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初恋  作者: 青砥緑
19/20

約束

 二日後に帰ってきたウィルには何も告げないまま、ルイスは何もなかったみたいに大人しく仕事に励み、時々は家具の仕事もとってくるようになった。腕の良かったお父さんを惜しんでくれていた得意先が小さいながらも仕事を回してくれるのだと言う。私も、何も言えないまま、次々に教会を巣立っていく子供たちの餞のためにお金を貯めなければと一生懸命に働いて過ごした。

 慣れた日常はこういうときにはとても便利で、いつもと同じように振る舞えば本当に何もなかったみたいに思えてくるほど。それでも、最初はふとした拍子に垣間見るルイスの笑顔は強張って見えるときがあった。きっと私もそうだったと思う。互いにそれを見ない振りをして、やり過ごした。そして、そんな僅かな違和感さえ傷が癒えるのと同じように、段々と小さくなって一年も経つ頃にはついに消えた。その代わりに私達の間に育った優しい感情は激しさはないけれど、ぶつかり合っても切れることの無い家族の絆のように感じた。しがみついていた時には得られなかった穏やかな愛情と揺るがない信頼。お互いに本心をさらけ出して初めて手に入れることができた。もちろん、ただぶつかって終りにしないために私達は努力したけれど、それにしても少し、皮肉に思う。



 新しい春が来て、学校を出たショーンがお友達を引き連れて村に帰って来ると、一気に私達の家は騒がしくなった。全員同じ家に住むのは無理があると、とうとう近所にもう一つ家を借りた。

 そんなドタバタの隙を突いて次の修業先を決めて来たルイスが村を出て行くことになった。


 ルイスが出て行く前の晩、三人で過ごす最後の夜は夕食が終わっても食堂を去りがたくて三人でゆっくりとお茶を飲んでいた。

「あのね、二人にお願いがあるんだ。」

 大きなコップをついに空っぽにしたルイスが顔を上げて私達を見た。

「なあに?」

 何でも叶えてあげたい。そんなつもりで私は聞き返した。けれどルイスのお願いは予想したどれとも違った。

「これ以上、自分達を犠牲にしないで欲しいんだ。二人には本当に言い尽せないくらい感謝してる。でもね、ウィルとエマが僕達のためにって何かを我慢している限り、僕らが幸せになったらいけない気がするから。僕らのことを思ってくれるならさ、僕らも同じだけ二人に幸せになってほしいって思ってるっていうのもいい加減に気がついて。」

 ルイスは懇願するように私達の顔を交互に見る。

 私はルイスの言葉を理解するのに少し時間がかかった。やがて言葉が沁み入ってくると心がじんわりと温まってくる。何度目だろうか、心をあったかくしてくれるルイスの不思議な魔法。

「僕らもそうなりたいって思わせるくらい幸せになってよ。誰にも遠慮しないで。」

 最後の言葉をじっとウィルを見つめて言う。思わずウィルを振り返ると、ウィルは何とも言えない表情をしていた。とても嬉しそうなのに無理に眉をしかめて睨むようにルイスを見返している。

「・・・分かった。」

 ウィルが顎を引いてそう返すと、ルイスはにこりと微笑んで頷いた。

「エマも。約束して?」

 皆が羨むくらい幸せになると勢いよく頷いて約束したいのに、胸の中にひっかかりがあって私は躊躇う。けれど、ここでルイスのお願いを聞かないなんてことはできない。胸の中の棘に目を瞑って頷いた。

「うん。頑張る。」

 私の声はとても自信がなさそうでルイスは苦笑いを浮かべた。けれどルイスは明らかに不安げな私の言葉を言い直させはしなかった。

「ありがとう。ショーンに見張ってもらうから、約束を破ったらすぐに知らせてもらうからね。だから、頑張ってね。」

 お願はそれだけ。さあ、明日は早いから寝なくちゃ、とルイスは大きく伸びをして立ち上がる。そして思いがけないお願いにまだ戸惑ったままの私達を食堂に残して部屋に戻っていった。


 そのまま言葉もなくて、私達は並んでしばらく静かに座り込んでいた。

 ルイスが言ってくれたことは、私とウィルが彼に望んできたことと同じ。自分の人生を大事にしてほしいということ。決して自分を蔑ろにしてきたわけじゃない。家族と一緒にいること、家族の幸せを願うことが私の幸せだったから自分を犠牲にしているように見えたかもしれないけれど、私は今もとても幸せだ。一つだけ、手を伸ばしてはいけない望みがあるけれど、そのくらい誰にだって一つや二つあるだろう。

 ウィルもきっとルイスの言葉を噛みしめていたに違いない。やがて静かに口を開いた。

「マーサ司祭様が言っていたみたいに、俺達の背中をまだ皆が見てくれているなら。皆になって欲しいと思うくらいの幸せを自分が手に入れないと駄目なんだな。自分だけ我慢すればいいとか、そんな簡単なことじゃないんだな。」

 自分だけ我慢することを簡単なことと言ってしまうのがウィルらしい。私は首を縦に振りながら少し可笑しく思ってしまう。多くの人には、自分だけ我慢することの方がよっぽど難しいことなのに。こういうウィルだから、私は彼を放っておけない。あなたがルイスとの約束を守って幸せになるまでとても目が離せない。


 翌朝、ルイスは「約束だよ」と何度も念を押しながら旅立って行った。ショーンが「任せておけ」と拳を振り上げていたから、ショーンに見張らせるという言葉もはったりではなかったみたいだ。本当に、私達の小さな家族は優しく逞しく育った。それがもしも、少しでも私達の力でもあるのなら、なんて誇らしいことだろう。自分が幸せにしていることが彼らの力になるのなんて、なんて素敵なことだろう。

 ウィルはどう感じているのかと彼を振り返れば、難しそうな顔で眉を寄せていた。ただ喜んでいる訳でもなさそうなその表情。ルイスの言う通り、ウィルは何か我慢しているのかもしれない。

 私に彼のためにできることはあるのだろうか。少しでもできることが、あればいいのだけど。

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