやってきた。王家の紋章が白く飾られた甲冑は格好よくて私もお兄ちゃんとその姿を見に行った。大きな騎士様がたくさんだって皆で騒いでいる間に、大人達の様子が慌ただしくなり私達は急に村の外へと追い立てられた。口々に逃げろ、逃げろ、と言うけれど騎士様達から逃げる意味が分からない。そう思ってどこへ行ったらいいのかと迷っている間に日は暮れて、そして森から恐ろしい獣が襲ってきた。

「モンスターだ!」

「逃げろ!山の教会だ!」

「騎士様について行け!女子供が先だ!急げ!」

 叫び声で村はあっという間にいっぱいになった。


 騎士様は、モンスターの大繁殖があってこの村も危ないから避難するように伝えに来てくれたところだったのだということは随分後になってから聞いた。


 恐ろしくて歯がガチガチ言う。鉄のぶつかり合う音なんて鍛冶でしか聞いたことがない。人の悲鳴だって鶏が逃げて皆で追いかけ回すときくらいしか聞いたことが無い。どうして、そこら中からキンキンと金属がぶつかる音がするの?どうして、そこら中から聞いたこともないようなひどい悲鳴がするの?家に戻る暇もなくて、隣にいたお兄ちゃんと手を繋いで震えながら大人達の示す方へ走った。

「エマ、お前は先に行け。」

「え?お兄ちゃん。お兄ちゃんは?」

 村の出口のところでお兄ちゃんは私の手を離した。心細くて必死に手を伸ばしたけれど、人がどんどんやってきてお兄ちゃんが遠くなってしまう。

「母さん連れてすぐに追いかけるから。お前は騎士様について先に行くんだ。走れ!転ぶなよ。」

「こっちだ。急げ。」

 大きな騎士様に背を押されて、私は留まっていることができずに走りだした。

 涙を堪えて走った。手も脚も震えて、何度も躓いて地面に手をついた。それでも立ち止れば、すぐにあの恐ろしい獣に追い付かれそうで前だけ見て進んだ。山の中腹の教会に飛び込んだときには心臓が壊れそうだった。

 教会の一番奥、礼拝堂まで辿りついたら腰が砕けて動けなくなった。震えが止まらなくて膝を抱えて丸くなった。


 お兄ちゃん、お母さん、お父さん。皆、早く来て。早く、早く。


 教会の入り口の戸が閉められた時、その教会の中にはお父さんもお母さんもお兄ちゃんもいなかった。それに気がついたのは礼拝堂に駆けこんでくる人がいなくなってから。教会の中を探そうと礼拝堂を出ようとしたら騎士様に止められた。まだ危ないから出てはいけないと。

「でも家族がまだ」

 そう言うと、兜の下から覗く騎士様の顔が歪んだ。それを見て、ぞっとした。

「避難した者は皆ここに集めている。」

 それはつまり礼拝堂にいないなら、教会にもいないということ。お兄ちゃんも、お母さんも、お父さんも逃げ切れなかったということ。

 その後、しばらく何も覚えてない。何も考えられなかった。


「エマ!」

 止まっていた私の時間を動かしてくれたのはウィルだった。声のした方へ寄っていけば、ウィルのそばには小さい子が集まって来ていた。ショーンも、ルイスも、ネルもいた。どの子も、ぼんやりとした顔をしている。それを見て「ああ」と思った。きっとこの子達も親や家族が見つからないんだ。

「エマ。大丈夫か?」

 ウィルが私の顔を覗きこむ。凄く近くに大きな焦げ茶の瞳があって心配そうに私を見ている。その目の中にさっきの子達と同じぼんやりした顔の私が見えた。

 私、酷い顔をしている。

「うん。」

 何を聞かれたか、思い出せなかったけど頷いた。ウィルは小さい子にするみたいに私の頭を何度も撫でた。撫でてもらう度に少しずつ頭が動き出す。今自分がどこにいるのか、それがどうしてなのか。やっと思い出した。

「少し休んだ方が良い。ここでみんなと一緒にいてあげて。」

 そう言われて私は子供達の輪に入って座った。ぼんやりした顔の子供達をウィルは一生懸命に励ましている。私もウィルの言葉だけに集中して、悪いことは考えないようにした。お父さん達はきっとどこか違うところに逃げていて、今は迎えに来られないだけ。そう思うことにした。もし泣いたら、お父さん達がいなくなったことを認めてしまうような気がして、どうにか涙を我慢した。

 その晩は眠れなくて、ただ震えていた。静かになればなるほど、教会の外の獣の叫び声が響いてきた恐ろしい夜。

 心細くなって何となしに隣にいたミーナの手を握ると温かくて少し湿っていた。さっきまで握りしめていたお兄ちゃんの大きくて硬い手とおんなじに温かいのに、大きさも感触も全然違う小さくて柔らかな手。


 ああ、そうだ。私は、この子よりお姉さんなんだから、この子よりしっかりしなくちゃ。



 一夜明けても、何も状況は変わらなくて私達は心も体もすっかり疲れきっていた。皆、眠ることさえ怖いけれど、疲れに耐えきれずうとうとと眠っては飛び起きる。そんなことを繰り返してお互いに声を掛け合う余裕もなかった。私だけでもしっかりしようと思うのに、隣で泣いている子の背中に手を添えてやるだけで精一杯でかける言葉を選ぶ気力もなかった。

 きっと大人だって不安で、疲れていたんだと思う。何かのきっかけで大人達が喧嘩を始めると礼拝堂に声が反響してわんわんと四方八方から怒鳴られているように聞こえた。それすら恐ろしくてたまらなくて、皆の目に涙が浮かんだ。でも私達には何の力もなくて、耳を塞ぐのが精いっぱい。とうとう一番小さいネルが大きな声で泣きだした。大人から怖い声で煩いと怒られて、私はどうしたらいいのか分からなかった。


 私だって大きな声で泣いてしまいたい。誰か、助けて。


 一緒に泣きたい気持ちになっていたら急に見たこともないとっても綺麗な女の子がやってきた。そのままネルを抱きしめて「怖かったね?大丈夫よ。もう大丈夫。」って何度も繰り返す。神様が私達の声を聞き届けて天使を遣わせてくれたのかと思った。



 それがアンナとの出会いだった。


 アンナは本当は天使ではなくて、ウィルと同じくらいの年の普通の女の子だった。出会った頃のアンナは記憶喪失で名前も分からなかったから、勝手にアーニャと名前をつけて呼んだ。村の子じゃないのは確かだから、きっと何かのはずみでモンスターの騒ぎに巻き込まれてしまったんだと思う。家族も記憶さえも失くして不安だろうに、彼女はそんな様子ちっとも見せなかった。アンナはいつも本当の天使みたいに穏やかで優しかった。

 アンナは震えていれば抱きしめてくれる。何度でも大丈夫よと繰り返してくれる。毎晩歌を歌って寝付くまで傍にいてくれる。夜中に目が覚めて小声で名前を呼べば、すぐに目を覚ましてもう一度寝るまで手をつないでいたり、お話をしてくれたりした。アンナは親や兄弟や大事なものをみんな奪われてしまった私達に神様が一つだけ与えてくれた特別な女の子に思えた。彼女のそばで泣いて、眠って、それば私達はようやくいつもみたいに話すことや、ほんの少しでも笑うことを思い出した。


 外は危険だからと避難所から出ることは許されなかった。怪我をした村人が運び込まれたのは翌日までで外から入ってくるのは騎士様だけになった。半月もしたら家族のことは諦めないといけないのだと分かった。教会の他に避難できるような場所はないと大人達が言っているのを聞いてしまったから。一縷の望みをかけて騎士様に聞きにいった。こんなに長い間、姿を見られないということは逃げられなかったということかと、万に一つも生き残っていることは考えられないのか、と。騎士様は膝をついて私と目の高さを合わせて辛そうな顔をしながら正直に教えてくれた。

「救いきれず、済まなかった。」

 ごつごつの手袋をした大きな手で頭を撫でるのが、お兄ちゃんやお父さんの手みたいで我慢していた涙がこぼれた。

 もう二度と会えない。もう二度とお父さんに頭を撫でてもらえない。もう二度とお母さんのご飯を食べられない。もう二度とお兄ちゃんと喧嘩できない。私は一人ぼっちになったんだ。


 その日の夜、皆が寝た後で礼拝堂の外に出て一人で泣いた。皆の前で泣けば、どうしたのか聞かれる。そうしたら、ここにいない家族は助からなかったと言わなくちゃいけない。まだ、お父さんやお母さんが迎えに来てくれるのを待っている子の前でそれを言うことはできないから、ずっと泣くのを我慢していた。でも、泣かないなんてできない。寂しくて悲しくて、届かないのにお父さん達のことを何度も呼んだ。


 私もお兄ちゃんと一緒に戻れば良かった。お母さんのそばにいたかった。

 どうして私を一人だけ置いて行ってしまったの。私一人だけ残して行ってしまったの。

 

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