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初恋  作者: 青砥緑
15/20

秋風

 私の仕事はそれなりにお金になって家には普通の家にありそうなものは一通り揃った。ルイスは黙々と家の修理を続けてくれて、壊れていた家具や建具もみんな直った。そうすると使える部屋が増えたので勉強ができないくらい小さい子供も、親が畑仕事に出ている間は預かることにした。


「おはよー。先生。」

 子供達は毎朝、年長の子供に連れられてやってくる。機嫌の悪い幼い子を背負ってきた男の子の姿に少年だったウィルの姿が重なって見えてしまう。

「おはよう。みんな朝ごはんは食べて来た?」

「食べたよ。」

 子供達は我先に教場にしている部屋に駆けこんでウィルにまとわりつく。先生と言っても村で家を継ぐ子供が覚えるべきことはそれほど多くない。ウィルはのんびりと読み書きやお金の計算の仕方、天気の読み方、ときどき畑の世話の仕方まで教える。そうやってウィルは半分の子供を教えている間は、残りの子に小さい子供を任せているけど、私も薬草をとりに行かないで良い日は子供達の面倒を見る。ルイスも仕事が休みの日は手伝ってくれた。それでも一番の人気者はウィルで、私とルイスは本当にウィルに先生は天職だね、と笑いあった。優しくておおらかで、きちんと厳しくしなければいけないところは叱ってくれる。本当に良い先生だと思う。

 お昼は簡単な食事を作って皆で食べる。子供達と食卓を囲むと自分がゆっくりご飯を食べることなんてできないけれど、そんなのは三人とも慣れたものだ。食べこぼす。飽きて席を立つ。隣の子のおかずを横取りする。私達がそれぞれの面倒を見ていると、段々と年長の子供が真似を始める。

「ほら、よそ見しちゃダメだろ。」

 今日初めて、そうやって小さい子に声をかけてくれた少年がいた。思わずウィルと目を見合わせて微笑む。子供たちがゆっくりと大人になる姿は誇らしく愛らしい。

 そうだよ。そうやってゆっくり大人になりなさい。


 もちろん子供はただ可愛いだけでもないし、急に大人びたことを言いだすこともある。

 ある日、庭で洗濯物を干していると少女たちが連なってやってきた。

「ねえ、エマせんせ。」

 私は先生ではないけれど、村の皆が私をエマ先生という。お医者様がいないからお医者様の代わりにされているからかもしれない。

「何?」

 少女達はお互いをつつき合いながら何か言いたそうにしている。

「どうしたの?」

 腰をかがめて目を合わせると、一人が頬を染めながら口を開いた。

「あのね、エマ先生はウィル先生とルイスさんのどっちのお嫁さんなの?」

 私は面喰って目を瞬かせた。女の子達は興味津々に目を輝かせて私の返事を待っている。女の子ってこんなにませているものだったかしらと同じ年の頃の自分を思い出す。まだ初恋も知らなかったような気がするけれど。

「うーん、どっちのお嫁さんでもないわよ?」

 私が苦笑い気味に返すと「えー」と大きな声が上がる。

「なんで?」

「なんでって。そうねえ、お嫁さんにならなくても私と、ウィルと、ルイスはもう家族だからかなあ。」

 私達は親子で兄弟だ。だから誰かのお嫁さんになったり旦那様になったりはしない。自分で答えながら胸の奥がしくしく痛い。女の子達は丸くなって何か相談している。もうこの話しは終りにしてくれないかな。彼女たちが納得してくれることに期待しながら洗濯物干しを再開する。良く晴れているけれど風は少し涼しい。


「あのね、じゃあね。」

 相談が終ったらしい少女の一人が耳まで真っ赤にして声をかけてきた。

「うん。」

 今度は真剣そうだと膝をついて目を合わせると、彼女は震える声で、しかし真っ直ぐに私の目を見て思いがけないことを告げた。

「私、ウィル先生のお嫁さんになれる?」

 きらきら期待に輝く瞳と、不安に揺れる声に切実な恋心を感じた。幼いなりに本気の想い。この返事を誤魔化したらいけない。

「そうね。もしウィルもあなたと同じようにあなたを好きになったらきっとなれるよ。」

 少女は食いつくように私を見つめる。

「どうしたら、ウィル先生は私を好きになってくれると思う?」

 それはとても難しい質問だ。私だって知りたい。思わず苦笑いが浮かびそうになって慌てて悩んでいる表情に取り繕った。こんなに真剣に考えている子を前に笑うなんてとんでもない。

「ごめんね。それは私も分からないわ。」

 正直なところを答えた。彼がアンナを想っていたことは知っているけれど、アンナが結婚してしまってからしばらく経つし、彼女から手紙や差し入れが届いても特に落ち込んだりしている風もない。今、どう思っているのかはもう分からない。他に想う人がいるのかも、あるいはどんな人が好きなのかも。彼の想い人としてのアンナの印象が強すぎてちっとも思い当らなかった。

 気落ちした風の少女を見兼ねて少しだけ、口を滑らせた。

「でも、ウィルは優しい子が好きだと思うわ。」

 それだけで少女はぱっと笑顔を浮かべた。

「じゃあ、私、優しくなる。」

 その単純さが愛おしくて私は微笑んだ。好きだと真っ直ぐに言えること。愛されるために迷わずに努力できること。純粋な恋心が眩しくて羨ましい。

「うん、頑張ってね。」

「ありがとう。」

 弾ける笑顔で少女たちは去っていく。きゃあきゃあと笑い声をこぼしながら、ウィルの待っている教場へ戻るのだろう。


 私は裏庭に立ち尽くして空を見上げた。

「あ、雲がもう秋の雲だなあ。」

 ちぎれちぎれの薄い雲。夏の深みを失いつつある空の青。短い夏ももう終わりだ。今年の夏は殊更に短く思えた。夏が来ていることに気がつくのが遅かったからかもしれない。ルイスが赤い百日紅を一房持って帰って来てくれて、やっと気がついたから。

 子供たちの歓声を乗せた風が大きなルイスとウィルのシャツをはためかせていく。憧れてやまなかった家族の象徴のような景色の中にあって、寂しくなるなんて私は本当に強欲だ。


 不意に手が軽くなってはっとすると、ルイスが私が手に取ったままにしていたシャツを抜き取ったところだった。そのまま無言で大きなシャツを吊るして行く。

「ああ、ごめん。ぼうっとしてたわ。」

 後少しだけ残っている洗濯物を籠から出すと、ルイスがずいと手を出してきた。そのまま手伝ってくれるらしい。

「ありがとう。」

 一枚ずつはたいて手渡せば、彼はすいすいとロープに衣類を吊るしてあっという間に全て干し終った。

「もう日が短いから、ぼんやりしている場合じゃなかったね。」

「エマ、薄着過ぎるんじゃない?」

 ルイスは不満そうに夏服のままの私を見下ろす。確かにさっきまで秋の気配に気が付いていなかったから上着も出していない。日が暮れたらこれでは寒いかもしれない。

「そうだね、いつの間にか秋が来てるんだね。さっき気がついたよ。」

 毎日、子供たちの世話と薬の用意で忙しく季節が巡ることに気がつくのがとても遅くなる。このところ子供たちやルイスに教えてもらってようやく自分が季節外れの格好をしているのに気付く始末だ。それでもウィルよりは先に気づけていると思うのだけど。

 ルイスは顰め面のまま、私の手を掴んだ。

「あったかい。」

「冷たい。」

 同時に呟いて私は笑ってしまったけど、ルイスはますます不機嫌そうだ。そのまま片手で籠を掴んで、もう片手は私の手をひいたまま家に戻っていく。ルイスに手を引かれて歩くなんて初めてかもしれない。改めてみると本当に大きな背中。

「明日からちゃんと上着着るから、機嫌直してよ。」

 不機嫌になると極端に口数が減ってしまうルイスに私はあれこれ話しかけたけど、ルイスはぶすっとしたままだ。やっと振り返ってくれたと思ったらじっと見下ろした後でふいっと顔を背けて出て行ってしまった。


 そんなに怒らなくても。


 立ち去ったルイスが籠に入りきらなかった洗濯物の残り半分を干しに行ってくれたのだと気がつくまでにだいぶ時間がかかった。




 その日の夕方、私はとりあえず上着を取り出して羽織ってから洗濯物を取り込んだ。ルイスが結んでくれた洗濯紐はいつもよりだいぶ高いところにある。踏み台代わりに盥をひっくり返して登り、さらに手を伸ばしてなんとか解こうとしているとウィルが目の端に見えた。子供達を送り届けてきたのだろう。

「届かないの?」

 ウィルはやってくると、腕を伸ばして私が格闘していた紐をあっさり解いてくれた。

「ありがとう。ルイスに手伝ってもらったらいつもよりも少し高くて。」

「そう。」

 ウィルはにこにことそのまま手伝ってくれる。

「ウィル、いいよ。これさえ取れたら後はできるからお夕飯まで休んでて?疲れたでしょう。」

 走り回る子供達の相手は疲れる。でも、ウィルは首を横に振った。

「大丈夫。慣れているから。家のこと、エマに任せきりってわけにもいかないしね。」

「そんなの気にしないでいいのに。」

 そもそもウィルは働き過ぎなのだから。言っても聞かないウィルは慣れた手つきで洗濯物を抱えて行く。私が一度に持てるよりもたくさん抱えられるから、手伝ってもらえばすごく助かるのは確かなのだけど。二人で山もりの洗濯物を籠に積んでいく途中でウィルは私に背を向けたままぽつりと言った。

「エマはいいお嫁さんになるね。」

「え?」

 小さな声だったから都合のよい聞き間違いかと聞き返した。

「エマ、この家に縛られないでいいんだよ。エマとルイスが居てくれてとても助かっているけど、二人とも自分のしたいことや行きたいところを大事にして。」

 振り返ったウィルは微笑んでいた。痩せた体はたくさん食べさせてもなかなか太らない。いつの間にか伸びっぱなしになってしまう黒い髪は面倒だからとまとめて一つに束ねられて、髪型のせいか年より少し老けて見える。それでも大きな瞳は相変わらず輝いて、笑顔は優しい。私の大好きなウィル。どうしてそんなことを言うの。

「出て、行った方がいいの?」

 私はどんな顔をしていたんだろう。ウィルは慌てた様子で「そうじゃない」と言った。

「ここに居てくれるのは嬉しいよ。でもね、俺に遠慮しないで自分の人生を決めてほしいから。小さい村だし、ここに居ては色々。」

 言葉を濁したウィルの言いたいことは分かる。若い男女が結婚もしていないのに一緒に暮らしているのかと、良くない目で見られていることも知っている。村に戻って三年の間に引っ越したらどうかと勧められたことも一度や二度じゃない。村に子供を送っていって何か言われたのかもしれないけど、そんな心配、今更だ。

「私はここがいいわ。」

 ぐっと顔を上げて胸を張る。それを聞いたウィルは少しほっとしたように笑った。

「ウィルさえ、迷惑じゃなければね。」

 ほんの少しの意地悪と本気をこめて付け加えたら、ウィルは首を横に振った。

「迷惑なもんか。本当に。」

 ウィルは、よいしょ、と洗濯籠を抱え直して私を振り返った。

「助かってるよ。」

 その言葉は期待通りと言えば期待通り、期待はずれといえば、いつも通りに期待はずれだ。君にここに居てほしい、と言ってくれたらいいのに。叶わない願いを捨てきれない私は胸の内で呟いた。けれど口から出たのは全然関係ない言葉だ。

「ところで、ウィル。もうその格好では寒いと思うわ。長袖にしたら?」

「え?ああ、本当だ。夕焼けの色が変わったね。夏も終わりか。」


 私は、その日ルイスが必要以上に不機嫌だった理由も、ウィルが洗濯籠を抱え直しながら飲み込んだ言葉も押し隠した表情も何も知らないまま空を見上げていた。危うい三人の距離をどこかで不安に思う心許なさを秋風のせいだと言い訳しながら。

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