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初恋  作者: 青砥緑
14/20

帰郷

 2年かかって学校を出た。それで分かったのは私は本当に馬鹿だったということ。貧しい村の子供の先生なんて一銭にもならないような仕事をしているウィルにどうしてお金があると思ったんだろう。働いているというだけで。働き始めてまだ一年だったのに私が教会を出る時にはずいぶんな額を持たせてくれた。そのうえ、学校に入って初めての春に贈ってくれた軽いドレスのような素敵なワンピースと可愛い髪飾り。喜びながらも、それをアンナと選んだのだろうと、父としての贈り物かと少しがっかりもした。それでも、その贈り物をきっかけに私は自分の胸の中でだけ片恋を許してあげることにして、ワンピースに袖を通す度に恋の喜びを感じながら学生生活を過ごすことができた。けれど、私は彼がそれをどんなに苦労して贈ってくれたのか、全然分かっていなかった。



 やっとウィルの役に立てると村に帰って来てみたら、ウィルははぼろぼろの服を着て、靴は先の破けたものを何度も繕って履いていた。私達が村を出る前の最後の夜に泊まった立派なお家はもう売られてしまってウィルは村の外れの寂しい家に住んでいた。自分であちこち直したから隙間風がひどいなんて言いながらも住むところが無いならしばらくここに住んだらいいと言ってくれた。思っていたのと違うウィルの様子に混乱した私は思わず言ってしまった。

「あんなドレスより自分の靴を買えば良かったのに。」

 言ってしまってからすぐに後悔した。

「あんなドレスだなんていってごめんなさい。私がお出かけするときにはいつも着ていた大事なドレスよ。」

 そう言ったら笑って許してくれたけど、本当はもっと怒ればいいのにと思った。私の言ったことは最低だ。


「本当に見違えるなあ。女の子は変わるね。すごく綺麗になった。」

 ウィルはにこにこしながら、精いっぱいの御馳走を並べてくれた。その言葉はすごく嬉しかったけれど、私は痩せてしまったウィルが心配で喜ぶどころではなかった。生活が苦しいって教えてくれたら、一分でも一秒でも早く帰って来られるようにもっともっと頑張ったのに。

 食事が終ってから、どうしても黙っていることはできなくて話は暮らしぶりの話になった。

「一度、教会に会いに来てくれた時は、きちんとした格好をしていたじゃない。こんなに厳しいとは思っていなかったの。」

 そう言ったら彼は家の奥からごそごそと箱を出して来て見覚えのある黒い上着と揃いのズボン、綺麗な靴を見せてくれた。

「これは隊長さんにもらった一張羅なんだ。何度も着るとくたびれてしまうから皆に会いに行くときだけ着るようにしてるんだ。」

 それから、食べるものはなるべく自給自足。裏庭で野菜を作って、鶏を飼って、足りない分は子供達の親から給料代わりに貰う小麦やヤクの乳で生活しているのだと言う。物々交換では手に入らないものを買うお金なんて全然ないはず。そう思うと、ウィルは「それから」といって戸棚の奥を見せてくれた。たくさんの乾物や布類が揃っている。一年に一回、アンナからまとまった差し入れが届くのだという。現金が必要になるとこれを売っているそうだ。いくら王都で働いていてもこれだけの物を送るのは大変だろうとウィルは少し呆れ顔だ。アンナなら、ウィルと同じように切りつめても送ってくるだろう。でも、私が王都にいる間にアンナの家に呼んでもらった感じでは、生活は贅沢ではないけれど苦しくも見えなかった。きっと旦那様のお金には手をつけず、でも自分で働いた分をウィルや、私達への差し入れに丸ごとつぎ込んでいるのだろうと想像がつく。そう言うと、ウィルもそう思っていると同意した。

「もらい過ぎだと思うんだけど、正直、これがなければエマにドレスまでは送れなかったかな。それにこういうのが良いって言うのもアンナに教えてもらわなければさっぱりで。」

 そう言って苦笑いする。アンナとウィルが力を合わせて稼いだお金であんなに素敵な服を送ってくれた。それは私達が離れている間も家族でいた証拠。嬉しくて、そして辛い。私の恋はまた行き場を失ってしまった。


 ウィルは、私の学校での話を聞きたがった。お友達の話をすればとても喜んでくれた。

「ああ、エマにも羽を伸ばして楽しめる時間があったなら良かったよ。君はいつも頑張りすぎるから。」

 今のウィルをみて、頑張りすぎなんて言われても全然反省する気にならない。あなたこそ、どれだけ身を削っているの。目を赤くして睨んだらウィルは少し情けなさそうに笑った。

「それでも、みんなに少しでも楽しい時間を過ごしてほしくて。どうしてもね。」

 私はどうしても我慢できなくて、泣いてウィルを馬鹿だと責めた。それでも最後には何度もありがとうと言うことしかできなくなった。



 私も家族と暮らした家はもうない。ウィルの家の離れを何とか片付けてそこに住むことにした。もともとは物置だったらしくて窓もなかったけど、天気のいい日に村長さんがやってきて窓を作ってくれた。若い者が元気に村に帰って来てくれたお礼だって、お酒や干したお肉も持ってきてくれた。私とウィルは何度もお礼を言って見送った。あの村長さんが頑張ってモンスターに襲われた村を立て直してくれたからこそ、まだ村はあるし、私達は帰って来られたのだから。

 それから、私は毎日山に入って薬草をとっては薬を作った。薬はお金になる。村人に売るときは食料と交換した。行商が来た時には余計に作っておいた薬を売って、ウィルの服や靴やお鍋を買った。裁縫道具も揃えてウィルが寝かせたままにしていたアンナから届いた布でシャツや下着も新しく縫い足した。

 それでも私達はまだ貧しかったけど、二人で工夫してやりくりする生活は楽しかった。離れていた四年間を埋めるように話しあい、笑いあう。夜は灯りの油を節約するためになるべく同じ部屋で過ごし、ウィルの教室に通ってくる子供たちの話や、私達の思い出話をした。

「夜に話し相手がいるってだけで、気が休まるもんだね。昼間は子供達のおかげで賑やかだけど、その分夜の静かさが辛いこともあったからな。」

 ウィルはそう言って嬉しそうにする。彼が嬉しそうだと私は無条件に嬉しくて、もっと喜ばせたいと話し続けてしまう。よく話し疲れて私が寝てしまうまでウィルは隣にいて、私を布団へ運んでくれた。朝になって私が謝るたびに、「これでは本当に父と娘だね」とウィルは笑った。その言葉はほんの少し苦かったけれど我儘を自分に許した時間は終りだ。私は娘らしく、お父さんの腰を痛める程重たくなったら床に放り出しておいていいわと笑って返した。


 それから私はウィルの秘密を守ることにした。二人で教会を出る子供のためにお金を貯める。次に独り立ちすることになるルイスのためには大きなコートを買った。お父さんと同じ家具職人の道に進むというルイスは学校には進まずに修行するのだと言う。修行中は山で木を切り出すところからやるというから頑丈な革のコートにした。二人で旅するお金はないから、ウィルに預けて届けてもらう。でかける前日に私は伸び放題だったウィルの髪を綺麗に切って、彼はまたあの一張羅を着て出掛けて行く。なんとか捻りだした硬貨を持たせて、あの子に美味しいものを食べさせてあげてと送り出した。


 ウィルのいない夜は静かで、食卓は冷え冷えとしていた。こんなところで4年も彼は一人で暮らしていたのかと思うと悲しくなる。なんて寂しい生活を送らせてしまったのだろう。2年もかかる学校になんていかなければ良かった。そうしなければ今ほどお金を稼げなかったのは分かっていても、そう思った。食事を食べる気にもならずにどうせなら帰ってくるウィルのために取っておこうと気持ちを切り替えた。

 そうして長い夜をじっとして過ごしていると、今度は森の木々の揺れる音がひどく耳についた。まだ山からモンスターが飛び出してきた日を忘れられない。いつ、木々のざわめきの中にあの金属の音や獣の鳴き声が混じるだろうと思うとぞっとする。夜はとにかく早く寝てしまおうと布団をかぶってやり過ごした。


 十日もするとウィルは笑顔で帰って来た。玄関の扉が開いてウィルが帰って来た途端に寂しかった家は急に明るくなった。

「ただいま。」

 私もつられて笑顔で迎える。

「おかえりなさい。」

 ウィルはもう一度、ゆっくりと「うん、ただいま」と言って微笑んだ。その笑顔が優しくて私の抱えていた寂しさもふっとんでしまう。それからウィルは白い花束を渡してくれた。リボンもかかってない、握りしめただけの花束。

「もうお金はないんだけど、これは君にお土産。綺麗だったから。」

 私は急いでコップに水をくんで白いお花を生けた。本当に綺麗。

「ありがとう、ウィル。」

 私はもうすっかりご機嫌になった。


 その日は二人で白いお花を飾ったテーブルに、私が食事を切り詰めて貯めておいた食料を使って少しだけ贅沢な夕食を食べた。

 彼はあのお金でルイスに屋台でお昼を食べさせてあげたよと言う。

「すっかり大きくなって良く食べるんだ。あいつが帰ってきたら大変だ。」

 ルイスはお父さんに似て大きくなった。それは良く食べるだろう。それから二人でルイスが村に帰ってきたらなんて言うだろうと予想しては笑いあった。あの子のことだ、怒ったりはしないんじゃないか。いや、さすがのルイスもきっと怒るわ、それまでにせめてウィルはもう少し太らなきゃ。一緒にいたずらをしているみたいで、不思議とワクワクした。

 二人になった食卓は温かくて、森の木の音はもうちっとも気にならなかった。


 予想は私の勝ちだった。2年後に戻ってきたルイスは相変わらずのボロ屋に住んでいる私達を見て大いに怒った。そうまでしてお金を都合してくれなくて良かったんだ、コートなんて買わないでいいんだと言った。そして、こんなことのための修行ではなかっただろうに、次の日から雑に建てつけられていた壁や屋根を毎日せっせと直し、ついでに古い家具を他の家から引き取ってくると、それも直して立派なテーブルと椅子を拵えてくれた。その間ろくに口もきいてくれなくて、ルイスを怒らせると大変だというのを私とウィルは深く学んだ。

 それでも、村に帰ってきた日に私にウィルが言ってくれたのとそっくり同じことを言い聞かせれば、やっぱりルイスも私と同じように「ありがとう」と泣き笑いになった。


「でもね、みんな大事な家族だから、一人ぼっちの新しい場所で寂しい思いをさせたくなかった。みじめな思いをさせたくなかった。楽しく過ごしてほしかったんだよ。」


 ルイスも次に一人立ちする子の為にこっそり贈り物を用意して一緒にウィルを送り出してくれるようになった。

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