表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
初恋  作者: 青砥緑
16/20

迷子

 冬になると取れる薬草はとても少なくなる。もともと山の高いところにあって寒さの厳しい土地だから冬本番になれば山は雪に覆われてしまうのだ。初雪が降るまでになるべく多くの素材を集めておかないと冬の終りには相当ひもじいことになるのは村に帰った最初の冬に経験済みのこと。さらに今年はルイスがいるのだから余計に食料を貯めておかないといけない。秋の気配に気がついて以来、山に入る時間を増やした。それでも日が落ちる時間は日に日に早くなって、今や夜明けから日暮れまで目一杯時間を使っているほどだ。


 実はウィルもルイスも、私が山に入るのを良く思ってはいない。私の仕事だから普段は黙っているけれど、どちらも一度は山に入るのは止められないのかと真剣に聞いてきたことがある。

 彼らが嫌がるのは、昔、村を襲ったモンスターが山の奥からやってきたせいだ。次に出るとしたらきっとまた山の奥からだろう。もちろん、それは私も分かっているから近くの村にモンスターが出ていないか、行商の人から情報を集めることは欠かさないし、夜行性のモンスターに出くわさないように明るい時間にしか山や森に立ちいらない。昼間でも領主様の騎士様達が見回りしてくださる境界を超えて山の奥深くに入ることもしない。それでも私の帰宅と日没の時間が迫っていくと不安になるようで、口々にそんなに無理しないで良いのだと言ってくれる。

「大丈夫よ。ちゃんと明るいうちに山を出てるわ。慣れた道だし心配いらないってば。暮れはじめるのは村に入ってしまってからよ。」

 家につくのが日没よりも遅くなった日に不安げに家の前に立っていたルイスにそう言ったけれど、ルイスは厳しい顔のまま首を横に振った。

「エマの大丈夫は全然信用ならない。」

 ひどい言われようだけど、心配してくれているからこその言葉だと思うと嬉しくもある。

「明日はもっと早く帰って来るから。」

 ね、と幼い子供に言い聞かせるように笑いかけるとルイスはやっと頷いて、それから私の担いでいた籠を受け取ってくれた。籠には野草の他に夕食の足しにしようと思った木の実や果物も入っている。山ブドウをつまみ上げたルイスはちらっと私を見下ろした。もの言いたげな視線に首をかしげて見せるとルイスは眉を寄せて呟いた。

「山ブドウ。」

「そうよ?嫌いじゃないでしょう?」

 もう何度も料理に使っているけれど、一度も残されたことはなかったはずだ。

「まあね、嫌いじゃないよ。」

 顔を逸らすとルイスは寒いから早く家に入りなよと促す。暖かい居間へ入ると暖炉に薪を入れていたウィルが振り返った。

「おかえり、エマ。遅かったね。」

 ほっとしたような表情にウィルも心配してくれていたんだとすぐに分かる。やっぱり明日はもっと早く帰ってこよう。

「今日は大量だったの。その分、明日は早く帰って来るわ。ほらみて。」

 ルイスが持っている籠を傾けてもらって中身を見せると、ウィルは微笑んだ。

「うん、すごい。お疲れ様。」

 そういって頭をぽんと叩くのはまるで子供扱いだけれど、褒められれば単純に嬉しい。

「すぐご飯作るから。もうちょっと待ってて。」

 ご機嫌で台所へ向かおうとすると、肩を掴んで止められた。

「今日は俺が作るから、少し休んで。朝からずっと山に入りっぱなしだろ。働きすぎ。」

 あきれ顔のウィルがそのまま私をルイスの方に押し付けると、今度はルイスに両肩を掴まれた。首を逸らせて見上げるとルイスもウィルの言う通りというように頷いている。二人だって、私が山に入っている間、それぞれに働いているのに。

 けれどルイスは私を離す気はないらしく、無言で暖炉の前に引っ張っていって座らされた。その間にウィルは私の持って帰ってきた食材を取り出してさっさと料理を始めてしまう。こうなると、二人は私の言うことなど聞いてくれない。諦めて上着を脱いで暖炉に手をかざした。秋の夜風は冷たい。冷えた手がじんわりと温もってくると少しかゆくなってくる。一旦冷まそうかかと冷たいままの頬に手を当てていると台所からウィルのちょっと嬉しそうな声が聞こえて来た。

「お、山ブドウだ。」

 思わず私を見張るように後ろにいたルイスを振り返るとばっちり目が合った。山ブドウがウィルの好物だってことに気がついていたみたい。ウィルが喜ぶと思うとつい山ブドウに手が伸びてしまう私のことも見透かされたようで恥ずかしい。

「初めて山ブドウ入りのソースを作ってあげたときの喜び方が凄かったのよ。」

 よっぽど口に合ったんだろう。言い訳するように小さな声で言うとルイスは苦笑いになった。

「ウィルから聞いた。」

「へ?」

「エマが自分の子供の頃の好物を覚えていて、わざわざ誕生日に料理に入れてくれたって。」

 手で頬を覆ったままでいなければ、真っ赤になった頬を見咎められただろう。たしかに起きた出来事はルイスの言う通りなのだけど、言葉にされるとどうしてこうも恥ずかしいのだろう。

「それにしたって、いくら好きでも三日に一度っていうのは多すぎる気がするけど。」

 ルイスはそう言って軽くため息をついてからウィルを手伝いに台所に去っていった。

 明日は山で、ルイスの好物を探して来ようかしら。



 次の日、私は二人との約束通り早めに家に帰るつもりでいた。

 薬草の集まりはそれほど良くはないけれど、まだ初雪までは数日あると思うからまた明日頑張ればいい。

 そろそろ折り返そうと腰を伸ばして周りを見回すと、薄青い花が目に入った。近づいてみればやはり見覚えのある花だ。小さくて可愛らしいけれど弱い毒のある毒草。寒い季節にだけ咲くこの花は茎や根を煎じつめると毒薬になる。人間が口にしても少し舌が痺れるくらいの弱い毒は、虫やネズミには効果てきめんなので畑や食料庫で使う良い虫除けになる。引き取り手はいくらでもいるから、良い値段で売れるだろう。これがあれば、この冬を越す準備には困らなくて済む。

 辺りを注意深く見渡すと少し離れた木立の向かって点々と青い花が咲いていた。足早に花を追って進むと木立の向こうに青い絨毯が見えた。群生地だ。

「すごい。こんなに。」

 山に薬草を取りに入るのは私だけではない。これほどの数が手つかずで残されていたのは信じられないような幸運だ。私はすぐに屈みこんで花を摘んだ。根まで大事に引き抜いて背負った籠に入れていく。薬草は取り尽くしてはいけないというのが鉄則だけれど、これだけあればその心配もいらない。籠一杯まで摘んだとしてもまだ半分以上残るだろう。


 私は夢中で籠がずっしりと重くなるまで青い花を摘み続けた。言葉の通り、時を忘れて。

 ふと手元が暗くなって顔を上げてぞっとした。黒い木々の向こうに見える空の色は後少しで夜になる濃い青色になっている。ああ、今日は曇っていたから夕焼けの赤い光が差さなかったに違いない。

「大変。」

 今日こそ早く帰ると約束したのに。ウィルとルイスが心配する。彼らの心配が杞憂で済む間に帰らなければ。慌てて元来た方へ戻ろうとして、今度こそ血の気が退いた。初めてきた場所でずっと俯いて動き回っていたせいで、帰る方角が分からない。いつもなら目印をつけながら歩くのに、今日は青い花に目が眩んでそれをうっかり忘れていた。

 どんどんと早くなる心臓の鼓動が邪魔で、考えがまとまらない。

 帰れなかったらどうしよう。山を下りる前に真っ暗になってしまったら。寒い山の夜はそれだけで危険だ。それにモンスター以外にも森には夜行性の動物がたくさんいる。大型の獣も出てくるだろう。

 足が僅かに震えるのを感じながら、なんとか自分を叱咤する。しっかりしなさい、エマ。木立の向こう、一歩視界が開ければ見覚えのある小道があるはず。私が花を摘んだ跡のあるところを戻れば良い。

 小走りに花が減っている辺りを駆け戻り、木立から顔を突き出しては小道が現れる場所を探した。

 ここは違う。これじゃない。こんなに細い獣道じゃない。

「ひっ」

 時折、音を立てて飛び立つ鳥や見慣れたリスの姿にも怯えては立ち止まる。そうやってまごついている間にも暗くなる視界に泣きだしたくなる。どんどんと育つ恐怖に追われて狂ったように木立の中を駆け回った。

 一瞬、目の端に白いものがよぎった。思わず視線をやってみたけれど、何もない。それでも気になって、恐る恐る白く見えた方へ向かって目を凝らす。もし、誰か同じように山を下り遅れた村の人がいるのなら。縋る思いで見渡すけれどやっぱり誰もいない。

 気のせい、か。

 がっかりして視線を落とすと木の根に小さな白い羽が落ちているのを見つけた。風にのって鳥の羽が落ちて来ただけだったのか。全くありもしなかったものを見たと思いこむよりは良いけれど、僅かな期待が打ち砕かれて不安が増す。なんとなく、それを拾い上げようとして足がもつれ、木の幹に強かに肩を打ちつけてしまった。

「っ痛。」

 もう踏んだり蹴ったりだ。我慢できずに滲んでくる涙をぬぐうと目の前に道が見えた。

「あれ?」

 目をもう一度こすってじっと見つめると間違いない。いつも私が使っている山道だ。これなら多少暗くても通い慣れた道。村へ帰れる。

 帰れると思った途端に、どこに残っていたのかと思うほど力が湧いた。暗い山道を走ったら危ない。そんなことは子供の頃から耳にたこができるほど聞いているけれど、私は走った。一刻も早く村へ、明るい家へ帰りたかった。


 焦りと疲れで足は思うように動かなくなり、何度も躓いて、飛び出している小枝に頬や腕を叩かれて、髪がひっかかった。

 それでも闇が背中から追いかけてくるようで、私はとにかく走り続けた。

 息が切れて、声も出ないけれど胸の中で何度もウィルを呼びながら。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=854021895&size=200
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ